【※注意※】以下の記事は小説「ダ・ヴィンチ・コード」の一部ネタバレを含みます。これから読む予定の方は読了後に記事を読むことをお勧めします。
【Source】レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」の絵の中に隠された人物がいるという新説が発表され、話題を呼んでいる。近年、世界的ベストセラーとなった小説「ダ・ヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン著)では、失われた聖杯とは、これまで言われていたようなキリストが最後の晩餐で用いた杯ではなく、「マグダラのマリア(イエスによって回心した売春婦)」とイエスとの血統、即ち二人の子孫を指すという新たな解釈が成された。
またこれまで聖ヨハネと解釈されていた、キリストの左側に座る女性的な外見の人物は、実際にはマグダラのマリアであり、また二人の間に作られた「V」字型の空間はイエスの血を受けた「聖杯」=マリアの子宮を意味し、即ち二人の間には子供が出来ていたことを指し示すと結論している。
そして今回、この説を裏付ける新たな発見がなされたという。提唱者のフリオ・ナポリタニ氏によれば、このマリアとキリストの「V」字型の空間にかつてダ・ヴィンチが描いた子供らしき姿が描かれていたというのである。フリオ氏は以下のように記述している。
検証:検証に使用する画像はネット上で手に入るおそらく最もクリアーな画像である(これは最後の晩餐が展示されるサンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会にて販売されている絵葉書のデジタルスキャン)。
そしてここから例の「V」字型空間を拡大し、デジタル処理した結果が次のものである。
結果:キリストとヨハネ(マリア)の間の空間に、消された人物のアウトラインが残されているのが分かる。またその人物は画中に描かれるどの人物よりも明らかに小さく、キリストの方を向いて立っている。人物は頭部、胸部と二本の腕を備えている。
また左腕がキリストのローブに添えられ、右腕は胸のあたりに位置しているが、原画の初期段階においてはその位置にキリストのローブがあったのではないかと推測される。
人物は明らかに衣服をまとっており、人間に見えるが、また犬のような耳や髭らしきものも見える。(画像上は非加工の拡大図、画像下はV字空間を強調表示した拡大図。)
結論: おそらくダ・ヴィンチはこの絵の中にまずマグダラのマリアとキリストの間に生まれた子供を描いた。しかし作画していく最中にそれを消し、マリアとキリストの間に開いた空間を残すことで、暗喩的に彼らの間に生まれた子供とその血統=聖杯を描いたと思われる。
現在、聖書において、キリストとマリアが関係を結んでいたこと、そしてその間に子供が生まれたといった記述は存在していない。しかし、マグダラのマリアを描いた「the Gospel of Mary Magdalene」においては、マリアが多くの者に「身体の堕落」を糾弾され、その結果として醜い子供が生まれたという事を描いている。
【参考1】「最後の晩餐」 | 冒涜の絵画「最後の晩餐」より
この絵をよく見てください。弟子たちは二つの峰のようにかたまりとなっています。そしてイエス様とヨハネの間だけに谷間のような亀裂があります。これはダビンチが意図的に描いたのです。ヨハネはペテロに呼ばれてペテロの方に体を傾けています。ダビンチはペテロに呼ばれる前のヨハネがどういう姿勢だったかを暗示しているのです。それはイエスの胸に寄りかかっていたのです。それをもろに書くととがめられるので、わざとそこだけ谷間を作って、ヨハネの動きを表したのだと私は思います。
謎が謎を呼んで、答えがまた謎を呼ぶ。
そもそもカスみたいな作品だったら大した解析も解釈も成されずに秘められたミステリも何も見過ごされて製作者が狙ってようとなかろうとメッセージ自体気付かれないわけだから、多くの探究心を惹き付けるダ・ヴィンチはきっと凄いんだな。
検証に使われるのが絵はがきのスキャンというのがチト悲しいな
ダビンチがこのような解釈をされることを目論んで描かれたのなら、
当時はキリストに子供がいたなんて話は常識の範疇だったのか?
キリスト教史を学んだ人には当たり前の話なの?キリストの落とし子
>>6
>当時はキリストに子供がいたなんて話は常識の範疇だったのか?
まさか。そもそもキリストは神であって人じゃないんだから。
ttp://www.ne.jp/asahi/petros/izumi/arano/arano040924.htm
>8
>>>6
>>当時はキリストに子供がいたなんて話は常識の範疇だったのか?
>まさか。そもそもキリストは神であって人じゃないんだから。
中高とキリスト教系の学校でしたが宗教学の先生がセックスしたことにはなってないけど子供を宿した。(=実はセックスしていた)
という説を授業で展開してましたよ。
真贋はともかくおもしろい授業でした。
>>8
一応宗教的にも「父と子と聖霊」という三位一体の考え方から言って、イエスは「人」なんですけどね。
まあ子供がいたかどうかは…キリスト者は否定するんでしょうね。
参考の後者の解説は笑えるな。
動きを表すには不自然な傾きとライン。
寄り掛かってたのを咎めらてるならば、ああいう解釈も出来んでも無いが。
ダヴィンチの傾向を踏まえれば・・・
自ずと答えが出てきそうなものやけどなぁ。
常識で考えて、大食漢で大酒飲みで騒ぐのが大好きな元大工が童貞なわけないよな。(笑) 旧約聖書には聖娼なんてのも出てくるくらいだし、当時はただのユダヤ教一信徒に過ぎなかったイエスがぇちやらないなんて変。
絵に関しては、イエスの隣にいるのが男だって見るほうがよっぽど無理。普通の解釈よりもこの解釈の方がよっぽど解りいいですが。
>>18
熱心な神父さんでキリストとヨハネがゲイだって分かってから飾ってた最後の晩餐を外したらしい。
宗教者はよくわからん・・
>>21
あまつさえ破り捨てたってなw
盲信・狂信なんて・・・と、無神論者の私言をば。
更に一言加えるならば、差別意識が見苦しい。
そんな部分からも、高が知れてる。
もしかしてキリストは人でマリアが宇宙人?そしてその間にかかれた子供は宇宙人と人とのあいのことか?
それで変な子が生まれて書くにかけないからけしたのだとおもわれ!
た~っくさんの不成仏霊がみえるかも?(こじつけ&錯覚)
ご家族に祟りがあったりなかったり~♪
お払いして燃やしちゃえ!!
でも、どんなに分析しても完璧な答えは出ないでしょ…
こうゆう研究者ってさ、自分でどんどん謎へはまってる感じがするなぁ。。
レオナルド・ダヴィンチは1452-1519に生きた人でしょ?
1400年近く前の出来事を書いたわけで、いくら絵の真実が見つかったとしても事実である訳では無いからね・・・。ただダヴィンチの独自の見解な訳だから。俺的にはあまり・・・・。
レオナルド・ダヴィンチは1452-1519に生きた人でしょ?
1400年近く前の出来事を書いたわけで、いくら絵の真実が見つかったとしても歴史的な事実である訳では無いからね・・・。ただダヴィンチの独自の見解な訳だから。俺的にはあまり・・・・。
>31
私もソウ思うよ。ダヴィンチだってキリストのことを
完璧に知っているわけがないのだからダヴィンチの絵にかかれているものを解析すれば真実が見えてくるってのも変じゃない?
きっと最後の晩餐がかかれていた当時も、子供がいたんじゃないのか?っていう噂がながれていて、ダヴィンチが面白がって描いたんじゃないの??でも反対されたから消したんだよ。
そもそもダヴィンチはそれほどキリスト教を熱心に信仰してないっしょ。
もしくはダヴィンチこそがイエスの子孫だったり!?
二人のあいだにいるのはダヴィンチ本人だ。
けれどダヴィンチは当時禁じられていた人体解剖をするほど
悪魔のような人だった。だからダヴィンチは二人の間にいる
赤ん坊(自分自身)を悪魔のような姿にして描いたんだ。
子供『そのパンちょうだい・・・。』
キリスト『えぇ~・・。これ大好物だから最後に食べようと思ったのにぃ~』
みたいな顔してますね・・。
僕は子供みたいなのが居るっていうから見てみたんだ。
でもどうしても子供みたいに見えない・・・。
みんな見えてるんだろうか、また僕だけ見えてないのだろうか?
よく昔からこういう絵を見せられてもまったくピンと来なかった。
周りがものの数秒で「ああ!すげー!」とか言うのを妬ましく思っていた!
お前らに見えて僕に見えないはずがない!必ず子供を見てやる!
と数十分眺めても見えないのであきらめて読み進めたら
>人間に見えるが、また犬のような耳や髭らしきものも見える。
>34
鋭い!まあ深読みの可能性大ですが、妙に感心したよ。
モナリザはダヴィンチ本人だ、みたいな話もあるもんね。
天才の考えることは量り知れんです。
オレもとある写真にPhotoshopで密かに心霊写真ネタを加えたことがある。それは結構その辺にあるので、400年くらいたったら誰か騒いでくれるかな? ( ̄ー ̄☆フフフ・・・
明らかに目とか鼻の位置おかしいし。
人体解剖までしたレオナルドさんがこんなデッサンの狂ったような絵を描くとは思えない。
私には二人いるようにみえるが。
一人は変な形してる奴で、もう一人は普通の赤ん坊にみえる。
そして横向き。目をつむっていて。丸まっている。
大きさは変な形の奴の半分くらい。
>45
贋作ではないとおもわれます。
本物の最後の晩餐は、昔は教会の食堂だったところに書かれた壁画で、(教会が焼けてしまったので)雨ざらしでずっとおなじところに残っていたものをきちんと屋根をつくって現在保管されてます。保管状況があまりに悪かったため、写真ではひどい状態ですが、現在は修復されているかと。
「最後の晩餐」の絵の中に隠された人物がいる!!
っていう話は、菊池としを作のとんでも神仏大戦漫画
「明王伝レイ」にあったな・・・
だいぶ昔に描かれてたと思ったけどアレ。
『 冒涜の絵画「最後の晩餐」』の一節
「ダビンチは今頃地獄で満足しているでしょうか」の下りがおっかねえ。
こういうタイプの宗教屋の「異端→地獄へ堕ちろ」的な思想が恐いのよ俺。
自分の信じるモノ以外は全て「認めねー」「それは糞」という姿勢。
黙殺したり、聞き流したりできんもんか。
冒涜って言われてもなぁ
イエス=キリストだってキリスト教信者以外からすりゃ「ただの人」だしな
観念的な意味合いでの神は理解できても、神という存在が本当にあると本気で信じている人間が、現代にどれだけいるもんなんだろうか?と疑問に思うな
イスラムのアレだってさ、一部のアホ狂信者が暴走しているだけで、大多数の動機は宗教じゃ無いよな
そもそも基督教とは、迷文句「父と子と精霊の~」って下りや、マリアの処女懐胎からして、元々は女性蔑視の風が強い宗教。前者には「母」や「娘」等の女性をあらわす記述はない。また、後者に於いては、妊娠にいたる過程を不浄な物と捉えたか、女性の性行為を認めていない(処女で妊娠させるって発想が、ある意味鬼畜)
しかし『冒涜の絵画「最後の晩餐」』の筆者は、ガチガチのクソ頭だわ...顔真っ赤にしてキーボードに向かってる姿が眼に浮かぶ。
キリスト?宗徒以外から見れば、ただの怪しい香具師。
>>54
まあ、宗教なんてのは時代が作っていくからな
昔はそれが当たり前の認識だったってんだから、文句のつけようも無い
まあ、それに何の疑問も抱かずに現代にまで引きずって盲信しちゃうのはイタすぎるが
ユダヤ人社会では立って食事することないんだよ。
普通は寝ながら一緒に円形の形をしながら、食事なんだよ。
残念!!!!!!!
2番目のリンクの「冒涜の絵画最後の晩餐」を見て、
余りのガチガチっぷりにドン引きしてたんですが、皆のレス見て案の定非難轟々だったので安心しますたw
ってかそのクソ宗教者の本サイト、 「荒野の声」の他の話題でトンデモな事が書かれまくってますなぁ。
> 世界の人々はロシアが弱り果てて、無力な猫のようになっていると思っています。そのようなマスコミの宣伝が欧米の主流です。しかし、ロシアの軍隊は決して解体されていません。私の友人でかつてはこの世の闇の勢力の高い地位にいたシスコ・ウイーラーさんはそのことに関して私に一連の文書をくれました。私はそれを元に一冊の本を書きそれは間もなく出版されます。シスコさんはアメリカ17代大統領ユリシーズ・グラントのひ孫に当たります。
シスコさんの文書によっても、元イギリス情報部員だったジョンコールマンさんの本によってもロシアは決してアメリカに劣らない兵力を維持しています。これまではそれこそ信じられないような忍耐によってロシア軍はアメリカの横暴を許してきました。これまでにもロシアの戦略ミサイル部隊は何度も臨戦体制を敷いています。シスコさんの文書には、まだ全く知られていない新しい兵器であるスカラー兵器の情報がありますが、それが正しければロシアはほとんど被害を受けないでアメリカを叩きのめすことが出来るでしょう。これについては私の新しい本を読んでください。
そうは言ってもアメリカが完全に壊滅するわけではありません。大都市だけがやられるでしょう。それでも数百万、数千万人の死者が出るでしょう。アメリカは今よりは弱小国になるでしょう。一方、アメリカをミサイル攻撃したロシア軍は大軍を中近東特にイスラエルに送ります。イスラエルも当然核兵器で反撃するでしょうが、シスコさんのいう新しい兵器、テスラドームによる防衛能力が本当なら、ロシア軍はほとんど被害を受けないでしょう。夢みたいな話ですがそうとしか結論できません。
>ロシアによるアメリカへの核攻撃。私はかねてからこのことを警告してきました。聖書のエゼキエル書38,39章がそれを預言しています。そして、風雲急を告げるというのはこういうことなのでしょうか。いよいよ、ロシアの怒りが爆発する様子です。冷静に眺めて見てください、アメリカに匹敵し、あるいはそれ以上の核兵器を持っているロシアが、今のアメリカのやりたい放題に静々と従って、なすすべもなく、なし崩しに東欧を奪い取られるのを見ているわけがありません。
・・・・気持ち悪すぎ
>>52
俺もそう思った。
地獄~の所で薄ら寒いものを感じたよ。
どうして宗教に凝り固まってる奴ってこうも排他的、非寛容的になるんだろうか?
だけど、「冒涜」の
>>イエスの隣にいた人物がマリヤなら、ヨハネはどこに行ったのですか。
には同意だが。どこ行ったんだ。
マリアが描きたいんだけどあからさまには描きたくない→一見すると別な奴なんだけど実はマリアって事にしよう→ヨハネって奴が女っぽい外見してるらしいからこいつにしよう
とかそういう事なのか?
子供って言われてる絵の腕が4本あるように見えるのは
俺だけですかね?
しかも線画が日本画風にも見える。
…というか、頭に被り物被ってる風に見える。
聖闘星也みたいに見えないか?
この絵に描かれているのがイエス・キリストではなく
ナザレのイエスであるならばその子供が描かれていても
別に不思議は無い。
イエスの右隣の人物は女性に見える。
キリスト教ってもんをよう知らんのだが、
「マグダラのマリア」とか、「ナザレのイエス」とか、
そんなのがいっぱいいるの?
「下町のナポレオン」とか、「俺は田舎のプレスリー」とか
みたいなもん?
[ >> LINK ]
ダヴィンチのライバルミケランジェロの最後の審判のキリストの隣にいるマリアと同じ配色の衣ですね。普通にマリアなのでは?
元の聖書にはマリアの処女懐胎という記述はない。あれはヘブライ語からラテン語に翻訳された際の翻訳ミス。もともとは「マリアは結婚していなかったが子供がいた」と書かれていたらしいが、ラテン語の概念では「結婚していない=処女」だったので、処女懐胎と訳された。
みんな一つ勘違いしてることがある。
この記事は、『最後の晩餐に隠されたダ・ヴィンチの意図?』という記事で、
決して『キリスト教云々』という記事ではない。
みんな熱くなりすぎだよ。
ダヴィンチコードはトンデモ本じゃないよ・・
フィクションだから。
薀蓄がいっぱいあるけど、ストーリー的にもすごくおもしろかった。
トンデモなのは『冒涜の絵画「最後の晩餐」』のオヤジの方ね
(>>54のレスの影響で「顔まっかっかのオヤジ」と刷り込まれてしまった)
ところで左から3番目の緑の奴の驚き方が可愛らしすぎる点については。
>>54
聖書には「女性を敬うように」見たいな事書いてあるんだけどな。
まぁ、信者集めのためににほかの宗教から十字架やら三位一体やらクリスマスやら持って来る宗教ですから。
いまさらかもしれませんが今日(3月12日)9時からどっかのテレビで最後の晩餐ネタが放映されます。なんとダビンチは竹中直人だった!というはなし。たのしみです。
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1110784869/l50
【ダヴィンチ・コード】 @2ch
そもそも当時のユダヤ人はテーブルに座って食事をしなかった。
寝そべって食卓を囲んだはずのイエスと弟子たちをテーブルに座らせ、長髪厳禁だったユダヤ人社会男子をウェービィーロングヘアに描いたダ・ヴィンチ。
彼が事前に聖書を入念に調べたとは思い難い。
割礼を施されたはずのダビデが包茎だったり美術の世界に正確さを期待するのは間違いだと思う。
誰も言わないのが不思議なのだが。
参考1のリンクの「最後の晩餐」の中には、ヨハネがキリストの胸に寄りかかっているのは、当時の常識であると書いてある。
さらに、ダ・ヴィンチ以前の最後の晩餐は、実際にそういう構図で書かれていることが(実際の絵の画像も2点ある)紹介されている。
ダ・ヴィンチの新しさは、ヨハネがキリストに寄りかかる構図にしなかったことだと。
http://images.fbrtech.com/dnew/Italy2001/Postcards/Milan1.jpg
で、三つある窓の右側の窓の上も方にでっかいアフロのおっさんがいるように見えるのはオレだけか?
ナザレのイエスは
1:ユダヤの導師であったとする。
2:ゾロアスター系の司教であったとする。
3:救世主伝承の救世主であるとする。
このどれでも、既婚であるか、子供が居るという事が前提。
故に、子供が居るのには全く違和感が無い。
しかし、キリスト圏で発言すると嫌がられる。
学会で発表しようにも、ありふれた意見で物笑いになる。
キリスト教ってのは、女には「魂が無い」し、「二つの原罪が
ある」のよ。
魂が無いのは、創世記で、アダムには息を吹き込んだが、イブ
には吹き込んでないため。
二つの原罪は、リンゴ(アンズ説のが有力)を食って、その責
任を蛇に押しつけたから。後ひとつは兄弟殺しね。
マグダラのマリアは、弟子だったが、他の弟子に「女なんて」
といわれて、「あいつは男だ」ってことにしたと、中見利男
の本に書いてあった。
旧約聖書いっぺん読んでみ。いかに言いくるめるかを熱く語っ
てあって、なかなか面白いよ。
ちなみに私はアニミズム。興味ないだろうけど。
>>84
ルネサンス期の絵画や彫刻は、ギリシャ美術を手本にしている。
ダビデ像が包茎なのも、敢えてギリシャ彫刻のほうに倣ったから。
(ギリシャ美術はきわめて写実的で、当時のギリシャ社会では
包茎は特には恥とされていなかったため、
かなりの割合で包茎のままにしてある男性の彫像がある。
ちなみに、女性の陰毛を描かないのも
中世以降のヨーロッパ裸婦図では倫理的な理由からだが、
古代では実際に、恥丘がチャームポイントで剃毛していた。)
ミケランジェロの彫刻は、他にも
ピエタ像で老婆のはずの母マリアを若い娘のような姿にしていたり、
(“Saint Virgin”マリアのイメージを損ねないため)
考証として事実を把握していても、視覚効果を狙って
わざと架空の描写を選んだりしているから、必ずしも画家たちが
入念な下調べをせず「知らずに」やった訳ではない。
遅レスですが・・・申し訳ありません
油絵は失敗した絵でも乾けば上から何度も塗ることが出来ます。
しかし長年のせいで表層の絵が剥がれて以前に描いた絵があらわれることもあるみたいですね・・・。
これはあくまで素人の私が勝手な解釈をしたものです。今更載せるのもなんですが、確か「ダ・ヴィンチ・コード」で最後の晩餐のイエス達の服装について書かれている部分があったと思います。確かにイエスとマグダラのマリア(といわれている人物)の服装の色が対称になっていますよね。アインシュタインの相対性理論のように世の中はほとんど(たぶん全て)のものが対になりますよね、そういったことから、これはダヴィンチが男性と女性を表す手法ではないかと思う。あとイエスとマグダラのマリア(といわれている人物)の間に隠れている人物これこそが描かれていないといわれたりしているヨハネではないかと思うのです。そして、その腕に抱かれているのがイエスとマグダラのマリア(といわれている人物)の子ではないかと・・・ダヴィンチが完成後これを見せたときにこれでは聖書が根底から覆される問題になりかねないため正すようにいわれやむなく子を抱いたヨハネを消しマグダラのマリア(といわれている人物)をヨハネとして残したため隙間ができたのではと思う。あとヨハネらしき人物がなぜフードのようなものを身に着けているかというと晩餐後(食事後)にマグダラのマリアとその子を安全な場所に移そうとしていたため。絵に聖杯がなぜ描かれていないのかという問題はもちろん。聖杯とは子供のことであるためで、さらに聖杯で血を受けるというのはイエスの血はすなわちイエスの子であり、永遠の命が授かる(病が直る等)とはという解釈はその後も生きながらえたということではないでしょうか。あと三位一体とは最初はイエス、マグダラのマリア、子供、すなわち家族という意味合いなのでは・・・。以上が私の一つの意見です。冒頭でも述べたようにあくまで素人の勝手な解釈です。そして最後まで読んでいただいたかた長々とありがとうございます。意見等があればいってくだされば結構です。
92のものです。92は勢いで書いたので少し訂正等をを加えたものです。
あとこれはあくまで素人の私が勝手な解釈をしたものです。
今更載ですが、確か「ダ・ヴィンチ・コード」で最後の晩餐のイエス達の服装について書かれている部分があったと思います。確かにイエスとマグダラのマリア(といわれている人物)の服装の色が対称になっていますよね。アインシュタインの相対性理論のように世の中はほとんど(たぶん全て)のものが対になりますよね、そういったことから、これはダヴィンチが男性と女性(夫婦)を表す手法ではないかと思う。あとイエスとマグダラのマリア(といわれている人物)の間に隠れている人物これこそが描かれていないといわれたりしているヨハネではないかと思うのです。そして、その腕に抱かれているのがイエスとマグダラのマリア(といわれている人物)の子ではないかと・・・ダヴィンチが完成後これを見せたときにこれでは聖書の内容(解釈等も)が根底から覆される問題になりかねないため正すようにいわれやむなく子を抱いたヨハネを消しマグダラのマリア(といわれている人物)をヨハネとして残したため隙間ができたのではと思う。あとヨハネらしき人物がなぜフードのようなものを身に着けているかというと晩餐後(食事後)にマグダラのマリアとその子を安全な場所に移そうとしていたため。(ヨハネはそれだけの信頼は得ていたと思います。)絵に聖杯がなぜ描かれていないのかという問題はもちろん。聖杯とは子供のことであるためで、さらに聖杯で血を受けるというのはイエスの血はすなわちイエスの子であり、永遠の命が授かる(病が直る等)とはという解釈はその後も生きながらえたということではないでしょうか。あと三位一体とは最初はイエス、マグダラのマリア、子供、すなわち家族という意味合いなのでは・・・。イエスも言っているように全ての人が平等(平和)であるべきということも絡んでいます。今では政治やその時代時代や人々の都合、あるいは信者を増やすために解釈が捻じ曲げられ今の聖書になったのではないでしょうか。以上が私の一つの意見です。冒頭でも述べたようにあくまで素人の勝手な解釈です。最後まで読んでいただいたかた長々とありがとうございます。意見等があればいってくだされば結構です。