X51.ORG : 北米視察編:ロズウェル事件 ー 寡黙なる神話の中心(1)
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北米視察編:ロズウェル事件 ー 寡黙なる神話の中心(1)

roswell1.jpgエリア51で土に埋もれたあの日から早三年、そろそろ宴もたけなわといったこの頃ですが、この度、北米中西部を縦断する形で、再びUFO現地視察を行って参りました。今回の視察ではまず現代UFO問題の原点とも言われるニューメキシコ州ロズウェルを訪れた後、アリゾナ州、ネバダ州、ユタ州にまたがってそれぞれのチェックポイントを視察、その後カナダへと飛んで、バンクーバーを視察しました。今回のロズウェル視察記録については、それがUFO問題において無視できない最重要ポイントであることから、例によって<やけに長い>ものとなってしまいましたが、今後はより軽妙なタッチを心がけ、今回訪れた、また今後訪れる視察地について、いわば旅日記的な形で順次報告していきたいと思います。なお現在は既に北米視察を終え、次の視察(北米以外)についての準備を進めておりますが、それらにつきましては来月以降からその詳細を公開していく予定です。

こちらはロズウェル現地視察記録になります。ロズウェル事件に関する参考資料等は、ロズウェル事件 — 寡黙なる神話の中心(2)をご覧ください。なお以下においては、空飛ぶ円盤(円盤)・UFO・異星人の乗り物の三つはそれぞれ同義語ではなく、文脈に応じて適当に使い分けられるものとします。それら語義に関する基礎知識がない場合は、先に(2)の【参考1】空飛ぶ円盤・未確認飛行物体(UFO)・異星人の乗り物を読むことをお勧めします。

【関連】ロズウェル事件 — 寡黙なる神話の中心(2)

ロズウェル — 空飛ぶ円盤が墜落した町

roswell8.jpgロズウェルは米ニューメキシコ州都アルバカーキから南東400km程の地点に位置する小さな町である。これといって見るべきものもない、この田舎町が一躍全米の話題となったのは、1947年7月8日のことであった。その日の夕方、ロズウェルの地方紙『ロズウェル・デイリー・レコード』は、米軍の発表を受け、驚くべき事件を報じた。RAAF情報部ウォルター・ハウト中尉の公式プレスリリースに基づいたこの発表は次のようなものであった。

「かねてから噂された空飛ぶ円盤(Flying Discs)の存在が、昨日、ついに現実のものとなった。ロズウェル陸軍航空基地第八航空隊509(原爆)爆撃部隊の情報将校は、牧場主とチャベス群保安官の協力の下、幸いにも円盤を回収することに成功した。空飛ぶ物体は先週のいつ時かに、ロズウェル近郊の牧場に不時着したものである。発見者の牧場主は電話を持っていなかったため、保安官に連絡し、保安官が第五〇九爆撃部隊情報部のジェシー・A・マーセル少佐に連絡を行った。牧場主はその間、回収した円盤を自宅に保管していた。行動はすぐに開始され、牧場主の自宅に保管された円盤の一部も回収された。物体はロズウェル陸軍航空基地で調査されたのち、ジェシー・マーセル少佐によって上層部のもとへ輸送された。」

この報道を受け、ロズウェルの町が騒然となったのは言うまでもない。当時俄に話題になりつつあった謎の空飛ぶ円盤の存在を軍が公式に認め、更に墜落した円盤を回収したというのだ。『ロズウェル・デイリー・プレス』が報じたこの事件は、AP通信を通じてすぐさま国中へと広められ、ロズウェルの名はたちまち全米の知るところとなった。

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しかしそんな歴史的発表から数時間後、事態は急転した。今度は高官のレイミー准将が直々にラジオに出演し、先の報道をあっさりと翻したのである。「円盤と見られた物体は、実は気象観測用の気球であった」。その放送は翌日、すぐに新聞に取り上げられ、次のような皮肉めいたユーモアと共に報じられた—『レイミー准将、ロズウェルのお皿(ソーサー)を空っぽにする』。一時は騒然としていたロズウェルの人々も、この軍の奇妙な茶番劇に動揺こそしたが、すぐにその説明を受け入れた。確かに、当時まだ何ら証拠もなかった「空飛ぶ円盤」が実在し、やおら墜落して回収されるなど、到底ありえそうもない話だったからだ。そして以降、この事件については目立った報道もなくなり、それは夏のある二日間の不思議な出来事として、大した印象も残さないまま、ロズウェルの人々から忘却された。かくしてロズウェルの町に、再び平静が訪れたのである。

そしてそれから凡そ30年の時が過ぎた。その頃、米国では「空飛ぶ円盤」や「UFO」の話題はもはやポピュラーなものとなり、世間の関心も1947年当時とは比較にならないほど高まっていたが、ロズウェルはそんな騒ぎとはまるで無関係だった。「空飛ぶ円盤」について、もはや誰もロズウェルの事など思い出す者はいなかったのである。しかしそんな平静は、ある一人の男の告白によって打ち破られた。それはかつて牧場で”円盤”の回収を行ったジェシー・A・マーセル少佐その人である。

1978年ごろから米国のUFO研究者(核物理学者)スタントン・T・フリードマンはマーセルにインタビューを行い、ロズウェルで起きた"あの出来事"の”再検証”を始めていた。そしてそれら調査の内容はウィリアム(ビル)・ムーア、チャールズ・バーリッツらによってまとめられ、『The Roswell Incident(邦題:ロズウェルUFO回収事件)』として発表された。時は1980年代である。この時、かつて空飛ぶ円盤と呼ばれていた物体は、その呼称を「UFO(Unidentified Flying Object)」と変え、UFOを巡る世間の認識は大きく変化していた(※A)。

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そんなタイミングの中で発表されたこの本は、大きな話題を呼んだ。彼らUFO研究者達は、マーセルのみならず、ベシー・ブラーゼル(牧場を管理していたブラーゼルの娘。本人は既に65年に死亡)、ダン・ウィルモット夫妻(彼らは事件当日と言われる7月2日、ロズウェル北西に墜落する謎の物体を目撃したという)、異星人の存在を示唆した葬儀屋グレン・デニスらといった”30年間沈黙を続けていた当事者達”の証言を次々と引き出し、”これまで語られなかった事実”を白日の下に曝した。

そしてそれら証言から再構築されたロズウェル事件の衝撃的真実とは、1947年、米政府がロズウェルで円盤と異星人を回収し、それを現代に至るまで隠匿し続けているという途方もないものだったのである。かくしてロズウェルは再び全米の知るところとなり、現代におけるUFO問題のゼロポイントとして、以降、大きな注目を集め続けることになる(更に詳細なデータは[2]ロズウェル事件タイムラインを参照)。

※A. ロズウェル事件が起きた1947年当時と1980年代のUFO事情において、特に異なっているのは、UFO = 異星人の乗り物であるというコンセプトが既に広く浸透していたことである。1947年当時のロズウェル・デイリー・レコード見れば明らかな通り、そこには「空飛ぶ円盤」という記述こそあれ、異星人やエイリアンといった言葉は一切見られない(当時、そうした証言をした者もいない)。無論それまでにも1938年の『火星人襲来事件』(※)のように、異星人が地球を襲来するというコンセプトは存在したが、それを「空飛ぶ円盤」と結びつけて考えるようになるのは、それからまだ先の事であった。

1947年当時、「空飛ぶ円盤」とは単なる正体不明の飛行物体であり、その正体は全く不明か、或いは冷戦下にあったソ連を中心とした社会主義ブロックの偵察機などと目されていた。しかし1950年代に入り、これら円盤をモチーフにした「異星人との接触」を描いたSF映画(『地球の静止する日』ほか)が盛んに作られるようになり、またジョージ・アダムスキーをはじめとするコンタクティー(異星人と接触した人々)が全米各地で続々と名乗りを上げ、話題を呼ぶと、80年代までには、人々の間において、「UFO」という言葉は必然的に「異星人の乗り物」を含意するようになっていた。

※H・G・ウェルズのSF小説『宇宙戦争』をラジオドラマで放送する際、火星人による地球襲撃を現実の臨時ニュースのように演出したところ、現実と勘違いした人々の間でパニックが引き起こされた。

円盤墜落地点 - フォスター牧場

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今回の視察ではまず現代アメリカUFO問題の原点たるロズウェルから開始し、その中心 — ゼロポイントとなる円盤の墜落現場から訪れることにした。即ち、すべてのはじまりである。円盤墜落地点と言われる場所は現在ロズウェル近郊だけで大体4件近くもある(※B)が、今回は、その中でも最も有名な、リンカーン郡コロナに近いフォスター牧場(※C)を訪れることにした。ロズウェルの市内から州道を北西へ車で約150kmのところに墜落地点は位置しているが、牧場とはいえ実際にはただの荒野で、道はかなりの悪路であるため、ジープでなければ進入することは出来ない。更に墜落地点へと繋がる行く道は、これといった目印もないため、おそらく誰か現地のガイドなしに行くのは難しいはずである。

そこで今回は現地に詳しいある人物(B氏)に道案内をお願いしたが、既に80近いそのB氏は快く案内を引き受け手くれた。道中、彼に色々と話しを伺ったが、事件当時、まだ高校生だったB氏は、ロズウェル事件が報じられた日の町の騒々しさはいまだ鮮明に覚えているという。円盤の墜落について彼が語る話はいわゆる典型的なUFO信奉派(ビリーバー)の主張をなぞるもので、特筆すべき目新しい事実はなかった。ただし円盤が気球の誤認とされている件について何度か質問したところ、「事件前から気球は同地域で頻繁に打ち上げられて目撃されていたもので、見間違えようもない。またそんなありふれた気球の墜落が、あんな大きな話題になるわけはない」とつぶやくように答えたことは、興味深かった。

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そして車で州道を約2時間、更にそこから険しい牧場内を約30分ほど走り、小高い丘を登りきった場所に墜落地点はあった。車を降りると、空気は澄みきって風も穏やかである。見渡す限り人影もなく、あたりはただ静寂だけが支配していた。無論、現在では円盤墜落の跡など見る影もないが、丘の南面には妙に思わせぶりなざっくりとえぐれたような地形があり、その斜面を登りきったところに、SciFiチャンネルが建立したという記念石碑が置かれている。文面の内容は「2002年9月、SciFiチャンネルとニューメキシコ大学の科学者と協同して同地域の調査を行った。…ここには1947年、地球外のものとされる物体が墜落したといわれている…」といった当たり障りのないものである。そしてそのすぐ側にはここで墜落し、死亡したとされる異星人を弔うかのような、大きな積み石が置かれていた。

また積み石だ、と思った。昨年、イエティを追ってヒマラヤを訪れた際、標高4500mを超え、雲がいよいよ下に見え始めたころ、まるで冥土の入り口に辿り着いたような気分になった。急な斜面を登りきったその先は、まるで賽の河原のように、幾つもの積み石が置かれていたのだった(それらは事実、ヒマラヤで死亡したシェルパを弔う為のものだった・写真)。過去に失われた何かを意味するそれらの石は、しかし訪れるものにとって、常に予兆めいたものを感じさせる。ここが異星人の墜落した、アケロンの入り口だったのだろうか。しばしこの地を訪れるB氏をしても、この積み石が一体いつ、そして誰によって作られたのか、定かではないという。

roswell6.jpg墜落現場の周辺をしばらく探索し、何か金属などが落ちていないか適当に調べてみたが、ここは過去幾度かに渡って大規模な発掘作業も行われているため、残念ながら残されているのは牛の糞と雑草だけで、特に注目すべきものは見当たらなかった。ここロズウェルは今日、アメリカのUFO問題が話題になるとき、必ず取り沙汰される”名跡”の一つだが、UFOによって観光地化されたロズウェル市内の雰囲気とはうって変わって、墜落現場には歴史的遺産たる仰々しさも、浮かれたような派手さもない。また例えば、UFO名跡のひとつである、エリア51のような緊張感もなかった。ただそこにあったのは、一体何に捧げられたものなのか、誰が作り上げたかも分からぬ、無造作に積みあげられこの奇妙な石のモニュメントだけだったのである。しかしこの事実は、逆に強く印象的であった。アメリカのUFO問題を巡るこの歴史的事件の"中心"にあったその石碑は、まるで”異星人ここに眠る”とでも言うかのように寡黙であり、何もないこの場所で、ただ静寂と共にあり続けたのだ。

※B. 1947年7月の第一週に起きたこの一連の事件は、現在ではひとまとめにして「ロズウェル事件(The Roswell Incident)」と呼ばれるが、実際のところ、この時墜落した円盤は一機から四機と様々な説がある。また事件が起きた(=円盤が墜落した)日、場所、更に言えば墜落地点で目撃された異星人の数も証言によってまちまちである。しかし現在では「ロズウェル事件」という言葉が使われる場合、一般的にはこの「1947年7月某日フォスター牧場に落ちた"何か"とそれにまつわるエトセトラ」を指すと見て良いと思われる。また上述の通り、ロズウェル事件それ自体は1947年に話題になり一端収束、70年代後半になって"再発掘"され、検証が始まった事件であるため、(特に懐疑派から)"ロズウェル事件は80年代に起きた"などと言われることもある。

※C. ウィリアム・マック・ブラーゼルは管理していただけで、オーナーはJ.B.フォスターという人物であった。それ故、しばしフォスター牧場とも、ブラーゼル牧場とも呼ばれることがある。またこのフォスター牧場以外の”円盤墜落現場”は、全て80年代以降言われ始めたもので、当時、ジェシー・マーセル大尉らが"円盤を回収した"と報じた地点はこのフォスター牧場である。尚、墜落地点が複数存在する理由については、1.円盤が不時着してからしばらくバウンドしながら飛行し、残骸が数ヶ所に散った、2.実際に複数の円盤が墜落した、といった説があるが、真相は定かではない。


UFO博物館 - International UFO Museum

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墜落地点の視察を終えると、今度は再びロズウェル市内に戻り、昼食をとった後にUFO博物館を見学することにした。UFO博物館の入り口はロズウェル巡る数々の陰謀論とはまるで無関係にくだけたムードで、UFOや異星人をモチーフにした微妙な脱力系オブジェの数々が入館者を迎える。また展示室も、博物館という程のシリアスなものではなく、むしろ学園祭的な手作り風味の完成度で、あまり学術的な雰囲気ではなかった。しかし展示内容それ自体は、丁寧かつ真面目で、ロズウェル事件を中心とした意外にUFOハードコアな内容である。右の通路から順に館内を巡ると、まずは1940年代前後の主要UFO事件の解説から始まり(ケネス・アーノルド事件、マンテル大尉事件など/[2]参考2.3参照)、1947年のロズウェル事件発生と顛末、そして80年代に暴露された米政府による陰謀論(MJ-12:[2]参照)までが時系列に沿う形で、写真や当時の新聞、膨大な資料が壁を埋めている。

展示内容は(当然)若干ビリーバー寄りの資料が多いが、円盤の正体であると推測されたモーグル気球や気象観測用気球といった懐疑派(スケプティクス)側の資料も貴重な実物と共に展示されており、一定の公平性には配慮されているようである。そしてまた、それら展示を通じて、どちらかに傾いた結論へと導くものでもない。それゆえ、全ての展示を見切ったところで、むしろ謎は深まるばかりであり、答えが得られるものでもないが、ロズウェル事件というこの複雑怪奇な事件の有り様を考えるならば、それもやむないことなのかもしれない。また展示されている情報の多くは、現在ではインターネットで検索すれば、簡単に見つけることが出来るものも多いが、それでも余り知られない仔細なメモや写真、事件に関わった現物(もしくはそのレプリカ)などが数多く展示されている(また館内にはUFO書籍を集めた資料室もある)ため、それらを目にすることが出来るだけでも、訪れる価値はあるはずである。この日は平日でありながら、訪問者は思ったよりも多く、若いカップルや家族連れ、地元の老人や、メモを取りながら熱心に読み進めるギークな学生まで、年齢層も様々で、皆割と真剣に展示物に目を通していたことは意外ではあった。

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右通路のロズウェル・ヒストリー・セクションを終えると、左通路はUFOその他といった趣で、様々なパネルがテーマごとに展示されている。世界中で撮影されたUFO写真に始まり、異星人やUFOの分類表、アブダクション(異星人による誘拐事件)やインプラント(異星人による体内への物質埋め込み)、コンタクティー(異星人と交信する人)の体験談、更にはナチスが作っていたとされる無翼機のジオラマといったように、UFO大全的な展示物が所狭しと詰め込まれている。また館内中央部には、UFO事件の資料を体中にプリントした微妙な馬のオブジェ(おそらく"Pale Horse : 蒼き馬"をモチーフにしている)や、"アブダクションに苛まれる男"、"ロズウェルで怪我を負った異星人"といったUFOアート作品が並べられるが、その上空に輝く自虐的な完成度の円盤模型と共に、無駄にビザールな雰囲気を盛り上げていたことは印象的であった。そしてそれらセクションを通り抜け、UFO問題を総ざらいしたところで、出口付近にはかの「異星人の死体」のろう人形が迎える。これは言うまでもなく異星人解剖フィルムにおける解剖現場を再現したものだが、懐疑派からは「UFO神話の死」を象徴するとも言われるこの異星人の死体が、UFO博物館の最後を飾るのは、意図せずして皮肉ではある。

またこの後、ロズウェル事件の研究者(懐疑派には"立役者"とも揶揄されることもある)ドン・シュミット氏の紹介により、ロズウェル事件に間接的に関わったという三人の人物にインタビューを行い、UFO博物館を後にした(これらのインタビューについては後日別の形で公開する予定です)。


発掘されたロズウェル事件

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こうしておよそ一日かけて、ロズウェルでの視察は終わった。ここロズウェルは空港のあるアルバカーキから車で約4時間、決して交通の便が良いとは言えない場所にある。また途中の景色は淡々としたいかにも北米の中西部といった殺風景な景色が続き、別に楽しいものでもない。それゆえ、これから帰る来た道を思うと億劫であった。UFO博物館を出て車に戻ると、ひとまずロズウェルについての情報を整理すべく、ショップで入手した最新のロズウェル研究書を開いてはみたが、それら書籍の多くは、例によって渾沌としていた。そこには当時の発言を巡る新たな解釈、異星人説からナチス説、更にはレイミー准将が手にしていたメモの解読([2]末部参照)が進んでいる、といったものまで、数多の"新事実"のオンパレードである。ロズウェルについて何かを知ろうとするとき、これら溢れ返る情報の前に、ただただ圧倒されてしまうのは、80年代以降、ロズウェルについて唯一変わらないことなのかもしれない。

何故ならば今日、ロズウェル事件を振り返ろうとするとき、まず困惑させられるのはそれら"事実"を巡る見事なまでの錯綜ぶりだからである。これまでに出版されたロズウェル関連の研究本は数知れないが、それらは”円盤が墜落した”というその日時や場所、目撃者の証言といった単純な事実を巡ってさえ、かなりの矛盾や食い違いが見られる(※D)。それは例えば今回訪れた博物館の二律背反した展示内容にも見て取れるように、誰もが認めるロズウェル事件の正史というものが今日まで存在しないこと、すなわち懐疑派、信奉派、更に米軍や証言者といったそれぞれの立場と視点で記された幾つもの物語が、そのまま複数の歴史として混在したまま、今日に至っているためである。

この混乱の最たる理由は、ロズウェルが80年代になって再発掘された事件であるという奇妙な歴史的背景に由来することはまるで疑いようがない。1947年7月の第一週に起きたこの一連の事件は、上述の通り、当時軍の行った"誤報"を巡る騒動で話題になったが、すぐに人々の記憶から忘却された(※E)。しかし事件から30年という長い時を経て、ロズウェルの円盤は陰謀の名と共に亡霊のように蘇り、その実体も定まらぬまま、今日ではアメリカUFO問題における最重要事件として位置づけられているのである。そしてその裏側には言うまでもなく、事件発生直後に米軍が行った"歴史的誤報"(或いは"歴史的隠蔽報道")という事実がある。1947年にロズウェルに落ちたその何かの正体を巡って、米軍は1997年までに知られる限り計三度に渡ってその見解を翻している([2]参照)が、これは元来"陰謀好き"と言われる米国民にとって、決して見逃せざる"挙動不審"に映ったとしても仕方がなかった(相手はその中でもさらに執拗なUFO信奉派の面々なのだ)。そしてこれら初動の混乱をひきずったまま、今日もロズウェルの周辺は、揺れつづけているのである。


ロズウェルに落ちたもの — 神話なき国の神話

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とはいえ、なにもこうした混乱はロズウェル事件に限らず、UFO事件においては別段珍しいことではない。ましてロズウェル事件に関して言えば、1947年当時、残骸、報道事実、更には目撃者の証言といった豊富な資料が出揃っていたのだ(その一つ一つの真偽にさえ、また諸説があるが)。しかし、にも関わらずロズウェルに落ちたその何かは、決して正体を現さぬまま、既に約六十年という年月を生き延びてているのである(まるでノビーがうっかり南米に追い求めたヒトラーの"ラスト・バタリオン"のごときである)。すなわち、こうした背景からロズウェル事件を見つめたときに気付くのは、つまるところ、アメリカにおいて、この問題が決して、既に完了した、過去の問題ではないということに尽きる。

アメリカでは今日でも旺盛なUFO信奉派と対峙する懐疑派の活動によって、証言者の言はもちろん、報道事実、軍の発表内容から、政府の機密文書に至るまでが幾度となく検証されているが、そこで抽出された情報から、ほぼ毎年といっていいほど"新たな事実"が付け足され、"古い事実"が否定されている。そして"新たな陰謀"が囁かれると同時に、今度はそれ自体を政府のブラフと見る"真の陰謀"が生まれる。こうして、まるで次々と根を張り巡らせる根茎のように、情報を自己生成しながらその全貌をより複雑かつ膨大なものへと進化させているのである。つまりロズウェル事件はその中心が置き去りのまま、情報と情報が複雑に絡み合い、まるで神話のように世代を超えて継承されながら、今なお変化を続ける現在進行形の"事件"なのである(※F)。そしてまた、現代におけるUFO問題の中心舞台がそもそも"神話なき国"であるアメリカであったことも、おそらく偶然ではない。

ことアメリカにおけるUFO問題が、今日的なモチーフにおいて、そのまま古代の神話的構造を模倣していることは、古くはユングを皮切りに、これまで多くの学者が指摘しているところではある。神話学者のカール・ケニーレイは、"神話における起源は元型たる基盤として継承されていくものである"として次のように説明する。「神話が支配的な地位にある時代の制度はどれも起源を伝える神話素(mythologem)に基づいていて、それによって理想化、神聖化されている。あらゆる生命に共通した神聖な起源である神話素が具体的な形をもったものが制度なのだ」(『神話学入門』)。そしてこのロズウェル事件が現代アメリカのUFO問題における神話の起源であるとするならば、その後に生じたUFO諸問題(米政府の陰謀、異星人問題、アブダクション他)の多くもまた、神話の起源に基づきながら、反復する構造をもつ派生した体系の一部として捉えられるはずである。故にこの壮大な神話の起源:ロズウェル事件という複雑にもつれきった網の目をひも解いていていくのは、それが現代UFO諸問題のある核心へと繋がることにもなるならばなおさら、おそらく容易なことではない。

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そして今回、この<全てのはじまり>に少しでも迫るべく、ロズウェル現地視察を行ったわけだが、結果的に言えば、現地において何よりも印象的であったのは、ロズウェルで聞いた関係者の発言でもなければ、アメリカの研究者が発表した"最新の事実"でもなく、むしろ目まぐるしく変化し続けるこれらロズウェル事件の饒舌な"周辺"とは余りにも対照的な、その"中心"の寡黙さであった。そこには何もなかったのである。またこれらの現地実情を通じて、改めて事件を俯瞰してみると、ロズウェル事件の真実が如何なるものでれ、そのもつれた糸を全てほどき、"Case Closed(調査終了)"を宣言することは、たとえ米軍であろうと、"事件関係者"であろうと、或いはどんな優れた研究者が徹底した態度で挑もうとも、もはや不可能なようにも思えた。

しかしまた、その静かな中心と騒々しい周辺の織りなすドラマこそが、今なお終わらない現代アメリカUFO問題の本質たるある一面を、逆説的に、そして端的に物語っていることはおそらく事実である。そして"神話"がその起源を普遍化するように、ロズウェル事件は確かにその歴史的位置において、その構造において、現代アメリカUFO問題の"起源"たり得ているように思える(たとえそれが80年代に発掘された事件であったとしても、である)。そしてその起源を巡る各者の議論が収まらぬ以上、ロズウェル事件、そして派生しつづけるアメリカのUFO問題を巡る真実の有り様は、もはや信念の問題だと言うことも出来る。

1947年7月、ロズウェルに落ちたもの — それはまるで変幻自在につかみ所がなく、見る者の望む姿を見せる、現代のプロテウスだったのかもしれない(※G)。そして今後もまた信奉派と懐疑派、米軍や証言者のけたたましいやり取りの中で、その正体の見えぬ"何か"は、緩やかにその姿を変化させながら、生き延びていくのではないだろうか — その中心は、ただ寡黙なままに。


※D. 信奉派、懐疑派の研究著作において、記述される事実関係が全く異なることは、この”UFO業界”では日常茶飯事である。しかしロズウェル事件に関して言えば、立場上同一的視点にあるはずの信奉派同士、懐疑派同士の著作においてさえ、日時、場所といった(真偽と余り関係がない)基礎事実のレベルで記述が異なっていることがままある。日本で例えるならば、矢追純一氏と韮沢編集長の著作間で"UFOを巡る衝撃の事実"の詳細がうっかり異なってしまったような状況である。しかし実際のところ、アメリカではもはや信奉派、懐疑派といった区別だけでなく、まるでプロレス団体のように幾つもの派閥が存在しており、その混迷の度合いは日本の比ではない。

※E. この事はロズウェル事件が話題となる80年代以前のUFO研究書を見れば明らかである。例えばUFO問題を歴史学的観点から綴った数少ないUFO関連学術書、1973年発刊の『The UFO Controversy in America(邦題:全米UFO論争史/ マイケル・デヴィッド・ジェイコブス)』 は、数多くの歴史的UFO事件が丹念に描写されているにも関わらず、ロズウェル事件に関係する記述はまるで見られない。これは記述された73年以前、アメリカのUFO問題においてロズウェルがほとんど話題になっていなかった事を示すひとつの傍証である。

※F. 事実、現在ロズウェル事件の"関係者"としてメディアに登場するのは当時事件を体験したという当事者の息子や娘、親族が多く、親子二代にわたって証言を続けている者もいる(マーセル大尉やブラーゼルなど)。これは当時直接事件に関わった当事者がほぼ全員死亡しているためで致し方ないが、それ故に偽の証言者が現われるなどといった問題にも繋がり、ロズウェル事件の真相を更に混迷させる原因ともなっている。

「ロズウェルで異星人の円盤が墜落したとする文章は本になったもの以外にも大量にあるが、それらの文章に共通しているのは、現実に何が起きたかという点に関しては解釈がどんどんあいまいになっていくという現象である(歴史調査の場合、ほとんどが逆の方向をたどる)」(『政府ファイルUFO全事件(ピーター・ブルックスミス)』)。

※G.プロテウスとは「海の深みに住み、形が定まらない海の性質をまねて自分の姿かたちを無数に変える」ギリシア神話の老神。海神ポセイドンの従者。(『UFO事件の半世紀(キース・トンプソン)』


※本文に関する参考情報として「ロズウェル事件 — 寡黙なる神話の中心(2)を合わせてご覧ください。

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