【GR/etc】1978年、ボニーMというグループが"ララララスプーチン〜女王の恋人〜ロシアの偉大なラブマシーン〜"と歌って大ヒットさせた「怪僧ラスプーチン」こと、グリゴリー・ラスプーチンという人物をご存知だろうか。ロシア国内ではグリゴリー神父と呼ばれるこの人物はかつて、シベリアの農家から身を起こし、その特異な才能を生かして上流階級の中に巧みに取り入り、時の皇帝ニコライ二世の息子アレクセイの血友病を治癒したことで、皇帝の家族から絶大な信頼を得た男である。またラスプーチンにはその壮絶な死に様を始めとして、数々の伝説めいた逸話を残す怪僧として知られている。ラスプーチン生誕から135周年を迎え、1916年の死からもう少しで一世紀が経とうとしているこの冬、サンクトペテルブルグの政治歴史博物館にてラスプーチンの死の謎にせまる記念展示が行われている。今回の展示にて最も注目を集めるのは1916年当時に撮影され、その後警察によって編集されたラスプーチン暗殺時の調査写真である。写真はユスポフ宮殿内の地下室、即ちラスプーチンの暗殺が"開始"された部屋から始まり、その後ラスプーチンが暗殺者から逃走する経路に沿って写真は続いている。地下室から中庭へと逃げたラスプーチンはその時、青酸カリの猛毒ワインを飲まされ、更にその身体には弾丸11発が打ち込まれていたという。しかし、怪僧ラスプーチンはそれでも逃げ続けた。「黒い悪魔」と呼ばれたその男は、その程度では決して死ななかったのである。
現在、公式の記録として残っているラスプーチンの暗殺日は1916年12月17日、暗殺は反ラスプーチン派の皇太子フェリックス・ユスポフ.Jrと王子ドミトリ・ロマノフによって計画され、「ブラック・ハンドレッズ」なる集団によって実行されたと記録されている。彼らはロマノフ王朝へのラスプーチンの影響力が日に日に強まるのを懸念したのである。後のユスポフの供述によれば、その日、ユスポフは彼の妻で美人として有名であったイリナと会って欲しいという名目で「黒い悪魔」(ユスポフはラスプーチンをそう表現した)を自宅宮殿に呼び出し、暗殺を実行したと語っている。ラスプーチンは逸話が多く、伝えられるその人格も多様であるため、つかみ所がないが、無類の女好きであったという点に関しては間違いがなかったようである。
そしてその深夜、ユスポフの家に現れたラスプーチンはまず青酸カリ入りワインを飲まされたのである。青酸カリといえば、人間ならまず即、死に至る猛毒中の猛毒である。しかし、そのような毒ワインにラスプーチンは平然としていたのだ。驚愕したユスポフは慌てて銃を取り出し、ラスプーチンを立て続けに銃撃した。しかし、それでもなお、恐るべき怪僧ラスプーチンは席から飛び上がるなり中庭へと逃げ出したのである。しかし、その後間もなくして庭の中で捕らえられたラスプーチンは、身体をぐるぐるに縛られ、真冬の凍てつくネヴァ川へと放り込まれ、そこでようやく絶命したという。しかしまた、ある事件の目撃者によれば、ラスプーチンはそれでも尚死ななかったという。彼はネヴァ川から泳いで脱出し、そこでようやく凍死したいう説もあるのだ。(X51注:打ち込まれた弾丸の数は4発から11発、また庭で捕らえられてから頭を砕かれて殺されてから川に放り込まれたというように諸説がある。)
博物館キュレーター兼歴史家のアレクサンダー・カルミコフ氏は、今回の展示ではこれまでの研究の成果以上のものはなく、実際にユスポフ家の背後に誰がいたのか、そして何故ラスプーチンが暗殺されたのかという事について特に新しい発見はないと語っている。
「私が今回展示出来たのは、数ある試論の中でもまだいくらか正当性の高いものだけです。今回展示されている内容は広く知られており、これが史実通りであったというのが大凡の見解である事は間違いがありません。しかし、個人的な見解として言わせていただけば、この話が本当であったかどうか、私にはどうしても納得がいかないのです。直接の死因にしても、凍死、あるいは出血多量、溺死、様々な説があるくらいですから。」
またカルミコフ氏他、今回の展示に尽力したキュレーター達は今回の展示の為に凡そ10年を費やして研究、情報の収集に努め、ようやく展示にこぎ着けたと言う。「我々がとにかく注目したのは、ラスプーチンの最後の一日です。ラスプーチンの暗殺の謎を解き明かす事で、ロシアの歴史の中で彼が残した影響というものは一体どんなものだったのかを明らかにしたかった訳です。」カルミコフ氏は語った。
またカルミコフ氏によれば、ラスプーチンの影響力はその死後もしばらく続いたという。「彼の遺体Tsarskoye Seloに埋葬されたとき、数百人以上の崇拝者が彼の死を惜しんで墓地に集まったそうです。余りにも人が集まるので、当局はすぐに遺体を再び掘り返して火葬せざるを得なかったようです。」
今回の展示では、1916年のその日、ユスポフ家にてラスプーチンがその暗殺者と共にワインを飲んでいる姿が再現されている。またユスポフ、そしてその他のパーティ参加者の席順は当時の警察の事件調書を忠実に再現しているものである。今回の展示にラスプーチン暗殺に関する新たな情報は少ないが、しかし、その謎の多い死を改めて検証する上で、有益な資料と成り得るだろう。
「あのボニーMのお陰で"怪僧ラスプーチン"は多くの人にその名を知られていますが、それが一体誰の事を歌っているのか知る人は少ないでしょうし、だいたい、そもそもロシアにはこれまで女王なんていないんです。」今回の展示に平行し、ラスプーチン・ツアーを企画したピーター・コジレフ氏は語った。
コジレフ氏は今回のツアー企画にあたり、これまで余り取り上げられる事のなかったラスプーチンの神話的な部分を多く取り入れ、ラスプーチンがいかにして皇后に取り入ったか、いかにしてラスプーチンが王室内で権力を手にしたかといった部分に光を当て、そのツアーをより魅力的なものにしている。ツアーではラスプーチンが最後に住んでいたと言われる屋敷、また暗殺現場などを訪れるという。
また、今回の展示期間中、まるでラスプーチンの魔力を知らしめるかのように、いくつかの奇妙な出来事も起こったと話している。ラスプーチンが殺害された部屋が再現されている13号展示室で、展示中、突如電気が明滅を繰り返す現象が発生したり、ユスポフの人形が座っていた席からラスプーチンの側の席に移動するといった不可解な現象が発生したのである。
「訳が分かりませんね。この13号展示室は他の展示室と何も変わるところはありません。一体どうなってるやら。」警備員は語った。
【参考】ユスーポフ宮殿 | 怪しい話-278:怪僧 | 歴史のお部屋:ラスプーチン
アナスタシア |ニュースな史点 : プーチンさんの本来の姓は…? より
なんとロシアの次期大統領(たぶん大丈夫だろう)プーチン氏の先祖の姓は実は「ラスプーチン」だったというのである! なんか冗談のような話だが、ロシアの週刊紙「文学新聞」が報じたものだそうだ。1920年代にプーチン氏の祖父であるスピリドンさんはモスクワ近郊に移住してきたが、この時彼の姓は「ラスプーチン」だったという。この姓自体はありふれたものだそうだが、なんといってもロシア史上の有名人にこの名前がいる。そう、ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世夫妻の絶大な信頼を得て宮廷に出入りし、しまいにはロシア帝国を滅亡に追いやった(?)とまで言われちゃってる怪僧ラスプーチンのことだ。
【AMAZON】ラスプーチン暗殺秘録 | アナスタシア―消えた皇女
【付記】ラスプーチンの死後間もない1918年3月、革命によりロマノフ王朝は崩壊。公式の記録では1918年7月16日にはニコライ2世、皇太子アレクセイを含むロマノフ皇族一家11人が地下室にて処刑されたと伝えられているが、その後、処刑現場、処刑記録から様々な不審点が見つかっている。一説には皇族の一部は処刑を免れ、ドイツに亡命したという逸話もある。特にニコライ2世の末娘アナスタシアに関してはその後、自分の事をアナスタシアだと名のる女性が現れ話題を呼んでいる。女性は地下室に連れられた後、そこでチャイコフスキーという兵士に助けられてドイツへと亡命を果たしたと話しており、またそれらしい証拠も多数発見された為、本物なのでは、と話題を呼んだが結局は偽物だとされている(この裁判にも様々な不審点がある)。また1989年には映画監督のゲイリー・リヤボフ氏がスベルドロフスクにてロマノフ王家の11体の遺骨を地中から発見したというニュースも報じられるなど、今日なお、ロマノフ王家にまつわる逸話はつきない。
青酸カリウムや青酸ナトリウムは保存状態が悪いと空気中の二酸化炭素と結合して無毒の炭酸カリウムや炭酸ソーダになってしまいます。あるいは、ワインがシャンパンだったとしたら、、、
青酸カリが効かなかったのは上でも述べられているように、
恐らく劣化してしまっていて効力が失せていた為だと思われる。
定説(供述書及び回想録などによる)はユスポフが背中から拳銃
で撃ったが死んだかどうか確かめていると突然目を見開いた。
階上に待機していた共犯者の議員プリシュケービチ(黒百人組=
反動的な政治団体の一員)が来てみると、ラスプーチンは逃げ失
せていた。急いで後を追いよろめきながら庭を逃走する姿に向か
って数発打ち込む。そこへ通りかかった2名の兵士に向かって、
「遂にラスプーチンを仕留めたぞ!」と叫び、その兵士らに手伝
わせてネヴァ川に投げ込んだ。
なお、上の解説文中「ロシアにはこれまで女王なんていないんで
す」は全くの誤りである。ロシア(ロマノフ朝)には有名なエカ
テリーナ2世、エリザヴェータなど女帝が多い。
女帝=Empress、女王=Queenって言う意味で、Queenはいない、っていう意味じゃないかね。
ソースにも確かに"the fact that Russia never had a queen"ってあるし。
まあわからんけど。
ナル程、ボニーMの歌詞の批判とするとその通りか‥‥。
まずロシアにqueenは確かにいない。ラスプーチンを支持していた
のは皇后であって「女王」では無かった。
なおもうひとつ。
1994年「アナスタシア」を名乗っていた女性の臓器標本、血
液標本が現存していたので、これをDNA鑑定した処、ロマノフ
家とは全く異なるDNAであった事が判明した。
では彼女は誰だったのかと云えば、フランツィスカ・シャンツコ
ウスキー(と反対派は前から云っていたのだが)。フランツィス
カの甥と姪のDNAとの比較による。
従って「アナスタシア」はアナスタシアでは無かった事が明確と
なったが、他方、エカテリンブルクの皇帝一家屍体遺棄現場の発
掘では家族のうち2体の遺体が足りない。
どうでもいいことかもしれませんが、私が読んだ本では
少し内容が異なっていて、暗殺時に毒ワインと一緒に毒ケーキも用意していたそうです。
毒ケーキと毒ワインを口にしても死ななかった(体調は少し崩した)
ので様子が変だと思ったユスポフが毒ケーキの一つをネズミに食わせてみたところ
たちどころに死んだ、との内容がありました。
ですから、毒は劣化はしてなかったと思います。
もちろん致死量がネズミと人間では違いすぎる、とか
その本に脚色が入っているとかも考えられるので
なんともいえませんが。
一昨年から更新が止まっているね?
ラスプーチン・・・何だか最近の有名人に怪しいのが出てきてる、「私は250歳まで生きる」「私には菩薩様がついてる」とか・・公のテレビでそんな事やって良いのだろうか、どう見ても霊感商法にしか見えんが・・