【asbach/etc】19世紀最大のミステリーのひとつと言われる謎の少年カスパー・ハウザー。十数年間にわたり、地下室で孤独に育てられたというその少年は、保護されたとき、言葉も知らず、そして歩くこともできなかった。時は1828年5月26日、ドイツはニュルンベルクでの出来事である。祝日だったその日、町の広場に人は少なかった。地元で靴屋を営むジョルゲ・アイヒマンは広場の片隅にたたずむ、奇妙な少年を発見した。少年は小汚い格好で、手には何かが書かれた手紙を持っていた。少年はどことなく普通でない様子で、何かに怯えたような様子だった。ジョルゲは不審に思って少年に話しかけると、少年はほとんど全く言葉を知らない様子だった。ジョルゲの様々な質問に対し、少年はただ「ヴァイス・ニヒト(ワカラナイ)」とだけ機械的に応答するのだった。
そしてジョルゲがふと足下を見ると、少年は足に怪我を負っていたことに気がついた。靴から血が滲んでいたのである。ジョルゲはかがんで少年の靴を脱がせ、透き通るような青白い足を眺めた。すると少年のまだ幼い足にはたくさんの水ぶくれが出来ているのに気づいた。また通常、人間の膝裏は折り曲げるためにくぼみになっているが、少年の足はまるで、これまで一度も足を曲げた事がないようにピンとまっすぐ伸び、むしろ反対側へとわずかに湾曲しているようにすら見えた。
ジョルゲはいよいよ不審に思った。この少年は、これまで一度も外を、いや、そもそも"歩いた"事さえないかのではないか。
そして少年は手に持っていた2通の手紙をジョルゲに手渡した。その宛先は軍隊で、一通は第四騎兵隊長へ、そしてもう一通は第六騎兵連隊へと当てたものだった。ジョルゲはとりあえずその手紙を手掛かりに、第四騎兵隊長であるヴェセニヒの元へと少年を連れて行くことにしたのである。
しかし、そこでの少年の行動はまた彼らを困惑させるものだった。少年はまるで、それまで火というものを見たことがないかのようにロウソクの火に触れようとしたり、部屋の隅に置かれていた古時計を異常に怖がったりした。また少年は食べ物を与えられたが、パンと水以外は一切口にすることはなかった。それ以外の食べ物は食べてもすぐに吐き戻してしまうのである。そこでひとまずジョルゲたちは手紙を調べることにした。しかし、その手紙もまた、一層彼らを困惑させる謎めいたものだったのである。
1通目:「隊長殿へ 閣下の軍隊を志望する若者を隊長殿のもとへ送ります。この子は1812年10月7日に私の元に来ました。この子の母親は私にその養育を頼んできたのですが、しかし、私には他に子供もおり、育てる余裕がありません。また、私はこの子を一度も家の外に出したことがありませんでした。」
2通目:「(この手紙が1通目と同一人物によるものなのかは定かではない。)この子供は洗礼を受けています。名前はカスパー。あなたがこの子に姓を与えてください。この子の父親は騎兵でした。彼が17になったら、ニュルンベルクの第六騎兵隊に参加させてください。それはこの子の父親がいた部隊です。この子は1812年4月30日に生まれました。私は貧乏で、この子の面倒を見ることができません。この子の父親は既に亡くなっています。」
一体誰がこの手紙を書いたのだろうか。彼らは首をかしげたが、1通目はおそらく、最近まで少年の世話をしていた人物、そして2通目が少年の実の親によって書かれた物である事はほぼ間違いがないようだった。
ほとんどお手上げとなった彼らはひとまず少年に様々な事を尋ねてみることにした。どこから来たのか?君の名前は?年齢は?お父さんは?好きな食べ物は?・・・・。しかし少年は全く彼らの言葉を解せない様子で、ただ機械的に「ワカラナイ」と答えるだけだった。それはまるで、彼が誰かに教えられた、唯一の言葉であるかのようだった。彼はおそらく「ワカラナイ」の意味さえ、分からなかったのだろう。そこでヴェセニヒはひとまず、少年に紙を与えてみた。ひょっとしたら筆談なら出来るのではないかと考えたのである。とにかく何でもいい、コミュニケーションを取らなければならない。すると驚くべきことに、少年は紙とペンを受け取ると、嬉しそうな様子で、何かを書き始めたのだった。
少年が書いた文字は「カスパー」そして「ハウザー」。
それ以来、この不思議な少年は「カスパー・ハウザー」という名で知られるようになった。
それからしばらく、カスパーは引き取り手もないまま、警察が犯罪者を収容する目的で作られた小さな塔の中で暮らすことになった。部屋には小さな窓が取り付けられており、その窓は公衆に面していたため、その窓の下には、さっそく話題となった少年を見に、たくさんの見物客が訪れた。しかしカスパーは部屋の中でほとんど動くことはなく、また毎日絶え間なく訪ずれる見物客にもカスパーは、ほとんど気に留めていない様子だった。
やがて、ある一人の見物客がカスパーの部屋に向かって馬のおもちゃを放り投げた。カスパーはその馬の人形を見るなり、「ROSS!」と叫んだ。それから後に明らかになることだが、カスパーはその時、決して馬を識別した訳ではなく、彼は猫も犬も、四本足の動物は全て"ROSS(馬) "と呼んでいたという。そして友達を得たカスパーは毎日その人形と飽きることなく遊び続けた。食事の時間には必ずその人形にも餌を与え、まるで人形に命が無いことを知らないかのような素振りだった。(これもまた後日明らかになったことだが、人間社会に慣れるまでのしばらくの間、カスパーは生物と物の違いが分からなかったということである)。
そしてその後、カスパーの特異な性質は次々と明らかになる。まず、コーヒーやビールといったものに対し、異常なまでの拒否反応を示した。それらが部屋に運び込まれただけでカスパーは気分が悪くなってしまうのである。ワインにいたってはその匂いだけで酔ってしまうほど敏感だったという。また鼻だけでなく、その目も明らかに普通の人間とは違っていた。彼は暗闇の中で完全に物を見ることができたのだ。彼は真っ暗な中で聖書を読むという実験を成功させ、見事その能力が本物であることを実証したという。
またその耳も恐ろしく敏感で、隣の部屋で囁く声を聞き分ける事ができた。
また1832年、カスパーを調査したアンセルム・ヴォン・フォイエルバッハという法律家は以下のように記している。(X51注:氏の調査記録はそのまま書籍「カスパー・ハウザー」として、今でも読むことが出来る)
「まず、彼にとっては夜も昼も、そして暗闇も関係ない。したがって暗闇でも決して怯えることなく、歩くことができる。あるいはむしろ、暗闇を好むような傾向さえある。彼は暗闇にいるとき、光を向けられると拒むような態度を示すのである。そのため、暗い家の中を歩いている人が階段で手すりに掴まってゆっくり歩いているのを見て、笑うこともあった。何故そんな風にしなければならないのか、彼には理解できないからだろう。また明るい時間よりも夕暮れ時に最も目が冴えるようである。事実、日没後でも遠くの家の数を数えることさえできた。しかし、昼間はそうした能力も全く衰え、遠くを見ることは困難なようだった。一度ははるか遠くのクモの巣にかかる蚊を指差したことさえあった。
それから後、カスパーの元を次々と学者や著名人が訪れた。中でも彼に格別の興味を示したダウマー教授は、ほぼ毎日に渡って彼の元を訪れ、物心が付き始めたカスパーの人生最初の教師になっていたようである。また当時の市長もカスパーについては特別処置を取り、熱心に彼の成長を記録し続けたという。こうして周囲の善意か、あるいは好奇心に支えられ、カスパーがニュルンベルクに現れてから数ヶ月が過ぎた頃、彼はまるで別人のように成長していた。カスパーの知能はその年齢の通常の人並みに達し、言葉を流暢に喋るようになっていたのである。それはまるで、新しい言葉を次々に「覚える」というよりは遠い昔に知っていた言葉を「思いして」いるような凄まじい吸収ぶりだったという。
またカスパーはハサミやペンといったものの使い方をすぐに覚え、初めはずいぶんとぎこちなかった振る舞いも次第に洗練されると、顔つきも初めの頃と比べて随分と高貴なものへと変化していったのである。そして、ある奇妙な噂が流れ出したのはそのころからである。彼の外見が貴族のバーデン公と驚くほど似ているという噂が流れ始めたのだ。
(写真・中は少年が拾われた時の姿を描いたもの。上の写真と比べずいぶんと粗野な顔付きである事が分かる。写真・下はヴェルナー・ヘルツォークにより映画化されたときのもの)
言葉が流暢になったカスパーは、周囲の勧めもあって、まず回顧録を著わすことに着手した。そして彼の書いた「まだ幼い、しかしとても覚え立てとは思えない」言葉で書かれたその文章にはおおよそ次のような彼の生い立ちが記されていた。彼が16歳で表に出るまで暮らしていた場所は奥行き2㍍、幅1㍍。窓はなく、立ち上がることができないほど天井が低かった。彼はその場所を「オリ」と呼んでいた。また床は汚れていて、寝床代わりに干し草だけがつまれていた。毎朝目を覚ますと、決まって床にパンと水が置かれていた。しかし彼はそれが誰かの行いではなく、自然のことだと思い込んでいた。それもそのはず、その部屋にいた十数年の間、彼と外部との接触は皆無、人間としゃべることは決してなかった。そしてもちろん、カスパーには世間も友達もなく、その暗く四角い部屋だけが彼にとっての、全世界だったのである。
つまり、彼は自分が閉じ込められているという認識すらなかったのだろう。その部屋には、"外の世界"を想像するきっかけさえ、なかったに違いないからである。またカスパーの記述に従えば、時々、水が苦く感じる事があり、その後は決まって深い眠りに落ちた。そして目を覚ますと髪の毛や爪、衣服が綺麗になっていたとされているが、それは無論、睡眠薬であったと考えられる。そんなある日、カスパーの部屋に突然男が現れ、カスパーに2つの単語を教えた。それは「わからない」そして「軍隊」というものだった。さらに男は「カスパー・ハウザー」という名の書き方を教えると、カスパーは馬に乗せられ、ニュルンベルクの公園へと連れられた。そしてその日、少年はジョルゲオに拾われたのである。
それからというもの、カスパーは一躍有名人になった。彼はその物珍しい存在感で社交界の貴族たちに愛され、その子供のような純粋さで、天使のような少年として、様々な場所に呼ばれる身分となった。多くの人々は彼のことをその秘密めいた出生から面白がり、一部の者たちは少年のことを悪魔の落とし子として恐れすらしたという。いずれにせよ、彼の存在は退屈な田舎町であるニュルンベルクに、一抹の話題をもたらしたことは事実なようでである。一部の者たちはかたくなに反論したが、市はいよいよ税金の中から少年の生活費を捻出することに決めたのである。
さらに市では少年の出生の秘密を探るために懸賞金をかけて情報を募った。カスパー自身の話では、彼がニュルンベルクに連れてこられるまでは大体、馬で1日という距離であったため、カスパーが閉じ込められていた地下室はおそらく町のすぐそばなのではないかと推測された。そして、そうした手がかりを元に市では様々な場所を探索したが、結局、その地下室が発見されることはなかった。そしてそれから間もなくして、カスパーがいよいよ塔を出て市民として暮らすことが決まると、ダウマー教授が彼の里親として名乗りをあげた。ダウマーはカスパーの磁力や金属に対する能力に興味を持っていたからである。そしてダウマーの元に預けられたカスパーは、そこで人生の最も輝かしい時期を送ることになった。
しかしまた、そのころから、またあの噂が再浮上しはじめたのであるカスパーの容姿が当時の貴族バーデン公にそっくりなことから、カスパーは王室の血族なのではないかという噂されたのだ。そして噂が広まるにつれ、様々な憶測が飛び交うようになった。それはカスパーはもともと王の後継者であったが、何らかの理由により隔離され、地下室に幽閉されたといったものである。しかし事実、そうした噂を裏付けるようにカスパーが生まれたころ、王室で子供二人がいなくなるという騒ぎがあった。またかつての身元引受人であったフォイエルバッハはカスパーが王族の末裔であるという噂を信じて疑わず、調査を進めてそうした噂を真実のものとする公文書まで書き上げたが、無論、バーデン公や王族はそのような噂を快く思うはずもない。彼らはフォイエルバッハに対して訴訟をちらつかせ、そうした噂をすぐにかき消したのである。
そんな騒ぎをよそに、カスパーはダウマーの元で幸せな日々を送っていたが、変化は突然訪れた。ニュルンベルクで拾われた日から17ヶ月が過ぎようとしていた1829年10月17日のことである。ダウマーの家の中で、カスパーがシャツをビリビリに破かれ、頭から血を流して倒れている姿で発見されたのだ。
何とか一命を取り留めたカスパーは、ダウマーに事件のいきさつを話した。カスパーの話によれば、覆面をつけた男が突然現れ、ナイフか棍棒のようなもので殴られたというのである。そして事件を受けた市ではカスパーに特別に24時間態勢で警護をつけることにした。町の多くの人々はそうした市の計らいを妥当なものだと考えていたが、一部では既にカスパーに対する猜疑心が広まりつつあったのも事実である。カスパーは既に失われはじめた自分への注目を取り戻すため、自作自演でそうした暗殺未遂劇をでっちあげたのではないかという噂が流れ始めたのである。
しばらくして、英国のスタンホープ卿という男がカスパーに興味を示した。スタンホープはカスパーが王室の末裔であるという噂に注目していたのだ。しかし、そんなスタンホープの思惑を知らずに、すっかり彼の事を気に入ったカスパーは、その後しばらくの間スタンホープと共に過ごすことになった。だが、そのような関係もおよそ長くは続かなかった。スタンホープはすぐにカスパーに嫌気が指した。カスパーはそのころから徐々に利己的に、そして傲慢に振る舞うようになってしまったと伝えられている。
カスパーがうっとうしくなったスタンホープは、カスパーを友人であるメイヤーという博士のもとに住まわせることにした。メイヤーの家はニュルンベルクから遠く離れたアンスバッハという町にあり、そこでヒッケルという名の護衛をつけたのだ。
しかし、カスパーはヒッケル、そして、そこでの生活を激しく嫌がってはニュルンベルクでのダウマー教授との華々しい日々を思い、たびたび涙を流していたという。
クリスマスを目前にした1833年12月14日、運命の日は訪れた。その日、カスパーはメイヤー博士のリビングルームで多量の血を流して倒れているのが発見された。駆けつけたヒッケルに対し、カスパーは朦朧とする意識の中でこう呟いたという。
「男が…刺した…ナイフ…公園で…財布を……すぐに行け…」
カスパーは右胸を刺されており、ナイフはおそらく肺と肝臓を貫く重傷だった。途切れ途切れのカスパーの話は以下のようなことだった。
その日、彼はある男に面白い話があるから、と公園に呼び出された(護衛なしでと言われたかどうかは定かではない)。そして公園に向かったところ、黒づくめの男が現れ、「カスパー・ハウザーか?」と訪ねた。
そしてカスパーがうなづくと男はカスパーに財布を手渡し、それと同時にいきなりナイフでカスパーを突き刺したということだった。
その後警察がすぐにカスパーが刺された公園に向かうと、そこには「逆書き」でメッセージが書かれた財布が落ちていたのだ。
(注:「逆書き」とは犯行声明などの際にあえて利き手とは逆の手で書く事で筆跡を崩し、筆跡からの犯人特定を鈍らせる方法である)
その財布にはこう書かれていた。
「カスパー・ハウザーは俺がどんな顔で、どこから来たか、そして誰なのか知ってるはずだ。あるいは、奴に聞く前に俺が誰だか教えてやろう。俺はバヴァリア国境の、川の側から来た男だ。俺の名はM・L・Oとだけ言っておく。」
しかし、カスパーの護衛を努めていたヒッケルは、さらに奇妙な事実に気がついた。その日は雪だったが、そこには不思議と1人分の足跡しか残されていなかったのである。そしてヒッケルは推測した。おそらく事件はカスパー自身の狂言による自傷なのではないか。そして軽く刺すつもりが誤って深く刺し過ぎたのではないか。結局、カスパーはそれから3日後に死亡した。享年21歳の、彼の最後の言葉は「自分でやったんじゃない」というものだったという。
不思議なことに、カスパーの死因はほとんど調査されることがなかった。そのため、カスパーがなぜ、そして誰に殺されたのか - あるいは何故、自殺したのか - その出生とともに真相は今日も謎のままである。しかし、こんな推測もある。最初の暗殺未遂事件が起こった時、カスパーはその直前にちょうど回顧録を出版したが、売れ行きは決して芳しくなかった。そして2度目の事件が起こった時はカスパーへの世間からの注目が著しく落ちている時に起こった。つまり、全てが彼の自演だったとする推測である。
ある日突然闇の中から現れ、一時は「ヨーロッパの子」とまで呼ばれて世間を賑わしたカスパー・ハウザー。彼は、謎の存在として現れ、謎の存在のまま、再び闇の中へと消えた。歩くことすらままならなかった少年はいったい、どこから来たのか、そして一体、何者だったのだろうか。彼は生前のある日、彼が生涯最も信頼を寄せた、ダウマー教授と美しい見晴らしの丘に出かけ、大喜びした後に、こう語ったという。
「私はあの地下牢から出てこなければ良かった。あの男(カスパーを地下牢から連れ出した男)はどうして私を外へ連れ出したりしたんでしょう。あそこにいさえすれば、何も知る必要もなければ、何も感じる必要もなかった。もう子供ではないという苦しみ、そしてこんなに遅くなって世の中にやってきたという苦しみも、経験しないですんだろうに・・・・。」
【参考1】発達を考える(野生児から学ぶ) | Feral Children [en]
【参考2】カスパー・ハウザーの謎より
「カスパー・ハウザー」とは、人間との没交渉のためにおこる精神障害の術語であり、いわゆる「ひきこもり」の代名詞として一般的にも使われることもある。
【参考3】カスパー・ハウザーA.フォイエルバッハの研究報告
カスパー・ハウザーの謎:ヴェルナー・ヘルツォーク監督
カスパール・ハウザーといえば、やっぱりこのイメージ(→ (*´3`*)らびゅーをクリック)
真実はこっちの肖像画の方が近いのかもだけど・・・。
ここトラックバックできないんだね _| ̄|○ ガクーリ
ドジりました。_| ̄|○ ガクーリ
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コメントだと「by だれだれ」となって
トラックバックだと「from どこそこ」となるんですね。
by (*´3`*)らびゅー
人生はおいといて、その能力が気になる。目が見えない人は他の感覚が鋭くなるというが、この場合は限られた情報の中で暮らしていたからだろうか?
単に記憶喪失だっただけなのかもね、
んで、しばらくして全部記憶がよみがえったけど
良い感じに騒ぎになってたから、地下室での生活を
ねつ造したとか。
オオカミ少女とかの話でも結局言葉とか
覚えられないことが多いって言うし。
こいつの社会への馴染みようはちょっと不自然臭い。
Georg(e)はドイツ語では、ジョルゲじゃなくてゲオルクだと思うんだが・・・
英国ハノーファー超の祖である、ジョージ1世も
ハノーファー選帝侯ゲオルクだし