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イエティはヒグマに非ず ― ヒマラヤ視察最終報告

※1.イエティの名称

英語におけるYetiという名称自体は、もともと、シェルパ語においてイエティを指す言葉が英語に音訳化(響きから英語に置き換えられた)されたものであると言われる。しかしそれが元々如何なる単語であったかについては、諸説があり、一体どれが正確なものであるのか、もはや分からないというのがおそらく実情である。ただし欧米などでの見解では、特に[Yeh-teh]がその語源とされ、即ち「あれ」("That thing")を意味すると言われる。特にユニークなこの解釈は、つまりイエティが現れる際には、常に匂いや独特の鳴き声を伴う為、それによって発せられる、言わば「あれ」が来たといったニュアンスの言葉が、そのまま呼称になったという推測に基づいている(またこの件について、ローレン・コールマンに尋ねると、やはりこの推測が返ってきた)。

また根深氏もミティに関して、ミティが英語で[mi-dred]であるとし、即ち「人-馬熊」であるという根拠から、ヒグマ説を補足しているが、これらを含む根深氏の論考における言語解釈は、やはり現地ネパールの学者らによって、イエティとミティは異なるものであるといった批判を受けている。そしてまた、例えばイエティが1921年の報告においてkang-mi(雪-人)と呼ばれた事実はやはり無視されているように、その名称の意味は解釈によって、どうとでも言えるのは事実である。

参考:BBC NEWS | World | South Asia | Yeti's 'non-existence' hard to bear


※2.イエティの頭皮

yeti_scalp.jpg今回、私はこの<イエティの頭皮>について、実際にそれらが存在する/したというナムチェ村、クムジュン村、パンボチェ村のゴンパ(僧院)にそれぞれ向かい、視察を行った。しかしパンボチェ村のものは以前、盗難にあい(※3)、またナムチェ村のものは祭祀の時以外、外に出されることはない為、現在、<イエティの頭皮>が一般公開されているのはクムジュン村のみとなる(写真、拡大図はこちら)。そしてこのクムジュン村の<イエティの頭皮>こそが、1957年、石油王トム・スリックの調査において鑑識にかけられ、それがイエティのものではない、既知の動物のものであることが判明したという。またそれによって、特に西洋の科学者らが求めた<科学的根拠>において、<イエティ=雪男>の存在はほぼ完全に否定される形となったわけである。

しかしまた、この決定打となる調査においてこそ、その裏に、ある皮肉な事実が存在した事は余り知られていない。それは、彼らの調査に先立つこと1954年、デイリー・メイル紙主導の調査の際、クムジュン村の僧侶らは、それら<イエティの頭皮>とは、そもそも祭祀の際にかぶる目的で作られた<イエティを祭るためにこしらえたもの>であると、はっきりと彼ら西洋人の調査団に語っていたということである(※)。しかし当時、既に興奮しきった西洋人によって、それらヒグマや鹿から作った<イエティのかぶりもの>は西洋へと慎重に運ばれ(その際に莫大な金額が僧院やシェルパに支払われた事は想像に難くない)、結果、それは当然ヒグマや鹿のものと断定された。そしてまさにその調査によって、逆説的に、<イエティ=雪男>はその存在を否定される事になってしまったのである。

これは言うまでもなく、滑稽な事実であると言える。つまり、これら<イエティの頭皮>はそもそもの始めから、彼らシェルパにとっても、決してイエティの存在を担保するものなどではなかった。これは現在、ナムチェ村が特に一般公開せず、それを他の祭祀用道具と一緒にしまい込んでいることからも明らかな通り、<イエティの頭皮>とは、彼らシェルパにとってさえ、むしろその信仰を示す為の、単なる儀式用具に過ぎなかったわけである。しかしいずれにせよ、特に西洋におけるこの頭皮の検証結果は、<イエティの足跡>が熊のものであると推測された(1951)事実と共に、<雪男=ヒグマ>説を決定付ける根拠となった。そして特に西洋の科学者や登山家は落胆 ― 或いは安堵 ― し、しかし、彼らの常識が平和のうちに維持されることに貢献したのである。

※しかし1957年のスリックらの調査の際には、クムジュン村の僧侶らは翻って、はっきりそれが<イエティのもの>だと語ったそうである。1954年の調査において、それらの単なる祭祀用道具が西洋の研究者にとって大きな価値を持つ(=金になる)ことを知った僧侶らは、1957年の調査時、おそらく多額の契約金を得るために、嘘をついたのではないかと考えられる。それは例えば、現在でもクムジュン村においてはそれらのアイテムが確信犯的に、<イエティの頭皮>として展示されているという事実から見ても伺えるものである(或いはもちろん、良心的に考えるならば、それが古くから存在したため、もはや誰も知らなかった可能性はある。また当時の調査の経緯と欺瞞は、今回情報提供を頂いた、ローレン・コールマンのサイトに詳しい)。

参考:Cryptomundo.com : Hair of Yeti

khumujung_gompa.jpgまた現在、クムジュン村のゴンパだけがこのイエティの頭皮を一般公開しているというのは、根深氏の指摘するとおり、単に観光資源としての利用である事は明白である。その理由をして、根深氏は”ナムチェ村のシェルパの方が商売に長けているから”、といった旨の話を記しており、それについてもちろん異論はない。しかしまた、今回視察を経て得た個人的にな印象としては、その理由は単純に言って、ナムチェ村(標高約3400m)がクーンブ地方の交通要衝であり、同地方を訪れた人の誰もが必ず通過(或いは高地順応の為に二日以上滞在)しなければならない村であるのに対し、ナムチェ村の北西に位置するクムジュン村はクーンブ地方の二大名勝ゴーキョ・ピーク、カラ・パタールといった両ルートから外れる為、敢えて面倒な回り道をしなければ、特に訪れる必然性のない村であることが、大きな要因であるようにも思えた(その為、クーンブ地方の多くの村々が登山客の為に言わば”垢抜けつつある”のに対し、クムジュン村は未だ住民の生活色が色濃い)。

事実、同僧院のラマ僧に聞いた話でも、村に来る人のほとんどがこの頭皮を見に来るだけだと語っていた。頭皮は、南京錠が着いた鉄製の箱に二重に仕舞われており、根深氏の言うとおり、それは一つにはもったいぶり、観光客を喜ばせるための<演出>であることは確かながら、もう一つには貴重な観光資源の盗難を恐れているようにも思えた(しかしその反面、頭皮の上には英語キャプション付きの解説が添えられるなど、サービス精神旺盛である。また撮影中、寺の中の若いラマ僧らはずっとニヤニヤと笑っていた)。

yeti_khumung.jpgまた上述の通り、このイエティの頭皮は祭祀の際に仮面として用いられるが、彼らシェルパの祭り(タンボチェ村における11月のマニ・リンドゥ他)では、そこに見られるアニミズム的要素や祭祀道具の特徴からしても、強くボン教の影響を受けていることは明らかである。例えば彼らの信仰するチベット仏教においては、殺生が禁じられているにも関わらず、この<イエティの頭皮>を含む、動物の骨(時に人骨)や毛皮を多用した祭祀道具が今なお用いられ続けている。そしてこれは余談ではあるものの、イエティ伝説、そしてシャンバラ伝説をはじめ、チベット文化圏、即ち中央アジアにおけるオカルト的伝承の背後には、至るところでボン教(或いはそれに先立つシャーマニズム)の影響が強く見られた事は事実であり、特に現代、チベット仏教において”神秘的”と思われがちな要素の大半は、実はこれらボン教に発するところが大きいように思えた。


※3.パンボチェにおけるイエティ・アイテム盗難事件

panboche_hand.jpgパンボチェ・ゴンパ(写真)におけるイエティ・アイテム盗難事件の実態は、パンボチェ村の人々が余り詳しく語ろうとしないため、具体的事実関係までは分からなかった(それは単に喋りたくない何らかの理由があるのか、多くの観光客に質問を受ける為に辟易しているのか、或いは、単に知らないのか、判断しかねた)。しかし幾人かの話の様子から察するところでは、どうやら盗難事件は過去(1960年頃)に一度、更に比較的最近(1990年頃)に一度、即ち二度の盗難事件があったようである(何故なら下二つめの手は、1981年に撮影されたものである)。また事件の経緯そのものは、ある晩、僧院の南京錠が切断され、祭祀用に仕舞われていた「頭皮」と「手の骨」が盗まれたという。犯人は内部関係者、または地元のシェルパなのか、あるいは外国人なのか定かではないと語っていた(しかし、コールマンに聞いた話では、1950年代の事件に限れば、やはり、手は西洋の研究者が盗んだものであると語っていた)。

panboche_hand2.jpgただし一説には、1959年、インドに滞在していた俳優のジェームズ(ジミー)・スチュワートが「パンボチェ・ハンド」と呼ばれる「イエティの手の骨(写真)」をロンドンへ密輸したという逸話が残されている(更に一説には、1958年で、ネパールであるという人もいる。いずれにせよこの事件については情報が錯綜している)。もしこの話が本当で、またそれがかつてパンボチェ村から盗難されたものと同一であるとするならば、古い方の盗難事件はそれに前後した年であると考えられる。特に1959年と言えば、日本の調査隊が向かった年であり、その五年前には、デイリー・メイル紙、そして二年前には、トム・スリックらの調査が相次いで行われている。従ってその時期、雪男の実在を代弁したそれらの物が、西洋の科学者らの熱い注目を浴び、言うなれば<イエティ・アイテム株>が急上昇していた時期である事は事実であるため、自然に考えるならば、少なくとも過去の事件は、やはり西洋の調査団への転売目的か、或いは西洋の調査団自身による盗難であると考えられる。

しかし最近発生した二度目の事件については、彼等から聞いた話として、これは外部の人間ではなく、近村の人による犯行であるという話もあった。それはつまり、パンボチェ村がイエティ・アイテムを公開することによって、経済的被害をこうむる人々による妨害的犯行だということである。これはもし間違いであれば、単なる中傷になりかねない為、容易に判断はしかねる。しかし、観光業がその生命線たるクーンブの多くの村々において、イエティ・アイテムの経済効果は決して無視できないものであり、即ち現地の人によって妨害行動が起こされるだけの動機が、それらのアイテムに存在することは、確かに事実である。また1960年代ならばともかく、既に結論の出たそれらのアイテムに莫大な金額を支払って購入する科学者は存在しない事は自明であるから、やはり最近の事件について言えば、転売目的ではなく、妨害目的であると考えた方が自然であるようにも思える(以下参考引用は根深氏の論考より)。

【引用7】・・・クムジュン村のゴンパにある頭皮はガラスケースに収納され、普段は金庫に仕舞い込んであるけれど、観光客には拝観料をとって見せている。管理人にたずねたら、こうして勿体をつけると観光客はありがたがるのだとか。つまり、付加価値をつけるのである。それで年間、日本円にして3、40万円の収入があるのだから、現地の貨幣価値にしたら大金といえるだろう。




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