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イエティはヒグマに非ず ― ヒマラヤ視察最終報告

イエティの起源 ― 或いはラサに見た半人半猿

ではこれら、それぞれユニークな特徴と逸話を有し、現在なお神として崇められるイエティ、そしてミティの起源は一体どこにあるのだろうか。イエティ伝説を維持し続けるシェルパ族のルーツは、そのチベット語における語源<シェルパ=東の人>が意味する通り、元々チベット東部の人々が、18世紀中頃にヒマラヤを南下して定住したのが始まりである。つまり、現在では国籍こそネパール人である彼らシェルパは、元々はチベット人であった。それ故、世界で唯一ヒンドゥー教を国教とするネパール(ヒンドゥー教90%)の中にあって、彼らはいまだ熱心なラマ教(チベット仏教)の教えを守り、その文化もチベット色を鮮やかに保ち続けている。従って、元来チベット人である彼らシェルパが奉ずるイエティの起源は、やはりチベットにあると考えるのが自然であると思われるのである。そしてまた、これはイエティ伝説がクーンブ地方のみならず、汎チベット文化圏的に存在することを併せて考えればなおさらであると言える。

jhokan.jpgそしてここで話は、ネパールの前に滞在していたラサへと飛ぶ。何故ならばクーンブ地方に来てから数日というもの、イエティ伝説についてシェルパに話を伺い、イエティとミティが別種であり、そして彼等が各々性別を持つという事実を知ったとき、私はラサで見た、ある一枚の壁画のことを思い出さずにはいられなかったからである。ラサ滞在中のある日のこと、私はシャンバラ伝説について調査すべく、チベット仏教最大の寺院ジョカンの壁画について、ラマ僧に話しを伺っていた。そしてその中で見たある一つの変わった壁画 ― それは余りにも他と見比べて異様であった ― の前で立ち止まると、ジョカンに精通した彼が、珍しく、その時ばかりはやや困った様子で、喋り始めた。

「これは、チベット民族誕生の起源を書いたものだと言われています。ジョカンの中では珍しいもので、左は聖なる猿、そして右の女性は肉を喰らう鬼であると言われており・・・・」

ラマ僧の話よれば、この絵が意味するものは、仏教伝播以前からチベットに伝わる、民族誕生の起源となった奇妙な逸話であるという。それは概ね次のような話であった(※)。

かつて、チベット南東部にあるヤルン・ツァンポ峡谷のある洞窟に一匹の猿 ― それは菩薩が化身した猿であるという ― が瞑想していた。するとそこに鬼女が現れ、猿に自分と交わるよう誘惑した。猿はそれを断ったが、鬼女がさもなくば、更なる鬼を呼び、洞窟の外にいる生けとし生きるものを全て食い尽くす、と猿を脅迫した。そして猿はやむなくその申し出を受け入れ、彼らは交わり、結果、六匹の半人半猿(三匹のオス、三匹のメス)が生まれたという。そして子供達は更に互いに交わりながらその種を広め、それが即ち、現在のチベット民族の最初の起源となったという(※6)。

※ついでに言えば、中間報告で述べた通り、チベットにおいて、この時に初めて、シャンバラ伝説へと繋がるヤルン・ツァンポ峡谷の名を聞いた。従って私はその時、彼の言った[ザァンポ]という言葉にのみ頭を奪われ、これがイエティへと繋がることになろうとは予想しなかった。またこの話には様々なバージョンがあり、一つはダライ・ラマ日本事務局のサイトにも掲載されている。詳しくは(※6)参照。

この文字通り奇妙な逸話において、特に注目すべきは、菩薩である猿と交わって生まれた<半人半猿>が彼らチベット民族の起源と据えられているということ、そして更に、<聖なる猿>と<肉を喰らう鬼女>、この二つのキャラクターが彼らチベット民族=シェルパの祖となったという点にある。そして言うまでもなく、これらの特徴は即ち、いみじくもオスであり、人を襲わぬ聖なるイエティと、メスであり肉=人を喰らう獣のごときミティというユニークな両者の特性をそのままなぞっているように思えるのである。つまり、もしイエティがチベット起源であるとするならば、そしてもし、根深氏や西洋の科学者が看過したシェルパにおける分類が意味あるものだとするならば、これは現在のイエティとミティの性別分けや特徴、半人半猿的というイメージ、そして更にはイエティが神として崇められる理由 ― つまり、イエティ起源の秘密を、象徴的かつ、包括的に説明しうるものなのではないだろうか。


半人半猿・半神半猿

hanuman.jpgまたもう一つ触れておくべき事実として、こうした半人半猿、或いは半神半猿を聖なる存在と見る考え方は、チベットのみならず、現在シェルパ達が暮らすネパールの国教、ヒンドゥー教においても広く見られるものである。例えばネパールにおいては、猿が神の使いである神聖な生物として扱われることはもちろん、現在でもカトマンドゥでも至るところに、古代インドの叙事詩「ラーマヤーナ」に描かれる猿神ハヌマンの姿が描かれているのを目にする。そしてまた、今でもネパール全土に広く存在する独特の文化を持ったシャーマン(ジャンクリ)達の間では、このハヌマンは特に、神(シヴァ神)と動物の間を繋ぐ中間的、象徴的存在として、原初のシャーマン=即ち原初の人類としてやはり特別な信仰を集めているという((写真はカトマンドゥの中心地、通称モンキー・スクエアの寺院内壁に描かれるハヌマン。一説には、ハヌマンは西遊記に登場する孫悟空のモデルにもなったと言われる。※)。

※またジャンクリ達の間にも、バン・ジャンクリと呼ばれる独特の精霊が存在し、これもまたイエティ、ミティに似た性別、特徴の区別がある。詳しくは※7参照。

nepal1.jpgそして現在、彼等シェルパが暮らす、ネパールは、歴史的にインドとチベットという二つの強力な個性的文化を持つ国に挟まれながら、現在では両者が互いに排しあうこともなく、独特のバランス感覚で、見事な調和を保っている。上述の通り、ネパールは国教こそヒンドゥー教と定められてはいるものの、首都カトマンドゥにおいても、西にスワヤンブナート、東にボダナート(写真)と言うとおり、二つのチベット仏教最高聖地を内包し、それはパシュパティナートやダルバール・スクエアといったヒンドゥー教の聖地と、緩やかに、その混在状態を保っているのである(※)。

※.特に1959年、チベットへの中国の侵攻と共に現在のダライ・ラマ14世がインドに亡命した際、ネパールは大量のチベット難民を受け入れた為、 ― ある意味では漢化されつつあるラサよりも ― チベット本来の文化がそのまま残されている。また釈迦誕生の地とされるルンビニもネパールにある。

つまりもし、イエティがその原初から、神として半人半猿的偶像を持っていたとするならば、これらチベット、ネパールにおける半人半猿信仰と決して無関係なものとは思えないのである。更に言えば、このイエティ伝説が元々チベット人であるシェルパにおいて誕生し、現在ではチベット本土やブータンといったそのほかのチベット仏教文化圏よりも尚、ヒンドゥー=ネパール側で根強く生きているという不思議な実情を考慮するならば、それはまず彼らシェルパ=チベット民族起源の伝説がその源流となり、そしてネパールにおけるヒンドゥー教の猿信仰、半神半猿のハヌマン信仰などといつしか融合、調和し、維持されてきた伝説であると考えることも出来るのではないだろうか。


イエティはヒグマに非ず ― イエティはあくまでイエティ

本項において私は必ずしも、根深氏の主張に全面的に反論するものではない。例えば確かに、ヒグマがその現実的存在としてのイエティを全面的、或いは部分的に、担保したことはおそらく事実であると言えるからである。そしてまた、雪男の正体、それは言うまでもなく、確かに西洋の作り上げた虚像であり、その顛末は根深氏の論考に詳しい通りだと言える。しかしそれをもって、イエティの正体暴いたりとするのは、やはり間違いなのではないかということである。

無論、イエティ起源の推測として挙げた上述のチベット民族起源の逸話や、ネパールにおける半人半猿信仰、それらはあくまで試論であり、確証はない。しかし現在のシェルパ(即ち既にヒグマという動物を知った上でのシェルパ)のイエティに対するいまなお続く信仰を見ても、またイエティ、ミティが厳密にそれぞれ別種であり、そして何ゆえか性別、特徴によって区別されているという事実を見ても、更にはチベット、ネパールに広く分布する特徴的な半人半猿信仰を見ても、それらの全てが全て、<イエティの起源>と凡そ無関係であるとは、やはり思えないのである。そしてまた、これらイエティに関する様々な事実は、これまで生物学的探求に終始した調査者にとっては、特に意味のない付加価値的情報であり、<ヒグマという実体>を突き止め、言わば<納得のいく回答>を得た彼らから、ことごとく、無視され続けてきたのはまた事実なのではないか。

しかし実際のところ、<我々>でなく、当事者である彼等<シェルパ>にとって、それらは決して無視されざるべき事実であり、即ち、<雪男の正体はヒグマ、故にイエティはヒグマ>というのは、やはり<あちら側>の事実(例えばシェルパにおけるイエティ、ミティの区別)を都合良く取捨した上で成り立ちうる一方向的な合理的解釈、そして性急な生物学的調査に基づく、言わば<こちら側>の論理に終始した ― 即ち西洋の探検隊が犯したのと同じ ― ミスであるように思えてならない(※8)。

従って、今回、根深氏の論考にささやかに反論する意味で言わせてもらうならば、つまり、ヒグマという合理的解釈は言わばイエティ伝説の一側面に過ぎず、それをもって<イエティの真実>とするのは、余りにも独りよがりな結論に他ならないと言えるのではないか。そして今なお、シェルパにとってイエティは神 ― 或いはチベット民族の起源を担う精霊 ― であるからして、すなわち<イエティはヒグマに非ず>であり、言うなれば<イエティはあくまでイエティ>、従って<今なおイエティは謎のままである>というのが、今回の長期に及ぶヒマラヤ視察を通じて得た、文字通りの遠回りな、個人的結論である。


以下、例によって断片的ながら、注釈を兼ねた参考情報など。



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