【ScientificAmerican】1912年、イタリアはローマにほど近いモンドラゴーネ寺院にて、アメリカの古書収集家ウィルフリード・ヴォイニッチ氏は一冊の奇妙な手稿を見つけた。手稿は膨大で230ページ以上からなり、しかし、中に描かれた文字群はこれまで見た事もない不思議な文字が使われ、また未知の植物や裸婦などの幻想的な挿絵が描かれていた。ヴォイニッチ氏はほとんど直感的にその手稿の持つ潜在的価値に魅せられ、すぐさまそれを買い取り、本国へと持ち帰ることにした。ヴォイニッチ氏はその後の研究で、手稿の特徴から中世の錬金術師か、植物学者が書き上げたものと推測したが、その奇怪な文字群は一切の解読を拒否し、彼の頭を悩ませた。またしかし、いくつかの手がかりも見つかった。それは例えば挿絵に描かれた人物像の様子(髪型など)はその手稿がおそらくは西暦1470年から1500年の間に作られたものであることを示唆し、また手稿と共に発見された書簡から、その手稿はかつてローマ帝国の奇人皇帝、ルドルフ二世(1576〜1612)が所有していたことが明らかになったのだ。
また書簡によれば、ヴォイニッチ氏が発見する以前、17世紀の間にも二人の学者が手稿の解読に挑戦したが、いずれの試みも失敗に終わった事が記述されていた。かくしてその後250年間、暗い書庫でひっそりと眠り続けた稀代の奇書は、ヴォイニッチ氏の手によって長い眠りから目を覚まし、再び世界にその謎を問いかけることになったのである。
ヴォイニッチ氏はその後自ら解読することを諦めると、手稿のコピーをありとあらゆる分野の学者達、そして暗号の専門家に送り、解読を依頼した。しかしその余りにも怪異な文字群はただいたずらに学者達の頭を悩ませ続け、以後、90年間に渡りって多くの学者、そしてその時代時代における最高の暗号解読者達を持ってしても、ヴォイニッチ手稿は依然として「読まれない書物」であり続けた。
一部の学者達はその難解さ、あるいは異常性から手稿は実は暗号、または未知の言語で書かれたものなどではなく、何の規則性も持たない単なるデタラメなのではないかと主張したものもいたが、一方、手稿を単なるデタラメと取るにはあまりにも良く出来すぎている、とし、デタラメ説に反対する声も依然として強かった。彼らの主張する通り、手稿が単なるデタラメだったとした場合、一体何の目的があって230ページにも及ぶ膨大なデタラメ - しかもそれは曖昧ながら規則性と言語的構造を兼ね備えている - を作り上げたのか、という事は確かにまた謎だからである。
しかしそうした議論が続くなか、私は16世紀に利用された単純な暗号化ツールを利用することで、ヴォイニッチ手稿に描かれたものに近い、曖昧な規則性を再現することが出来る事を発見した。しかし、またそうして出来上がった文字群は表層的には手稿に近づけられるものの、手稿に見られる程の規則性、言語的な構造を完全に再現することはできず、また、当然ながらそこに隠されたメッセージは見つけることが出来なかった。
従って、私の発見をもってしてヴォイニッチ手稿が単なるデタラメであるとするのはまだ早計であるといえる。しかし、私のこの発見が、これまで長年言われて来たある仮説、それは当時ツールを使用してこの膨大な書物を作り上げた人物は、イカサマ師としても知られる錬金術師エドワード・ケリーであり、彼がこの稀代の奇書をでっち上げてルドルフ2世に現在の価格にして凡そ500万円程度で売りつけたという説を強く支持するものであることは間違いがないだろう。
おそらく、このヴォイニッチ手稿の解読には様々な分野、暗号学、言語学、そして中世史などの専門的な知識が要求されることは間違いがない。私が取った方法はこれまで行われてきたものとは違い、かなり異端的な方法である。また私のこれまでの研究では解読の鍵は関連した様々な分野における専門知識にあると推測している。
この手稿の解釈を巡って、これまで様々な科学者達が様々な方法で解読を試みたが、その中にはいくつか、完全な解読には至らぬまでも、一定の結論まで達したものも存在している。初めて解釈が試みられたのは1921年のことである。
解読を行ったペンシルヴァニア大学哲学教授ウィリアム・R・ニューボールド博士は手稿の表面を拡大して調べた結果、そこに古代ギリシャで用いられていた種類の速記法の痕跡を発見した。そしてそこから研究を進めた結果、ヴォイニッチ手稿は13世紀、自然科学者のロジャー・ベーコンによって書かれたものであり、彼が顕微鏡を発明し、それを用いて書いた暗号書であると結論したのである。ニューボールドの仮説は発表当時は大きな支持を集めたが、その凡そ10年後、ボールドが主張した筆跡の特徴は、インクの自然なかすみである事が判明し、また説の中に様々な矛盾点(ボールドの主張する方法では復号化が出来ても、暗号作成者はその方法では暗号化を行うことが出来ないなど)現在ではその説は否定されている。
そしてその後もボールドに続き、1940年代には二人のアマチュア暗号家、ジョセフ・M・フィーリー、そしてレオネル・C・ストロングの二人がヴォイニッチ手稿に再び新たな解釈を与えた。フィーリーは最も基礎的な方法である換字式暗号の技術を用いてアルファベットをヴォイニッチ手稿の文字に割当てて解読を試みたが文章は特に意味をなさず、その試みは失敗に終わった。また一方、ストロングの解読の結果、手稿はイングランドの学者アンソニー・アスカムなる人物の手による薬草学の本であると結論し、それを元に実際に処方箋を作り、その効用も認められた。が、しかし、彼はその解読プロセスの方法を世間に公表しなかったため、広く受け入れられることはなかったのである。
そして第二次世界大戦終結の年、今度は日本帝国海軍の暗号を解読した事でも知られる米軍の天才暗号解読者ウィリアム・フリードマンが研究団を組織してヴォイニッチ手稿を含む古代文献の解読に挑んだ。しかし、作業の最中に戦争が終結し、研究は中断されたままその研究団は解散してしまった。フリードマンはこの手稿に対し、いくらかの推測を持つ事は出来たが、とうとう解読に至ることはなかった。またその際、彼らが解読を試みた古文書のうち、解読失敗に終わったのはこのヴォイニッチ手稿だけであるという。
そして1987年には今度はアマチュアの文献学者ジョン・ストイコが手稿はウクライナ語から母音を除いたものであるという試論を発表した。しかし彼の解読した文章は例えば、「空虚とは、赤ちゃんの神様の目が、戦うべきものである」といった不可思議な文章となり、それらは描かれている挿絵、あるいはウクライナの歴史と比べても一切関連性のないものとなり、結局失敗に終わっている。
その10年後の1987年、レオ・レビトフという医師が手稿はカタリ派の信者によって書かれたものであると主張した。レビトフの説では手稿は中世のフランスに存在した異端のセクトによって、様々な国の言語を混合して書かれたものであるとしたが、解読された訳文は現存している多くのカタリ派の文章と明らかに反しており、結局その試みも否定されている。
ここまでに上げられた多くの解読者たちはその解読において、ある単語を違うページごとに様々な解釈に置き換えて解読している。例えば、ニューボールドはその解読においてアナグラム(文字の置き換えによる暗号、例えばADERをREAD、あるいはDARE、DEARと並べ替えて解釈すること)の手法を利用しているが、それらのほとんどが解読者本意の欺瞞に満ちた解釈であったことは事実である。
また手稿に挑んだ多くの学者たちは、そのほとんど受け入れ難い曖昧さが文章を非常に難解なものであることに、一様に同意している。またこれまで行われた多くの解読方法において、一方的な復号化こそ可能であっても、逆にその方法を用いて平文を暗号化することは難しく、誰一人としてヴォイニッチ手稿のような文章を書き上げることは出来なかったのである。
またそうした理由からヴォイニッチ手稿が実は暗号ではなく、単なる未知言語であるとする説も生まれた。確かに、このヴォイニッチ手稿には単なるデタラメ言葉であるとするには、余りにも言語的な規則性を兼ね備えているのである。それは例えば、最もよく使われる単語が二度三度続くことが頻繁にあるが、私はこの特性を明らかにするため、ヴォイニッチ手稿に使われている文字をそれぞれ一旦ローマ字に置き換えて文章を比較した。すると、例えばページ78Rにはqokedy quokedy dal quokedy quokedyといった並びで言葉が書かれている事が分かる。しかし、こうした単語の配列はおそらく既存のいかなる言語にも見て取ることの出来ないパターンである。そうした特徴から、この言語があるいはまだ我々の知らない未知言語である可能性は非常に低いと考えられるのである。
また第三の可能性として、先にも上げた通り、ヴォイニッチ手稿が単にイカサマ錬金術師が莫大な報酬を得るためにでっち上げた無意味なデタラメであるという可能性、あるいは気の狂った錬金術師の異常な執念が作り上げた無意味な著作であるという可能性もある。
しかし、この手稿に書かれた言語的複雑性はそうしたデタラメ説を決して受け付けないだけの一定の構造を持っていることもまた明らかであり、例えば、語の繰り返しにしても単なるデタラメとは言い切れない、曖昧で、しかし構造を持った緩やかな規則性がそこに見て取れるのである。
例えば、頻出する文字列として「qo」という文字列は必ず単語の頭に現れ、また「chek」という文字列も同様である。しかし、「qo」が「chek」と共に現れた場合、「qo」はいかなる場合も必ず「chek」に先行して現れている。また「dy」という文字列はほぼ全ての場合で単語の末に現れるが、しばしば頭にも現れている。しかし、決して単語の中間に位置することはないといった具合である。
このように全編を貫く曖昧な規則性は通常、単に語を「選択し、混ぜ合わせた」だけでは凡そ作り上げることの出来ないものである事は明らかである。また例えばある気が狂った錬金術師が自分だけの為に言語を作り上げ、数年をかけて書き上げたとしても、余程の専門的知識がない限り、おそらくこうした複雑な構造、統計的な特徴を持つ言語で文章を書き上げることは凡そ不可能であろう。
また統計的な特徴は、単語の文字の長さにも見て取る事が出来る。ヴォイニッチ手稿に現れる多くの単語は5個から6個の文字列から成り立っている。一方、それよりも短い文字数の単語、長い文字数の単語は極端に少なく、単語群を文字列の長さと出現数を基準にしてグラフとした場合、中央部分、すなわち文字数が5個か6個からなる単語をピークとし、ほぼ左右対称な山型の曲線を描く。しかし、このグラフを既存言語とのそれと比較した場合、その異常さは明らかである。
既存のあらゆる言語では通常、5個か6個よりも短い単語かそれよりも長い単語が多く、グラフは左右非対称のグラフとなるからである。こうした理由からもヴォイニッチ手稿が単なるデタラメ作業の結果である可能性は非常に低いと考えられる。また何故なら、こうした言語の統計が行われたのは現代の事であり、ヴォイニッチ手稿が書かれた時代にはまだ存在し得ないものだからだ。
以上の推測をまとめると、現在のところ、結局、このヴォイニッチ手稿は果たして暗号なのか、あるいは未知言語なのか、それとも洗練されたデタラメなのか、それすらも未だ明らかではない。つまり、事態は1912年、この手稿が発見された時から一世紀を経た今も何も変わらない - あるいは更なる混迷を我々に与えているのである。
そしてそんな最中、私は数年前に、大学の同僚、ジョアン・ハイドと共にこのヴォイニッチ手稿に出会った。その当時、我々はこうした難解な問題にあたった際に過去の研究を再評価し、にいかにして問題に対処するかという方法論を模索し続けていた。そして出会ったこのヴォイニッチ手稿を我々は格好のテストモデルであると考え、この方法論をヴォイニッチ手稿に当てはめて解読することにしたのだ。そこでまず私はこれまでに行われた研究を参考に、この手稿のタイプを決定するところから着手した。
ここでまず明らかになったのは、このヴォイニッチ手稿を言語学の知識を用いて解析した結果、この手稿に使われている言語が、凡そどの種類の既知言語からも大きくかけ離れているということである。この結論から私はまず、手稿がデタラメに作られたものであるという仮説へと進んだ。そして、ここで問題になるのは、上述の通り、「デタラメにしては余りにも良く出来すぎている」という事を理由に、これまで多くのヴォイニッチ手稿研究者達がこの手稿のデタラメ説を否定してきたという事実である。
しかし、そこにはまた更に別の問題が存在した。それは、そうした研究者たちによる主張のほとんどが、実際に行われた研究を元にしたものではなく、単なる主観的な意見に過ぎなかったということである。事実、確かにこの手稿のように、中世に作られた複雑で長い暗号文書は他に存在しない。従って、中世においてこうした文書を作成するための方法論、その分野に関する専門知識それ自体がこれまでほとんど存在しなかったのだ。またそうした理由からこの手稿がデタラメであるとする決定的な証拠も見つからず、この手稿を謎のままにしてきたという背景があった。
またこれまでにはブラジルはカンピナス大学教授のジョルゲ・ストルフィのように、ヴォイニッチ手稿ある文字テーブルを用いて作られたランダムな文字群であると推測したものもいた。その方法とはそれぞれのマスに文字または音節が書かれた文字チャート(図表)を用意し、例えばサイコロを振るなどして、文字をランダムに選び、そこから単語、そして文章を生成するというものである。またこの方法を用いることで、ヴォイニッチ手稿に見られるように、ある程度のの規則性を文章内に作り出す事は可能だったかもしれない。
ストルフィの行った実験では、一定のルールに基づく文字がそれぞれの列に配置された文字チャートが用意された。それは例えば、文字チャートの最初の列を接頭辞の文字列(例えば先の例で言うならば「qo」)のみで埋め、二列目には同じ理屈で文字の中間にのみ現れるべき文字列(先の例では「chek」)、そして三列目には接尾辞といった具合である。そしてランダムな方法を元に、それらの列から一つづつ語を選び、単語を生成し、文章を生成した。またうちいくつかの枠は空欄として残すことで、接頭辞をもたない語、また中間や接尾辞を持たない様々な種類の単語を生成することを可能にした。
しかしまた、ヴォイニッチ手稿に見られる単語群はそれほど単純なものではない事も事実である。例えば、ある頻繁に現れる文字それぞれが、必ず一定の順序に基づいて現れるということが上げられる。それは、「l」や「e」、「a」といった頻度の高い文字が必ず「al」の順序となって頻繁に現れるのに対し、「el」といった形ではほとんど全く現れないのだ。そして、こうした効果は先に上げた文字チャートを元にしたランダム生成の方法では決して見られないはずであるという結論に達し、ストルフィはこのランダム生成の方法が間違いである事を認めた。
しかし、ストルフィの実験が示した通り、この「ランダム」という概念は手稿の謎を解く上で大きなキーワードとなることは間違いがないようである。今日の研究者を持ってしても、このランダムという概念は未だ測り知れぬものであるとされているが、少なくともこの概念が発展したのはヴォイニッチ手稿が書かれた時代から遥か後になってからのことだ。しかし、中世の錬金術師が、何らかの「ランダムでない」方法を用いてこうした単語生成を行ったとするならば、それはいかなるものなのか。私はかくしてヴォイニッチ手稿の製作を可能にする、古い技術を探ることを始めたのである。
私の次のステップは、もしも手稿がそうした特定の技術を用いられて作られていたとした場合、そこにはいかなる副次的な影響、すなわち特徴的な痕跡が見受けられるか、それを探ることにした。そして最初にたてた問いは、まず当然ながら、そこにはいかなる技術が使われたのかということだ。しかしこの問いの答えは一体いつの時代に手稿が作られたものであるか、その事実に強く依存することは明白である。
そこで私は今度は、考古学の分野の専門知識を拝借し、手稿が作成された時代の調査をはじめた。これまでこの手稿の研究者らの考えでは、手稿が作られたのはおそらく16世紀以前であるとされていた。何故なら、そこには15世紀の遺物であることを示す、多くの特徴が残されていたからでる。しかし、そうした推測をもって手稿の年代を特定することは出来ない。何故ならこうした芸術作品などの多くが、無意識にせよ、意識的にせよ、それより以前の時代の技術や特徴を用いて描くことがあるのは周知の通りだからである。そこで私は一旦、コンテンツの特徴から時代特定することを諦め、1470年から1608年の間、その時代にいかなる暗号作成方法が存在したか、という調査を始めることにした。
そして浮上したのが、カルダングリルという手法である。このカルダングリルは1550年、イタリアのギロラモ・カルダノという数学者によって発明されたものだ。この手法は複数の四角く切り抜かれた穴のあるカードを用いて、一見して無意味な文字チャートの上にそのカードを置き、そこから有意な文字列を生成するものである。そして私はこのカードに三つの穴をあけ、文字チャートの上に置き、それぞれ接頭辞、中間の文字、接尾辞を選択する事であたかもヴォイニッチ手稿と同じような単語群の生成が可能であることを確認した。
ヴォイニッチ手稿の典型的なページ配置は、凡そ1ページが10から40行の文章から成り、それぞれの行は凡そ12個ほどの単語から出来ている。そして手稿に現れる単語をそれぞれ3つの音節に分け、カルダングリルを使用して単語を生成した結果、たった一つの文字チャートを用いるだけで、230ページに及ぶ全てのページの文章を作成することが可能であることが明らかになった。
まず、最初の行には接頭辞、そして2行目には中間の文字列、そして三行目には接尾辞を用意し、後の行はそのパターンを繰り返して文字列を配置する。そして作成者はまず例えば左の角からスタートして単語を作り、次にはカードを右に移動して次の単語を作る。そしてその後はカードを上下左右に移動することで、膨大な単語群を作成することが可能なのだ。そして更に、次のページでは違うカード(最初のものとは違う穴の位置を持つカード)を用いることで、更に多くの様々な語を生み出すことを可能にするのである。
また実際に私が実験を行った結果、文字チャートを書くのに数分、そしてまた同じくらいの時間で数枚のカードを作成し、準備は凡そ10分で整った。そしてその装置を用いて、可能な限り素早く文字列を作成した結果、1000から2000の単語は余りにも簡単に作成することが出来てしまったのだ。
また更に、この方法を用いることで、ヴォイニッチ手稿に見られる多くの特徴を再現できることを発見した。それは例えば、カードと文字チャートをある程度慎重に作成することで、ある文字とある文字が決して隣り合わないようにすることや、一定の文字列の長さを常にキープすることなどが可能となる。また更に、ヴォイニッチ手稿の文章には行頭の単語が長い単語であるという特徴的な傾向があるが、そうした傾向も例えば長めの音節を文字チャートの左端に置き、行頭は必ずそこから開始するようにするといった事で再現することが出来るのである。
以上の理由から、私はこのヴォイニッチ手稿はカルダングリルを用いて作られたのではないかという結論に達したのである。
私の見解では、この方法を用いて文章を作成し、更に挿絵を描くことを計算に入れても、おそらく四ヶ月あれば、たった一人でもヴォイニッチ手稿と同様のものを作り上げることが出来ると考えている。しかし、例え方法が明らかになったと仮定しても、これで決して謎が全て解けたわけではない。それは手稿が本当に意味のない文字列に過ぎないのか?あるいは、何か意味をもつ暗号なのか?という疑問である。
私はこの疑問に答えるべく、カードと文字チャートを用いて平文を暗号化、そして復号化するための二つの方法を考えた。最初の方法は、平文を中間の文字列に変換して文字チャートに埋め込み、それを無意味な接頭辞、そして接尾辞で囲むという方法である。そして次の方法は元の平文の文字にそれぞれ番号を割当て、その番号を元に文字チャートの中に文字を埋め込むという方法である。しかし、これらの方法を用いて文章を作成した結果、いずれの場合も、ヴォイニッチ手稿に見られるような単語の反復性は見られなかった。
よって即ち、私の見解としては、ヴォイニッチ手稿は何らかの意味を持つ暗号文書ではなく、洗練された手法で作り上げられたデタラメの文章であるという結論に達した。少なくとも私の方法では、その手稿に何か意味が隠された痕跡、暗号文書である痕跡を見て取ることは出来なかったからだ。
しかし暗号である証拠が見つからなかった事が、そのまま手稿がデタラメであるという理由にならないことは明らかである。しかしまた、私の研究が、少なくともヴォイニッチ手稿程の文章を全くのデタラメで作成することは可能である、ということを明らかにしたのではないだろうか。
またそう考えた場合、これらの結果はこれまで言われて来た、手稿をめぐるいくつかの史実とも見事に符号することは事実である。エリザベス朝時代の錬金術師ジョン・ディー、そしてその悪友であるエドワード・ケリーは1580年代に皇帝ルドルフ二世に謁見している。特にエドワード・ケリーはこのカルダングリルにも精通しており、また、これまでヴォイニッチ手稿研究者の研究においてもこのケリーが手稿を書き上げた最有力候補だったのだ。
現在、私の学部生であるローラ・エールワードはカルダングリルを用いて、より複雑な統計的特徴を持つ文章を作成することが可能であるか調査を行っている。調査では膨大な文字チャートとカードを必要とするため、今はこのプロセスをコンピュータ上で自動化させるためのプログラミングを行っている最中である。
また今回のこの研究プロセスはこうした様々な難題にぶつかった際に、そこにいかなる解決策があるかを模索する上で、素晴らしい洞察を我々に与えてくれた。例えばそれは、アルツハイマー病の原因といった、複雑な問題に行き当たったときにも応用可能であるといえるだろう。現に我々は今後こうした研究アプローチを、脳疾患に対していかにして応用することが出来るか、過去の研究を再評価した上で、これから模索していく予定である。
我々の方法論は過去の研究を再評価し、そこに問いを投げるところから始まる。それはまず、その分野だけでなく、関連分野の専門知識を十分に調査したか?、そして次に、これまで言われている有力な試論を闇雲に信じるのではなく、十分に精査したか?そしてそれぞれの研究者の間に横たわる微細な誤解とは何か?といった所から探って行く方法である。
そしてもしも、我々がこの方法論を利用し、アルツハイマー病に関して何か有益な手がかりを発見するならば、それは例えば、中世の錬金術師が残した奇怪な書の中に、現代の医療にとって有益な何かを発見することすら、あるのかもしれない。
※ゴードン・ラグ氏は4年前、ヴォイニッチ手稿に初めて興味を抱いた。当初、彼はそれを単なるなぞなぞ程度にしか捉えなかったが、その後、彼はその難題を複雑な諸問題を再評価する上での格好のテストモデルとなると考え、本格的な調査に乗り出した。1987年、彼はリーディング大学にて心理学の博士号を取得し、現在はキール大学において数学を教え、またコンピュータの講師を勤め、また工学や情報学を専門としたExpertSystemsという雑誌の編集を行っている。
【参考1】The Voynich Gallery(実際の画像はこちら) | ヴォイニッチ手稿の天文図 | 暗号図書館 | cardano grilles(カルダングリル・英)
【参考2】ベルゼバブの孫への話―人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判
【関連】X51.ORG : 解読不能の書 ヴォイニッチ手稿はデタラメか (1)
※ヴォイニッチ手稿に関する基礎的な参考リンクは↑からどうぞ
このプロジェクトは、ヴォイニッチ手稿の画像から、そのページに何が書かれているかを、解読・想像して、とにかくそんな事だろうなぁという物をコメント欄に書いてゆくプロ...
【関連】X51.ORG1912年、イタリアはローマにほど近いモンドラゴーネ寺院にて、アメリカの古書収集家ウィルフリード・ヴォイニッチ氏は一冊の奇妙な手稿を...
>>123
?エンコードミス、それとも自分語?。(笑)