【DW-World】人類最古の天文盤として知られ、しかし、これまで長い間その役目が謎とされてきたネーブラ天文盤が、この度、ドイツの研究団によってついに解読されたとのこと。ネーブラ天文盤は今からおよそ3600年前に作られたもので、2002年ドイツで公開された際には、考古学会に一大センセーションを巻き起こした。そしてこれまで、その役割を巡って様々な議論が続けられたが、今回、ついにその全貌が明らかになったのである。発表を行ったドイツの研究団によれば、ネーブラ天文盤(ネブラ天文盤)は、太陽暦、そして太陰暦を組み合わせる、青銅器時代としては極めて複雑な天文学時計であると結論したという。「これはネーブラ天文盤の意味と機能を明らかにする明快な結論だと思います。」研究を行った考古学者のハラルド・メラー博士はそう語っている。
太陽の位置から日時を求める太陽暦とは異なり、太陰暦は月の位相によって日時が計算される。また太陰年は12ヶ月の朔望月(29.5306日)を基準とするため、太陽暦よりも約11日少ない354日で一カ年となる。そしてメラー博士によれば、ネーブラ天文盤は、太陰暦によって生ずる閏月、即ち13ヶ月目をいつに合わせるべきかを予測し、太陰暦と季節を同期させるために用いられていた可能性が極めて高いと結論したという。「この天文盤の機能は、当時でも極僅かな人々にしか知られていなかったと考えられます。」
ネーブラ天文盤は、青銅で作られた円盤の上に、金の装飾で太陽と月、星が示されており、これは今日知られる最も古い天文学図であるとも言われる。また月の斜め上に添えられた七つの星の集合は、おそらく今から3600年前に見られたプレデアス星団と考えられるという。今回明らかにされた天文盤の役割は、青銅器時代の人々がどれほどの天文学的知識と技術を有していたかを研究する上で、大きな手がかりとなりうる。その時代、人々は農業の時期、そして時間という概念について、高度な知識を有していたことは、大きな驚きであるとメラー博士は語っている。「最も驚くべきことは、青銅器時代の人々が太陽暦と太陰暦を組み合わせて使っていたという事実に他なりません。これは我々も予想だにしませんでした。」
Rurh大学の天文学者ウォルフハード・シュロッサー博士は、青銅器時代の人々が、それから千年後にあたるバビロンの人々が知り得た知識を、既に得ていた、として次のように語っている。「これが彼等自身(青銅器時代の人々)によって為された発見なのか、あるいはそれよりも更に古代から伝えられた知識であるのか、その点が未だ明かではありません。」
ネーブラ天文盤の発見以来、研究者らの興味を最も強く惹きつけたのは、何よりもそこに描かれた月の形状であったという。「まずネーブラ天文盤に描かれた月の厚さについて研究をしました。何故ならば、月は新月の形ではなかったからです。」ハンブルグの天文学者ラルフ・ハンセン博士は語る。ラルフ氏は、月が新月から4、5日目の状態で描かれているという点に着目し、それを解読すべく6、7世紀頃に書かれたバビロンのムル・アピン星表を当たったという。氏によれば、くさび型文字で書かれたそれらの表には、”最古の天文学知識”が記されていると言われており、また星表の中には、三日月の計算法も記され、それはネーブラ天文盤のものと著しく類似していたと語っている。
青銅器時代の天文学者らは、ネーブラ天文盤を空にかざし、天体の位置を観測した。そして天文盤の位置に描かれた図が、天体の位置と符号するそのときに、閏月が適用されたわけである。これは2年から3年の周期で発生した。
しかしまた、研究団によれば、天文盤は約400年以上に及んで使われる中で、 徐々に変更が加えられていたことも明らかになったという。特に縁部に見られる穴と、船に似た形の図形は、後に加えられたものと考えられ、それは400年の間で、太陰暦の日数計算に関する知識が徐々に失われていったことを意味しているという。「そうして最後には、ネーブラ天文盤は意味不明の物体になりはてていたわけです。」
ネーブラ天文盤は1999年、二人の盗掘者によって発見された。しかし2002年、ようやく当局によってギリシャで回収され、今日に至っている。
【参考】先史時代の天文盤 ナショナル ジオグラフィック
- 「ネブラの天文盤」続報 / 天文民俗学のページ
- メソポタミアの天文の歴史と日食/月食の記録
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