【Unicorn /etc】ユニコーン=一角獣の起源は古く、それは古代ギリシャ、紀元前400年頃のクテシアスにまで遡る。クテシアスはインドに住むというロバに似た一角獣の姿をその著書に記し、それは西洋世界におけるユニコーンの初めての報告として現在に伝えられている。後にプリニウスらによって引用されたクテシアスの記述は次のようなものである。「インドにはまた中のつまった蹄、一本の角のウシがいる。それからアクシスという名の動物がいて、これは茶褐色の皮にもっと多くもっと白い斑紋があり、リーベル・パテルの儀式に用いられるものである。しかしもっとも獰猛な動物は一角獣で、これは身体のほかのところはウマに似ているが、頭は雄ジカに、足はゾウに、尾はイノシシに似ていて、深い声で吠える。そして額の中央から突出している二クビットもある一本の黒い角をもっている、という。この獣を捕獲することは不可能であるという。(「博物誌」)」
アリストテレスも後に、このクテシアスの記述を受け入れ、「動物誌」においてその存在を"凡そ実在する生物である"と認めている。また歴史家のメガステネスはこれらユニコーンとリノセロス(サイ、あるいはその祖先)との共通性を指摘しているが、このように一角獣をサイの一種とする見解は、今日でも続いている(写真上:これは16世紀に記録されたリノセロスの姿。皮膚の青い部分は皮膚病だったと言われる。)。
ではそうした時代、本当にインドにはユニコーンが存在したのだろうか。現在、これらの記述の真贋を確かめることは凡そ不可能である。しかしおそらく、 ギリシャの学者達が記したのは単なるあやふやな伝聞に過ぎないことは - クテシアスもメガステネスも実際にインドを訪れたわけではなかった事などからも - 明らかである。
事実、その時代に記された地図には"ドラゴンはこの周辺に出没"といった情報がまことしとやかに記されているが、それはそもそも、古代ギリシャにおいては、 象やキリン(現在知られる首の長いキリン)といった"実在する"動物さえも、単に伝聞したというレベルにおいて、その存在が神秘の一部だったことにも由来している。しかしいずれにせよ、これらの記述が後生へと受け継がれ、ユニコーンが古代ギリシャローマ文化における神話の生物として描かれる一助を果たしたことは想像に難くない。
(※1908年のサイエンス誌の記事によれば、ハンテリアン博物館のウィリアム・ハンター医師はかつてこのクテシアスのユニコーンについて研究し、おそらくはインドはベンガル地方において現地語で"Nylghau(蒼い牛)"と呼ばれる生物(写真下)であるという推測を行っている。"CONCERNING THE REAL UNICORN" : Trotter,Spencer; Sciece, 28:608-609,1908)
また現在では、ユニコーンはおそらく、アラビア砂漠に住むオリックス(レイヨウ)、あるいはリノセロスが、伝聞される中で姿を変えたものであるとも言われている。特にオリックスは前頭部に二本の大きな角を持つが、真横から見るならば、それはまるで大きな一本の角のように見えることから、ユニコーンの起源であるとする説は確かに説得力をもつ。
一方、インドに近い中国においてもやはり一角獣の伝説が存在する。しばし東洋におけるユニコーンとも称される麒麟は、幸運や成功を予兆する幸運をもたらす獣=仁獣(瑞獣)として知られている。俗説によれば、麒麟が現れるときは即ち歴史に名を刻む偉大な人物や皇帝が誕生するとされ、例えばよく知られた伝承として、孔子が生まれるときには翡翠を口に咥えた麒麟が現れ、母親である顔徴在の手にその翡翠を託していったと言われている。
また麒麟の起源ははるか古代に遡り、もともと青龍、朱雀、玄武と共に幸運を運ぶ四霊獣の一つとされ、優雅で気高いその姿から、知性と帝王の象徴とされた。そしてその姿はもともとは鹿に近い姿で描かれていてものの、時代を経るごとにその姿は変化し、やがてその頭には角を生やし、いつしか五色の身体と翼を持つと言われるようになった。
このように、実際にはこれら麒麟にまつわる記述は、西欧において伝えられるユニコーンとは似て非なるものである。しかしまた、西洋においても東洋においても、こうした生物が王家や王族の象徴としてしばしば用いられたことは、その神話の形成過程において、両者が決して無関係ではなかったことを示唆していると考えられる。
また他にはユニコーンはアフリカに住む両生類だったとするユニークな記述も残されている。16世紀、Andre Thevetはその著書において、エチオピアに住むというCamphurchなる生物について次のように記している。"両生類のCamphurchはと 水陸でワニのように暮らしている。体は鹿ほどの大きさで、前頭部には長さ3mほど、太さは大人の男の腕ほどの大きな角が生えている。首の周りに毛が多く、全身はグレーに近い色である。後ろ足には水泳時に使われるガチョウのような足ヒレがあり、前足は鹿のそれの近い。幾人かはそれを目撃し、角に強力な解毒作用があるユニコーンであると伝えたという。(Cosmography .1579)"
現在では馬のような姿として描かれるユニコーンを知る我々にとって、この両生類というコンセプトは、一見するならば到底受け入れがたいものである。しかし一つの可能性として、例えば一角獣の起源ともされるサイやカバの一部は水中にもぐることは可能であるため、それらが即ち一角を持つ両生類として伝聞され、こうした逸話を生んだということは考えられるだろう。
しかしまた、事実は更に奇妙である。現在、研究者らの間において、ユニコーンの起源としてもっとも可能性が高いのは、海中に暮らすクジラの一種 - イッカクと呼ばれる主に北極海などに生息するクジラ目の生物だと推測されているのである。イッカクの雄は、頭に渦巻き状にねじれの入った一本の大きな角(門歯)を生やし、確かに角だけを見るならば、その姿は今に伝わるユニコーンのそれと余りにも酷似している。
また当時、その余りにも美しい角は貴重な漢方、あるいは美術品として高額で取引されたが、商人たちは、それらイッカクの角の価値を高めるため、それをユニコーンの角であると宣伝したのである。例えばノルウェーなどのバイキングは中世から17世紀にかけ、これらイッカクの角を携えて、各国を行商していたが、彼らはその角が一体どこで取れるものなのかを決して明かそうとせず、西欧の人々がまだ見知らぬユニコーンの角であると喧伝したという。
また当時、角が高額で取引されたのは、単にその優れた美観故だけではなかった。ユニコーンの象徴した純潔さはいつしか浄化と解毒作用へと具象化され、その角は漢方 薬、解毒剤として取引されるようになったのである。例えばフランスでは、北方から輸入された"ユニコーンの角"から作られた杯が重宝され、当時の貴族はそれを用いて食事に毒が盛られていないかどうかを検疫したという。こうした風習はしばらくの間続けられ、1789年のフランス革命まで続いたと言われている(その当時、日本にもイッカクの角はウニコルン、ウニカウル などとして輸入され、同じく漢方として18世紀頃まで珍重された)。
また当時のイッカクの角の貴重性を示すエピソードとして、例えばイギリスでは16世紀、エリザベス一世が立派な形のユニコーンの角を購入するために10000ポンドという莫大な額 - それは当時で城一つを立てらる程の金額である - を投じたという逸話も残されている。そしてまた、これらの逸話は現代にもなお尾を引き、例えば英国では今でもイッカクの角を用いた王笏が採用されている。また他にもスコットランドの王家紋章にユニコーンが描かれ、デンマークの王座にもイッカクの角が使われていることは、これらイッカクの角=ユニコーンの持つ神聖さと高貴さが現代においてなお影響し続けていることの何よりの証左であるとも言える。
そして当時、ユニコーンがその存在を固く信じられ、それらの角が高額で取引されていたのはもう一つの大きな理由がある。それは聖書における一角獣の存在である。ユニコーン(モノケロス)はまず旧約聖書の中に描かれていることをはじめとし、後にはその純潔さから聖母マリアの処女懐胎と象徴的に結びつけられ、やがてはキリストそのものを指すシンボルとさえされた(特にユニコーンは純潔=処女と結びつけられ、いつからか、ユニコーンは処女にのみ心を許すという逸話も生まれた)。そうした記述の数々から、当時の人々は聖書に嘘はなく、すなわちユニコーンは実在する - あるいは少なくともかつて実在した生物であるという根拠を得たのである。
一角獣の存在がはじめて描かれたのは旧約聖書である。ヘブライ語で書かれた旧約聖書には、元々"re'em"という名でその存在が記されていたが、それはギリシャ語(七十人訳ギリシャ語聖書)に訳された際、"monoceros(モノ+ケロス=ユニ+コーン=一本の+角)"と翻訳された。 そして後に新約聖書が編纂されたとき、教父たちはもっぱらギリシャ語訳を参照したため、その存在をギリシャ語から直訳し、"ユニコーン"として新約聖書に記したのである。
そして4世紀後半、旧約聖書がラテン語に翻訳(ヴルガーター聖書)された時、翻訳元としてギリシャ語とヘブライ語の旧約聖書が半々に用いられ、その際、"re'em"は一部においては"rhinoceros(リノセロス)"とされ、また一部においては"unicorn(ユニコー ン)"として翻訳された。そして16世紀、マルティン・ルターによって聖書がドイツ語に翻訳され、近代ヨーロッパの言語による初めての聖書が誕生したが、ルターは翻訳に当たり、ヘブライ語の旧約聖書を用いたにも関わらず、"re'em"を再び"Unicorn(ユニコーン)"と翻訳したのである。
その後、ウィリアム・ティンダルによって旧約聖書の英訳が進められたが、ここでもユニコーン訳は採用され、またキング・ジェームスによる英訳(1611 年、欽定英訳聖書)においても尚、ユニコーンが"re'em"の訳として採用され続けた(また1613年には旧約聖書の影響からPetrus Planciusによってイッカク座が命名されている)。このようにして、ユニコーンは聖書の中に確たる安住の地を得たかにみえた。
しかし18世紀、啓蒙主義の時代になると - 多くの"モンスター"と同じように - ユニコーンははじめてその実在に嫌疑をかけられることになる。この時代、学者たちはそれまでに続いた神学的迷信を払拭し、科学と知性による世界の再認識を説いた。そしてそれまで神の意志、あるいは悪魔の手先などと呼ばれた(おそらくは突然変異的な奇形の)人間や動物 - 即ち非ノーマルな存在たちの脱神話化が盛んに行われ、それは聖書にさえその存在を保証されたユニコーンとて例外ではなかった。
そして19世紀になると、啓蒙主義を経た神学者たちはいよいよ"re'em"=ユニコーンは明らかに誤訳であり、実際には単なる野牛の一種であることを主張しはじめた。これは現在、啓蒙主義の結果を受けた神学者らの聖書の科学的解釈によるものであるのか、あるいは単に聖書の具体性を保証するためのより強固な信仰心によるものだったのかは定かではない。しかしいずれにせよ、主張は受け入れられ、十数世紀以上に渡って聖書の中に存在し続けたユニコーンは、再び"野牛"へとその姿を変えることになった。つまり、ユニコーンとはそもそも神の創造した生物ではなく、誤訳によって一人歩きした想像の産物だとされたのである。
(※その後、1901年に発行された英訳版聖書には、"re'em"の翻訳として"wild ox(野牛)"が当てられた。そして今日では、ヘブライ語における"re'em"は英語において"wild ox"(あるいはit, wild bullなどともされている)と訳されることが常である。こうしてユニコーンはその存在を"野牛"へと変え、世界から姿を消したかに見えたが、ユニコーンは今日なお、一部のキリスト教者の間に存在し続けている。何故ならギリシャ正教会においては、今日なお、古代ギリシャ語翻訳によるユダヤの聖書が用いられているからである。)
こうして、ユニコーンはその最も強固な存在基盤を失った。つまりユニコーンはもともと単なる想像と偶然の産物 - 聖書における誤訳、そして商魂たくましいヴァイキング達がでっち上げた架空の生物 - として、その神秘的な角をへし折られたかに見える。やはり、ユニコーンは現実には決して存在しない、架空の生物に過ぎなかったのだろうか?
昨年、米国はオハイオ州から次ぎのようなニュースが報じられた。「ユニコーン射殺さる」その衝撃的な見出しとともに掲載された写真には確かに頭部中央に角を生やした動物が映し出されていた。"ユニコーン" - 実際には鹿の奇形である - を射止めたハンターはその獲物を三年間に渡って追い求め、ようやく仕留めたとハンター仲間達に自慢したという。しかし、実はこうした動物の奇形はさほど珍しいものではない。これまでにも山羊や羊、鹿といった動物の間では、頭頂部に一角の生えた(あるいは本来二本になるはずの角が何らかの原因で一本に癒合してしまった)突然変異がしばしば確認されているのである。
またこうした奇形は突然変異的に誕生することもあれば、人工的な矯正によって作り上げることさえ可能である。例えば19世紀における米国のサイドショーでは、かの有名なP.T.バーナムによって「ユニコーンの骸骨」なるものが展示され、また仔山羊などに矯正具をつけて人工的にそれらをでっちあげる方法も盛んに行われていたという(※写真上は人工的な奇形。本来二本になる角を一本に見せるために矯正されている。写真下は天然の奇形。またこうした角の奇形は人間や鳥においても、極めて稀ながら確認されている。参考:頭に角が生えた男 インド / 角の生えた鶏見つかる マレーシア)。
このように、突然変異による奇形、もしくは人工的な方法によってユニコーンやそれに近い一角の生物が誕生すること、それ自体は決して不可能な話ではないのである。しかしここで注目すべきは、その角ではない。むしろ、それら"角の奇形を持つ動物"が、いずれの場合も"偶蹄目"である点にある。何故なら、それは歴史上におけるユニコーンの姿の重要な特徴 - ユニコーンが"一角を備えた偶蹄目であること"に見事に一致するからである。多くの記述において、ユニコーンは(奇蹄目である)馬のような姿として描かれているにも関わらず、その足は偶蹄目として描かれている(蹄の形はその動物の目を決定する重要な判断基準となる)。そしてこの矛盾は今なお研究者らの頭を悩ませているが、もし、ユニコーンが馬ではなく、山羊や鹿といった偶蹄目にそのルーツを置いているとするならば、これら天然/人工奇形の偶蹄目がユニコーンの起源を、あるいは少なくともその一片を担っていたことの、重要な示唆になるのではないだろうか。
つまり、これらを総合するならば、次のように考えることが出来る。かつて、偶蹄目の一種として存在した一本の角を備えた山羊や鹿の天然奇形(あるいは人工奇形)、それらは世界の様々な地域で偶発的に目撃され、その存在は旧約聖書の誤訳、あるいは古代ギリシャにおける様々な奇譚によって、相互補完的に補強された。即ち、ユニコーンは稀な偶蹄目種の奇形として、その原初的な意味における"一角の獣"として、確かに存在していたのである。自然の生み出した極めてユニーク(Unicus)な存在であったユニコーン(Unicorn)はこうして、神話と現実の狭間で、今なお人々を惹きつけ続けているのではないだろうか。
【参考1】幻想動物の事典 / ユニコーン | 幻獣図鑑:ユニコーン | 中世の幻想動物 | クテシアス断片集
【参考2】イッカク | 新薬ウニコールの正体を推理した人々
中国でも象牙製の箸を使って料理に毒が盛られてないか調べる方法が有りますよ。
実際には見たことないけど、象牙の色が変わるらしい。
貴族がユニコーンの角を使った杯を使って毒が盛られてないか調べていたと言うのは、初めて聞いたけど、多分、同じ様な効果が有ったのかも。
なんか最後の「ユニーク(Unicus)な存在であったユニコーン(Unicorn)」って、キレイにまとめてるなぁとオモタ。えー話やった。
>>12
なる。象牙の箸ってただの高級品じゃないんですな。
角を使って毒を調べると黄色くなるとかいうのはテレビで見たことがある。
タンパク質と酸が化学反応するんだとか言ってたな。
>>22
それは某TRPGのリプレイのイメージによる影響が強いのでは…。あの話だと、徹底的なセクハラ生物でしたしね…。
>>22
ユニコーンは処女の象徴。
処女にしか心を許さないと言われてる。
昔のヨーロッパのどこかでは薬屋の看板にユニコーンの角の絵を描くのが普通だったらしい。
角が万能薬だと思われてたらしいね
だから>>12の考えは当たってるかも
皮膚病のサイの画像について、、、
昔、どっかの国からだっかの国へおみやげとして持っていったものらしい。
長い船旅での栄養不足、海の潮風が病気の原因らしい
何気にアクセス数が増えてると思ったらx51からリンクされているのを発見
ユニコーンが処女になつくのは、「フィシオログス」が初出であることから、物語自体はアレクサンドリア起源で、その大元となったのはギルガメシュ叙事詩に登場する野人エンキドゥの物語である、と言われてたりします。この物語はインドにも伝わって一角仙人の物語になったとか。
また別の説として、狩猟民族によく知られていた「野獣の女主」が獣を従えるという信仰が起源だと言う説が最近提唱されてます。
>>35
必死さが伺える物の誰も突っ込んでくれない所に滑ったのを感じ取ろう。
って釣られた~
ユニコーン(;´Д`)ハァハァ
ユニコーンが頭を下にたらして撫でてっていうジェスチャーとったら破壊力満点ですな。(;´Д`)ハァハァ
>>25
一本折れても、また生えるまでの間もう一本の角で
持たせられるからではないかな。三本だと力が分散して
刺さりづらいだろうし。
実際には刺すよりも、体当たりや投げ技を繰り出す時
体の延長として使うのだろうけど。刀のつばぜり合いみたいに。
でもとにかく一本では心許ないし、三本ではかえって邪魔
だからではないか?お侍さんだって刀は二本差しだし。
あと、角が体の左右に生えているのも関係しているのでは。
どんな動物も大抵体は左右対称だし、ヤジロベーみたいに
左右の重さのバランスをとっているんではないかと。
>>55
殻の無いカタツムリって、ナメクジでしょ?
でも、ナメクジの方がカタツムリより進化した形態で、殻は邪魔だから進化の過程で脱いじゃった。ナメクジ曰く『私、脱いでも凄いんです』効果を狙ったらしいが、殻を脱いだ所で逆に嫌われ者になってしまった可哀相な生き物なのです…。同情。
角の無いユニコーンは只の馬だしね…。邪魔だから、角も取っちゃかも、マンモスの牙が現在の象みたいに象牙が縮小したみたいに。
>麒麟が現れるときは即ち歴史に名を刻む偉大な人物や皇帝が誕生する
「十二国記」の麒麟が王のところに来るってこういうところから来てんだ。
勉強になったわ。
こういう話は実在しようと、ただの偶像だろうと面白い。
>>46
ラスプーチンは砒素を飲まされたけど、ケロっとしていたって話が有る。
しかし、ユニコーンって見た目は凄く格好良くて詩的だけど、実際は、色々なモノに頭をぶつけたりして大変なんじゃないかね?
古い神社にある狛犬の向かって左側のやつは
角が生えているが、これも一角獣らしい。
狗じゃなくてもとは一本角の牛だというが(右はライオン)
新しめの狛犬にはない。
古代ユダヤと日本神道を関連づける本に記してあった。
ユニコーンは処女を好む。ということはユニコーンはすべて♂か? 角はチンポの象徴か? あれは刺さったら痛そうな尖った形だな。
>ラスプーチンは砒素を飲まされたけど、ケロっとしていたって話が有る。
その後に銃殺されるが、死体を河に投げ込んだのだがその時点までは生きていた。
死因は溺死。
人としてはどうしようもない人物だが、生物としての機能は
凄まじかったんじゃないかと。
ふ~ん処女にだけなつくのかぁ
つくづくキリスト教って俗っぽいんだよね
綺麗な物はイイ!醜い物はダメ!みたいなさ
サイの絵は、デューラーって人の版画の作品だと思う。
本物のサイを見たことなく、伝聞で「鎧のような皮膚を持つ動物」と聞いたのであんな風に書いたらしい。
皮膚病っていうよりは整ってる甲冑っぽいでしょ。
デューラー、サイ、版画で検索すれば見つかると思う。
上野の美術館の版画コーナーとかでみれたかも。
>>77
オカルトサイトらしい話やね。
ライオンに角があるわけないから、元は別の動物だったってことですね。
獅子とセットでって事は、やっぱ一角牛しかないよなぁ。
その名残が陰の狛犬に残された角だった。
不思議な話ではある。
東洋モノはどうしたもんだか
中国の皇帝さんなんて目は四角だわ色はトロピカルだわ
プレデターが裸足で逃げそうなお方がごろごろしとる
あれは何をもってそんな伝承となったのやら
>>91
王は神聖なもの、というか人間を超えた存在として
描かれている、なんて事を読んだ覚えが。
所謂、竜体っていう状態に描写されているそうな。
一度でいいから動いてるの見たい!!