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イエティはヒグマに非ず ― ヒマラヤ視察最終報告

※4.クムジュン村のミティに襲われた女性

今から数十年前、ハクパ・ドマ・シェルパ(Lhaupa・Doma・Sharpa)という女性がミティに襲われるという事件が起きた。女性は現在でもクムジュン村に子供達と共に暮らしている。まず、女性の事件の顛末は実際に、ドマさんに会って話しを伺ったという根深氏の論考に詳しいのでそちらを読んでいただきたい。そして私は今回、まずタシガ村に住む彼女の甥ニマ・テンダップ氏と会い、話を伺った。彼の話では、ハクパさんは今でも、親族にさえその体験の多くを語ろうとせず、その話を思い出す度、涙を流して何も語れなくなるとのことだった。私は一応、彼から紹介状をもらい、彼女のもとへと向かったが、やはり話すことはおろか、写真ももちろん拒否された。

またこの事件について、根深氏の論考においてはそのタイトルが「イエティに襲われたハクパ・ドマの証言1」、即ち彼女を襲ったのはミティでなく、イエティとされているが、それは上述【引用1】の通り、<イエティ=ミティ>であり、表記上の統一を図った為ではないかと思われる。今回、私が実際に話を聞いた彼女の甥の話では、やはり彼はそれが<イエティ>ではなく、<ミティ>の仕業であることを強調していた。またクーンブ地方では有名なこの事件について、他のシェルパ達に聞いても答えはやはり同様で、<イエティ>は決して人を襲うものではない、というのが彼らシェルパの統一した見解であった。

更に根深氏の論考においては、彼女が襲われたのはやはり、猿か熊の一種か何かではないかと推測され、イタリアのテレビ局スタッフによるドッキリ(彼女はスタッフが仕込んだ熊の着ぐるみを見て、気絶した)のエピソードを元に、彼女が金銭目的で事件をでっち上げたことが示唆されている。しかし私が実際にニマ氏から聞いた話では、彼女が、例えばメディアに出て有名になり、金を稼ぐために嘘をついたという印象は正直、見受けられなかった(しかしもちろん、私自身はハクパさん自身と面会していないし、真相は分からない。また個人的かつ良心的な憶測としては、彼女が事件の告白を通じて幾ばくかの金銭を得たことが事実であったとしても、それはあくまでも結果的な、副産物であるように思える)。

またニマ氏は私と話す間、終始ににこやかに笑いながらしゃべっていた。それは決して、例えば<エリア51周辺で近隣住民にUFO目撃談を尋ねた時>のような、<バカ話を信じて来た真顔の観光客をからかう>といった様子ではなかった。見るからに好青年である彼は、ただ、思ったことを素直に語ってくれた。しかしまた、それゆえに、私は一層困惑せざるを得なかった(念のため言っておくと、私は彼に一切の金や物を送っていない。彼はただ、好意で色々語ってくれた)。彼との会話を抜粋すると、概ね次のようなものである。

『君自身は、彼女の話が本当だと思う?』
「ああ。絶対に本当の出来事だよ。でも彼女は今でもその事を話したがらないから、行っても多分、何も語ってくれないかもしれない」
『例えば、熊だとかっていう可能性はないのか。』
「熊とか、とにかく普通の動物じゃない。彼女から直接話を聞いたけど、本当にそういうものじゃなかったし、熊や猿だったら(両手で角をへし折る真似をして)ヤクをあんな風に殺すことはない」
『じゃあ君はイエティやミティが山のどこかにいると思う?』
「もちろんいないと思う。」
『それならば、彼女を襲ったのは、一体何なんだろう?』
「分からないけど、とにかく熊や猿じゃない。僕自身は別にイエティもミティも信じてないけど、一人で誰もいない山の方に行くのは怖い。」

今回視察を行って得た感触として、こうした「信じてないけど、何かいるらしい」といった傾向は若いシェルパにおいて、特に顕著であった。特に私は今回、様々な村で若い人にも話を聞いたが、彼らの多くは(動物としての)イエティは実在しない、と笑い混じりに断言する。また無論、彼らは(というよりほぼ全てのシェルパ達は)例えば<イエティの頭皮>が鹿や熊のものであることを当然知っているし(私はしつこく何度も確認した)、そういった結論が西洋で出ていることを告げた上で、彼らに問うた。

しかし私が困惑したのは、彼らは、一方ではそう言いながらも、同時に、口々にイエティらしきものを見た、聞いたといった話を至極あっさりとすることである(決してふざけた様子ではない)。従って、彼らにとって、イエティが結局のところどういう存在であるのか、とうとう良く分からなかったと言うのも、また正直な感想ではある(或いはそれは、現代社会における幽霊やUFOと同じような存在なのかもしれないとも思えた。即ち、それらが如何に科学的に、常識的に否定されようと、とりあえず何かを見た、聞いたという話は枚挙に暇がなく、信じようと信じまいと、時に人はそれらを見ることさえある、ということである)。例えばあるペリチェ村の女性は、終始イエティを信じてないと言いながら、子供の時に彼女が体験したという話をとうとうと語ってくれた。

「子供の頃、ゴラクシェプ(※A)の側に住んでいたんだけど、ある雪が深い晩、笛のなるような音がして、それはイエティがヤクを食べに来る合図だと言われていたの。」
『それは吹雪、風の音とか何か自然現象の音とは違うの?または他の動物の鳴き声とか?』
「違うわ。人間が口笛を吹くような音で、独特の音(※B)。」
『それで、イエティを見たの?』
「私たちは、慌てて火を焚いたわ。イエティは煙を嫌うから。そうするとイエティの音はしなくなった。それで次の日、外を見ると大きな人間のような足跡だけが残っていたの。」
『では、貴方はイエティを今も信じている?』
「別に信じてはいない。でも口笛を聞いたのは本当で、足跡は大きな人間のようなものだった。」

※A.エヴェレスト・ベースキャンプへの起点となる最後の村。標高5150m。現在は村というより基地。
※B.彼女はそう言って、丁度「イ」を発音するような形に口を開いて、「スィースィー」といった音を出した。

繰り返すが、こうした、彼らに話しを聞く上で常に感じる<もどかしさ>は、今回の視察においてしばし感じられるものであった。即ち、我々の論理で考えるならば、彼らの発言が矛盾、或いは倒錯しているように感じられるということである。その様子は、例えば根深氏も下記のように指摘している。

【引用8】・・・それはともかく、イエティに関する、現実感に乏しく論理的にも整合性に欠ける話が、クーンブ地方の古老の間で、まことしやかに語られているのは事実である。その典型ともいえる例が、イエティは不可視な存在である、という風説ではあるまいか。

しかし、やっかいなのは、おそらく彼らの中には、自分たちの発言が矛盾しているといった感覚はまるでないということである。従ってこれは、月並みながら、私と彼らの根本的な理解、あるいは考え方の違いなのではないかと思って、こうした矛盾について<突き詰める>ことは、諦めることにした。そしてまた、こうした文化の違いから生まれる会話の<もどかしさ>こそが、その時代(20世紀中頃)、シャンバラ問題においてレーリッヒとラマ僧の<熱い禅問答的やりとり>を生んだように、そしてイエティ問題において西洋人の探検家や科学者がそうしたように、探求者自らが自らの論理において伝説を生み出し、自らの論理においてそれを否定する、といった誤解と齟齬に基づく遠回りなプロセスが発生する大きな要因であるようにも思えた。そこにはもちろん、言葉の問題、翻訳の問題もあることながら、それよりもっと根本的な違い、つまりこちらの論理は、そもそも彼らの論理とは違う、という事に尽きるように思えた。これはもちろん答えにはならないが、今回の視察を通じて、率直に感じたことではある。また上述の逸話に類似したシェルパの話を根深氏は自著から引用しているが、それは次のようなものである。

【引用9】・・・「むかしからイエティを見ると病気になると言われています。1929年、カンチェンジュンガにバウアー(P・バウアー隊長)と行ったとき、夜に、わたしはイエティの啼き声を聞きました。『ヒューッ、ヒューッ』と風の唸り声のようでした。最初、わたしは仲間が大声で叫んだのだと思って、声が聞える方向にランタンを向けたのです。でも、だれも来ませんでした。つぎの日、行ってみたら雪の上に足跡がつづいていました。わたしはイエティはいると信じています」


※5.UMAとジェンダー

UMAとジェンダーという観点で見るならば、一応関連したケースは存在する。例えば南米においてチュパカプラの存在が長く信じられ続けているのは、一説には南米における家父長制度を維持するための男達の陰謀であるという。つまり、チュパカプラという恐ろしい存在を広めることで、<か弱い>女性がチュパカプラに襲われないように、外で働かせまいとする=即ち女性の自立を妨害するといったものである。これは一見冗談のように思えるが、実際にこの件について、ニカラグアのフェミニスト団体が抗議したという記録が残されている。またこうした陰謀論がイエティにおいて当てはまるかどうかはともかく、先の根深氏の引用に示される通り、イエティがある種の調伏物語を通じて政治的に利用されていたこと、また、下記※7に示す通り、子供達をしつける為に利用されていたことは事実なようである。

参考:X51.ORG : チュパカブラを発見か - 家畜を襲う謎の生物が射殺される


※6.チベットにおける「半人半猿」、或いは民族発祥の伝説

チベットにおける民族発祥の伝承は、上記の通り、いまでこそチベット仏教の一部としてジョカンの壁画にも描かれているが、ラマ僧の言うとおり、その起源は更に古く、仏教以前の影響、即ちボン教やシャーマニズムの影響が強いとも言われている。その理由として、一説には、この母親となる鬼女は時に「肉を喰らう赤顔の鬼」とされていることもあり、それはボン教の影響を強く受けたコンセプトだからである(ボン教においては、特別な儀式の際に、悪魔避けとして顔を赤く塗る風習がある。またその場合、顔を赤く塗る為の塗料は、生け贄となる動物の生き血であるという)。

更に最初に生まれた六人の半人半猿というコンセプトは、一般にはチベットには最初、六つの部族が存在したという史実的伝承を象徴するものであるとされるが、他にも様々なバージョンがある。例えばダライ・ラマ日本公式サイトには次のようなバージョンが掲載されている。

参考:ダライ・ラマ法王日本代表部事務所:チベット文明の誕生より

チベットは長い間水の中にあった。それから徐々に水が涸れたか浸透したか定かではないが、高山に囲まれた新しい高原が誕生した。「雪の国」と呼ばれたその新しい土地に野蛮な聖霊や動物といった全てのものが住み始めた。観音菩薩(アバロケテシヴァーラー)は人類という特別な種類として現れたので、その土地の君主になるよう運命付けられていた。そのため、彼は1匹の雄猿に姿を変えた。その後「ヤルン」と呼ばれる谷を見下ろす岩山ではタラ菩薩(アリャターラー)が鬼女に姿を変えた。猿と鬼女が1つになり、6人の子供が生まれ、その子供たちがやがてチベット民族となっていったのである。猿と鬼女が出会った山、一緒に暮らした洞窟、6人の子供が遊んだ平地は全て今でもチベットに存在し確認できる。最初に出来た村の1つは今でも遊び場という意味の「ツェタン」として知られ、猿と鬼女の混血児6人が遊んだ土地と同一のものであると確認されている。6人の子供たちの直系としてチベット民族の6つの氏族が誕生したと信じられている。

また以下のサイトには次のようなバージョンが掲載されている。

参考:チベットの歴史より

チベット神話伝説によりますと、チベット族の先祖は一匹の猿と岩の精女とであった。この夫婦から生れた子供達は、半人半猿で、すでに直立していたが、全身を毛で覆われ、清くのつぺりした顔をしていた。(・・・)彼等には、定まった食物もなければ、衣服もなかった。」観音の化身である彼等の先祖はこれをみて憐み、彼等に『六種の穀物』(蕎麦、大麦、芥子、等。しかし、このテキストはもっと前の箇所で五穀、すなわち、大麦、小麦、米、胡麻、豆を挙げている)をもたらした。こうして、ヤルルン地方のソタンで最初の畠がつくられ、猿人どもは少しずつ人間の形をとっていった。

このようにその内容は大筋において同一的であれ、ディティールは微妙に異なる。特にここでは六という数字が、穀物の種類に当てられている。しかしまた別のバージョンにおいては、この六という数字は六つの存在:神、大地、人間、動物、餓鬼、地獄を表すといったような解釈もある。それはこれらの伝承が基本的に口伝である為、曖昧さを持つこと、またボン教、仏教といった様々な教えに濾過して伝えられているため、その解釈によって様々なバージョンが生まれたものと思われる(特に私が聞いたバージョンにおいては、鬼女はあくまで鬼[demon]であった)。従って、どれが正当というわけではなく、ただおそらく一つ確かなのは、それが少なくとも仏教伝播以前から存在した概念だということである。




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