【ASLSP】ドイツ東部、ハルバーシュタットのブキャルディ廃教会にて続けられる演奏予定時間639年の音楽がこのほど、開始5年目にしてようやく第二のコードへと進行したとのこと。このパフォーマンスで演奏されているのは、米作曲家のジョン・ケージ(1912-1992)が発表した"Organ2/ASLSP"(As SLow aS Possible = 出来る限りゆっくりと)という曲である。演奏は2639年の終曲を目指して2001年9月5日に始められ、全くの無音パートである最初の一年半を経て、2003年2月2日には最初のコード(ソ#,シ,ソ#)が鳴らされた。そして2004年7月には新たな重りが鍵盤に乗せられ、一オクターブ下のミが加えられた。その音(ミ)は今年5月5日まで続く予定であるという(写真は演奏が続けられるオルガン)。
そして今週木曜の午後5時(GMT16:00)、ようやく最初のコードから、今後数年鳴り響くことになる第二のコード(シ、ド、ファ#)へと進行したのである。
ジョン・ケージの"ASLSP"は1985年、もともと20分間のピアノ曲として発表され、1987年にオルガンの為に編曲されたものである。しかし今回の演奏を行うジョン・ケージ・オルガン・プロジェクトは、ケージが曲名に委ねた意志を汲み取り、オルガン編曲をもとに、演奏時間を639年まで引き延ばしたという。639年という時間は、同教会に初めてオルガンが設置された1361年から数えて、プロジェクトが開始された2001年までの時間を元に設定された。また今回のプロジェクトで使用されるオルガンは新しく特別に作られたもので、新たな音の必要に応じて、パイプを継ぎ足していく形で使われる。
ジョン・ケージは二十世紀の音楽に絶大な影響を与えた作曲家アルノルト・シェーンベルクの弟子の一人で、かの有名な完全無音の音楽「4:33」といった前衛的な作曲で知られている。
また運営者らは、このパフォーマンスの思想的背景として、”変化の早い現代社会における平静と緩慢な時の流れの再発見”といったコンセプトを語っているとのこと。
【参考1】ASLSP - John-Cage-Orgelprojekt Halberstadt
- 同プロジェクトの公式サイト、ページ右上のカウントが残り演奏時間(秒)。
【参考2】アルノルト・シェーンベルク | ジョン・ケージ | ヴェクサシオン:エリック・サティ
誰かが聴いてこその音“楽”だろ。
もはや音楽じゃねーよ。
海がずっと波打ってるのと大差ないね。
だいたい所詮人工物でしかないものに神秘的な感傷など生まれん。
まぁ、あと百年後の人間は
「もう百年も鳴ってるのか~」とか言えて楽しいかもしれなんな。
639年後には原型をとどめていられそうにない設計だと思うんだけど・・・
楽譜が紛失したら無音の時、故障か演奏の最中かわからなくなりそうだw
参考2より-また、彼は相当なキノコの研究家であり、彼がキノコを好む理由の一つには「辞書でmusicの一つ前がmushroomだったから」というものがあると言われている。
かっこええ!!!!
パイプを継ぎ足していく前に、その頃までに
このオルガンは朽ち果てていないか?
廃墟にあるのなら、雨風で腐っていきそうだが。
あと600年余り、調律はしなくていいのかな?
もはや曲じゃねえよ。
コード変わるタイミングとかだって、どうせ適当にやるんだろうし。
そもそも最初の無音部分1年半って何なの?
>21
俺んちの辞書ではミュージックの前はマッシュルームじゃないけど、この辞書をケイジに突きつけて満面の笑みで、
「きのこじゃないよ?」
って言ってやりたいと思った俺は性悪か。
完全無音の音楽の演奏が終わったとき、静まり返った客席からポツリと「金返せよ」の声が場内に木霊したのは有名な話。
まぁ、嘘ですけど。
2639年になってもまだこの曲が続いていたとしたら、その時代の人間はやっぱり感動するというか、何か思うところがあると思うなあ。
半世紀以上前から演奏されているわけでしょ?曲の終わりの瞬間に立ち会いたいよ。
完全無音の曲か…。
やったもん勝ちだな。
大学で音楽科を勉強してたけど、音を奏でない演奏は音楽とは呼べないと思う。
アートパフォーマンスとしてはアリかもしれないけど。
ジョン・ケージのやった他の音楽へのアプローチは評価されてしかるべきだと思うけど、無音とこの長期演奏はネタとしか思えない。
引き伸ばしはどう解釈するかな。
作者の原意に沿ったという意味でなら正しいだろうけど、
元々が哲学臭ぷんぷんの前衛音楽だからなあ。
長時間の演奏だったら中井紀夫著『山の上の交響楽』。
発想としては、プロジェクトの無理な解釈よりこっちの方が早そうだ。
>>あ~あ、全員ダメ。分かってない。
じゃ、簡潔に教えてください。
でも、「4分33秒」は無音の音楽というより、楽器を鳴らさないことによって初めて意識される
ざわめきや衣擦れなどを音楽として捉える、って感じじゃなかったっけ?
ごめん、全然違うかも。
このプロジェクトの人たちの最大の過ちは
機械に弾かせてるところジャマイカ?
人間が10時間くらいかけて弾いて、それを10時間黙って人間が聞いてる方が、よっぽどジョンケージの思想にかなってるような・・・。
勝手な解釈スマソ
>As SLow aS Possible = 出来る限りゆっくりと)という曲である
ゆっくり演奏してるのではなく中断してるだけだろとマジレス
>>26君にしっかりとした日本語力と読解力があれば
矛盾がないことがわかるよ。お気の毒さま。
(解説が欲しければ具体的に指摘してくれていいヨ)
そういや、あんま関係ないけど、
約20分の曲を639年に引き伸ばすように、
長低速ビデオカメラとかで撮影しているのかね。
639年後に見返してちゃんと弾いていた事がわかるように。
どうせやるならそのくらいのことして欲しいけど。
あと、故障に関する危惧は不要と思われ。(災害でもない限り)
パイプを継ぎ足していくということからも窺えるように、音が鳴っている最中に、他の鳴っていないパイプや機能の検査を出来るようになっているんだと考えられます。(演奏中でも取り付け取り外し等が可能ということ)要は次鳴る予定のパイプを直前にチェックすればいだけの話。演奏機械の構造自体は単純なものでしょうから、おそらくそれで十分。
芸術としての音楽は単に音楽じゃなくて、送信者と受信者という関係性、或いは送信者や受信者の不在や第三者の影、自身の第三者性が目的だったりする
>>51
そう。ケージは無音室に入ってなお音が聞えることに感銘を受け、4分33秒を作成したといわれている。
ま、ケージといえどこんな実験性の高い音楽ばかりではないわけで。1948年の、ピアノまたはハープのためのIn a Landscapeなんて聞いてみたら「普通の」音楽も高水準で書けたということがわかる。
>62
>しっかりとした日本語力と読解力があれば
>矛盾がないことがわかるよ。お気の毒さま。
てことは、おまいは日本語力と読解力まるでないな。
ついでに文章力も。
救いようがないな、お気の毒さまデス。マジで。
まったくですな。恐らく26君は、普段、生身の人間とお話することがない人なのでしょう。それ以前に、お友達がいない人なんだろうね。
>73だから具体的に指摘してみろっての。笑
>75
少なくとも「もう十年鳴ってるのか~」よりは楽しいんじゃない?
知らんけど。
639年という時間がケージの意思でなくプロジェクトのメンバーによって決められているからね・・・
何となく運営者が言うコンセプトもしっくりこないというか・・・
639年という時間がケージの意思でなくプロジェクトのメンバーによって決められているからね・・・
何となく運営者が言うコンセプトもしっくりこないというか・・・
639年という時間がケージの意思でなくプロジェクトのメンバーによって決められているからね・・・
何となく運営者が言うコンセプトもしっくりこないというか・・・
>はぁ結局そのレベルか。
って…
もう最初っからミクダシで 「対等に話そうという精神などなかった」
そんな状態を晒す貴方は 悲しい人
バカの揶揄など気にせず無視を決め込むか
気にせずキッチリと筋を通して深く解説するか
どちらかにすれば良いものを
思うけど、音楽って極めてくればある種の自己満足になるのは仕方ないと思う。ケージか何かよくは知らんが、彼が彼の中での葛藤に対する答えを出し、自分の中にある壁を打ち砕きその曲を書いたのだとしたら俺は賛同するし、こうやって何百年ものプロジェクトをやってみようと賛同する人間がいるんやから、それがいかに凄いもんなんか分かるっしょ?
音楽をやったこともない(主観的に聴いたことしかない)人間が音楽を知ったようなこと書かない方がええよ。すぐ分かるから。
通して聞ける人間がいない時点で
マトモな音楽ではない事は主催者だって理解してるだろ。
タイムカプセルみたいな夢だと思って楽しめればいいんじゃね?
>誰かが聴いてこその音“楽”だろ。
音楽の楽は“楽しい”って意味とは別なんですけどw
>人工物でしかないものに神秘的な感傷など生まれん。
人間そのものだって十分神秘的。
自然物しか神秘的と思えない幼稚さを晒して悲惨ですね。
神秘か否か、という話は置いといて…
私はこんな音楽、くっだらね~と思う。
聴いても眠くなるだけで、何の意味があるの?と思う。
こう書くと 「思考停止だ!」 「論理性が無い!」 などという高尚なレスが付く可能性が高い。
でも、こんなのを有難がれと言われても、困る。
壮大なロマンだな・・と思ったけど
作曲者の意思で演奏されてるワケじゃないんでしょ?
どこぞのファンが勝手にやってるだけだと思うとなんか感動が薄れるな・・・
ところで何でドイツなの?
639年ってすげーな。ちょっとでもシステムにトラブルが
起きたら演奏が止まっちゃうから気が抜けねーし。
演奏しながらメンテナンスするんか。
しかし、ジョン・ケージってすげーな。この人、
千年経っても前衛的ってよばれるんだろうな。
芸術家っつーのには2種類いるな。
作品になんらかのメッセージを込めようとする人と、
作品にありのままの自分の姿を曝け出そうとする人。
ジョン・ケージはどっちかっつーと前者のようだが。
(後者はゴッホとか山下洋輔とか。)
記事に、
>>今回の演奏を行うジョン・ケージ・オルガン・プロジェクトは、ケージが曲名に委ねた意志を汲み取り、オルガン編曲をもとに、演奏時間を639年まで引き延ばしたという。
ってあるけど、問題はジョン・ケージがこの曲に込めた
メッセージを受け取るべき聴き手がいない、ってことだな。
ん?それとも「世代を越えて聴き継いでいってほしい」
ってことか?「伝統を、トラディショナルなものを
大事にしてほしい」ってことか?
ああ、なるほど。それならこの試みも理解できる。
でももともとは20分弱の曲だったんだよな。
じゃあジョン・ケージがこの曲に込めたメッセージって
なんなんだ?
よくわからんくなってきた。もうこりゃ、実際に
聴いてみるしかないか。聴きもしないで批判は出来んしな。
全部聴きゃ曲のフィーリングから何が言いたいかわかるはず。
まあ、639年も聴いてられんから、結局20分弱
バージョンを聴くしかないのか。なんだかなあ。
「音楽」だから、「曲」だから、”聴く”とか
”聴かないとわからん”とかそーゆーのを
アンチ・テーゼとしたパフォーマンスと思われ。
>>95
>音楽の楽は“楽しい”って意味とは別なんですけど
君にとっては非常に残念なことに、ちゃんと“楽しむ”って意味も含まれてますよ。
君、音楽勉強したことないんですね。それもまた残念なことですネ。
>人間そのものだって十分神秘的。自然物しか神秘的と思えない幼稚さを晒して悲惨ですね
あらあら、論点までずらしちゃって。笑
まぁ少なくとも君のような人間が「人間は神秘的」なんて言っても説得力ないですけどネ。なおかつ、人工物に神秘をみたら、この世の全てがその言葉の上で同列になり“神秘”という言葉が何の意味も感傷ももたなくなることをわかってそれ言っているのかナ?そうだとしたら、君の頭って本当に可哀相です。
いや、本当に残念。しかも“矛盾”とやらを一つも指摘できてないし。まぁ当然だけど。(でも教養の無い君には一生納得できないんだろうネ)
しかしまぁ君の頭の悪さを責めても仕方ないか。どうせ直らないんだから。
それでもうお兄さん、お子様の相手するのに疲れたし、君の相手しても理のない返答しか返ってこないからこれ以降もうレスしないけど、
これに懲りて、ネットだからといって誰彼構わずやんちゃをふっかけてくるんじゃないヨ。
ネットだからって誤魔化せるほど君の低知能さ加減は甘いものじゃないんだからネ。
「音楽」だからとか言って芸術を区切るのは好きじゃない。音楽であろうと絵画であろうと建築、彫刻、詩、パフォーマンスであろうと全て芸術であると自分は思う。
自分が芸術に求めるのは刺激。脱日常や異化やエゴイズム、不安、恐怖、快楽、興奮といった普段あまり味わえない感覚が芸術によって呼び起こされれば自分はその作品を十分に評価できる。そこに作者の意図は介入する隙はない。
「音楽」だから楽しめるものじゃないといけないなんてことはない。ただ単に退屈だから面白いものもある。4分33秒だってそう。自分がそこにいる意味が消失してホール内が丸ごと異化されたような不安があるし、逆に自分の存在を強く意識することが出来る。
人工物が神秘性を持たないというけど、自分はミロのビーナスやダリの「秋の食人祭り」とか聖家族教会から神秘的な色を感じ取れるよ。
>97
別に誰も「有り難がれ」とは言わんだろ。
南の島で波の音を聞いて感傷に浸るとか、そういうレベルの話だろう。
強制する話でも否定する話でもない。
>>106
同感。自分も人工物に神秘性を感じることあるよ。
それに人工物も自然が生み出した産物のひとつじゃないかなあ。
人間自体、自然から生まれたものなら
人間が作ったものもまた、自然が作ったと言えるんじゃないだろうか。
人が「何か巨きな深いもの」を感じるときに
きっと芸術や神秘が生まれるのだと思う。
>105
ちなみに「95」はオレじゃねーぞ。(調べてもらって結構)
オレも皮肉ったコメントを書いたりしたが、
「頭が悪い」とか「友達いないんだろう」とか「低知能」とか
なんかスゲー醜い文になってるな。(しかも捨てセリフ付きw)
オレはそこまで言えねえな、ガキじゃあるまいし。
>>99
>「意味」を求めるアナタにこのサイトは似合わんよ
いや、すまん。俺は決して精神世界を語り合うのは嫌いじゃないんだ。
それは人間にしか出来ない、高級な娯楽でもあるしね。
ただ、例えば105みたいに、他人を見下す屁理屈コキがこのサイトには多いんだよ。
他人様を低能呼ばわりしてさあ。
だから、長い間ここには来なかったんだ。
んで、久々に来てみりゃあ、やっぱり変わってないね。ここは。
>ここにこんな傲慢な者が増えたのはいつからだろうか・・・。
んなもん、ネットにはどこにだっておりまんがなw
そんなシリアスにならんでもいいんじゃないの
想像してみた。
とりあえずこの廃教会を訪れたとして、まぁボロボロの空間の中で一つの和音を聴きつづけることになるわけですよね。それだけだとあんまり面白くないかも。
で、一年くらい経ってもういちど来た、と。今度はちがう和音がなっている。
一年前との齟齬が明確に生まれえるほど記憶がはっきりしてるか疑わしいけれど、それでも感じるところはあるだろう。ああ「つぎの音だ」って。以前にそこに立っていた自分とのズレにも敏感になれるはず。
そういうのって何かいい感じかも、と想うのですが。差異と再来。
まあ、好きずき。ちなみにケージの曲はすきです。よじれた小品がえらいラブリー。
>自分が芸術に求めるのは刺激。脱日常や異化やエゴイズ>
>ム、不安、恐怖、快楽、興奮といった普段あまり味わえな
>い感覚が芸術によって呼び起こされれば自分はその作品を
>十分に評価できる。そこに作者の意図は介入する隙はない。
激しく同意。
そこに何かを感じればそれが芸術だと思う。
俺の定義では、芸術って何でもあり。極端な話お笑いだって芸術。
>自分が芸術に求めるのは刺激。脱日常や異化やエゴイズ>
>ム、不安、恐怖、快楽、興奮といった普段あまり味わえな
>い感覚が芸術によって呼び起こされれば自分はその作品を
>十分に評価できる。そこに作者の意図は介入する隙はない。
激しく同意。
そこに何かを感じればそれが芸術だと思う。
俺の定義では、芸術って何でもあり。極端な話お笑いだって芸術。
演奏時間639年の音楽、第二のコードが鳴らされる
↓
639年後のプロジェクトX特番でで大感動巨編に
放送時間は100年くr(ry
この廃教会が傾く時やら、そこから楽器、運び出す人達の事想うと、不憫だ・・・。
成し遂げたいなら、そんぐらいの事考慮してーーー、良い環境にセットしとけっちゅうの・・・。中の人の・・・もとい、後の人の事もちったー考えろ!
>>124 さん
楽理に関してはそんなにペテンでもないよ。
それならサティのほうがひどいってことになっちゃいそう。
大衆の意識を一般的でないほうに動かす=ペテンということならば、
おおかたのロマン派の行き方自体が誤りだったと見なさなければ、
フェアでないような感じがしますし。
なんだかんだ言って、他の作曲家もケージも、
色々な仕方で西洋音楽に縛られてるんじゃないでしょか。
>>127
ケージが考えたわけじゃないんだよね。
「ケージが曲名に委ねた意志を汲み取り、演奏時間を639年まで引き延ばした」っていうのがなんか嫌だなぁ
本人じゃないんだし「ホントに汲み取ってんのかよw」
とかいいたくなる
無音の音楽て…
俺でもつくれるじゃん
この音楽は一億年無音ですとかいって発表したらただの一般人でも評価されるわけ?
結局作者が有名なだけだろ
無音の音楽て…
俺でもつくれるじゃん
この音楽は一億年無音ですとかいって発表したらただの一般人でも評価されるわけ?
結局作者が有名だから成り立ってるだけだろ
ん~
この壮大な計画をライブカメラで見れるように
してほしいものだな
>>131
お前じゃ無理だ
無音が音楽だなんて発想が無理だよ
つぅか最初に作った者勝ちなんだよ
有名なだけって;
作者が有名だからこそ作れる
お前みたいな全く影響力の無い人間が
「一億年無音の音楽作ってみたよ」
とか言ってもアホのつまらん冗談として終わるのさ
>>132
数十年前の発見を今さら真似たって、そんなの二番煎じもいいとこでは?
普段なにげなく聞き流してる生活音の豊かさを、センセーショナルな方法で、かつ(おそらく)世界で初めて訴えたところにケージの功績があるんだと思います。
>結局作者が有名だから成り立ってるだけだろ
結果と原因が逆さまですよ。諸作品による芸術へのアプローチが彼を有名にしたと考えるべきでは?
芸術気質みたいなものとしては評価を受けてとしても、
その道を知らない人にとっては「ホントくだらないこと好きだなアメリカ人は」「アホ」「馬鹿」程度。
ピカソとかジンクスの類も同じ様な例かと。
個人的には上記の通りに思う。
「こんなことしても何も得られない」とか「感動しない」とか言ってる人がいますが、音楽で感動は必要じゃないと思う。意味がなくてもいいと思う。
その道を知らない人とか関係あるのか
何を芸術的と感じるかは全く人それぞれで、知らないと楽しめないものなんて存在しないと思う。
例えば無音の音楽「4分33秒」は、ホールのあるべき姿からの逸脱、自分がそこにいる意味の喪失、4分33秒という時間が何を意味するのか分からない不安(作品に意味を求めると言う意味ではなくてね)とかは自然に感じると思う。
こうこうこうだから不安とかはある程度の知識に左右されてフィルティングされた結果だけど、知識のない人でも漠然とした感情は存在するでしょ。寧ろ知識が無いからこそフィルターを通してみることが無いから作品自体を見れるんじゃないかな。
自分にも作れるから何なの?自分でも作れるなら作ればいい。いい作品ならちゃんと評価するよ。名前があるから良い作品なんじゃなくて作品が良いから名が知れ渡ってるんだよ。
>136
むしろこの演奏には「意味」のみがあって、
その「意味」にこそ感動する人間がいて成り立っているとも言える
「いみねーじゃん」の「いみ」とはちょいと違う「意味」ではあるが
確かに無音の音楽なんて誰にでも作れる。
しかし、現在どんなに高名な音楽家が無音の曲を作ろうとも
それが特徴的すぎるがゆえに、ジョン・ケージの二番煎じでしかない。
無音の音楽は誰にでも作れたが、今となっては誰も作れないんだよ。
Impuls 1: P: 5. 09. 2001
Impuls 2: K: gis‘, h‘, gis“ 5. 02. 2003
Impuls 3: K: e, e‘ 5. 07. 2004
Impuls 4: P: gis‘, h‘ 5. 07. 2005
Impuls 5: K: a‘, c“, fis“ 5. 01. 2006
第二のコードはシ、ド、ファではなくラ、ド、ファ#だと思います。
演奏する人たちが意味を感じてるんだからこっちは理解できなくてもいいんだよということで納得してみようと思う。
実際馬鹿さ加減が面白い。
639年後に生きてる人たちがどういう感想を言うのか
それを知ることが出来ないのが残念で仕方ない・・・。
今この曲を聴いてもピンとはこないだろうけど
639年経ったら大きな存在になってるかもしれないね。
タイムマシン欲しいなぁ・・・w
つーか結構喧嘩してたりするけど
人間なんてそれぞれ違うし、
違うからこそ楽しいんじゃないの?
自分と違うからってがっつく人とは話したくない
いちいち批判する人は人生楽しめてないんじゃない?
無意味な事ほど素晴らしい事はないよ
意味あることばっかりやってもつまんないじゃん
すいません、無視してください
「無音の音楽は誰でも作れる」と言ったコメントをちらほら見かけたけど、ケージの4:33が最初に発表されたのってコンサート会場なんだよね。CDでもレコードでもなく。
勿論初演時は凄まじい混乱だったらしい。で、ケージはそういう混乱だとかそういうのを通じてもっと音楽の深いところを考えてほしかったんじゃないかなーとか妄想してみた。
ま、悪質な釣りと見ることもできるんだろーが。
でも、俺は何年もおんなじ場所で同じ音がずーっと鳴り響いてるのを想像すると凄いロマンだと思うんだけどなぁ。
結論::パソコンに向かってイライラしている君らは
日本の汚点だ。死ね。日本が腐る。
ニート&オタクは死ね。なんもしないんだから
存在の意味など無い。日本経済が成長しないのは
君らのせいです。親のスネかじって悲しく死ね。
音楽に限らず、絵画や彫刻なんかは
エンターテイメントとアートにわかれるのではないかな。
一般的に人に評価される(人を楽しませる)ものはエンターテイメント。
創造主の思想や意図を最大に表現されたものはアート。
普段、誰もが耳にする音楽はアートともいえるけど、エンターテイメントという色が強いと思う。
絵画もイラストって言われて色んなところで見るわけだしね。
逆にこういう音楽なんかはエンターテイメントとしては価値が低いけど、アートとしては立派な価値があると思う。
>>173
すべての音を消し去った後に聞こえたのは自分の鼓動だったそうだ。
ま、サグラダファミリア教会みたいなもんだね。
この手の前衛芸術ってのはある種の問題提起だから、このコメント欄がこれだけ盛り上がってるのを見るだけでも、存在する価値があることがわかる。
それが何であれ、人の手によって数百年続いてる営みがあれば、何らかの感銘を受けると思う。
この前衛音楽作品のコンセプトが、多くの関係者にそれだけの労力をかけさせるだけの力を持ってるってことだなあ。
「4:33」もそうだが、誰かが作ったのを後から「単なる思いつき」、「俺でも作れる」なんてのは、いくらでも言える。
最初にやったもん勝ち。
さらに言えば、他で既に実績を作ってる人がやらないと、この手の前衛的な試みはきちんと評価されないと思う。
ともかく圧倒的に、第一人者のみが偉い。
その意味で言うと、この「639年」って企画はケージのコンセプトを借用して別の作品を作ってるわけだから、ちょっとどうなのよ、って話でもある。
ただ、こういう試みをやるならケージの名前を冠さないと、誰も着いて来ないのは間違い無い。
その意味でも、やっぱり第一人者はすげえな、と思う。
こんなの音楽じゃないって意見もあるが、音楽や建築って、構造的にも近代的な体系の成立過程からしても、哲学思想に基づくもんだし。
こういうのを飲み込む懐の深さもあるってことで。
音楽用語と哲学用語ってめっちゃ被ってるしね。
そろそろ、ゲームがこういう役割を担うようになって来ると思うよ。若手の前衛芸術家の作品はことごとくコンピューターゲームの洗礼を受けてるなあって思う。
ゲーム自体、ある種のインスタレーションみたいなもんだし。
変な「ゲーム作品」とか、どんどん出て来そうだね。