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エスタンジア視察最終報告 - 「20世紀最後の真実」の真実とは

estancia0.jpgいつかノビー(落合信彦)が見た夢の跡を追うこと早三ヶ月、この度、無事に南米視察を終了致しました。今回の視察では前回の中間報告で述べた通り、現地で得た新たな情報を元に当初の予定を変更し、ノビーが指したチリ南部を捨て、アルゼンチンのバリローチェへと向かいました。結果から述べますと、「エスタンジア」は確かにバリローチェに存在しており、実際に今回、現地確認及び潜入に成功いたしました。そしてノビーも語る通り、戦後、元ナチスのメンバーらが南米などに離散したことは凡そ明らかであり(この事実は例えば1960年5月11日、イスラエル諜報機関モサドによるブエノスアイレスでの元ナチス高官アドルフ・アイヒマン誘拐事件等によっても端的に裏付けられる)、また今回の視察により、実際にその逃亡先として「エスタンジア」なる地点が関係していたことはほぼ間違いがない事も確信いたしました。以下に今回の視察最終報告を記しておきます。

バリローチェからエスタンジア・サンラモンへ

estancia4.jpg今回の視察では、まずアンデス山脈を挟んでチリに程近いパタゴニア北部の都市サン・カルロス・デ・バリローチェへと向かいました。そして目指したエスタンジアは、そこから更に東に40km程先の人里から遠い荒涼とした地域(写真)に位置しています(具体的には、バリローチェから国道218号を内陸側に向かい、州道23号を右折し、人里はなれた未舗装の道路を20km程行った地帯)。

estancia2.jpg同地帯周辺は南米のスイスとも謳われるバリローチェの風光明媚からはほど遠く、周辺を低い山野に囲まれた砂利道が続き、また車3台分程の道両脇は、全てバリケードが回された上で、国による立ち入り禁止の看板が一定間隔で立てられています。また同地帯は犯罪などは起こりそうもない、単なる山道であるにも関わらず、途中にはパラボラアンテナを備えた警察のワゴンハウスが設置され、周辺の警備を行っている様子でした(仮に山賊などの強盗があり得るとしても、少なくとも観光客が通るような地域ではない。また人影はおろか、たまに現地人の乗った車が1時間に1台通り過ぎる程度である)。そして州道23号を凡そ20km程進んだあたりで、砂利道が突然分岐し、岩山の方向に向かって逸れていく形で、「エスタンジア・サン・ラモン」の入り口を示す看板が立っていました(写真)。一見して長閑にも見える看板とは裏腹に、入り口には大きなゲートが道を塞ぎ、私有地であるにも関わらず、そこにも国による立ち入り禁止の看板が立てられていました。

estancia3.jpgそしてそこから先は車が通れないようになっていた為、ゲートを越えて内部に潜入、徒歩で敷地内に向かって進みました。林道内部は、南側(写真右側)には林の続く丘陵から低い岩山が連なる地帯へと続き、北側は小川を含む林を超えて、州道が東に向かって続いているのが遠くに見えました(写真・また林道の周囲にもバリケードが回され、林道から外には侵入できないようになっている)。そしてゲートを越えてから凡そ1時間、本敷地内を目指して東に向けて歩き続けていたのですが、林に囲まれた暗い道はいたずらに長く、やがて日も暮れ始め、単独行動による危険も感じたため、今回はそれ以上の潜入を断念し、引き返すことに致しました(※)。

またその後、一旦ゲートを出て農場を迂回し、州道に沿って進むと農場内部のごく一部分を上からいくらか見渡すことが出来たのですが、広大すぎる敷地内には農地や家畜も一切見られず、人影も見えませんでした。しかし、ゲートから伸びる林道についた車の轍はまだ新しく、人が現在でも出入りしていることは明らかでした。

※バリローチェ市内には、実際、Aleman Klub - ドイツ人クラブといった施設が存在する通り、現在でもドイツ系移民やその子孫が非常に多く、特にナチス問題について現地で情報収集を行うことは迂闊に思われたため、現地では事前、誰にも同地帯に向かうことは告げていなかった。また、同地帯は過去数年間に渡って不可解な殺人事件が多発している農場でもあるため(【参考1】参照)、万が一警察などに見つかった場合、面倒なことになる心配もあった。


エスタンジアとは何か

前回の中間報告において、エスタンジアは「農場」を指す言葉でありながら、「宝庫、保管庫」といった意味も含むことなどから、実際には複数の基地を示す隠語的総称であるという推測を行いましたが、今回、まず意外だったのは実際に同地帯は現在、そのまま「農場」の体裁を取っていたことです。そしてそこから推測しうる事としては、つまり、戦後ナチスと絡めて噂された「エスタンジア」とは、そのままこの「エスタンジア・サンラモン」の事であり、即ち、「エスタンジア」とはノビーが書いたように「チリのパラル奥地」ではなく、また前回推測したような基地を指す隠語的総称でもない、そのまま「サンラモン農場 = Estancia SanRamon」という具体的地点を指していたのではないかということです。

あるいはまた、元々はナチス幹部の逃亡地点として存在した「エスタンジア・サンラモン」(理由については後述、【参考1】も参照)が、その後、人づてに伝聞されていく中で「エスタンジア」という含意ある言葉のみとなって記号的なキーワードとして流布し、いつしかナチスの逃亡地点を指す隠語として一人歩きしたという可能性も考えられると思います。

また、これらの結果からノビー本を再検証するならば、ノビーが絶対的信頼を置いたアシスタント・ジョセフが、少なくともナチスと関係のあるバリローチェの「エスタンジア」を知らなかったはずはなく(彼は12年間、元ナチスを含むドイツ人コミュニティと一緒にバリローチェに住んでいた)、つまり彼が南米調査開始時にノビーに与えた偽情報(※)が1970年代後半、ノビーが南米に見た夢物語の始まりだった、という推測も成り立つのではないかと思えます。つまり、ジョセフは黒幕であるフリードリヒ(彼については後述、【注2】を参照)に頼まれたか、あるいは何らかの判断で、「エスタンジア」というキーワードを利用し、真顔のノビーをナチズムプロパガンダとしてのナチスUFO開発説へと導いたのではないか、ということです。

※彼は戦後、バリローチェに住んでいながら、「エスタンジア」の名は仲間うちで度々耳にしながらも、その実態はしらず、また実際に訪れたこともないと話し、ノビーのバリローチェ行きを意味がない、として却下している。この部分の件りについては視察中間報告の巻末【参考2】を参照。

estancia7.jpg更に今回現地で得た情報では、同地帯はまず20世紀はじめ(1918年頃)に、謎のドイツ人実業家ルイ・ボン・ブロー(Luis von Bulow)なる人物によって買い占められていたという過去を持ち、また、1944年イタリアはアルディーネ洞窟の虐殺事件を首謀した元SS幹部エリヒ・プレビケがバリローチェで逮捕された際(1949年、彼は戦後のナチス支援組織ODESSAによりバリローチェに逃れ、以降50年間をそこで過ごしている)、同地帯とナチスの関係が取り沙汰されて初めて警察が介入、敷地内からブロー氏の墓を示す墓碑が発見されています(写真は発見された当時のもの、ブロー氏の墓碑の写真は【参考1】参照)。

このように同地帯とナチスとの繋がりを示す諸説は既にこれまでにも散見され、またそれ以外にも戦後、いくつかの不可解な事件などが度々発生していることなどから(【参考1】参照)、同地帯は言わばいわくつきの農場として存在しており、そうした事実からも、同地帯がナチスと南米をつないだ - そしていつしか神話化した - 「エスタンジア」である可能性は非常に高いと思われます。

しかしまた、今回のアルゼンチン視察の目的はあくまでも「UFOを訪ねて三千里」であり、決してヒトラー逃亡説(※)を含む南米でのナチス発見が目的ではなかった為、今回、これ以上の調査は日程的にも情報的にも不可能と判断し、視察を終了いたしました。

※今回訪れた「エスタンジア・サンラモン」は、数年前にもアルゼンチンのジャーナリスト、アベル・バスティ氏が、ヒトラーとその妻エヴァ・ブラウンの第一逃亡地点として挙げている。
(参考:: : La Manana del Sur : :Un casamiento holandés con pasado en Bariloche)


「20世紀最後の真実」の真実

今回の視察の結果から得たわずかな結論としては、まず南米にナチスと関連した地域として、エスタンジアという地域が実際に存在している事はほぼ間違いがないと思われます。しかし、それが今回訪れたエスタンジア・サンラモンであるかどうか、断言することはできません(例えばノビーも指摘したブルメナウや、パタゴニア南部のように、南米にはバリローチェ以外にも怪しいポイントが多数存在しているため)。

しかしまた、ノビーが「エスタンジア」であるとしたチリ中部のパラル(※)に存在したのは、おそらくはその後(ノビー本が発表された数年後)その存在をチリ警察によって暴かれたドイツ系カルトコミュニティ「COLONIA DIGNIDAD」であり、南米におけるナチスの拠点として存在したとされる「エスタンジア」とは実質的には無関係なのではないか、というのが、ノビー本に対する、まずひとつの結論です。

※パラルは西語で「Parral」と綴る。現地の読み方でも明らかに発音は「パラル」に近いにも関わらず、何故かノビーは徹頭徹尾、同町を「パレル」と呼び続けている。従って、邪推するならばノビーが実際に同地を訪れたのかは若干疑問である。またノビーによるエスタンジアの描写自体は、単に伝聞しただけでも書きえるものである事は事実(それまでにも同地域を訪れた記者はいたため)で、また「(同地域を撮影した)写真は全て没収された」という記述もこれを補足する。

そして問題のUFO秘密基地説(【注1】参照)に関しては、まず第一にナチスが戦争中、円盤型の新型飛行機(もしくはそれに類似した全翼形のものなど)を開発していたという噂、そして第二にヒトラーはじめナチス幹部の亡命先として存在した「エスタンジア」の噂、そして第三に近年まで野放しにされていたカルトコミュニティ「COLONIA DIGNIDAD」の噂(ノビー本発刊当時はその存在がまだほとんど知られていなかった)という、三つの謎めいた噂がノビーの頭の中で何となく、あるいは恣意的に合成され、そこにフリードリヒ氏の強烈な追い風も受けて(【注2】参照)、いつしか「南米におけるナチス残党のUFO開発説」として強引に、そして確信犯的に展開されたものではないかという事が、<「20世紀最後の真実」の真実>であり、ノビーのもうひとつの名著「狼たちへの伝言」(P88)から敢えて言を借りるならば、「ノビー、なんだって、おまえはそんなにやりまくってるんだ?」という結論に至りました。

従って、今回の視察において南米におけるナチス、そしてその逃亡先としての「エスタンジア」なる地帯が存在することはほぼ明らかになったものの、かつてノビーが真顔で指摘した通り、「エスタンジア」が果たして本当にUFO秘密基地だったのかどうか、あるいは全く別にそうした基地が存在するのか、その点については依然、真実は謎のままである、と言わざるを得ません。

以上を持ちまして、簡単ではありますが、今回の南米視察の最終報告とさせていただきます。今回の視察は当初の予定期間を大幅に超えるものとなり、結果、多くの方にご迷惑をおかけしましたこと、お詫び申し上げます。すいませんでした。また、視察を応援して頂いた皆様、怪しい情報をお送り頂いた方々、現地でお世話になった方々に改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。


【注1】:注意すべき点として、このノビー本に関しては、至るところで「あのノビーが南米奥地でUFO開発者と出会ったらしい」といった形で半ば都市伝説的に伝聞されているものの、実際、余り真面目な読者が多くないであろう同書をよく読めば明らかな通り、UFO開発説はあくまでもエスタンジア訪問後の事後推測として書かれている。つまり、冒頭部分でノビーが出会ったと語っているのは単に元ナチス高官らと思しきドイツ人コミュニティ(そしてこれがおそらく「COLONIA DIGNIDAD」)であり、実際にはノビーがナチス残党のUFO開発者に会ったとか、南米奥地でUFOを見た、などとは一切書かれていない。

【注2】:ノビーをUFO開発説へ一気に飛翔させる決定的な証言を与えたフリードリヒなる人物は、実際には現在もカナダに在住している世界的にも有名なネオナチ系のホロコースト否定主義者・エルンスト・フリードリヒ・ズンデルであると言われているが、その推測はおそらく正しいと思われる。彼はまた自称UFO研究家としても知られ、戦後、ナチス伝説のプロパガンダとして、ナチスによるUFO開発説をでっち上げた事でも知られており、矢追純一の名著「ナチスがUFOを造っていた―ついに突き止めた超兵器の秘密」にも登場している(ズンデルについてはCanadian-based German Holocaust denier Ernst Zundelに詳しい)。


【参考1】:: : La Manana del Sur : : Asesinaron a estanciero en Bariloche
(X51注:以下はバリローチェを含むリオ・ネグロ州の地方新聞ラ・マニャーナ紙に2003年7月8日付けで掲載された記事である)日曜の晩、サン・ラモン農場の管理人の男性が警察に変装した三人組の男に射殺された。男性を殺害した三人組は逃走中に通りがかった警ら中の警官らと銃撃戦になり、警官一人、犯人のうち一人がそれぞれ銃撃による負傷を負った。残りの犯人二人は依然逃走中である。その後の調べで殺害されたサン・ラモン農場の管理者の身元はクリスティアン・ゲルと言う名のスイス人であった事が明らかになった。彼を知る人の間ではゲル氏は人柄も良く、使用人達からも慕われていたという。

リオ・ネグロ州警察第三地区署長フェルナンド・エルドゥレス氏の調書によれば、犯人グループは日曜の夜、狩猟用の銃などを含むかなりの数の武器で武装して農場を襲撃。管理者を銃で殺害して農場内のものを奪った後、現場からルノー11で逃走したという。しかしその後バリローチェの入り口付近でパトロール中の警官に止められ、身分証の提示を求められると、今度は突然警官に向かって発砲したのである。

この銃撃戦により、警官一人(ルイス・バジェネス)と犯人一人が負傷したが、ラモン・カリージョ病院にて手当てを受け、それぞれ回復に向かっている。左足に銃弾を受け、逮捕された犯人の男の身元はいまだ明らかにされていない。

事件後の調査では、犯人が使用した車から多数の銃と、警官の制服が発見された。その中には、防弾チョッキや警官の使用する帽子、ジャンパーなどが含まれていた。「チョッキや帽子は普通の商店で入手した可能性もあるが、ジャンパーは明らかに警察から盗んだものである」地方警察署の副所長マリオ・アシアル氏はそう語っている。また同日から翌日にかけ、警官らは同地域を徹底調査したが、逃亡した残り二人の犯人の足取りは掴めず、今後は捕らえられた犯人の一人から事情聴取する予定であるという。またこの事件の裁判はグレゴール・ジョージ判事が担当することになっている。

estancia8.jpgサン・ラモン農場(Estancia SanRamon)はバリローチェから35km程離れた地点にある、これまで幾度かニュースにもなった農場である。戦後、ナチスがこの国(アルゼンチン)に「ネズミの道(ruta de las ratas)」を通ってやってきた際に、この農場に滞在していた事があると言われている。事実、戦後、アルゼンチンで逮捕され、イタリア当局に引き渡されたアルディーネ洞窟(イタリア)の虐殺首謀者元SS(ナチス親衛隊)のプレビケは、この「ネズミの道」を通ってバリローチェに渡った一人であるとされている。またその際、このサン・ラモン農場は元ナチスが滞在していたという疑いで、調査されている(X51注:また文中では触れていないが、記事上部には上述のボン・ブロー氏の墓の写真とキャプションが添えられている。上の写真は記事には掲載されてない、ボン・ブロー氏の墓碑。プレビケについてはWikipedia:Erich Priebkeに詳しい)。

1999年2月には、火事により全焼するという事件も発生し、またその直後、農場の管理者として7年間勤めていた森林エンジニアのギジェルモ・ドール氏は、農場の約半分の使用人達と共に解雇されている。その際、経営者が「使用人達を信じられなくなった」として行った解雇通告を任されたのは、火事の直後、スイスから移民してきたばかりのクラウス・ジャコブ氏である。また解雇通告直後、使用人の一人(マルティネス、24才)が同農場内の畑で死体で発見されるという事件も発生している。原因は転落死であったとされている。

【関連】危険な南米視察→ただの観光旅行に(視察中間報告)

【事後追記】南米視察写真集

2004.11.20

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