【swissinfo】スイスの首都ベルンにて開催中の中国現代美術展にて、死亡した人間の胎児の頭部をカモメの身体に接合した作品が展示され、物議を醸している。作品を制作したシャオ・ユ氏は、作品に用いられた頭部が実際に死亡した胎児から取られたものであることを認めている。頭部は1960年代に生まれた胎児のもので、1999年、北京で開かれた科学博覧会で展示されたものから入手したと話している。(写真クリックで拡大)
しかしその後、同作品を見たスイスの右派ジャーナリスト、アドリエン・ドゥ・リエドマッテン氏は作品の合法性を巡って検察官とともに作品を告発、「我々は死者に対して最低限の敬意を払うべきである」として現在、作品の展示中止を求める騒ぎに発展しているという。
「この作品の倫理性を問うことは全く妥当な行為だと考えます。」アドリエン氏は取材にそう語っている。また告発を受けた美術館側は今後、22日に専門家らを集めたシンポジウムを開催し、同作品の倫理性を巡って討議を行う予定であるという。アドリエン氏は取材に対し、現在アーティスト自身、そして美術館、作品のオーナーである前在中国スイス領事館大使のユリ・ジグ氏等に対して法的処置を求めたと話している。
しかし展示会キュレーターのベルナルド・フィビシャー氏は、作品を展示中止とすることは、今後の展示を台無しにするものであると話している。またシャオ氏も抗議に対し、今回の作品は全ての生命を尊重するからこそ生まれたものであるとして、強く反論している。
「鳥も胎児も、おそらく何か良くないことがあって、どちらも死んだわけです。私はそれを組み合わせて、新しい生命を吹き込んだわけです。」シャオ氏はそう語っている。また現在、美術館では入り口に注意書きを設置し、一部の作品が少なからず衝撃を与えることを予め警告しているという。
同作品は1999年、イタリアのベニス・ビエンナーレで初めて公開され、同年、ジグ氏によって買い取られたものである。美術館員によれば、ジグ氏は近年、中国で興隆する現代美術に強い関心を抱き、1990年代に入ってからシステマティックな方法でそうした作品の収集を続けていたという。
今回の作品制作者が、かつて胎児を食べる過激なパフォーマンス「食人」を行って世界的話題となったシュ・ユ氏(Zhu Yu / 朱昱)と同一人物ではない事はほぼ確かなようである(上述の作品を発表したXiao Yu氏は1965年内モンゴル自治区生まれとされているが、Zhu Yu氏は1970年四川省成都生まれと伝えられている)。しかしまた、胎児アートの先駆とも言える、このシュ氏の作品について、その実態は現在でもほとんど都市伝説的に(様々な尾ひれがついて)伝播されているため、真相は定かではない。その事件の経緯とは、おおまかに以下のようなものである。
1.「食人」パフォーマンス
2000年10月17日、第三回上海ビエンナーレにて前衛芸術家シュ・ユ氏の組写真作品として「食人」が公開される。
2.Rotten.com疑惑
2001年始め、同パフォーマンスの写真をマレーシアのタブロイド紙”Warta Perdana”が掲載。写真は台湾のレストランで行われている「食人」であるとするキャプションと共に"誤報"された。また前後して、「食人」の画像がグロテスクな画像などで有名なwww.rotten.comに掲載される。
3..2001年2月21日付けで英インディペンデント誌が「胎児を食べる残虐画像を掲載したウェブサイト(rotten.comとは名指ししていない)」に対し、スコットランド当局と連絡を受けた米FBIが調査を開始したと掲載。欧米のウェブを中心に、「食人」画像はrotten.comが撮影し、掲載、流布した張本人であるという方向でほぼ断定された。
※rotten.comが事件の中心と目された経緯は、はじめ、スコットランドの児童虐待を専門とする精神科医、Valerie Sinasonの患者二人が画像を発見、rotten.comをソースとして当局に告発したことによる。
- I was wrong about cannibalism, so now I'm eating humble pie
Scotland Yard is liaising with the FBI in the US to close the website, based in California, which has been linked with the ritual abuse of children. Last night the website was still accessible.
4.欧米でシュ・ユ氏の名前が浮上
同日、rotten.com側は運営する"The Gaping Maw"でいずれの機関からも捜査を受けていないと反論。2001年1月8日(1日?)付けでCNN.comが報じていたZhu Yu氏について報じたソースを提示し、写真が氏の作品であることを説明した。CNNに記事が掲載された段階では、画像は掲載されていなかった為、rotten.comが示すまで欧米では「食人」の写真とZhu Yu氏が結びついていなかったと考えられる。
- CNN.com - arts & style - Censors tone down Shanghai's contemporary art show
(AP)The painting of Mao Tse-tung as a Renaissance saint was too risky for the Shanghai 2000 Biennale. The photo of a man eating a dead baby was too disturbing.
ここでひとまずrotten.com疑惑は終了すると共に、Zhu Yu氏の名前が新たな"真犯人"として欧米で一気に広められることになる。
- The Gaping Maw - rotten.com Editorial(webarichive)
※ちなみに、The Gaping Mawは2005年はじめに障害者が行うハンティングを皮肉った記事が告発され、米当局の命で閉鎖している。
5.台湾政府がPerdana誌に謝罪要求
2001年3月23日、台湾政府発行の台湾ニュース(1)、台北タイムス(2)がPerdana誌が報じた「食人」記事の内容は"誤報"であるとする記事を掲載。台湾政府がPerdana紙に謝罪を要求し、それが受け入れられた経緯が報じられた。(1)によれば、胎児を食べる写真はマレーシアのPerdana紙が掲載する以前から、既に「胎児を食べる中国人」としてインターネット上で出回っていたことが指摘されている。また(2)ではシュ氏のインタビューが、他紙からの引用として掲載されている。
- (1)Baby-eating claims denied by irate officials
- (2)Taipei Times - archives"
マレーシアの週刊タブロイド紙に、台湾のレストランで人間の胎児が食べられているという記事が掲載された。台湾政府は現在、同出版社に対し、出版の差し止めを求めた。政府情報局(GIO)の袁凱聲(ユアン・カイ・シェン)はPerdana紙に対して抗議し、謝罪訂正記事を掲載するよう要求したと発表した。
Perdana紙は記事の内容について、台湾政府に既に謝罪を申し入れたという。今週水曜、最初に誤報に対して反論記事を発表したのは親民黨の議員、秦慧珠(チン・フェイ・シュ)である(写真)。
Perdana紙は写真は台湾のレストランでは胎児が食べられているという内容と共に写真を掲載した。しかし実際には、写真は、上海で活動するアーティストの朱昱(シュ・ユ)の食人と題された作品なのである。
シュは「傷害への没頭(對傷害的迷戀)」と題されたアート・パフォーマンスの中の一部として、「食人」と「瓶詰の脳(罐裝腦漿)」という作品を発表した。
中国のニュースに掲載されたインタビューの中で、シュは”作品を通し、生命と死についての議論を促したい”と述べたという。そして生後6ヶ月の胎児(元は堕胎された胎児であるという)をを食べることで、伝統的な倫理感に挑みたかった、と話し、また人間の死、そして永遠の命を求め続ける人間の文化を変化させることが出来るかどうかを知りたかったと語っている。
また「食人」の制作に当たり、シュは医学校から胎児の死体を盗み、それを料理して食べたという。また肉はまずく、食べている最中には幾度か吐いたことを認めたが、"芸術の為に"それを行わなければならなかった、と語っている。
作品は物議を醸しているが、シュは中国の前衛芸術家では名誉ある存在として広く知られている。しかしまた「瓶詰の脳」では人間の脳を瓶につめたものを制作したが、それもやはり多くの批判を集めている。
6.プロパガンダに利用される「食人」画像
こうして「食人画像事件」はひとまずの終結を見た。しかしその後、シュ氏の作品には更に他の画像も加えられ、様々なキャプションと共に恣意的にモンタージュされ、アジア諸国間で互いに他国を叩く為のプロパガンダとして利用されている。
例えば2002年には台湾で「胎児を食べる中国人の実態を告発」といった内容のウェブサイトが作られ、シュ氏の作品とは別の新たな「食人」画像が追加されている(画像の出元は明らかではない)。その結果、一部では全てがシュ氏の「食人」画像と混同された状態でウェブに出回っている。
- 中国人は人肉を食べることを楽しんできた
- 控 訴 滅 ? 人 性 大 陸 吃 嬰 (邦訳)
※上のサイトはおそらく台湾の大学生によって作られたものが、コピーされたミラーサイト。オリジナルは既に消滅。
7.「食人」の真偽
一説にはシュ氏が食べていたのは単に鳥の肉を細工して作ったものであるとも言われている。その理由として、シュ氏が食べている"肉塊"は頭部をはじめ、人間の胎児と呼ぶには余りにも大きい事、ディティールが曖昧である点などが指摘されている。またこれまで、シュ氏の口から語られた直接の言葉は、上述の台北タイムスに掲載された引用によるコメントのみであるものの、同紙はそのソースを「中国語の新聞」としか示していない為、実際にシュ氏が語ったコメントであるのかどうかは疑問が残る。
8.胎児の遺体入手可能性
1995年には、香港の新聞に"中国の四川省において堕胎された胎児が安価で売買されている"とした告発記事が掲載され、それが英国のテレグラフ誌に翻訳掲載されたが、これも真偽の程は不明のまま今日に至る。
- Church of Euthanasia - Snuff It 3 - Eating Fetus in China
しかしまた倫理的な問題を抜きに、売買の可能性という視点だけで考えるならば、死亡した胎児を何処からか入手すること(そしてそれを食べること)、それ自体は中国であれ台湾であれ欧米であれ、全く不可能なことではないと思われる。
- A hospital scandal stirs the French
※最近仏で発覚した死産の胎児350体以上を病院が不法に保存していた事件
- Plastinated fetus stolen from the Bodyworlds exhibit
※今年4月、米ロスで「人体の不思議展」の最中に胎児の遺体が盗まれた事件
- 中絶胎児一般ゴミ廃棄に関するメモ(04/07/26)
- <中絶胎児>「一般ごみ」として処理185件 長野県
- NHKスペシャル:中絶児利用の衝撃
【参考2】New Chinese Art: Center for Contemporary Chinese Art
- MUSEO DE LAS MOMIAS(メキシコのミイラ博物館)
【関連】死者を役者に 英
- カニバリズム - 人間は如何にして人間を食べてきたか
- Ogrish.comが大規模なクラッキング攻撃を受ける
- X51.ENEMA: 動物の死体を組み合わせてキメラの剥製
きぃやぁぁぁ~~~
う~ん
ゴーグルしてこれから飛ぶ感じ?
昔、鳥山明の短編集にこんな感じの絵柄のマンガがあったよ
最後、鳥になるんだけど、このオブジェ?とマジ似ているw
あの食われてる胎児は結局ニセモンなのか
それともニセモンなのか・・・
と思ったが、そんなことどーでもいいな、ここまでくると。
ホンモノでも、ニセモノでも、死んだ後は炭素の化合物?
燃やされて 煙になるか
土に還るか
他の生物に 食い物にされるか
芸術作品になるとは選択肢ないっしょ。
未熟ながら同じ芸術の道を歩むものとして吐き気がするな。
芸術だからって「何でも出来る」免罪符にはならないよ。
こいつはアーティストじゃなくてただのキチガイ。
なんか、お粗末なかんじがするが…
この胎児、たぶん私と同世代。
当時、この子の親は献体を許可したんだろうけど、こんなふうにされちゃうとは…。
人体の不思議展も賛否両論だったが、こっちはひどい。かわいそう。
>中国現代美術展
>中国現代美術展
>中国現代美術展
>中国現代美術展
パクりと強奪だけで成り立ってる中国や朝鮮の美術の何を展示するってんだ?
中国人に芸術を語る資格なんて無いな。
あのさーー 全部「アート」で片付けようとすんなよ。「アート」って言い張っちゃえば何やってもいいなんていう隠れ蓑にするなっつーの!
こういう奴がいるから美術関係の人間はどっかおかしいって、全体が全部一括り言われちゃうんだよ。めーわくだっての。
下卑た人為しか感じんね。
「大学のキャンパスに芸術作品と勘違いされて放置されてた死体」のがよほど芸術性高い。
胎児を食うという似たような告発記事だけど
http://tcnweb.ne.jp/~perfect/china.htm
吐き気してきた・・・
>30
「現代美術」では後進国もいいところだが
「芸術を語るな」は言いすぎ。
日本美術は大陸の影響なしには語れん。
倫理的にけしからんから、芸術性がない。とは俺は思わん。
(評価されるかどうかは別)
美術館に展示するのもどうかと思うが、
作者に本当に悪意がないなら、あまり責めなくてもいいんじゃないか。
ばっかみたい。新しい命を吹きこんだわけですだと?
てめー何様だ。芸術なわけねえだろ!人様に勝つ才能が
ないからインパクトでどうにかしようとしただけだろーが
凡人・凡人ばーか。てめーには才能なんかねえんだよ!
ちゅーごくもなんでもかんでも食う文化、やめろ。
よくよく見てみると哀愁が漂ってるな・・・
>>13
漏れ、その短編集もってる!!
ありゃ最後、ニワトリにされるんだったぞ!w
>私はそれを組み合わせて、新しい生命を吹き込んだわけです。
なんかマッド・サイエンティストみたいなこと言ってるな。
遺伝子操作でキメラ作って「私の芸術だぁ~」とか言いそう。
マンガみたいだ。
宗教的、倫理的にってのは国によって違うだろうが
人権的には間違いなくやばいだろ
あと飯食いながらココを見るのはどうかと思うよ
“本物”を使ったら本当のアートじゃない気も。
技術や発想が無くても、本物には常に訴える力があるから。
例えばコップに水を入れて置いただけで人に何かを訴えるのは
それが本物のコップと水だから。
でも、本当は絵に描いたコップと水で本物の持つ力を伝えなきゃいけない。
まぁ、世界的に注目されている現代美術なんて
オタク向けのえっちフィギュアとかそんなんばっかです。
だから注目されているかどうかなんて、アートの善し悪しには繋がらないと思う。
キモいけど、日本とかでも昔は魚の身体と人間の頭くっつけて普通に人魚のミイラとか作ってたんでしょ?
>>63
お昼からずっとアクセス出来んかったね。
>> 53よく言った!!こんなのはアートぶってるだけ!
これくらいやれば注目集めれるぞ・な感じがバレバレ。
だれもやらないことをする俺ってすごい
どんな権力にも屈しないぞ なぜならそこに芸術があるから!
とか思ってそうで 単なるキティなだけー
>キモいけど、日本とかでも昔は魚の身体と人間の頭くっつけて普通に人魚のミイラとか作ってたんでしょ?
人間でなければ良いって事じゃないけど
あれは猿の頭です
>キモいけど、日本とかでも昔は魚の身体と人間の頭くっつけて普通に人魚のミイラとか作ってたんでしょ?
人間でなければ良いって事じゃないけど
あれは猿の頭です
この自称アーティストの制作動機をよく読め。
こんなのただのキチガイだ、という意見は、
よく考えた上でならアリだが
「常識」で言ったまでなら、まんまと自称アーティストの
策中にはまった事になる。
こいつの罪は要するに
「なぜ今、食人を再考しなければいけないのか」
という理由が全然定かでないのに、一方的にこちらの
生理的嫌悪感や倫理観にアタックしてきた事。
傲慢とも言える。
だが
「なぜ、ある肉の塊を喰う事が
生理的嫌悪感や倫理観にひどく触れるのか」
という問題そのものは宙ぶらりんのままだ。
この自称アーティストの尻馬に乗る必要などないが
熟考すべき問題である。
なぜみんな嫌悪感を抱くのか考えてみたんだが
やはり人間の体には人間の人格というか魂が宿る
という感覚があるからだと思う。
つまり死んでいようが生きていようが体そのものは
倫理的に同価値だから、体をつぎはぎして作品です
なんてのは人間に対する冒涜になるんだろうな。
ただ、微妙なのは同じ胎児の死体を素材にしていても
きれいな剥製をつくった場合はどうなんだろうか。
まともな人間がそんな剥製を作れるとは思えないが
おれはありだと思う。
本人をホルマリン漬けにするより、こいつの身内に
同じ事をしてやると拉致して脅してみれば、
自分がしでかした事の異常さとか理解させられるかな?
それとも基地外には何しても無駄か?
いま中国に住んでるけど、外食してると実際どんなもの
食わされてるんだか・・・・・って、よく不安になるよ。
周りの中国人には悪いが、ここは人間の住む国じゃない
というのが正直な気持ち。
死んだ身内を食して己の一部とする。
これは、日本にもあった習慣だし、
別に生物学的に見ても、
死んだ赤ん坊を食べてしまう生き物は珍しくない。
問題なのは売名行為のために手段を選ばない自称芸術家とそれを展示したり買ったりする人間がいることだ。本物の死体を組み合わせて新しい命を吹き込んだだの、食人をそのまま取り上げて作品だといわれても、そこにはその行為を芸術に昇華するだけの意味も動機もないじゃんか。あまりにもそのまますぎてレベルが低すぎる。そこにあるのはただ浅ましい売名に対する欲望だけだ。そんな作品を売って金のやりとりがあるとすればそれもまたあさましい。そんなものを芸術なんていってほしくない。
水面に投げた石による波紋の軌跡もまた芸術。
ソレを見、批判する人間達のざわめきもまた作品の一部。
そう有意味ではすばらしい作品だと思う。
つか、芸術か否か、という件については
「アート」がもう、ずいぶん前から自家中毒、
空中分解している事実を挙げたい。
伝統的な油絵や彫刻といった「美術」は細々と
命をつないでいるが、その美術を含む「芸術」という概念は
早い話、もう何でもアリなのだ。
アートと言えばアート。
その点、この死体いじり達だけを責める訳にはいかない。
食人は元の形のまま食べてるの?
たとえば手はそのまま・・でとか・・・。
でも、人間ってなんで普通人肉は食べたくないのに
他の動物だと平気なんだろうね。
http://www.tcnweb.ne.jp/~perfect/china.htm
シュという男の作った作品ではなく現実の料理の様子らしい。これはまじで吐いた。
ちゅうごくじんキタよー
キタキター
っつうか、芸術的理由ありならなんでもおk?
たとえば旅客機をハイジャックしてビルに突っ込んだとする。
そして「これは生命と文明の儚さを人類に訴える体を張った芸術である」なーんて声明を残してたとしたら?
これはアリ?
キーワード「中国」に脊髄反射多数発生。もっと大人になろうぜ。
たまにまともなことを言っているやつもいるが。
あと食事をしながらX51.ORGを見るのは今後もやめておくようすすめる。
>>99
シュトックハウゼンがそんなことを9.11の後で言って、メディアにさんざん叩かれてたね。
たしか「あれは周到に用意されたテロリスト達の傑作である」とかそんなだった気がする。
最後は謝罪したけど、アーティストの感覚なんて、まあそんなもんでしょ。
>>104
俺は肉食だけど、みんなと同じで人間は気持ち悪いから食べたくない。でも倫理的に食べられるかどうかという問題は個人差もあるし文化の違いがあるだろうから分からない。
ただ酷い!とか信じられない!とかいくらモラルを盾に批判してもそもそもシュ自身が
>伝統的な倫理感に挑みたかった
って言ってる以上、それは想定済みなわけで、法的にも問題がない以上、モラル批判を超えた批判じゃない。いくら喚いても作品以上に無意味なんじゃないかと。で、つまりそれを浮き彫りにすることがシュの狙いなんだろうなとは思う。
まあ芸術家ってなに考えてるかわからないし?
前衛芸術家とか既定からの脱却を考えてるわけだし
ぐちゃぐちゃに塗りたくった絵が芸術的に評価されるんだからこういうのが芸術といってもおかしくは無いと思う
ある意味常識はずれなことやってるから本人としては成功じゃない?
まあ前衛音楽にせよ前衛芸術にせよ
新たな価値観や観点で物事を捜索しようという意欲はすばらしいが、自分にしかわからない世界のものを世に出すなと
これがいい例じゃない?
どんなものを表現したいと考えようが自由だと思うが、
本物を使う意味がわからない。
気持ちをこめて作れば、本物以上にリアルなものを
作ることはできるだろうに。
単に奇をてらおうとしているようにしか思えない。アホだ。
倫理的な問題も大きいが、創作者としても終わってる。
ものに頼りすぎ。自分の手で表現してみろよ。
食人の文化は中国じゃ当たり前だって聴いてたが
最近では文化大革命の頃あったと読んだことがある
まーそう言う民度の土地なんだよ
そのうち中国バブルがはじけたら
日常茶飯事になったりして
あそうだ 朝鮮半島の北側じゃ
今も当たり前らしいよね
○○人はこーゆー事もするんですよ
みたいな意味を込めた芸術?
すんえげー飢餓になってぬっころして食べる他人も居なくなったら自分の手足も食うんだろうか
この中国人に良識はないのか?常識は無くても良識くらいは身につけておいて欲しいものだ。芸術云々の前に道徳を考えろ。こんなやつ芸術家ではない!ただのキチガイ。
人間の死体を人間と考えるかただの肉塊と考えるか、ってヤツですかね
この制作者くらいまでいくと自分の家族の死体を生ゴミとして捨てるくらい平気でやるんかねぇ
芸術なんてモンじゃないなこれは。
生命への冒涜。
頭が人間の胎児であっても、魚であっても同じこと。
違う生命体に無理やりくっ付けた行為に傲慢と変態性しか
感じられん。
ってか食人アートの奴の
「吐きながら食った」
これで俺としてはアウト。
映画俳優が実生活でまでヒーローでいる必要はないが、
食人アーティストは、飢えを満たす為においしく食うべきだ。
完成した写真だけでウマそうにかぶりついて見せてもダメ。
人様の死体を嫌々ながら食べた挙げ句無駄にした、というのは
食人が許された世界でも不実、不正義に当ると思う。
人食いアーティストが常識に挑戦、というが
具体的に、じゃあ意識革命の果てに何があるの?
と言えば、スーパーで普通に人肉って売っているよね、
という状況だ。
人が死んだら葬儀の後、死体を精肉業者に売るのが常識な世界。
でもそれって要するに
「価値観の変化」だよね。
「根源的なタブーの変化」とは縁もゆかりもない。
人肉が食える世界では、可愛いブタさんを殺して食う事が
犯してはならないタブーかも知れないし、
ものは何であれ「根源的タブー」は人間から切り離せない。
早い話、
「そういう世の中なら、そうなるでしょう」
というだけの事。
ゲロ吐きながら胎児食ってるこいつは馬鹿だと思う。
人食いアーティストが常識に挑戦、というが
具体的に、じゃあ意識革命の果てに何があるの?
と言えば、スーパーで普通に人肉って売っているよね、
という状況だ。
人が死んだら葬儀の後、死体を精肉業者に売るのが常識な世界。
でもそれって要するに
「価値観の変化」だよね。
「根源的なタブーの変化」とは縁もゆかりもない。
人肉が食える世界では、可愛いブタさんを殺して食う事が
犯してはならないタブーかも知れないし、
ものは何であれ「根源的タブー」は人間から切り離せない。
早い話、
「そういう世の中なら、そうなるでしょう」
というだけの事。
ゲロ吐きながら胎児食ってるこいつは馬鹿だと思う。
少なくとも、「人体の不思議展」のシリコン固め標本は
ご遺体本人が生きてるうちに「こうしてくれ」ってゆって標本化してるし、その技術開発した本人からして
「死んだら標本にしてもらう」って云ってるぐらいだからなあ・・・。
胎児でも、遺族の了解も無しに勝手にこんな風に人目にさらすのはどうかと思うよ。
次の作品がよめたぞ!
鳥の頭を人間の体にくっつけたヤツだろ。
新しい生命を生み出したっけか?
笑っちゃう芸術だよね
バカまるだし~
既出の意見かな。
これは生命に関する倫理を改めて問いただすもの。
感情的に排除するのも、論理的に批判するのも、解釈を試みるのもすべてこの作品によって喚起された、生命倫理に対する個々の解答で、同時に正解なんだと思うな。
それがこの作品の持つ価値もしくは作品に組み込まれた意味じゃないか。芸術か?なんて知らネ。
人間が為している生命への冒涜は理由や言い訳が与えら正当化されるが、これはイカンよ。方法としてベストじゃない。
社会規範に沿う事と、芸術である事は必ずしも一致しない。「芸術の前に道徳」という主張は、心情としては非常に良く理解出来る。しかし、規範を踏襲するだけの芸術は死んだ芸術だ。
この自称芸術家は、もしかして強烈なサディストで、死体愛好傾向がある。死体を切り刻んだり、食べたりすることを攻撃的な性交の代償とする、すなわち死体淫行を「芸術」の名で正当化したのではないか。
っというのは、フロイディアンの私の深読みかな。
ヨーロッパでは食人の話はあまり聞かないけど、死体淫行は驚くほど多いらしい。映画にすらなった。
>>122
あの死体の一部は、どうも中国から売られた身元不明の安い死体も含まれているらしいと判明し、警察の捜査が入っているはず。
>122
しかしまだ意思のないはずの胎児のシリコン標本が展示してあった罠。
死体の身元が中国(俺が行った展示会場のものは)だったので、
貧困な人々が金に困って了承したなどということも考えられる。
>126
しかし芸術が「道徳の規範」を超えることが増えるにつれて
「道徳の規範」自体が芸術によって歪められる恐れがある。
要するに死体とかが普通に展示される世界で安全な道徳が保てるか
はワカランということだ。
・・まあそんな世界でなくとも既に現代(というか昔から)の道徳も安全とは思えんが。
胎児がお腹にあるシリコン標本あったっけ?
技術説明付きの本でしか見てないから
よく覚えてないけどね。
胎児は母の所有物?
生をモチーフにした、と言っても
身元も知らない子供を使ってアート
にし、人にみせつける。
生んだ親(どうせ、売ったんだろうが)
、子供ともに不幸すぎる。
狂気じみていて、本当におかしいとしか
いいようがない。そういう系のひとかは
どうかしらないけど、趣味を公開するとき
は場をわきまえてほしい。
それと、胎児食い野郎だけど、
きみのうち貧しいの?
死んだイヌはイヌじゃない。ただの死体だ。
みたいな事を人類の倫理観から外れつつあったシンイチが言ってたな。
俺は死体なんざぁただのモノだし、自分が死んだ後どうされようが構わんと思ってるがね。
アナル犯されようが誰かの栄養になろうが。
閑話休題
中国の倫理観が分からない俺たちが何言ったって、傍目八目だよ。
タイなんか「今日の死体」なんつー番組があるし、その写真集まで出てるって言うし。
嫌悪感を示すのは正常な「日本人」としては当然だと思うけどその意識だけで語らない方がいいよ。
吐き気がする。こいつ嫌い。それだけで十分だ。
芸術とか倫理とか、そんなのよりもっと大切なものが目の前にあるだろ?
何かを伝えたいらしいが、これじゃ何も伝わらないよ。
>114
まー あれは大部分同意の上ではあると思うが。あれ違う?
芸術にしろ研究にしろ、死体を提供する本人が制作者の意図や死体の使用目的・用途を理解した上で合意したなら、法律に触れない限りその行為自体は問題無しじゃないか?
問題となるのは、意思表示ができない、胎児や病気の人、人間以外の生物の死体利用をどうするか。それと、死体提供者と死体利用者が合意した行為を第3者に見せる(目に入る)状態にする事なのでは?この線引きが重要な気がする。
単に衝撃を与える事をアートと勘違いする自称芸術家ってどこにでもいるってだけだと思うけど。それがネットが整備されて世界を駆け巡ってるだけで。日本だと6,70年代の漫画あたりがそんなのばっかりだったと思う。
今の中国がちょうどそんな時代なんだろ。で、この手の衝撃だけの自称アートはすぐに消えるさ。
彼のやり方は私は感心できないけど、彼の探求心は理解できる。
今のところ、人の倫理は壊れ行くばかりで、クローン技術の探求と彼の芸術性の方向性は対極にあれど同じ事。
医学の進化か狂気か?
芸術の進化か狂気か?
生み出す事も破壊する事も二つで一つ。
どちらかが良くてどちらかが一方的に悪くも無い。
野球部の部員が結果を出す為に腕立て伏せを何百回するかと同じ事で、そう考えてみたら探求心を持つ誰もが彼と同じ方向を向いてるんじゃない?
狂っているか狂っていないかのボーダーラインはあってないような世間の倫理で曖昧に引かれているし、このボーダーラインは段々と狂気の方へずれ込んでいってる。気がするし。
こういう事は人類が未来に進むにつれて増えると思うよ。
何処かの売れないバンドがライブで日本人首斬りビデオ流したのも
芸術だかなんだか言ってなかった?w
首斬るのも、鳥の死骸とくっつけるのも、首絞めるのも
「芸術」の一言でオールオッケーってか。
ニホンはめでてーなぁ
こんなのは芸術じゃない!
じゃあどこからが芸術でどこからが芸術じゃないのか。
そんな完璧な境界線は無いと思う。
第一芸術にこれをやってはいけない、なんてルールは無いし。
もし作者に明確な意図があるなら、伝えたいことがあってやったことならば、それを否定する権利は無いような気がする。
中国人とか日本人とか関係ない。偏見だと思う。
ただ別の表現方法があると思うけど。
でも皆どうしてあれが人間の頭だからってここまで大げさに
騒ぐのだろうか?
生命への冒涜などと偉そうに言えるのか、疑問です。
じゃあ魚を趣味で釣り上げることは生命への冒涜ではないのか。
飯を平気で残すことは、いいのか。冒涜してないのか。
虫を殺すことに何も抵抗はないのに、こうやって
大々的に発表されると、やたら騒ぐ。
それは人間の命だから?
虫やネコの命と人間の命の重みは違うのか?
人間の場合だけ、あれこれ騒ぐのはおかしい。
中国人中国人ってこれをちゃんと見ろ!
→http://x51.org/x/05/01/2721.php
これ民族とかの問題とか話じゃないだろ?そういう見方をする考えの狭いヤツには芸術以前の問題で道徳語る資格も無いと思うよ。
胎児食ったこの男だけがおかしいと思うか?売った母親もおかしいし、胎児食った男を、そういう法律が無いから捕まえられない国家も全部がおかしいって話だろ?
それが言いたい写真じゃねーの?
人頭鳥のオブジェは死んだものを取り合わせて新しいものを作るという、昔から一部の人がお好きな内容だろ?フランケンシュタインとかさ、死んだものが作品として生を持つことに対して何か思うところがある人にはあると思うよ。
本物とか偽物で表現じゃなくて、あれは死んだものだから意味があるんだよ。
人権をないがしろにする人って、
自分が人間扱いされなくても、文句いわないんだろうね。
それと動物や虫も人間扱いしても文句いわないのだろう?
食べるものが減っても、なんの生産性もないものに、
金つぎ込んで人間同等に養っていくんだろうねぇ。
>>143
誰が人権をないがしろにしてるんだい?
人権なんてのは所詮憲法に記載されてる物だし、中国の憲法や法律に死体にも人権がある、って記載されてない限り、人権的にこのオブジェは何の問題もない。
今問題になっているのは倫理の問題。
そこの所をごちゃ混ぜにしないでくれ。
議論が混乱するから。
いかにも、中国現代芸術の名にふさわしい。
批判的な意味で・・・。
医学や科学の倫理審査会みたいなのはすでにあるが、
芸術の倫理審査会も必要な時代になったということですね。
非現実的すぎる・・・
夢でこれが飛んできそうだ・・・・・・・・・
まぁ「芸術」としてみたとしてもこれは評価的に価値低いでしょ?
誰がこれを求めますか?
たぶん自分だろうが他人だろうが
死体をどうしようと、芸術だといえば
文句いわないんだろうなぁ
とりあえず、俺アーティストだから
ここで、これは芸術だと言っている人!
あなたが死んだら、その亡骸をください。
立派な芸術品にしたてあげます。
なんてね。
クニさん
芸術は常に心地良いものである必要は無いですよ。
むしろ逆だと思います。
人が求めているものを作ったとしたらそれはすでに
「芸術」ではないと思いますし、そんな作品こそ評価する価値もないと思います。
>>141
>人間の場合だけ、あれこれ騒ぐのはおかしい
なんにもおかしくないだろ
これは人間だけが高貴で価値があるのでなく
人間にとって虫より人間の命が重く
虫にとって人間より虫の命が重い
命の重みが違うかっていったら、違うだろ
どちら側から見たかによって比重は変わるが
ちなみによく勘違いしてる人がいるが
芸術にやってはいけないタブーは存在するよ
それを破る破らないは別の話
なんつうかキメェなにこれ
別に死体を使うのはどうでもいいんだけど
作るんならもっとましなの作ってほしい
これじゃあ気持ち悪さが先にたってしまう
確かに、もうちょいセンスのいいオブジェが作れなかったのかな。
メキシコなんか髑髏に色を塗ってかなり芸術的なオブジェを作ったりしていたけどなあ…
皮膚とか肉とかは乾燥するとカサカサして余り見栄え良くないね。骨のほうが白くて美しい。
ところで、胎児の料理(ひょっとして毛を剃ったサルの子供化?)はどの様な味付けをしてるんでしょうか?
料理を楽しむというより、薬食いみたいなもののような感じですがね。
O
骸骨だったら型を取ってとか
肉があっても、デスマスクみたいに
やっぱり型をとってとかするのが
最低限のような気がする
このオブジェにしても胎児を食うというパフォーマンスにしてもそれを芸術というにはあまりにも直接的で低級だと思う。確かに芸術は心地よいものである必要はないけれども、ただ切りはりしただけのオブジェには語りかけてくるものはなくただその死体であることの気持ち悪さがあるだけ。胎児を食うことが芸術であるなら、人の首を切り落とすテロだって芸術の筈。倫理とか道徳を持ち出すまでもなく、そんなこともわからない人間に芸術を語ることはできないと思う。
俺の中国人の知り合いに叔父さんが胎児の死体食ったってやついたよー、なんか今にも死ぬぐらいの病気にかかってたんだけどそれ食ったら今はピンピンしてるんだと。
話教えてくれた本人は死んでも食いたくないっつってたけど。
現代美術とは何かというと、『受け狙い』のノンジャンルなのですよ。
自分はそれをおもしろがっている口なので、この作者と同罪です。実際日本で展示があったら絶対見に行くし。
人体の不思議展だったっけ?
あれも本物の人体を使ったアートといえば言えなくもないよな。
アレで本物の死体を使うっていうのの門戸が開かれちゃったようにも思う。
それにミイラや即身仏やらレーニンやら、死体を見世物にってのはもともと珍しくないとも思う。
死体を扱うことが芸術だとはまったく思わない。
技術を持ってるわけでもなし、思いつきで人と動物の死体を合体させたものが芸術だとは(呆
中国じゃ芸術のためなら何してもいいらしいな、馬鹿らし。
>>132
傍目八目の意味が違う。辞書を引きなさい。
>>138
頭の悪い人は黙ってましょうね。
>>152
どちら側ではなく個人の問題。
人間が皆人間の命を第一に考えてるだなんて幼稚な発想は捨てなさい。
なんにしても馬鹿なモラリストの結束を強めるには良い材料でしたね。
日本人としてはこの作品に好意を持たなくてもいいと思う。
ただ、作品でなく作った人を責めるのはあまりに程度が低いと思う。
「死んだ」人間がどういう存在なのかは個人それぞれが胸にとめとけばいいと思う。
僕ら日本人は「生きてる」人間を大量虐殺した国だ。
中国人という括りで批判するのはあまりにモラルが無さ過ぎる。
作品に対しては。命なんて日常で考えませんよね?>>164が言ったように、普段から火葬の倫理観などを考えますか?
形式的に死体は燃やす物だと思ってますよね?
生命のあり方を真剣に考える機会を貰ったと僕は思う。
>>170
http://www.geocities.jp/nanking1937_matsuo/nanking/video.html
本当にあったかどうか解らないことまで持ち出すのはやめてくだされ。
あんまりイデオロギーに縛られるのもどうかと。
~・~・~
この自称芸術家にとっては黙殺された方が、この人の為かも。
多分昔は全然誰からも注目されず、奇行をはじめたら注目されて
それが快感でやめられなくなったのかも。
嫌々食べるわけですし……。
http://www.asyura.com/2002/war11/msg/982.html
ここの「猿の生け作り料理」の説明をみたやつはいないのか・・・
久しぶりに文字onlyで吐き気を催したよ
「中国人は人肉を食べることを楽しんできた」
このホムペの猿の脳みそ食べるってやつ、聞いたことある
ガ━━━(゚Д゚;)━━━ン!
何でも食うな━━━!!!
吐き気がするぜ!!ヽ(*`Д´)ノゴルァ
>171
打通作戦で多くの中国兵、便衣兵を殺したのは事実ですが。
虐殺=南京 なんて短絡的に考えずもっと視野を広げてみよう。
じゃないと 食人=狂気 みたいな短絡的な思考に陥ってしまう。
死体写真が超おぞましい・・・ムービーは怖くて見れない(´・ω・`)
44マグナム弾で撃たれたヒトとかマジで悲惨。
裸をアートにするヒトはいても死体はヤバスギ。
ここまで来ると「ケンチョナヨー!」だけでは済まされ
ません、はい。
新しい生命を吹き込んだわけです。
その一言ですべてぶち壊しだ。
受容体である見たり聞いたりする閲覧者、買い手、展示者も含む、が受け取る事であって、作り手が言う事では無いだろう。
アートにしたければ。
中国の現代アートを評価している連中はいるが
実態は商業主義にまみれたクソ作家がほとんど
評価している連中も作家も金目当て。
ましてこんな最低な作品まであるなんて!
あーダメだ。
当分鶏肉料理食べれそうにない。
理科室の前にキジの剥製みたいなのが飾ってある。
うーやっぱダメだ。
当分理科室の前も通れそうにない。
これは宇宙人が中国人に怪光線を送ってやらせたに違いありません。
本当の目的は人類を混乱させて仲たがいさせることです。
中国人が選ばれたのは国連の常任理事国であり新興勢力だからでしょう。
もしくは中国人は既に宇宙人と密約を結んでいて、自ら進んで人類文化の撹乱を起こしているとも考えられます。
まぁこのサイトでモノ食いながら見る時点で覚悟しなきゃだめだぜ
そんな俺はスティックサラミ食いながら見ちまったがなOrz
キチガイなのは確かだけど
アートだろうがカニバリ野郎だろうが
誰もやったことがない(やりたくもない)ものを発表したわけだから一応イノベイターにはなるんだろう
もちろん「外道として」だけど
中国では20世紀初頭まで人肉が店で売られてらしいから、胎児なんてそこらじゅうに転がっているんじゃ?
中国はいまだ20世紀を迎えてない未開の国なんだね。
こういうとこが核を持ち、国連の常任理事ということが間違っているわけだが。
中国は全世界の癌ですな。
短絡的に「中国人は・・・」って反応するのは良くないだろう。
作品そのものより、そんな差別の方が醜く恐ろしいのは俺だけ?
「たけしの誰でもピカソ」て番組で
今までで一番印象に残ってるのが海津研って奴の作品でね
「カマキリの卵を採集してビンの中に入れておいたのをうっかり忘れてしまった
ビンの中でカマキリの子供がみんな死んでいた」
って内容のことを原稿用紙にたどたどしい字で書いてあるんだけど
その字すべてがカマキリの子の死骸をはっつけたもんだったという
研ちゃんの作品には、生命の尊厳とか自分がそれを犯したこととか
それでも表現という行為をやめられない「業」みたいなものがあふれ出てたね
こいつの人体を使った粘土細工からは
とくにそういったものは感じない
なぜなんだろう?
ちょっと中国話すると、
中国で子供が売られているのは珍しくないそうだ。友人が目撃してる。あと、バイト先の社長が猿の脳みそ食べた話を聴かせてくれたのでちょっと書く。
猿の脳みそだけを食べに行った中華料理店、よくある円形テーブル、ただ、足元が狭い。個々の席の前には皿が並んでいるのが普通なんだろうが、そこでは円い穴が開いてたそうだ。
最初穴には銀のドーム形の蓋があって、穴とはわからなかった。
いざ脳みそ登場!ってところでウェイターが蓋を取ってくれると、穴があった。嫌な予感がしたそうだ。
穴の下からキィキィと猿の声が聞こえると、エレベーターが上昇するように猿の頭が穴から姿を現した。普通の頭。
胴体はテーブルの下だ。猿は目を見開いている。
ウェイターが猿の頭頂部の毛を掴んで持ち上げると、脳が露出した。すでに切り開かれた頭蓋骨が蓋になっていた。
まだ完全には死んでいなくて、どうしてもスプーンを差し込めなかったそうだ。
俺の経験じゃないから細部が適当すぎて申し訳ない。
中国での話だが、都市や値段までは聞いてないや。
社長と一緒に行った人は食べて、クリーミーでまずくは無かったと言ってたよ。
なんかごちゃごちゃ言ってるけど、実はなんでも芸術になるんだよ。評価ってのは人によって違う。出来損ないの誰にも評価されない絵、そこら辺に落ちてる犬の糞、一本のネジ、核の爆発、人肉と鳥肉の合体でさえも、その人の認識しだいで芸術に成りうるんだよ。どんなに法律で決まってようが、批判を浴びようが、恨みを買おうが、それは社会の認識だけであって、その人が「これは芸術だ」と思った時点で「芸術」という「認識」があるこの時代では、その「なんでもないモノ」は存在する理由をあたえられた「価値あるもの」に変えられるんじゃないのかな?このただの死体の塊も死んじゃその人の中じゃ死んじゃいない「新しい生き物」なんだよ。芸術に法律ごときじゃ勝てない。
>このただの死体の塊も死んじゃその人の中じゃ死んじゃいない「新しい生き物」
おまいの心中にあるこの「作品」を汚す意図はないが
俺にはただの方便にしか思えんし
たぶんそれが本当のところだろう
>>154
遅レスだけど。
だから、中国国民に人権があっても中国国民の死体に人権があるかは別問題なんだって。
そこら辺の根本を考える議論でもある(と個人的には思う)んだが、いきなり結論を押し付けられても。
というか、これは逆説的な唯物主義(we are all meat!)への反抗だろ。
本当なら日本から出てきてもおかしくないものだと思うんだが。
一見ただのゴミのような落書きのようなものがあったとして、それの所有者が「それは私が作った芸術作品なのです。」と言ったとする。それを聞いた人は(ああ、これは作品なのか、芸術なのか。)とわずかながらでも共感してしまう。その時点でその物体はただのゴミから芸術作品というものになったといえる。つまり、作った本人が芸術といってしまえばそれは芸術作品ということになる。。
http://www2.tcnweb.ne.jp/%7Eperfect/china.htm
http://blog.livedoor.jp/safe_food_of_asia/
中国はやることなすこと全てがアートなんですかね。。
川が七色ですよ。。。
そのうち、戦争初めて、「アートです」
他国に核を打ち込んで「芸術です」
とでものたまうのでしょうか?
芸術の最低限の在り方は娯楽でしょ。倫理とか、いいわけとか出てきた時点で他人にとって娯楽では無い気がしますが・・・。
本人は娯楽かもしれませんが、、それは芸術でないでしょ。。
朝日新聞の1月7日の記事だったか、チベットでの鳥葬を中国政府が倫理的に良くないとかで、 チベット族に鳥葬を止めさせると言うのがあったけど、こっちを止めさせるべきでは、、、
鳥葬をやめさせる理由の一つに、最近では鳥が人間を食べないという。。
鳥も食わない、虫も食わない、農薬まみれの毒菜を食べている人間の体を、やはり鳥も食わない。
そんな体を中国人は食べるんだなぁ、、、
写真の胎児の目って作り物なのかなぁ、、
それともこれ↓
http://net.itdoor.net/netpages/3,521,1,1058249014.html
結構、衝撃なんで注意!
死者と芸術
レオナルド・ダビィンチなども、死体を解剖し、
人体の仕組みを研究し医学的知識探求、或いは絵画に生かすため、多くのデッサンを残しているが、死者を晒し者にするような事はしなかった。
それに比べ、この中国の三流芸術家は胎児を晒し者にして、自分自身の歪んだ芸術センスを満足させてる。
言い換えれば、芸術センスの無さを奇抜さで補おうとしているのだろうな。
前向きさ、探究心がまったく無い。下の下。子供の粘土細工なみの感性も無い。
「鳥も胎児も、おそらく何か良くないことがあって、どちらも死んだわけです。私はそれを組み合わせて、新しい生命を吹き込んだわけです。」
↑こう言う人物は、得てして大義名分を取って付けるが、
実際は、他人に注目されるには、このような作品を作る以外方法がない為であると、自分自身で白状しているようなものだ。
この「アーティスト」が
キモい事をして俺たちに挑戦してきた以上、
「人食い中国人キモいよ!」と脊髄反射して済ますのは
奴を喜ばせるだけというか、罠にはまったというか
頭悪すぎだと思うがな。
みなさん指摘の通り、俺もこんな粗雑な作品に
「アート」と銘打つのは安直だと思う。二流っぽい。
しかし、とにもかくにもそれが
「既成概念へのチャレンジ」である以上、
奴の方が勝利して、俺たちの方が
「タブーにしばられたチンケな奴」となる可能性だってある。
死体を「活用」する事の是非を、理屈でキチンと語れない人は
アーティスト大先生と同類だと思うよ。見た目正反対でも。
ってゆーかさあ、こうやって議論してること自体この芸術家の狙いですよね。なかなかやるな~。
アートじゃないとか言ってるけど、人それぞれのアートがあるんじゃないの?
と敢えて言ってみる。
>>211
ほう。何でも理屈で表現できないと、貴様は認めないんだな?
こんな作品、普通の感覚で見れば、やっちゃあいけないという事くらい解るだろ?それでも道徳論や倫理を展開しろってか。
あんたみたいな奴とは、いっしょに働きたくないね。やりづらい人間だ。
>>214
先に言われた...orz
作品のみをアートと見るんじゃなく、この作品を出したことで起こった現象をアートと見るとちょっと違った印象になりますね。
>>211、>>214といい>>217といいバカが多いな。
アートならなんでもやっていいのか?
人それぞれのアートの形があるのはわかるよ。
だが人間に生まれたからには最低限度の人道は守らなければならない。
そもそも本気でこの男がそれを狙ってると思ってんのか?
下手すりゃ人生台無しだぞ。
「タブーにしばられたチンケな奴」
「死体を活用」
こいつも同類だな
joel peter witkin(スペルうろ覚え)って言う写真家も本物の死体を題材に芸術活動を行っている。やっぱり色々言われてるみたいだけど、ここまで騒がれてはいない気がする。
この違いはどこから発生するの??
みんな宗教倫理に毒されすぎ
これは確かに芸術だよ
確かに気持ち悪いし、個人的には嫌い
美しいとも感動的とも思えない。でも
それは個人の見解
少なくとも見たものに(悪い意味でも)衝撃を残し
命に対して議論反論を沸き起こさせた。それはある意味芸術的
しかしみんなは本気で天国や霊を信じているのかと問いたい。
死者を冒涜する行為だとよく言うけど
人は所詮死んだら無に帰るだけなんだよ?
それが恐ろしくて人は神や霊やあの世を創造した。
死を恐れる弱い心を守るために
死者をうやまうのは死んだあとに自分が粗末にされたくないから
お墓を参るのは死んだあとに忘れられて消え去るのがいやだから
そして大切だった人が消えてしまったという事実を悲しまないため
全ては今を生きている者のためにある
そう考えて、それでも死者を作品にすることは冒涜だろうか?
彼は少なくともそうは思わなかったのだろう
作品は最悪最低であることは俺も肯定する。確かにそう思った
でもきっと彼が死んだらこういうだろう
「俺の死体も作品にしてくれ」と
もしそう言うのであれば、彼にはこれをつくるだけの権利がある
俺はそう思う(これも個人的見解であることに変わりないが)
だがもし「俺の死体はうやまってくれ」というなら
こいつにこれをつくる権利は無い。
ただの最低最悪野郎以外の何者でもない
こーゆーアートを作りたいとは思わない。
胎児を食べたいとも思わない。
でもそれらが本当に悪いことなのか?
ほら何だ?最近は個性なんかを主張するだろう。
ならばいっそ全ての人間は似てるけど別の生物だと思えばいい
そうすれば人食いなんて問題ない。
日本人がブタや鶏を食うようなもんだ。
取り立てて騒ぎすぎなんだよ、こーゆーことを。
…でもマジでビビった俺wwwwwwwwwww
>>だが人間に生まれたからには最低限度の人道は守らなければならない。
だから、この中国人の本意や気違い度がどの程度かは置くとして、
結果、どうして、そういう事を守らなければならないかという
問題提起がなされた訳だろう。このブログとかで。
残虐と荒廃を基本とする、消尽に向かう社会では
どうしていけないのか?
それが問題の中核だ。
誰だって残虐は嫌いだと思う。俺もこの「作品」は嫌いだ。
だが何で嫌うのか。俺の「常識」って何なのか。
そのへんの追求を思考停止させちゃ話にならないと思うがね。
>>194に自己レス
研ちゃんは自分で殺してしまったカマキリの子を作品に仕上げた
中国のこいつはおそらくお手軽に標本を買ったに過ぎない
そこには生命への畏敬も、それを犯したことへの後悔も、
後悔を克服し作品に昇華させるまでの変遷も感じられない
そうだな、死体がこいつの実の子供だったら多少は
芸術的価値を見出したかも知れんな
…俺は人でなしか?
すっごいキモくて、全然芸術とは思えなくてさー。
最低だと思うんだけどさー。
そうやって自分の倫理観とか、感覚で批判するとさー、
「タブーにしばられてる(と思われるので言うな)」とか、
「中国の倫理観が分からないのに、意見を言うな」とか、
「そういう議論自体が、作家の思うつぼ」とか、
なんか、前提論者が多いんだよね。
自分の意見じゃなくて、ルールや前提ばっかり
繰り返してるって言うか。。
「キモい」→「そういう脊髄反射はレベルが低い」
って、そっちの方がレベル低いよ。テレビ討論の司会者以下。
だったら、コレの正当性とか、芸術としての価値とか、
議論の中身について、反論して欲しいよ。
芸術ってもんの価値を決める基準は
「快」か「不快」かだけで良いんよ。
あれ見て「快」と思う人はおらんやろ。
やってよいか悪いかなんてどうでも良いわ。
>>228
海津さんからは虫に対する愛情がものすごく感じられる。
(虫出くわしたら硬直するほど苦手なんで尊敬するよ)
この「アーティスト」からは薄っぺらさと厭らしさしか感じ取れない。だから「作品」がどうこうという以前に嫌だ。
サプライズかまして、かまって~とかまって~って言ってる様にしか見えない。
誘い受けするなら、もっと心のチンポおっ立てられる様な誘い方してくれ。と。
下品ですんません。
まだまだ現代の医学や科学では解き明かされない人体は、それ自体が自然がつくった芸術だから、人体をそのまま使うのは明らかに反則だと思う。だからこれはアートではない。
>なんか、前提論者が多いんだよね。
「やっぱ中国人は野蛮なカス」
「駄目なものは駄目」の大合唱で満足していたら
「やりたいからやる」奴にどう反論すればいいのかね。
最低限の良識と倫理観、理性で感情や欲望をコントロールする能力が欠落したヤツは人間として認めるに値しない。言葉を喋り道具を使いこなす事が出来る器用な動物。そんな次元の低いヤツに芸術が理解できる訳がない。
よって、これは芸術ではない。
百歩譲って、この胎児の生前に了承をえているのか?と、問いたい。
芸術?
は!
狂気?
生ぬるい!!
基地外だと思います。(`ω´)
作者の国籍も関係なく、倫理観も道徳も関係なくただ純粋にアートとして、このオブジェやパフォーマンスとしての行動である胎児食自体を作品と呼ぶこと自体がおこがましい。作品であるからにはそこにものを作り出すという表現に対する情熱とその表現をするにいたった動機となる考えがあるはずで、それがあるからこそ受け取る側の感動がある。ただの受け狙いがアート作品であるとするならば、その考え方自体が商業主義に毒された誤りである。テロやグロやエロとアートとの違いはそこにあると思う。何でもかんでもがただ作者がアートと認めるだけでアートになりうるなんて詭弁もいいとこだ。大切なものが足りないんじゃないか。
>>241
とりあえず理性で感情をコントロールする能力を取り戻してください。
>>239
今世界の石油をルール違反で買いあさって使いまくっていたりするらしいからあながち気のせいとも言い難い。
>>229
議論する場合は前提の統一が不可欠。
まあもっともこーゆーところで議論なんてのが不毛なんでその忠告は正しかったりもするが
>>192
同感。
この自称芸術家(?)のやった事と、一般の中国人の道徳観とは関係がない。
個人的には”何でも食う”だの無理やり理由こじつけて中国の批判してるのはウザイ。
あまり芸術性を感じない気がするのだが。
どちらかというとちゃっちい気がする。
せっかく本物使ってるのにね。
まだどこぞの快楽殺人犯が殺した死体のほうがうったえかけるものがある気がするがなぁ。
>>247
何かそういうイメージ想像してくる人たまにいるけど、やってる事は何一つ変わってないんだよね。
人類がいかに視覚に惑わされてるかの好例
ここに投稿してるヤツのほとんどにワロタ
お前ら死体にこだわりすぎ、ネクロフィリアか?
死んだやつらがどうされようとそんなの生きてるやつらには何の関係もねーだろ?
それとも死んだヤツにいいことしたら何か返ってくるワケ?天国にでも連れてってくれる?
飛行機で数時間で行ける場所、もしかしたら隣で、生きたいのに殺されてる人間がいるのになんでお前らはそいつらのことより死体のことが気になるわけ?
それってようはお前らが死ぬのが怖いんだろ?死んでから忘れられてないがしろにされて見世物にされるのが怖いんだろ?
死んでるってことが生きてることの延長線から切り離せてないんだろ?
死んだらさ、もうそれは生き物じゃないんだよ、どんなに生き物に似ててもそれはもう別のものなんだよ。
死んだものがどうこうされるのが嫌なんじゃなくて、それによって自分に影響受けるのが嫌なんだよお前らは。
昔は人間の死体なんてどうにもされなかったんだよ、ただ捨てられていろんな動物に食われて、土に還ってったんだよ、だから土に還るって意味でアダム(土)って名前なんだよ。
そんで捨てた人間の死体を食った動物をまた人間が食うのな。
ようは昔っから人間は間接的に人間を食べ続けてきたんだよ、それを異常とか言っても仕方ねーだろ?
生きてる人間を殺して食うほど今は飢えてないけど、飢えれば鳥も豚も牛も人もどっちも一緒だろ。
昔知り合いに鶏肉は食える癖に、生きた鶏目の前で捌いて料理してやったら食えないって言ってたやつがいるぜ。
でも次の日スーパーで買った鶏肉なら食えるのな。
病んでるよな、どっちも捌かれて殺されてんのに自分が見たものは嫌がるんだから。
お前ら全員病んでんじゃねぇ?
一回生きた動物捌いてみろよ。それからそれを食ってみろよ。
それから議論してみ?
結局、作者が芸術と言えば芸術
コイツはたしかに基地外だが、基地外だからっつって芸術じゃ無くなるわけじゃないし
他人がどんな評価をしようと、たった一人でもそれを芸術だと思う人がいればそれは芸術
なんつうかさ、中国っていまどきのマナーとかルール
とかない感じするんだよね。そういう気質って言うか。
なんか野生に近い文化だよね。野蛮の一言につきるかな。
食人のおっさんもさ、何かを訴えるなら、自分の腕なり食えば
いいんだよ。なにも赤ちゃんをターゲットにする必要ないよね
それとアルアル探検隊の右側のひとににてるね
最近、どっかで(国内だったか海外だったか)
流産とかの胎児が保存されてたってニュースを聞いた。
焼却などの供養をしているはずだったものを。
普通に嫌だ。
これもそのクチだったら、
さらに嫌だ。
>>225
俺は219の言う事が正しいと思うね。
”手前勝手な妄想のルール” と言われれば「そうだよ」としか言えないよな。
大体あんな、子供の頭にピンポン玉みたいな目玉を付けて、いかにも安直に作った作品なんて芸術のカケラも感じないぞ。
「それはお前の考えだろう?」「常識の定義は?」「お前は思考停止だな」と、反論されれば、「そうだよ」と言うしかないな。理屈で論破したい奴は、そうすりゃいいさ。まあ、X51は各々の意見を出し合って楽しむサイトなのだが、このオブジェはあんまりだ…。
俺はスイス人の良心を見た思いがして、ホッとしたよ。
何だか見ててマーズアタックで火星人にチワワの体に頭移植される女思い出したの俺だけ?w
パッと見何か良いじゃんと思ったけど良く見ると作りが雑で芸術作品を名乗るにはいまいちクオリティ低いよ~な気がする。
>250
土に戻ったり、鳥やら蟹やらに食われたり有効利用されてるなら別にいい。
でも、こんなちゃちぃもんになるために、おかんから栄養とってここまで体作ったのかと思うと嫌。
たしかにコレ見ると、中絶して自分の子供使って、こんなもん作られたくないっつー気持ちにさせられる。
人から嫌悪感引き出す役割?。
有効利用かもしれんけど。
その場合はモノと思ってはダメなんだろうな、と思う。
でも、「芸術」って言葉の意味わからなくなった・・・。
>>250
死体だから何しても良いという訳にはいかないのでは?死んだ本人は存在しないから関係ないが、死んだ本人の家族や友人などに配慮は必要だろうし、他人が見て不快に思うことは良い事とはいいがたい。
私自身は、死ぬのはマジかなり怖い。でも、死体は有効利用してもらいたい。
人間を間接的に食うことと、直接食うことはだいぶ隔たりがあるだろ?それと、”お前ら全員病んでんじゃねぇ”といってるが、何を基準にどの様な手法で評価したのだ?
もっとも、250の人の言ってることも理解できるし、変に”命への冒涜だー”とか言ってるよりも、現実的だと思う。特に
鶏当たりの話は正しいと思うよ。
...捌いた事無いけどね。
>>252
いちいち中国批判するのは、邪魔なだけだよ。
みんな死に対して敏感すぎる。
アートってやっぱ、主観でしか語られないことが
ここ見てるとよくわかるな。
不快だから全否定ってのは大人気ない気が・・・。
あー、意見がまとまらない。
>>225
現にこいつは叩かれてる社会的にも、だ。
どういうことかわかるか?こいつも人食い男も一生後ろ指を指されていきていくことになる。
それだけなら自己責任だからいいだろう。
だがどうだ、家族の人生にも多大な影響を与えるし
美術館に何も知らないで入った奴は一生忘れられないものを見る事になる。
ここにいる奴だって読んでいくうちに不快になった奴が大多数なはずだ。
死んでいるから死体に何をしてもいいのか?
食っても良いのか?
見世物にして良いのか?
擁護してる奴らはどうだ、この男は「全ての生命を尊重するからこそ生まれたものである」と言っている。
コレに生命を感じるか?尊重してると思うか?
俺には干からびた赤ん坊とつぎはぎの羽をつけた腐れ外道の自己満足の象徴にしか見えない。
アート?芸術?お前らの見てきたアートはこんなにも生々しくて忌まわしく、不快になるものだったのか?
俺が勝手に作ったルールと言われればその通りだよ。
だがな、目の前にある画像に何の感情も覚えない奴らの考えよりはいささかましな自信はある。
まぁ近頃は「どうして人を殺してはいけないのか」なんてアホな問いをいい年こいた大人が大真面目に議論しちゃうような具合に病んできてる世の中だからな
「んなもんいけねぇんだからいけねーのに決まってるじゃん」で済むはずの問いがそれで済まなくなって来てるって事はそういう倫理観の基準がアバウトになってきてるってことなのかね
>>261
>お前らの見てきたアートはこんなにも生々しくて忌まわしく、不快になるものだったのか?
人によっちゃ最高級の賛辞になりそうだなそれ(笑
便器飾られて「はいアートだ」って言われる方が腹立つ俺ガイル。
別に死体に何しようと死体は死体だよ。
高熱で焼却されて、灰は処分されて骨も暗い穴倉の奥底にしまっておくとか
鳥に食わせるとか
土に埋めて滋養にするとか
なんであってもね。
死者にとってどれが幸せかなんて誰にもわからんし北京での博覧会でもともとの死体が出品されてたって事は「見世物」になる事は合意の上だったわけだし(多分ね。死体売買とか絡まなければ)
良くわからんが、上のほうで誰かが言ってるアートにおけるタブーというのは、こーゆー「そんな事やったらそりゃ注目もされるわ!!」ってな感じの事を言うのだろうか?
文中1『「食人」の写真・グロテスクにつき注意』の写真って
日本人は胎児を食う蛮族だ
てなキャプションつけて韓の反日プロパガンダに使われてなかったっけ?
Swissinfo日本語版ではこのネタには触れられてないな
隠しちゃいかん
http://www.swissinfo.org/sja/swissinfo.html?siteSect=105&sid=5945166
http://www.swissinfo.org/sja/swissinfo.html?siteSect=100
250に激しく同意
ちゃちい とい意見を言ってる人にも同意
だが
「悪いものは悪いに決まってんじゃね~か」
ですませている感情的なだけの、思考する事を破棄した人間には
同意しかねる
なぜかを考えるということが今の日本人には欠けている気がする
そして、否定派は感情的な批判ばかりで
肯定派の考えを少しでも理解した上で自分の考えを伸ばしたり
そいいった事をしようという落ち着きや前進が見られない人が多い
(最近の政治家の小泉批判派みたいに醜い思考だと思う)
俺は否定派の意見も納得できるし、
これは気味が悪いし、たしかにちゃっちい
でも芸術と言えないかと言われるとちと考えさせられる
間接的に人を食うとかなんとかの話がでてたけど
しかたなく人間を食わざるをえなかった人は悪か?
カニバリズムに意味を持ってた部族もいたし
人食葬の文化があった地域もある
「ひかりごけ」と「野火」をよんで食人について考えろ
だからといって人を食うことを認めるわけではない
最後に、作品を作るためにこの子供を殺したなら最低だが
この子供は堕胎されたんだと言うことについても考えて欲しい
ここがきっと芸術としてのポイントだと思う
この子は作者に殺されたんじゃなく親に、勝手な理由で
殺されたんだ
そしてそれは当たり前のように世界では起こっているんだ
これを見て、命について考える機会が得られたのなら
最低最悪のちゃっちい外道作品であれ、芸術なのだと私は思う
否定するならこれくらいしっかりと自分の意見を持って欲しい
そして考えることを放棄しないで欲しい(解りづらくていいから)
私には中国より、こんな今の日本が心配だ
>>269
の脊髄反射のバカさ加減に全米が呆れた
てか記事の中にアジア諸国で他国を叩く為のプロパガンダに使われたって書いてあるじゃん。こういう文章もまともに読めないバカが脊髄反射して中国ムキー!とか広めるからいい加減な情報伝達が加速するんだな。
>>204のアホサイトみたいに。
多くの人間の死体に対する反応を利用した売名行為にしか見えん。
芸術かどうかは、それを作った本人ではなく
それを見た(体感した)他人が決めるべきことであって欲しいと思っている。
>>271
何つーか、カニバリズムの件での議論流し読みしてても思ったことだけど、話のレベルが浮世離れし過ぎててイマイチ実感が湧かないからそんなこと言われたところで危機感も湧かないんだよね正直。「どうせ俺の平凡な人生でそんなもん試されるような機会がある訳でもなしぃ」って気になる。もうちょっと現実的なレベルに還元された話なら俺の貧困な想像力でも何とかなるかも知れないけど。
とりあえずこの胎児の堕胎した母親はこれについてどう思ってるんだろーね?
>>>271
この作品がそういった意図で作られてるかどうかはその作品をみればわかる。
まったく手入れされてない毛並み。
歪な めんタマを乗っけただけの顔。
奇妙はぶつぶつ。
そして血のついたままの鳥の羽。
これらの点を踏まえてお前がそう感じたんなら
お前さん、かなりキテるよ。
>>279
結局「キてる」だとか「マシな考え」だとか何を基準にしてどんな基準で語ってるのかわからん事ばっか言ってるから反論食らうんじゃねーの?あんたに言わせりゃ「倫理観」てのがその基準なんだろうけどそれを前提として何の疑問も無しに受け入れてることへの疑問ってやつなんじゃないの?
芸術って精神的なものだと俺は思うよ。
だから難しいんだ。正しいとか間違ってるとかだれにも答えは見つけられないんじゃないかな。
アートかどうかは一人でも(作者含む)「これはアートだ」と言うやつがいればアートだよ。
でもアートだから許せとか認めろって物でもないよね。
どれだけ賛同者を得られるかがそのアートの価値だと思う。
拾うのにそれ以上の経費がかかるだの言われる1円だってお金はお金。
アートだからって全部が1万円札って訳じゃない。
少し変な例えだがこんな感じ。
私にとってこの作品は価値の無い物。
人を食べる事については食いたいと思う人は合法な方法で食えばいい。合法でないなら我慢しろ。法(世論)を変える努力をしろ。
法を犯してまで食うなら社会から消えてください。
猿の話は完全に食文化が違うだけの話でこれや食人と並べる事じゃないよ。
脳を食べる事は珍しいことじゃないよ。海外のスーパーなんかで羊の脳とかパックで売ってるしね。
生きたまま食べるのだって日本人は普通に活造り食べてるじゃない。
踊り食いだってするし。
私は納豆を食べれないし食い物だとも思えないが食べてる人を否定したりしない。
てか【参考2】に貼られてるサイトの
http://www.newchineseart.com/artists/liwei2.htm
↑こいつの写真が激しく面白い件について。
少なくとも蜷川美香とか日本の下らん若手写真家の500歩先を行ってるな。やっぱ国が荒れてるところの方が芸術は元気がある。
なんで「胎児」なんだろう?
生まれてから亡くなった子でも、同じような議論はあったのかなあ?
「芸術」って銘打って、表現ってなんだろうと思う。
誰かに何かを伝える為の表現手段でこの作品を出す作者も恐ろしいが、自己(満足の)表現の結果にしても恐ろしい・・・
と思った
>中国現代アートが注目を集める
投機家連中とそれとつるんだ批評家によってな。
単なる金儲けの道具として注目してるに過ぎんよ。
注目に値する芸術家もいるけど、それは極一部。
>>285
そっか。これみて不気味としか感じない俺に説明してみろと言っても説明のしようがないか。
こんなもん認めないといってスルーしてればいいんだよね。
高校美術でコラージュの授業があって、魚の頭と人の体をくっつけたのが高得点をもらってた…
死体は『モノ』だとして、だからってそこから何か思うことはあるはず。
(実際、家族の死体を見て色々考えたし)
それを意味なく(芸術という意味があるといっても)傷つけるのはよくないかと。
私は『芸術』の一言で殺されたり死体を曝されたりするのはイヤだな…
表現なんか人によって違って当然。勝手な(奴らに言わせれば「倫理的な」)基準で批判してる奴らこそ何様のつもりなんだ?
別の価値をもった集団・個人だっているんだよ。
多数派が普遍的だと信じる価値観をもって少数派を非難するなど、ただの傲慢にすぎない。
動物愛護だとか言いながら牛だって鳥だって食うくせに。
日本人が鯨食って何が悪い?韓国人が犬食って何が悪い?
それと同じで人肉食だとか、そいういった文化が自分にないから、「知らないから」、不気味なもの、野蛮なものに見えるだけだろう。
法律的には問題ない、ただ他の芸術家が自らの倫理観でもって自粛していたことを、この作者は自らの倫理観でもって行った。それだけの話だ。
命の尊さを伝えたくてこの作品を作ったのかもしれないし、ただ売名の手段として、多くの人々が尊ぶ「命という素材」を使ったのかもしれない。
前者なら多くの人は理解できない(しようとしない)だろうし、後者ならば怒りを覚えるだろう。
作者が何を思ってこの作品を制作したかは知らないが、批評は作品それ自体についてなされるべきであって、犯罪者でもない作者本人の人格(あまつさえ中国の国家や民族)を非難するような意見はただ愚かだとしか言いようがない。
人は自分の価値感が正しいと盲目に思い込んでいるものだが、それはただ、「自分にとって正しい」ものだと気づくべきだ。
勝手に他人を巻き込むな。
ここではなされてるような議論を呼ぶ事が、この作品の目的だったんだと思う。
作者の狙いは成功してるんjかないか。俺は嫌いだが。
>>209
あたりまえだろ。
死体いじっくってるのばれたら殺される時代だぞ?w
人体について知りたいがために死人の体を犯す。
芸術について知りたいがために死人の体を犯す。
たいしてかわらん。
この人たち捕鯨反対に関しては目くじら立てて怒るんだろうな。
倫理的な問題は相対的なこと。
宗教のない国(これも語弊があるけど)に住んでいてなぜそれが分からないのだろう。
法的に問題がないのだから、自分らがこの作品を好きか嫌いか以上のことは言うべきではないと思う。
いけないものはいけない と言ってる奴
最低だな。命の重さが何もわかっていない。
もし、「殺してはいけない」を誰にも教えて貰わなかったら
簡単に人を殺すタイプだろうな。
なぜか?と言うのを自分の頭で考えろ。一度肯定する気持ちで考えろ
鶏を自分で殺して食べる。とてもいい案だと思います。
僕ら人間は既に何億と言う死の上に成り立ってることをわからない奴が多すぎる。
この作品を見て色々考えるべきだと思う。
271の
最後に、作品を作るためにこの子供を殺したなら最低だが
この子供は堕胎されたんだと言うことについても考えて欲しい
ここがきっと芸術としてのポイントだと思う
この子は作者に殺されたんじゃなく親に、勝手な理由で
殺されたんだ
そしてそれは当たり前のように世界では起こっているんだ
はとても重要だと思うけど。作品としてかなりギリギリのラインだと思うけど。「殺人」してないってところが作者のギリギリのボーダーなんだろうね。
この作品(と呼んでよいのか解りませんが)がここまで批判されるのは、非実用的な死体の利用をしているからでしょうか。
脳死患者からの臓器移植は実用的な“死体”の“再利用”。
だからこそ、殆どの人が文句を言わない。
食人に関しても同じだと思います。
食料が容易に手に入る状況では、人を食べることは多くの批判を受けます。
しかし、極限の飢餓状態では「仕方ない」と思う方も少なくないのではないでしょうか。
結局のところ人間は、本能に係る保身に弱いものなのだと思います。
「やってはいけないこと」とか「出来る可能性があって、誰もやらないこと」
をしないでいる妥当性が見つからない場合、どうしてもそれを
やってみないと気が済まない人がいる。犯罪者の中にもそういうタイプは多い
と思う。神戸の首切った少年とか。この作品がどうなのかは知らないけど、
その気持ちは誰の中にもあると思う。
>>シュは”作品を通し、生命と死についての議論を促したい”と述べたという。そして生後6ヶ月の胎児(元は堕胎された胎児であるという)をを食べることで、伝統的な倫理感に挑みたかった、と話し、また人間の死、そして永遠の命を求め続ける人間の文化を変化させることが出来るかどうかを知りたかったと語っている。
一種の挑戦だろ
まぁ、嫌悪感抱くことは自然な事だわな
ま、中国だし、いいんじゃない。
いまだに厳しい農家だと戦力外の子供とか赤ん坊など普通に処分してるし・・・
さしずめ、鳥体人頭、瓶詰めのキンナリー嬢か、エジプト神話の ba を参考にしたんかな
>>「全ての生命を尊重するからこそ生まれたものである」
とか、
コメントでの
>>「この作品を展示して物議を醸したことで芸術性があって、作者の思う壺だ」
とか言ってる人いるけど、こんな稚拙な造形で醜悪なモン作って、訴えてる内容があまりにもお粗末じゃねぇ?
「美しいものだけが芸術」だとは言わないけど、これは作品(と呼ぶのも嫌だが)もオブジェも低俗の一言に尽きる。
そもそも芸術作品は、見た人が自分なりにその作品を解釈するものだと思うんだけど。
「これは●●を表現する目的で作りました」とか作者が言っちゃってるのはナンセンスだと俺は思う。
これ見て、芸術云々よりも芸人の一発ネタを見せられた気分になった。
もしくは、血や包帯が出てくるおどろおどろしい絵や詩を書いて「病んでる私かっこいい」とか言ってる思春期の女の子の日記帳でも見せられたような。
つくるぶんにはいいんじゃねえの。
展示すんのは「嫌だ」って人がいんならやめればいいんじゃねの。
「アートはオナニーじゃいけない」けどその姿は限りなくオナニーに見える場合が多いのかもしれないね。実際そうなのかもしれんし。
ちなみにおれは汚ナニスト。
>>312
「これは●●を表現する目的で作りました」とか作者が言っちゃってるのはナンセンスだと俺は思う。
いえてる。何を表現しているのか考える余地があるから面白いのであって、種明かしされたんじゃみもふたもないね。
「既成概念の打破を目標としているのだから不快感を感じた奴は負けだ」
レイプして屈辱を味あわせることは芸術だって言い張る自称アーティストが居たとして、
批判すると「奴を喜ばせるだけというか、罠にはまった」ということになり
「頭悪すぎ」になるの?
[マイノリティの優越感]が欲しいだけのような。
>キモいけど、日本とかでも昔は魚の身体と人間の頭くっつけて普通に人魚のミイラとか作ってたんでしょ?
あれ中国産です。
アートか否かは別にして、死体ってのは見世物の一分野として確立されてるよ。
ミイラにカタコンベ、即身仏や畸形博物館、人体を使った標本の展覧会とか。
腐らない少女の死体だとか、上の方に出てるレーニンとか。
古代南米文明の遺跡にも人間の頭蓋骨で作ったお面とかあるし。
死ってのは興味深いサブジェクトだからな。
どちらかと言うと日本にある河童のミイラを思い出させる作品。
あれは猿だそうだけど。
参考に出てる赤ん坊のパホーマンスはグロもいいところだがな。
中国に習俗としての食人を示す公文書は存在しませんが、日本には公文書(弁官布告)として
残っています。
ttp://www.eonet.ne.jp/~otagiri/meijikinew_page_3.htm#1872(明治05)
1870(明治03)年04月15日:政府、人肝、霊天蓋(脳髄)、陰茎などの密売を厳禁。
つまり、明治のこの頃までは、人間のチンコや肝を食いたがるヤツが多く、密売が
後を絶たなかったので、政府が禁令を出したわけです。用途は主に薬用だったよう
ですが、金持ちの趣味なんかもあったらしい
「明治大正昭和 事件犯罪大辞典」、「新聞集成 明治編年史」より。
明治25年 大分県
河野儀平 妻を殺して、その生肝を眼病の母に食べさせる。
明治26年 三重県
高島久次郎 墓を暴いて小児の死体を掘り出し、蒲焼にして食う。
明治35年 東京都
野口男三郎 少年を殺して臀部と踵の肉を切り取る。それで人肉スープを作り、
ハンセン病の義兄に飲ませる。
明治35年 島根県
持田捨太郎 梅毒薬として利用するため、墓から人骨を掘り出す。
人骨は黒焼きにし、木炭やイタチの黒焼きと配合して薬とした。
明治35年 大阪府
安藤小三郎 共同墓地の番人であった同人が生首を密売。
明治39年 長野県
馬場勝太郎 女性とその子ども、子守りの3人、さらに別の女性ひとりを殺害して、肝を取る。
「ハンセン病の薬にするので、女の肝を手に入れれば150円の報酬を払う」と
“大阪の男”に誘われる。
明治40年 福島県
大竹某 墓から死体を掘り出して、梅毒薬を作る。
明治41年 三重県
小林助五郎、広松兄弟 7年間に渡って、火葬場の死体から脳漿を抉り出して
「人油」として売る。
昭和8年 群馬県
火葬場従業員が性病患者に依頼されて、死体を焼かずに脳を密売。
火葬場の敷地内には焼かれなかった死体が1570体埋めてあった。
命なんてものはありはしないわけで、当然命の尊さなんてものは存在しないわけで
結局人間が大事にしてるものにしかありがたみや尊さはうまれない
同じ人間だったとしても、俺達は見ず知らずの日本人が死ぬのと、見ず知らずのアフリカ人が死ぬのとだと明らかに前者のほうに悲しむ
まあ言ってしまえば命の尊さなんて不確かなもので批判されても、作者はそういうことに無頓着なんだからしかたないと
でもそういう点差し引いてもこの作品って面白くないよね
訴えたいことも伝わってこないし、小さい子が人形ばらばらにしてべつべつなのを無理やりくっつけて遊んでるのと変わらない気がする
命の尊さをうったえたいのかなんか知らんが、説明しないと伝わらないものは芸術でもなんでもない
ただの物だ
明治の話をもってこられてもなぁ・・・
まぁ中国人にも変な奴もいて日本人にも変な奴はいるでいいじゃない。
アートはその人がいったらアートって言うのを多数見るけど
ならばそれが優れているか劣悪か決めるかは回りの人間だと思わないか?
俺にはちょっとこれは・・・
コメントNo.186をご覧下さい。
たかが1つのサイトの1つの記事に対しても喧々諤々の意見の相違、感情的対立が生まれています。
これこそが異星人が狙っている人類撹乱の目的です。
皆さんは思う壺でひっかかっているのです。
このコメント投稿欄の中で真相を見抜いているのは私だけですね。
>>40 これって本物・・・?
とりあえず私的意見だけどグロテスクだなぁ
アートかどうかなんて芸術性皆無な俺には分からんけど、
この作品に感動する人がいるかどうかだな。
ちょっとはいたりするのかな?
何がいけないって
動物と人間を合体させてしまったことだろ
死体のアートは多くあるけど
これは死者に対して最低限の敬意を払うべき
自分が死んで鳥とくっ付けられたら嫌だもんな。
>>322
だからどうした?お前はチュンかチョンかアカか?
「皆様、中国批判ばかりしていますけど、日本人にも猟奇的な人は居ますよ~。ほれほれ。」
と、言いたいのか?
数少ない特殊な例を、さも全てであるかの様に、大々的に宣伝するなんざ、もう古い手なんだよ。まぬけ。
まあ百歩譲ってだな、この中国人は心底
生命倫理への挑戦をしたかったんだと仮定するよ
(俺には現代美術後進国での売名行為にしか思えんがね)
このスレのコメント見ても分かるとおり、この作品が
人間の遺体に対する根強い禁忌を揺さぶるまでには至ってないんだよな
むしろ禁忌をより強化してしまってる部分さえある
表現としては下の下ってこった
しかし否定派はやっぱり人の話を否定的にしか聞かないな・・・
冷静じゃないとしか言わざるを得ない・・・
ここのレスが他に類を見ないスピードで伸びていて
完全に議論を巻き起こしているということが
この作品の芸術的価値(考えさせる)ということにつながっている
人は得てして死や、それの対極である生について深くは考えないが
それを考える機会を与えたという事実に対しては認めざるを得ない
ただ、芸術作品にもピンからきりまであって
誰にも理解されないゴミから、誰からも認められる良作まである
だからこれは芸術作品ではあるんだと思うんだ・・・
ただ、芸術作品である事は認めるが、
間違い無く醜悪な駄作であるということには俺も同感だ
倫理観や感情的なものでなく、それを論理的にまとめて
「なぜか」を問う。これは忙しい現代社会には欠けていることで
大切なことだと思うんだ
だからここまで考えさせる力を持った作品は
ある意味ですごいと思う
思うのだが・・・きもい・・・それについては同感だ・・・
同感なんだ・・・わかってくれ・・・
297の考えにはとても賛同する
命の重さを考える機会が必要なんだ
大切だから大切なのではなく、なぜ大切なのか
「大切だと言われたから大切。」「周りがそう言うから大切。」
今の日本にはそういう短絡的な考えの人間が多すぎるとは思わないだろうか。
考えさせる、議論させる、と言うことを目的としたアートも
あるんだよ・・・
しかし・・・グロイ・・・
正直これ作った人がそんな事計算してるとは思えない。
センスのねえヤツが目立ちたくてやったとしかおもえないね。
まあタブーがどうとかはほっといても、
コレを芸術と呼ぶにはクオリティが低すぎる。
気泡にしてもつぎはぎにしても。
コレが芸術だったらお爺ちゃんのつぎはぎの服が10万ドルで取引されてもおかしくない。
長くなっているので、誰かすでに書いたかも知れないが・・・
誰かが「便器」の事を書いていましたよね。
あの時点から「目に穏やかな芸術」は崩壊の一途な訳で。
既成概念をゆさぶる、という大目的の下に
目立ちたがりがこれでもかと馬鹿を競い合ってきたのが
現代アートです。
また、アートに商業主義が絡むのは不実だ、との
ご意見がどこかにありましたが、アーティストにパトロンが
ついて、社交界(今ならマスコミ)で宣伝されていくのは
中世からの常です。
この「鳥人間」については、素材が素材なので賛否両論でしょうが、
作者の性急なスタンス、周囲の拒否反応はまさしく、典型的な
「お騒がせアート」の範疇かと思われます。
何の為に現代アートがあるかという「効能」を考えると、
私たちには馴染みのキッチュな家具や日用品
(マンガがプリントされていたり、遊び心のある形になっている)
の類いなど、前世紀にはなかった「アート物件」であり
かつての「前衛」の遺産です。
当然、激しい拒絶反応を招いて消えていった様式もありました。
問題なのは、この「鳥人間」が、ハリウッド産の
カルトムービーの数々あたりからの、愚直な引用に
過ぎないのではないかという感覚です。
彼がアートとして猟奇をつきつけるまでもなく、
ハリウッド映画の闇から、ギーガーを始め
実り豊かなサブカルチャーが花開いている事はご承知の通りです。
なので、今さら、引用に過ぎない死体アートを発表する感覚を
個人的には「イモ」だと思います。
作者に「反面教師」の意識があるのなら話はまた別です。
しかし、説明としてポエジーを持ち出すあたり、どうも
未熟者に過ぎない気がして仕方がない。
まーほとんどの人がこの作品を子供の死体と解釈する限りユ氏が言った「私はそれを組み合わせて、新しい生命を吹き込んだわけです」という言説は自己防衛の釈明であって作品を正当化する言説ではない。
少なくとも大多数の観衆にとってはこの作品は人間の首でしかないわけでその素材がもつ圧倒的な力に作品自体が喰われていることは間違いない。
さしずめ彼が言う新しい生命は生首にされた子供とカモメの体のように何か良くない事が起こって死んでしまう(殺される)運命なのだろう。
正直キモイですね。
この芸術の賛否を問うつもりはないが、
最低限、法律に則って欲しいもんですね。
日本じゃ死体損壊罪でつかまちゃうんじゃね。
中国は学術目的以外で死体を弄んでもいいのかね~。
まあこれが食人大国支那クオリティ。
思うんだが、この鳥人間つくったやつには鳥も人間も死体になったからただの肉にしか見えてないんではないか。
つまり高級粘土と安粘土はどちらも混ぜてしまえばただの粘土ということではないんだろうか?
皆は高級粘土を安粘土に混ぜるなんてけしからん!と言ってるだけで作る方としては
「その方がいいものがつくれるんです」
と言ったらそれだけの話なんではなかろうか?
関係ないことだが、俺にはピカソというやらの芸術がわからん。
高校の美術の教科書でピカソの「ゲルニカ」という戦争を表現するオブジェみたいなのがあったが、見てもわけがわからんかった。あれのどこに戦争の話があるのかがわからなかった。
でもあれはすっごく評価されているらしかった、まぁ教科書に載るくらいだからな。
それと同じでこの鳥人間の芸術もわからん、ホラー映画かなんかで見たことありそうな顔だ。
だけど誰かがそれを芸術だと言って、あまつさえ美術館に飾るのならそれも芸術なんじゃないか?
ピカソだって、わけわからんが芸術だと言われて美術館に飾られてるぞ。
それがみんなの言う芸術なんじゃないか?
しかし広告が気になる。
色々な意見みて、なるほどなるほどう~むと考えて投稿しようとしたら、
「どんどんHになっちゃうよ♪」
を見て情熱が冷めたよ。
>>337
端的にここに集まってくる人間の目を覚ませるため、または日常とのバランスをとるためには最適だと私は思うのですが。。。(私の場合いつも一番下までいって我に返ります)
316に同意
あと、歴史とか民族文化とか本能とか原罪とかのハナシされても
知らんよ。芸術かどうかも知らん。
もうこんな時代なんだから、社会性が一番大事やんけ。
「やりたいこと」と「やられたくないこと」があったら、
「やられたくない」方が優先だろ。しかもマジョリティが優先だろ。
みんな、子供が食われるところなんて見たくないんだから、
単純に見せるなってハナシだよ。
食いたいから食うって言うなら自分を食え。
「食ってるとこを見せて、社会に問いかけたい」とか、
社会に関わりを求めてくるな。タチが悪い。
>>338
いや、もう議論以前になんかこの尻振りにバカにされてるような気がして・・・まぁ確かに現実には引き戻されますが。
こんなこと議論してても現実はこういうくだらないものが反映してる文化で生きている人間なんだよな…っと。
>>330
おまいの理想論に水ぶっかけるようで悪いが、
この作品は「考える契機」にさえなってないよ
倫理を金科玉条と頼ってこの玩具を完全否定する奴と
表現の自由を金科玉条と頼ってこの作品を賞賛する奴と
議論は平行線、それどころか遠ざかるばかりだ
そういう理屈を軽やかに乗り越えて
見たものの心に直接訴えかけるのが
芸術家のシゴトなんじゃないかと思うが、どうかね?
その点でこいつのゲテモノは糞の役にも立ってないんだよね
>>341
偉そうに言うが、お前は見る者すべての理屈を軽やかに乗り越えて心に直接訴えかける芸術作品を見たことあるのか?
そんな作品があるなら是非教えて欲しいものだ。
>342
実際に万人にそういった感動を与える芸術作品はないのかもしれんが、大多数に支持される作品ならたくさんある。
中世の偉人のアートはもちろん、現代アートや、今回のオブジェのような退廃美(?)やグロテスクをモチーフにしたのまで、数限りなく。
>341が言いたいのは、「素材に人間を使うなんてけしからん」とか、「不謹慎だ」とか、そういう議論をなされる時点で創作物を評価されるまでに至ってない、つまり芸術作品になり得ていないということなんだと思うが。
「そういった物議を醸すことでこの作品に意味が出る」とか言ってる人いるけど、「全ての命は平等」とか「命の尊さ」とかを訴えたいなら、他にいくらでも方法があると思う。つまり表現の手法が糞過ぎるということ。
>>332も言ってるけど、こういった見た人に生理的不快感を与える造形物は映画の特殊メイクやCGのが全然上。
これはその焼き直し、もしくは悪質なパロディにしか過ぎない。
オリジナリティのない、しかも人に不快感を与えるだけの創作物は芸術作品と呼ぶに値しないと俺は思う。
最後に、死んだ人間を粘土に例えてる人いたけど。
人間が人間足らしめる理由の一つに、死者に対する尊厳がある。
鳥葬や水葬とか果ては食人葬まで、異文化から見たらグロテスクな行為に見える葬儀の方法も、その宗教的背景や文化を内包するコミュニティにとっては死者の尊厳を守るという意味ではマジョリティな火葬や土葬と大差ない。
その尊厳を失って、死者を一つの「材料」としか見ない行為やそれを容認することは人間として最低限の節度から逸脱してると思う。
あくまで個人的意見で、押し付ける気は毛頭ないけど。
>見たものの心に直接訴えかけるのが
>芸術家のシゴトなんじゃないかと思うが、どうかね?
残念ながら約70年ほど遅れてらっしゃる。
自分はこの死体のつぎはぎ細工には嫌悪を催す口だが、
かと言ってそのような根拠で切り捨てられる方も
たまったものではないと思う。
ただし、この作者が、心底歪んでいて、この作品を
「目にも美しい」と本気で思っているのなら
その批判は有効であろう。
>345
遅れてるとか進んでるとかの問題じゃなくねぇ?
感動を与える、見るものの心を動かす、というのが美術・芸術の大前提だと思うけど。
見ても何にも感じない、心にもとまらない、そんなのは芸術作品とは呼べないでしょ。
芸術に美醜は関係ないけど、今回のは「本物の死体を使って『生死』をテーマにする」という安直さと、その造形の稚拙さと、作者のモラルを叩かれてるのであって、その論点はずれてると思うぞ。
なんというか非人道的行為として見た場合と芸術作品として見た場合の評価を履き違えてる人が多いという印象
こういう勘違いアートに大して与えるべき評価としては、
「行為としては倫理的に酷い」
「芸術作品としては見るべきところの無いカス」
ってなところが妥当であって、議論を呼ぶから芸術作品として価値があるものだって言い方はおかしいと思う。
>>347
半分同意。
非人道的行為として見た場合と芸術作品として見た場合の評価を履き違えてる人が多いという印象
その通りだと思う、けど芸術作品としてカスかどうかはわからない。
どこからが価値ある芸術作品でどこからが価値のない芸術作品じゃないかなんて全然わからない。
今は立派な芸術として認められている抽象画でさえ昔は否定され、子供の書くような価値のない絵だと言われてきたのだから、この作品だって完全に価値がないクズとも言えない。
どんなにお手軽につくろうと、それが粗悪であろうと、そこに何か伝えたいものがあって、それが不鮮明であっても伝わったのならそれは芸術というひとくくりに入れてもいいんじゃないかな?
ちなみにこういう芸術もあるらしいぞ、これはこれで頭がおかしいと思う奴らがいるかもしれないな。
管理人はグロいと言ってるが、別にグロくはないと思うぞ、個人的に。
http://choxets.blog8.fc2.com/blog-entry-274.html
こわいよぉ~目が出てるぅ~-=≡*´Д`)
芸術って、いうか、これ、は、はきそぉ・・・
いいのか?感動するのか??ワカラン・・・
とりあえず、芸術として認められるには時間がかかるかもしれない、でも、時間がたったら何かが変わっているかもしれない、、、すごく評価されているかもしれない、、、
そのときまでに、この世から去っておきたいとおもうけど・・・
ごめん、作者は漏れ的には基地外認定。
でも中国人を基地外で一括りにしないで欲しい。
引いてたよ。最初に見ていた上海の留学生。
(漏れはこっそり打ち込み)
ご存知の向きも多いが、老婆心で、
デュシャンとジョーンズのエピソードを書いておく。
M・デュシャンは展覧会場に小便器を展示するという
「暴挙」を行い、スキャンダルを巻き起こした。
そのような行為もどうにか「アート」として認められた頃、
J・ジョーンズが展覧会場にハイネケンの空き缶を展示した。
観客は「またかよ・・・」と醒めた目でそれを一瞥するだけだった。
しかしその「空き缶」は実は、ジョーンズが丹念に
ブロンズと絵の具で作り上げた、立派な美術品だったのだ。
俺としては、この死体アート全部が嘘っぱちで
全部ゴムと樹脂製だったら痛快だと思うw
うろおぼえだけど、
自室で何かを作って壊し、そのレポートだけを展示し
「誰にも目撃されなかった芸術」というのがあったと記憶。
...だから死体を晒していいって擁護じゃない。
擁護じゃないけど、芸術が何かハートフルでないといけない、
というのは実際、かなり昔の約束事。
ピストル(もちろん実弾)で撃ち合って「アート」と
称する連中もいた。
倫理、法律の側から、
このような死体をむげにした行為は糾弾されてしかるべき。
しかし、芸術の側から見れば
「またかよオイ」という事だ。
>>352
そういや昔伊集院光がラジオで言ってたけど、「現代アートの展覧会場に「作品」として展示された空き缶を掃除のオバちゃんがゴミと間違えて捨てちゃった」って話がマジであったらしいなぁw。ジョーンズ氏のとは別だろうけど。
数人書いてるけどやっぱり
こういうものの価値判断は、見る人が決めるんだと思う。
あと、みんなもう少し
読みやすく書いて~。
長いと読む気うせる。
沢山の意見を読みながら,色々な考え方があるなぁ…と感じた。
けれども,「芸術だから」「元々死んでるから」という事以前に,これを見た時に考えるよりも「許されない」とか「いけない」とか,人間として本能的に感じるもの,そういう感性(?)というものを重視しても良いと思う。
そりゃ,死体ならもう痛みも何も感じないけれども,それをバラバラにしたりする行為が出来る事自体が,人間としてのラインを踏み越えてしまってると思う。
あと,いくら制作者のシャオ・ユ氏が中国の人だからって,中国全体を批判するのは矛先が違ってんよ。
首相1人の動向で日本全体が批判に晒されても,庶民にとっちゃ迷惑としか思えんのと同じじゃないかな。
>>357
人間の感じる感性ってどこから来たんだろう、それって生まれたときからの環境による洗脳ってだけで、環境が違う場所でならこういうのは何にも感じなくなるかもよ?
例えば戦場とか。
そうしたらそういう感性を感じないのは人間じゃなくて、人間に似たなにかになっちゃうのかな?
そういうことを話あえるのはいいことだと思うよ。
人間だからってそこで止めないで更に更に追求していくことは、もちろん死者を悼む気持ちがあるのなら悼むことも重要かもしれないけど。
それと中国人批判はあたしも反対です、民族というひとくくりで判断することは、今まで人間が何回も繰り返してきたばかばかしい争いの原因でもあり、人間が直せない病気の一つだと思います。直せるようになってほしいです。
芸術って奥深いなぁ・・・
http// kkeita5129.blog8.fc2.com/blog-entry-156.html
これを見てみてくれ。
>>312
私もそう思う。ホントにすごい芸術って、作者が何も言わなく
ても、心にグッとくるものです。
このおっさんのは、ただ単にタブーを破っただけのもの。
こう言う奴いるでしょ?
注目されたい・騒がれたい・異端児と言われたい
そんな美大を目指すも失敗したような奴がやりそうなコト。
センスのカケラもないようなお粗末作品だよ。
誰もが思いつきそうな程度。
申し訳ないけど肯定派のセンスとモラルをうたがうね。
赤ちゃんとかもめの首を切ってまでして、この程度?
こんなお粗末な作品にしか仕上がらないなんて。
哀しいよね。
こんなことしようって人はとても珍しいんだってわかってる。
この人だけがしているわけじゃなくて自分たちだって
可能性はあるってわかってるはずなのに、
こいつだけを憎んじまうんだよなぁ。
広い視野をもつこと、深い知識をもつことを、はきちがえてんのかなぁ、おれは。
「本人が芸術と言えば、それは芸術だ」とか
「感じ方は人それぞれだから、何でも芸術になる」とかって言ってる奴。
ホントにアホ。
アーティストくんは、表現や体現を人様に伝えたいんじゃないの?
それを「見たくない。引っ込めろ。」って言われてんだよ?
そう言われるのが目的? 成立してないじゃん。
生と死を考える機会? そんなもん、オマエごときに与えられたくもない。
肯定派の中に
「命の大切さが分かった。気づかせてくれてありがとう。
もっとこういう作品を見たい。」ってヤツがいるのか?
結局、「否定派がヒステリックになること自体に価値がある」って、
そればっかじゃねーか。
そんなに気に入ったんなら、お前らがこうなれ。
>>335
教科書なんかで見た程度でその作品の本質を知った気になるのはお笑いだね。
世界に出て見聞広げることをオススメするよ藁
俺本物のゲルニカ見たことあるけどさ、
これが芸術なんだってガツンと心に響いたよ。
作品の持つ迫力と衝撃は写真なんかじゃ現れないね。
ピカソが評価される所以は其処にあるんだと思うよ。
理解できる。
で、人頭鳥だけど。
現時点で嫌悪感以外感情が湧かないけどな。
実際に一度見てみたい気はするね。
見てから存分にけなしたいよ。
人肉といいこれといいレス数半端ないな。
やっぱ人の命ってテーマは重いんだな。
肯定派と書いておる人がいるが、
これスゲーよやったね! みたいにフザケて書いている
数人以外、本気で肯定しているレスなど見当たらないんだが。
>「本人が芸術と言えば、それは芸術だ」とか
>「感じ方は人それぞれだから、何でも芸術になる」とかって言ってる>奴。
>ホントにアホ
いや、アホは君だと思う。
過去レスでも、現代アートが「うつくしい美術」とどれだけ
かけ離れてしまったか複数の解説があるし、
それをまだ混同してどうどう巡りさせているのはどうか。
また、こういう論調で「地に落ちた現代芸術」を解説すると
「じゃあ死体切断はアートか?」と
噛み付いてくる脈絡のなさ。
ある物件に関して、アートは美しいか醜怪かを問うまでで
君は警察にねじ込むべき事をアートにねじ込んでいる。
話にならないと思う。
というか、この作品の、インパクトに反比例した弱々しさ、
というのかな。
俺は死体こそ芸術だと信じる!
これからもバラし続けるぜ!みたいなポリシーもないし
(あったらあったで問題だが)、
なんでもアリだから死体使っちゃいました。
法的にクリアだし。強烈でしょ! という安直さが駄目っぽい。
ゲスならゲスでいいんだ。死体はともかく。
でも、見る方だって馬鹿じゃないし、青臭い手法には
サジを投げるだけだと思う。それは確かだ。
「絶対反対派」の人が唱える「心にガツンとくる感動」
という縛りは必要なのかも知れないな。
なんでもありだから何も出来なくなって、
えーい死体投入! とかなっちゃうんだと思う。
吐き気催した。
芸術に革命起こしたけりゃ
発想の点でおこせよ。
わざわざグロに走るのは
「みんな引いちゃってやらないだろ」
くらいの、浅い考えにすぎない。
グロやりたきゃ、アラーキーみたく花を陰部のように撮影するくらいの発想が欲しい。
中国は厨国なんだな・・・
全レス読んだが・・・
俺は画像を見て最初の感想が、「へぇ。面白いな」だった。
ただくっつけただけだから芸術的には駄作だというのは良く分かっているが、それでもそこそこ笑えるとしか思えなかったね。
正直これは、倫理観がどうのこうのとか、死体アートとかそういう点では既成概念を破る力は弱弱しいと思う。
でも人間と動物を実際にくっつけて標本にするっていう発想が個人的に面白かった。自分でやろうとは思わないけど。
まぁ俺はキチガイだからな。一定の条件下なら合法的に人を殺せる職業に着いた時点で、自分の中での倫理観が変わってしまった。
タイトルも文章も読まずにぱっと画像だけ見てみろよ。結構笑えるぞ。出目金みたいな目玉がジョークっぽくてな。
この中国人の作品と一本道ギャルの動画と どちらが人類にとって価値の高い芸術作品でしょうか?
宇宙人が見た場合、どちらに興味を示すでしょうか?
いやいや。アナタの方がアホですよ。
芸術にねじこむべき? 何の話だ、そりゃ。
こっちは作品として批評してんじゃないんだから。
現に、告発されてんじゃん。単なるブーイングって話だよ。
便器は「何が芸術か」って議論を生んだかも知れないけど、
コレはそういうレベルじゃないって、何人も書いてるじゃねーか。
ぐだぐだ、頭の悪いこと言ってないで、
芸術とはほど遠い低俗なモノを、さっさと引っ込めりゃいいんだよ。
別に、「殺して」芸術にしたわけじゃないしなあ。
あくまでも、「死んだ肉」をつかっただけだろう。
OKOK。問題なし。
>便器は「何が芸術か」って議論を生んだかも知れないけど、
>コレはそういうレベルじゃないって、何人も書いてるじゃねーか。
それに対する意見に対し、お前は
「ぐだぐだ、頭の悪いこと言ってないで」しか言えないんだろう。
黙れ黙れ黙れ〜〜〜〜!!!って。
便器の議論以前のスタンス。
何しに公の場で発言してんだか・・・・
ただ「気持ち悪い」だけでは芸術とは言えないかもしれんですが、これだけの人が何か特別なモノを感じて書き込んだのなら
これもまた人間を刺激させる一つの芸術だと思います
しかし、現物を見たら自分もこんなことはほざけないと思いますけど・・・
ただ「気持ち悪い」だけでは芸術とは言えないかもしれんですが、これだけの人が何か特別なモノを感じて書き込んだのなら
これもまた人間を刺激させる一つの芸術だと思います
しかし、現物を見たら自分もこんなことはほざけないと思いますけど・・・
>>376
・法的、倫理的に疑問がある醜悪な物件
という件には、大筋が合意ではないのかね?
面白い、という意見もあるがまあ少数。
ただ、それが「芸術」として出された為に
「芸術ってこんなのもOKですか?」
という話も生じている、それだけの事だろう。
芸術がどれほど掟無用の世界かどうかは枝葉の話で、
官憲が押さえれば展示すら出来ないという大前提は
誰だって承知の上で語っている筈。
何を熱くなってらっしゃる?
珊瑚と貝くっつけて芸術とかいうのは、現にあるのに、
なんでカモメとヒトくっつけて芸術じゃないのか。
種族が違うだけじゃん…。
>>384
この作品の作者が珊瑚だったら問題ないと思うけどね。
やっぱ同族だし、ふつうタブーでしょ。
でも、タブーであること
(みんなが言う、キモい、可哀想、法律違反って件)と
タブーを提示して見せることは別問題だと思うんだよ。
>>379
便器の場合は議論の矛先が芸術にむいていたからこそ芸術史を踏まえた上でそれを越える、という意味で芸術作品として意味があったがこの作品の場合その矛先が倫理の方向に進んでいる。そういう意味では
「コレはそういうレベルじゃないって」って発言は十分なっとくがいくし「便器の議論以前のスタンス」ではなく別の範疇にはいる議論のスタンスのような気がする。
>>386
私は同じ範疇だと思います。
エルヴィスが中堅層から拒絶反応起こされたのと話は同じ。
猥褻だ、これは音楽ですらない、と。
逆に考えると、そんなこんなで今に至るポップスの数々が
飽きもせず平然とチンコマンコと歌い、
それが街で普通に流れているのは驚きです。
ただ、エルヴィスは「成功した例」に過ぎませんね。
死体を扱うというのは、我々が人間である以上禁忌ですから。
>>387
拒絶反応を起こされた、という意味ではもちろん同じ範疇だともちろん私も思います。
ですが拒絶反応を起こす人々、だけで括られては中身の議論が宙に浮いてしまうのではないでしょうか。
重要な事はなぜユ氏の作品を否定している人はなぜ否定しているのか、どのような立場から否定しているのか、という事だと思います。
私はただ376さんがおっしゃたような「泉」と「鳥人間」の差異をより強調したかっただけです。
もちろん上記のように拒絶反応を起こされた作品、という点とそれが見る側の倫理に関わっている、という意味では同じですが
倫理の向かう矛先は違います。
デュシャンの場合だと芸術に向かう倫理でユの場合だと生命に向かう倫理です。あきらかにこの二つの質は違います。
そしてレスでユ氏を批判している殆どの方はユ氏の作品をまず作品として認める前に彼の倫理性を批判しています。デュシャンの場合ですとそれが芸術家か否か、でした。この二つの議論の質も明らかに違います。その違いの理由は386に書いてあります。
私はこの作品パッと写真で見たとき正直プッって笑っちゃった派だけど、あとで本物つかってるって聞いたら気味悪くなったなぁ~、これって不思議だよねぇ最初笑ったくせに別の情報を入れたらそれだけで見方変わっちゃうなんて。
芸術かどうかって聞かれたら、一般人の私から見ればよくわかんないけどムンクの叫びを思い出した。
昔小学校の図工室の廊下にムンクの叫びの模写が飾られてたんだけど、あれ気持ち悪くて気持ち悪くて廊下を通る時はみんな見ないようにして通ってたんだけど。あれと同じのがTVですごい美術館に飾られてるって聞いたらそれから廊下を通る度に思わずマジマジと見ちゃったもん。
これ気持ち悪いけど、凄いんだ~ってね。
あれと同じ様な気がする、これ笑えるけど実は笑えないんだ~みたいな。
正直、これ本物が美術館に飾られてたらビビるだろうな~とは思います、だってインパクトあるもん。ムンクみたいに廊下で一瞬見た瞬間からもう二度と見たくなくなるようなあんな感じがある。
なんかここの写真の角度からじゃ全体図が見れないから、このURLのところで見た方がいいよ。
めっちゃデカい。
それでいて視線が何か、思いこみかもしれないけどなんか語ってくる気がして怖い。
ミキサー金魚を思いだすな。
観客にスイッチ入れさせる展示じゃなくて、
ミキサーしちゃった写真を発表して叩かれた日本人の方。
意味合いが大きく違ってくる。なんて短絡的。
あれって結局パクりだったんだっけ?
嫌なものを見てしまった・・・
作者は倫理観ってやつが欠落しすぎでは・・・?
本物ってことはいずれ・・・考えるのが怖くなってきた
論理を求める人がいますけど
レイプだの殺人だののニュースを見ると「あぁかわいそうだなぁ」って思うよね?次の朝にゃ忘れかけるもんだけどさ。
お前さん達が言ってるのは「なんで可愛そうなの?説明してよ」ってことと同じなんだよね。
違う例では「常識って何?」って質問するのと同じなんだよ。
なぜなら基準や論理なんかなくたってわかることで、質問してる本人も絶対わかってる事だから。
それにしても旧約聖書はないだろ・・・
排他的な選民思想の宗教でしかもマイナーじゃなぁ・・・新約聖書なら結構、説得力あると思うけど
>>404
コレ気泡なんだ?
命について訴える気があるなら手入れくらいしてると思うんだけどどうだろう?
>405
なんでかわいそうなのだろうと自分に問いかけることが大切なんだ
それが哲学というものなのだから
かわいそうだと思う。それは当然のことだ
だがその当たり前のことをなぜなのかと問う事が哲学であり
『芸術と哲学は人間だけが持つ特殊な性質である』
つまり
なぜを考えずにかわいそうだからかわいそうだと言っている奴は
所詮いまだ感情だけで生きている、「動物と同等」の存在なんだ
我々人間はもっと上の存在へ進化できるはずなんだ
かわいそうであることは否定しない。私もそう思うが
当たり前のことにも今一度なぜを問いかけるという
純粋な心を忘れないで欲しい。子供のような純粋さを
理由無く感情で否定する人間は、理由無く感情で肯定する人間と
まったく同等なのだ
ならば、
これを否定する人間も、これを肯定するキチガイと
変わらない
なぜかを今一度考えて欲しい。
私は否定派も肯定派も、どちらも否定しない
常識とは何か。それを考えることが哲学
(スレ違いだと思われる方もいるかもしれないが芸術と哲学は決し て無縁ではない。)
固定観念というのも強いと思った
ムンクの叫びの話がでていたが
これが、万が一にも(ありえないとみんなおもうろうが)
何人かのキチガイ審査員だけが偶然見て
これはすばらしいと評価して
そういう記事としてここに乗っていたらどうだろうか
・・・やはり理解しかねそうだが
こういうものがいいんかね?程度ですまされた気もする
ピカソの絵とかも、すごいとは言われるけど
それほどガツンとは何も来ない
これは芸術か否かの問題でも倫理の問題でもなく
芸術品として失敗作だったと
そしてそんな失敗作に人間の死体を用いてしまった事が
一番の議論の原因だったと思う
誰もが認めるようなアートとして、
人の死体と動物の死体が組み合わさっていたのなら
果たしてここまで否定されたのだろうかと想像してみた
(絶対一部の倫理論者は否定するだろうが)
てか作者もだんだん耐えられなくなって(アイデアしたはいいものの気持ち悪くなって)とっとと完成させちまおうとでも考えたんじゃないかな?適当過ぎ・・・
まあ、もし本当に美しい作品にしてくれるなら
俺が死んだ際には美しく『美術葬』してもらうのもいいかも
と、俺は思ったかな・・・
だがこんな駄作では絶対ごめんこうむる!
まず第一に目玉と気泡がぐろすぎるあqwせdrftgyふじこl@;
>>407
君の言うとおりだと思う。
これが命の大切さだのを訴える美しい作品なら批判はずっと少なかったと思う。
芸術家を名乗ってこんなセリフを吐いて雑に仕上げるから色々言われるだよね。
多少違うけれども、金魚を入れたミキサーとミキサー金魚の批判の量の差はまさにそこにあるよね。
結局、利用してるから批判はあるんだけど。
ムンクの叫びは、おぞましさや狂ったムンクの内情を斬新なタッチで絵に書いたから絶賛されてる。
暗い作品と言うのは二つとも共通だけど決定的に違うのは
メッセージ性や作者の心構えからくるできばえなんだよね。
余談だけどピカソが素晴らしくないとは聞き捨てならないぞ
この作者は本当に中絶などを批判し、命の大切さを訴えたいのでしょうか?
もしも生命の尊厳をテーマにしているのならば、鳥死骸との合体細工など全くの無意味ではないでしょうか。
胎児の眼球は細工ではなく奇形による物ですね。つまり親の都合で胎堕したのではありません。
しかしながら、妊娠中絶の実態は我々素人が想像しているよりも壮絶です。
私は男性は中学高校で教わった内容しか知りませんが、中絶は明らかに殺人です。
そういわざるを得ません。
その凄惨さを広報する為に製作されたビデオが下記URLのムービーです。
本当に中絶の酷さを伝えたいなら、このようなドキュメンタリームービーを作るべきだと思います。
中絶というのは、スプーンのような器具ですくい取って「はい、おしまい」ではありません。
生きている胎児を切り刻みながら子宮から引きずり出します。
このムービーを見てから改めて中国人の「芸術」を見ると、
"本当に命の尊さを問う作品なのだろうか?"と疑問が沸いてきます。
※ここに来る人達なら耐えられるとは思いますが、かなりキます。
何しろ本物ですし、アメリカFBIが広報のために作ったビデオですから。
中絶のビデオは中学生の時に見せられたな。
泣きべそかいてる奴も多かった。
それより
>胎児の眼球は細工ではなく奇形による物ですね。
ほんと?
>407、408
こだわるけど、芸術としてのクオリティ?完成度?が、良い悪いって話かなあ。
あと、406
子供の死体を見て、かわいそうだと思うのは、それしか思えないのは、動物並かい?
100歩譲って動物でもいいけど、それじゃダメなのかい?
たとえ感情とか倫理観が拒絶しても、それでもこんなもんを芸術の土俵に上げて
アレコレ考えないと、人間は進化しないのかなあ。
あんた達が「何につけ思考停止するな」って言いたいのは良く分かったけど、
それが先に立つから、結局、この作者のやりくちが「アリ」になっちゃってる。
無条件にだよ? 何されたって、何出されたって、受けとめて考えるんでしょ?
そんで結局、作品の出来が悪いとか、そんな話になってる。
思考しなきゃ。絶対。感情で判断しちゃダメだ。うーん、うーん、って、
それって、思考停止とは違うのかい?
芸術とか哲学もいいけどさあ。「何でも考えればいい」ってもんじゃないぜ。
きっと。
こんなヤツを、いっぱしの表現者扱いせずに、単に無視しても、ピカソもムンクも
けがれやしないって。
昔日本ではなんかの植物を膣から挿入してそれで赤ん坊を刺し殺して堕胎させていたような話をどこかで読んだ気がします(うろ覚え)
しかも農村ではそれは結構珍しいことじゃなくて、Hしか楽しみがないし、子供が出来るとやりずらくなるしつらいから適当な数を産んだら後は何回も堕ろすという安直な考えでやってたそうです。
そういうのを聞くと、本当に命に価値なんてあるのかなぁ?って思います、ていうかそういう農村の方はお腹にいる赤ちゃんに命があること一回も考えたことがないんじゃないかと思います。
つまり知らなくて、考える機会もなければそのまんまで命なんてバンバン消されてくわけですよね?
それで今ってその時代と同じ様なことになってる気がしません?
私の友達も高校で二度中絶(軽めの薬で落とすヤツ)してましたけど、ケロッとした顔してて。
そこに子供が生きてる子がいたんだよって話しても。
だから?
みたいな感じでした。
そういう人の見る命と、この作品作った人の見る命と、この作品を批判する人の見る命と、この作品を肯定的にとる人の見る命ってどう違うんでしょうね?
カニバリズム・・・自分には絶対に
無理だからこそ、魅かれるのも事実。
でも、この人は尋常じゃないなと思う。
そのうち、ほんとの食人の人みたく、
「生きてる人間じゃないと・・・」って
言い出しそうで怖い・・・。
>>412
だいたいの人が先に感情でかわいそう、が出ると思うよ。でもそれだけでその後この作品のことを頭ごなしに否定してダメダメ言ってもそれはダメじゃない?なんとなく私はそう思うよ。
だってアメリカの大統領さんだって、ビルに飛行機がつっこんだら怒ってミサイル打ち込んだでしょう?
だけどミサイル打ち込んだ場所に住んでる人のこと考えてなかったよねぇ?
確かに報復はしなきゃいけなかったかもよ?アメリカ舐められたらもっとテロ起こるかも知れないし、国民の不満もあっただろうから。
でも、自分の気持ちとか思考を押しつけるだけじゃ意味が無いと思うんだ。
もっと視点を変えてみるのって重要だと思う。
動物と一緒って自分とその回り(子供とか集団)以外のもののことしか考えられないっていう意味じゃない?
それがどんなに醜悪でおぞましくて生理的に怒りを覚えるものでも、自分の意見だけじゃなくて別の側面から見てみるのはいいことなんじゃないのかな?
この作品だって、作者の言葉を借りるなら、何かよくないことが起こった者同士が新しい生命として生き返ったということで捉えてもいいんじゃないの?
フランケンシュタインほど不幸でもないと思うよ、復讐しなくてもいいし、誰かに見られてるって自覚もないだろうし。
デキについてはよくわからないけど、どこまでがいいデキでどこまでが悪いデキなのかとか。
気泡が入ってるとそんなにマイナスなの?
394さんの
http://hamoblo.com/kinren/archive/239
を見る限り、別に悪くはないと思うよ。
遠目から見たら芸術な感じもしないではないし。
私はこの作品、好きだな。
ここに書いてるやつら、赤ん坊が可哀想とかさぁ、人道的に反するとか言っちゃってるけどさぁ、本当にゆるぎなくそれ信じてるならぁ。
スイスの文句たれた野郎もだけど。
その場であの赤ん坊の詰まった瓶叩き割って、二度とああゆう粗悪なのに使われないようにぐっしゃぐしゃに壊してあげるとかさ(その後埋葬したり?)
金出してあれ買って埋葬してあげたりとかすれば?
絶対誰もしないだろうけどね、だってこいつら全員口だけだもん。
可哀想、可哀想、じゃあ子供殺すなよ、子供堕ろさなきゃいけない貧乏な環境つくんなよ、生理的に思う、コレ大事とかさ、その生理的な大事な思いというやらでいったい何人の人間救った?誰か助けたことあんの?
ようはさ、お前らその生理的に思うってこと実行したことある?
子供のためになんかしようと思った?キモイとか嫌って思っただけじゃん?
それって自分のことと置き換えて自分が嫌だなって思っただけで自分に同情してるだけなんだよ、全然赤ん坊になんて同情してないの。
あと、この赤ん坊奇形だから下ろされて仕方ね~とかバカいうやついたけど。
んじゃあ、あんたは奇形だから堕胎はOKってこと?それは=死体だから美術品にしてもいいよねって話と同じレベルじゃない?
奇形は生まれちゃ行けないんですかはーそうですか、可哀想なのは自分と同じ五体満足な子供だけなのね。狭い良識。
上の写真なんか見世物小屋みたい。
中絶ビデオはかなり悲惨さを極めるものだったけどただ気持ち悪いとしか思えなかった。
命は尊いかもしれない。けど人間慣れれば罪悪感なんて感じないだろうし回りに似たようなことをするやつらがいたら悪いとも感じもしないものなんだなぁ。
絵のうまい人はモチーフの持つ形に囚われないで別の見方ができるっていうけど、こういうことをするのが可哀想、許せないってのは生き物の持つ先入観や個人の価値観なんじゃない?
よほどの人じゃない限り人間エゴには勝てない。
比較論なんて無駄です。
そもそも作者の意図も、最初から公表していた訳ではなく、
あくまでも「告発に対する言い訳」で、後になって公言しているのです。
この作品には我々が賛否を議論するような価値はありません。
>>420
ふ~ん?じゃあさ更に聞くけど、流産した子なら作品につかわれてもいいの?
多分これ違法性は無いって話なら母親売り飛ばしたんだよねぇ?
堕胎したんじゃないなら売り飛ばしてもそれは仕方ないんだ?
まぁ生きてる子供を売春目的で売り飛ばす母親もいるくらいだから?その程度の軽さは認めるけどさ。
じゃあどこからどこまでがボーダーなの?
417
奇形だから降ろしたと、どこに書いてあるかをまず教えてよ。
というより、行為そのものを駄目だっていってんべよ。
君と同じ意見だよ。
ボーダーとか違法性云々じゃなくて、良し悪しの判断が出来ないんだよ、この作者は。
<420
流産した子だから作品につかわれてもいいのではなく
ただ消え去るだけの命を有効利用したかった
と考えることはできないのかね?
無駄に生まれ損ね、無駄に死に、無駄に消えていく
(命に無駄とか無駄じゃないとか考えたくないけど)
ただそれだけだったはずの存在を、ただそれだけにしないように
何かできないのかとして創った、と考えることはできないのかな?
作者の「いいのがれ」って決め付けてる人いるけど
何を根拠に言ってるの?作者の言ったことがただの言い逃れ
っていうのはただの想像にすぎなくない?証拠はある?絶対的な
たしかにこうやって肯定する考えも想像でしかないけど
何て言うか視点がせまい。
作者だってもしかしたら本当にそういう気持ちでやって
結果、うまく伝わらなかっただけかもしれないでしょ?
なんでそうやって悪く決め付けるかな・・・
何が正しいかは絶対にわかることはないと思うけど
勝手に自分の考えを絶対だと盲信して人に押し付けるのはどうかと
俺はそういう考え方もあるんだよと言っておきたい
押しつけるつもりは無い。ただ、可能性として言っておきたいだけ
だって証拠がないからね。どちらにしても
このスレを読んでいて、どんなに言っても理解し会えない、
他人を理解しようとも思えない人間というのがいるんだなと
そう思った。
少しは感情を押さえて他人の考えも受け入れようとしてみるべき
だと思うよ
特に412とかね、前スレ見てる限り同一人物っぽいスレいくつか
見かけるけど・・・
ま、俺は君に押しつけはしないよ。俺は君とは違うから
いろんな角度で見て考えるというのは大切
現に否定派にもしっかりと考えてのべている人がいる
そういった意見にはきちんと納得できるもの
なんつうかユは「全ての生命を尊重するからこそ生まれた」っていってるわけであらかじめ観衆がこの作品の残酷性を人間の首を扱った事実において否定する事は承知の上だったのだろう。
一般観衆は首だけ見ることで作品の否定が可能になるしユのように一つの作品として見る事で全ての生命を尊重しない人間マンセー主義者の否定が可能で、動物愛護団体者は鳥の体を扱ったユと人間ばっかに肩入れする一般観衆両方を否定することができるのだろう。
412などの芸術として適正かどうかを論じているのは私ではありません。
公の場で自称を「俺」と書いてあるのも私ではありません。
多角的分析も確かに重要ですが、これ有効利用でしょうか・・・。
これが芸術か否か。
それは見た人の心の中にのみ答えがあるのでしょう。
>自分の考えを他人に押し付ける
自分のではなく我々日本民族の考えです。
子供には常識が分かりませんから、代々教えていかないと。
>確たる根拠・証拠を!
遠山の金さんに出てくる悪役の台詞ですよ、それは。
本当に当初からのコンセプトなら、それこそ証拠があるはず。
>うまく伝わらなかっただけかも
遺体を弄んだ挙句、上手く伝わるも伝わらないもないでしょう。
確かにこの議論は無駄ですね。実感しました。
ジョエル・ピーター・ウィトキンが初めてムター・ミュージアムを訪れたとき、館長が「好きに写真撮っていいよ」って言ったら、ウィトキンは瓶詰めの赤ちゃんの死体を次々に床にぶちまけて並べて写真撮りだしたらしい。
館長もさすがに驚いて慌ててウィトキンを止めたとか。
でもさー、作者の“狙い”通り「生命の大切さをひしひしと感じました」なんて人いるの?
すげー後付けくさいんですけど。
あ、「中絶したら赤ちゃん鳥に加工しちゃうよ。だから避妊には気をつけないとだめだよ」って言ってんのかな!?
だとしたら納得。
生きているものを加工したのならそれは大問題だろうけど。
漏れは死んじゃったら後はどうにでもなれって感じだけどなぁ。
漏れキティ?
>>410
このほうが、遥かに訴えかけて来るな。>生命の大切さ。大半が畸形、死産の胎児みたいだが・・・。英語解らんけどドラッグの影響とかの広報じゃない?
このスレのコメントレベル高いねー
53はじめ、いいこと言ってるよ
中華中華ってひとくくりにして批判するのはまちがいじゃないか?
俺が無知なだけなのかもしれんけど
なんとなく、ザインの教祖様が、中国はこの世の地獄だから滅ぼすって言ってたの思い出したよ笑
死人に口なし。
死んだ後も人のいる場所に飾られるなんてそれなりに幸せだと思うがな。
墓なんてせまっくるしい場所に一人で閉じこめられるよりはマシってもんだ。
428は頭が固すぎる
人の話聞いてないね。
日本の文化とかなんとかさ 代々教えていかなくてはとかさ
子供には常識がわからないからとかさ
全部決めつけなんだよ 気づけよ うっとおしい
あんたの言ってることは本来ただしいはずの事なのはわかる
けど何か見ててカチンとくるんだよね
それこそ絶対否定派みたいに意味も無く感情的にだよ
議論以前に言い方を考えてみたら?
それじゃあどんなに正しいこと言っても
あんたの意見を否定する人間の耳に届かないよ?
だいたいあんたの考え方や倫理を誰も否定してないでしょ?
ただ可能性として作者の事も考えてみたらって言ってるだけなのに
ほんと妄信的で視野がせまくて自分と違う考えは認められないんだね。
議論が無駄なんじゃなくて。ただ何も考えずに倫理を盲信して
それを押しつけてくる偽善者にしか聞こえないの
それこそ芸術で何かを伝えようとして人に不快な思いを与えて
伝えることに失敗している人間のようにね
この作者がそうかもしれないでしょ?君も伝えられなかったんだから。しかも正しいはずの手段なのにだ
自分を多数派だからという免罪符で自分と違う考えの人間を
切り捨てる。それこそ悪人のすることだろ。
だいたい、証拠をしめせと言ってるのに
悪人の台詞だとか言って話をすり返る時点で説得力がないよ
まず日本民族の考えとやらがおしつけなんだっての
人の考えや感じ方はひとそれぞれだろう?
自分を多数派と思い込んで押しつけるなよ
それともあんたは、もしこの作品を肯定する人間の方が多数派で
日本人のほとんどが肯定したら、大多数派だったとしたらその考えを否定するの?
それで仕方がないと思えるの?
あんたのそのこの作品に対する憤りはその程度なの?
そうじゃないなら、さも大勢の意見だからみたいな考えじゃなく
自分だからこう思うって胸張って言えよ
その言いかただとなんか軟弱に聞こえるんだよ
多数派だと思うから正しいと思いますみたいなね
君は君だろ!?いつから日本はこうなってしまったのだろうか
命の大切さはわかる。この作品が醜悪でテーマを伝えられてないのもわかる。ただ、命をもてあそんだととるかどうかは
人それぞれなんだよ。
なぜ死体を使ったのか。その答えを作者が言っても
作品のできが悪いからさも言い訳のように決め付けられてしまった可能性もまだ否定はできないよ?(肯定するのにも否定するのにも証拠は必要なの。遠山の金さんだって自分の目と言う証拠があってはじめて否定してるでしょ?それともなんの証拠もないのに証拠がないから悪なんて裁いてた?それこそ悪でしょ?)
作品のできが果てしなくよかったら
今ほど否定する人数は減っていた可能性があるという可能性は本当にゼロ?どうしてそう言いきれる?そして
もし仮にそうなってたと仮定して。その時でも、あんたはそれでもそのモラルを貫けるの?
もし貫けるというなら、これは「日本人全体の考えだから」みたいな、そんな隠れ蓑はすぐさま綺麗さっぱり脱ぎ捨てなさい。自分の個人的な考えである!と認めなさい
俺はこの作品は個人的に嫌い。だけど、芸術と呼べるのかどうかに関してはなんとも言えない
作者の言っていることが言いわけかどうかもわからない(証拠はどこにもないんだから。勝手な言いがかりだよ)
この作品を醜いと思うし、何も伝わらないけど
絶対的な否定だけはできない。
「次もしやるなら、絶対批判されないだけの仕事をやれ」とね。
俺は言うかもしれない。
そこまで死体を芸術作品として扱ってはいけないという
常識とやらが俺にはわからないんだよ。
教育や倫理は、文化と言う名の洗脳だよ。
何故?を考えずに倫理を盲信することは
天皇陛下万歳といって特攻することになんの疑問ももたない事と同じなんだよ。教えられたとおりに鬼畜米英といってアメリカ人は殺しても平気な悪党なんだと信じ込んでいるのと同じなんだよ
今の常識だって一切間違っていないとはかぎらないんだよ?
歴史を見れば時代時代の常識がいかに間違ってきたか
人間がどれだけ間違ってきたかがわかるはずだよ?
だから「なぜを常に考えるべき」と言ったんだ
なぜ?こうも人はこの作品に嫌悪を抱くのか
本当に死体を使ったからなのだろうか?ってね
論題がこのスレじゃなくても別によかったんだな・・・
最近の世の中を見て、俺はずっとそう思って生きてきた。
その疑問や憤りがこのスレで爆発してしまったようだ
わかりあえなくてもいい。でも「なぜ」を考えることは前に進むということなんだということを少しはわかってほしい
子供はなぜ人を殴ってはいけないかを教えられたとき二種類にわかれるのだそうだ。「人間が、命が大切だからいけない」という考えと「嫌われるから、怒られるから、みんながそれはいけない事だと言うから」という考えにね。
428の書き方だと後者のような、理由のない、ただの大多数の意見だからみたいに聞こえるんだよ
なぜ命は大切なのか。あたりまえのことを伝えられるようになってはじめて、あたりまえのことがわからない人間に伝えることができるんだよ?君のわかるあたりまえがわからないから肯定派はべつにいいじゃんって思うんだから。
何故だかを教えてよ?納得できるようにさ。
そうしないと、駄目だから駄目って言っても
彼らはきっとやめないよ?なぜを考えず、なぜを教えないのは怠慢だよ?意味がないよ?
俺に教えてよ?なぜいけないの?当たり前の事がわからない人間にわからせるためにもそのなぜを考えることがわかる人間の義務なんだよ。そしてそのなぜがわからないまま、大多数の意見だからで押しつけるから納得できない人間はやってしまう。
とめるためには考えなくてはいけないんだよ。
数の権力で止めるんじゃなく。心に伝えるのが倫理なんだから
スレ違いの駄文申し訳ない
妄信的な思考停止人間を見るとどうも黙っていられないんだ
>>437
その持ち前の文章作成能力と明瞭な知性を用いてこの作品についての意見を求む。
437氏の中で下等な部類に属する人間に対し長文を書くことこそ思考停止であり時間の無駄では?
>>428
とりあえず気になったとこ
>「次もしやるなら、絶対批判されないだけの仕事をやれ」
絶対なんてないとおもうが。
完全な芸術が実現されうるなら人はとっくに芸術の追究をやめてるだろう。
それ以上の物を作れないんだから。
人間の作る物は常にどこか欠けてる部分がある。
>数の権力で止めるんじゃなく。心に伝えるのが倫理なんだから
誰も自分で正しくないと思ってる倫理観を持つはずがない。
でも実際には皆違う考え方をしていて、食い違ってしまうわけだ。
誰もが自分の意見を正しいとしている中から何を持って食い違わないでやっていけるような物を選べばいいだろう?
結局、一番多くの人間が良いと認めた物にするしかないはず。
まぁ、それでも、多数派に逆らって押しつぶされてでも自分の意見は生かしておかなければならない、っていう狂人か本物の天才か、みたいな奴が出てくるんだけどな。
>424
生のゲルニカって本当に凄いらしいね
俺も一度は見てみたいは、知り合いが実際に見て暫く動けなかったって言ってたし
写真じゃ伝わらないね
あと、不思議とミュシャも写真じゃ伝わらない
死体と胎児のヤツだけど、倫理的にどうかよりも
これに素晴らしさを感じない
多分、実際に見てもダメだ
元々彫刻とか現代アートとかの立体のヤツとかに興味が無いせいかも知れんが
これが芸術的にすぐれている(好き嫌い・倫理は別として)感じがすれば、議論の価値もあるんだろうけどなぁ
>437
結局はそれも全部聞いたり見たりした知識でしょう。何らかの情報が頭に入って初めて自分で考えて自分で意見しているでしょ。
散乱している情報を収集しても、結局は誰かによって撒かれたソースに変わりはないです。誰かから物を教わったり、誰かに物を教えたりする事は洗脳ではありませんよ。
それともあなたは「○○することは洗脳である」と洗脳されているのでしょうか。
私も大多数=正義というのは納得できないけど、
そのとき扱う問題の内容にもよるでしょ。
特に死者の扱い(接し方)のような今回のような場合は
少数派とか多数派とかを超越した統一思念がある。
美術館に飾る作品に生首を使うのは賛成とか反対以前なのです。
上の方で誰かによって書かれたと思うけども、
人間たる最大の特徴のひとつに『死者への餞の気持ち』がある。
それは大小の差こそあれ人間全部にいえること。
なんていうか、私も意志伝達が上手じゃないけど、そんな死者への接し方を念頭において考えると、この造形物の素材に死人の頭部を使うというのは人間のモラルそのものに反しているんだよ。
"人間のモラルを勝手に定義するな"と反論されそうだけど、
これは誰に教わるとかじゃなくて子供も含めて社会生活している人間なら自ずと身に着くもの。これは知識教養ではなく人間の原始知性というものです。
ネアンデルタール人は原始人です。石器時代の化石です。そんな彼等の頃には既に死者を弔う理性がありました。伝え教えられるものではなく、本来持っている知性なのです。
それに対して。
物を貰ったら「ありがとう」というのを子供に教える。そうしないと小さい子供は「ありがとう」を覚えないし他人との接し方も習得できない。これは知性ではなく知識・教養です。
私の方こそ途中棄権のようで申し訳ないけれど、この説明で伝わらなければ、どんなに筆を振るっても伝わらないでしょうから終わりにします。
芸術が何かを向上させるべき、崇高なものだというのが
神話みたいなもんですよ。
実際には、20世紀に入ってから
芸術による意識革新によって「俗悪」になったものも
多いと思います。
ぶっちゃけた言い方をすると、
自分を解放する、という事は、堂々とウンコを手づかみできる
というような下方向の解放も含んでいるのです。
この生首アートが、そう簡単に受け入れられるとは思えません。
「今の常識」では。
でも仮にもし、議論の果てに受け入れられたとすれば
「まだ死体にタブーを持っているの? 古いね」
という新しい常識が出来る訳で、
それが進歩か退廃なのか、善か悪かは「ころころ変化する常識」の
枠内からは判断できないと思います。
昔、「人体の不思議展」なるものがあった。昔大阪で行われた展示を見に行ったのだが今回の件と人体の不思議展も一部をのぞいて変わりはないと思った。
ただ解剖して展示される人に了承を取っているかどうかってことと別の生き物とごちゃ混ぜにされることが無いだけで
医学としての展示はOKなのに芸術として展示することはNG。
どちらも死体を展示することに変わりは無いのに。
「人体の不思議展」は、いわいる「衛生博覧会」の
現代版でしょ。
日本で言えば、お盆の時に寺でやる「地獄絵参拝」。
大義面分のもとにグロを展示するというのは
昔からある習慣みたいです。
あっ俺も行った~人体の不思議展。隣で女子高生が課外授業かなんかでいっぱいいてさぁキャーキャー言っててウザかったです。
でもなんか気味悪がってるっていうより、楽しんでたよなぁ…死体の見せ物に、今も昔も変わってないよな、みんなけっこう死体好きなところとか。
>>443
ネアンデールタール人の時代から人殺しもあったよ?その原理的なものを絶対と置くなら、殺人も絶対なわけ?
原初のところを追求して否定するから殺人はやめようってことになったんじゃないの?
そんなら元からあるモラルとやらにしがみつくのもいいこととは言えないよ、一度は追求してみなきゃ。
追求するのをやめたら一生ネアンデールのままだよ
まあ、これだけコメントが伸びてる時点である意味作者の勝ちw
上でも出てたけど、ショッキングなものを創作する目的の一つは、それに対する思考と論争を引き出す事じゃないのかな。
あの作品を見て「芸術って一体何なんだよ?!」って思った人、それは中々重要な経験だと思う。
ていうか、食人はともかく、鳥人間は今更大騒ぎするほどの物でもないと思うんだが。
食人は作品としてもっと上手い見せ方があったんじゃないかと思う。折角試みた事なんだから、もっときちんとした形で発表すりゃいい。
ネットの風聞のネタにされる為にやった訳じゃないだろうに……
>ネアンデールタール人の時代から人殺しもあったよ?
それがどうした?^^今何に対して議論しているか思いだせよクソガキ。
>まあ、これだけコメントが伸びてる時点である意味作者の勝ちw
こんだけ嫌がられて勝ち?(価値?)おまえは華僑決定^^
・・・ちゅーことで、所詮は在日やガキの溜まり場と化しました。
>>412
何勘違いしてんのか知らないけど
批判の量の話を言ってるんであって肯定、否定はしてないでしょうに。。
ちゃんと読もうよ。
それと昔は植物で中絶してたとかいってるけど
そんな昔の話してどうすんのさ。
ここに書き込むのに、名前とメールアドレスが必須項目になったとたん、皆様は紳士的になったね(爆)
>>451
そんな中で貴方様はすばらしい姿勢だ!好きだぞ!
差別発言をしたい奴はまず、こんな場ではく
横浜中華街あたりでメガホン持って直に発言してこい。
それから藤田、名無しかどうかに関わらず
管理人は誰がどの発言をしたか大体知っている訳だ。
管理人がどう振る舞うかは誰にも分からない。
名無しをいい事に言いたい放題、というお前ならではの発想を
皆に当てはめるんじゃないよ。
>>451
お前の低脳さにワロタ。
文脈をつかめ、ネアンデールの話はモラルとか原初の話で、この鳥人間がどうしてダメなのかについて、443が原始知性について話してそれがとても重要で代え難いような言い方をしたから、その原初知性だって確かなものじゃないという話だろ?
原初知性の話はもちろん、鳥人間がいけないと思うその嫌悪感を肯定するための話だろ。
わかったか?
>>452
昔の話をしてどうするのっていうけど、それはたとえ話で今も昔も中絶に対する姿勢ってあんまり変わってないよねっていう話をしていたんだよ。
>>456
お前はセックスが好きでやってどんどん作って
なんの疑問もなくどんどん殺すのと、
中絶したことに涙を流したり、他の奴らとその悲しみを共有しようとビデオを作製するのが同じ姿勢だと感じるの?
しかも中絶の話じゃこの話とまったく違うだろ。
死体を切って細工するのと生きてるのを殺すのじゃ。
「中国人は人肉を食べることを楽しんできた」楽しむ?
・・・なんてモラルの低さだ。
飢餓で共食いなら理解できるがこれじゃただの虐殺だよ。
猿の脳みそ喰うのだってどこかの部族が芋虫を生きたまま食うのとは明らかに違う。
その生き物が涙をながしながら自分の体が食われていくのをみて楽しむなんていかれすぎだ。日本にも「踊り食いとか生け作り」とかあるけど
命が尊いからその命に敬意を払って最も美味しい頂き方をしているというのなら理解できるが楽しむってのはいかがなものか。
独自の強い文化があまりないからこそできる行為なんだろうな。
>>457
あのね、いつも思うんだけどここの人(のうちの少数の人)ってどうしてちゃんと最初から最後までちゃんと文読まないかなぁ?
自分の意見があって、それを主張したいのはわかるけどそれだけで焦らないでちゃんと文を読んでみようよ、ね?
私は昔のそういう話や今の話を持ち出して、考えないことは=命の存在について何も思わないことになって、それは=この子供の死体の命についても何も考えなければこの子はただの肉片で、ちゃんとこの子にも命があったってことについて考えてみたいなって話をしたのよ。
中絶への姿勢の話もそうね、みんな命のことについて考えるのを停止しちゃってる感じがあるから。せっかく今は昔と違って考える機会もあるのに同じようになっちゃってるのね。
中絶をして悲しい人はもちろん、そんなことくらいわかってるでしょう?
大体話のなかに、そういう人は…って言ってるでしょう?中絶して悲しんでる人と命について何も知らずに下ろす人のことを一緒になんてしてないよ。
こんな解説を書くのもなんだか変な感じがするから、今度はもっとよく読んでから書いてね。
444の考え方はよ~く理解できた
でも443の考え方はやっぱり理解できない
話し合っても無駄なのかもしれないね・・・
でもね?
超越した統一思念って何?
そういうのがもう意味不明なんだもん
何それ?誰が決めたのそんなこと。変な宗教キマっちゃってる?
って思われるよ?説明になってない。
いもしない神様を絶対いるって信じ込んでるのと同じ
超越した統一思念だって思っているのは君だけ
少なくとも俺はそんなものはないって思ってるから
人はみな違う考えを持って生きてるから
その違う考えを共有したくないの?自分の意見だけが絶対なの?
俺はその統一理念とやらがなぜ絶対だといえるのかが知りたいよ?
君はなぜ俺がこんなにも君と相対した考えを持っているのか
理解なんてしたくないのかな?
自分と異質な考えは絶対に考えたくもないのかな?
だとしたらやっぱり。頭が固すぎるんだよ。
俺と同じ考えになって君の考えを捨てろなんて俺は言わない
ただ、君の言い方だとそう聞こえる
君が信じている統一理念と言う妄想を押しつけているようにね
438へ、下等な分類だなんて誰も言ってない
(そういうのが勝手な思い込みなんだよ?)
俺はみんな平等だと思っている。命の価値も
人はいつか分かり合えると信じたくてこうして努力して
伝えようとしている俺こそが一番下等で無駄なのかもしれない
でも俺はあきらめたくないんだよ。理解しあいたいから
理解しあいたいから、頭からみんなが否定するこの作者を
弁護したくなるのかもしれない。この作者のことも理解したいから
なぜこんなことをしたのか。本当に目立ちたかっただけなのかを
みんな平等だと思うから。理解しあいたいから
たぶんこの姿勢が洗脳であるか洗脳でないかなんだよ
君の文章を読んで納得できない点もそこにあるんだよね
みんな相手の考えを受け入れて、それから意見を言っている
そういう文章は自分とまったく違う意見でも納得がいく
でも443のような人の文章は納得がいかない。
理解したいのに説明になってない。どこか文章が
ずれた方向に向かっている気がする
説明になってない話は相手を説得することができない
人に倫理を話す前にそういう勉強をしてほしい
あなたは俺よりも倫理があるんだから。教え方を学んでください
俺みたいな人間を、納得させることができない世の中だから
このような作者がうまれてしまったのかもしれませんよ?
命は大切だと、私は思います
が、果たしてこの科学の時代。霊も神もあやふやな時代
人の死とは、命とはなんなのでしょう?
なぜ人はそうまでして、すでにただの肉塊でしかない死体を
尊ぶのでしょうか?生きてきた人は、死んでしまったらどこへ
逝くのでしょうか?無に帰るだけなら、死体とは・・・?
死者を祭るのはなぜ?きっとそこには人の心理がある
それを解明してしまったら、あなたのように何一つ疑わなかった
人は、とてもショックを受けるか耳をふさぐのでしょう
どちらが正しいとなるかは時代が決めることですが
あなたの考えが絶対ではないのです
そして時代の選んだ常識が絶対とも限らないのです
続き
たとえば、あなたのような考えによって迷惑をこうむり命を落とす人もいる(クローン技術を、神の倫理に反すると言わなければ助かったかもしれない、今生きていた人もいるのです)
神の倫理や、その統一思念と、今生きている人の幸せ天秤にかけたらどっちに比重がかかるべきなのか。そういった今、現代の問題についても(命について)
俺はこの作品を見て、このスレの議論をみて考えさせられた。答えは当然まだ出ない。でもそんな貴重な思考をする機会を与えたことは賞賛に値すると思う。
俺は死体はただの肉としか思わない。死んだら終わりだと。
そこにはもう、何もないのだから。
死者を敬うと言う行為は、死んだもののためにあるのではなく
今を生きている人間のためにあるのだと思っているから
悲しみを乗り越えるためだったり、自らの死の恐怖を乗り越えるためだったり。それで死者を手厚く葬る習慣ができたのだと思う
死者のために行うことで、残された者の心を救うために
ついでに、449が殺人について触れていたので命つながりで
「殺してはいけない」というのも当然なんかではなく
絶対思念なんてものもなく、あれは一種の無意識契約なのだと
考えます。多くの人は、殺されてくないと思います。俺だってそうです。どうすれば殺されずにすむか。簡単な話です
みんなが人を殺さなくなればいい(難しい話ですw)
だから、考えたのでしょう。人を殺してはいけない、と
私はあなたを殺さない。だからあなたも私を殺さないでください
そういった契約なのではないでしょうか?
利害関係なのです。所詮は
だから、自らの命を奪いに来る人間に対しては防衛が認められ
(契約違反ですから相手だって殺されても文句を言うな!と)
戦争においてはその契約が破棄されているわけですから人は殺しあいます。どうでしょうか?少しはそうかもな~とか思っていただけましたでしょうか?以上のことから全ての物事には理由があるのだと思います。
つまり443さんへ
ちゃんと考えて理由を探せば、屁理屈や言い訳でなく必ずといっていいほど理由というのは見えてくるものです。
(正しいかどうかは答えのない問題ですからあれですが)
その理由を考えずに相手を否定しようとするだけで、
納得させるつもりもないような否定文を書くから
統一思念とか意味不明なことを言うからあなたの意見には賛同できないのです。相手に理解させようという気持ちが見えてこない
さて、これで最後にしましょう。
削除される恐れもあるのでしょうが、荒らしてるつもりはありません。命について議論する。貴重な経験ができたと私は思います
理解しあえなかったことが非常に残念でしたが
とても有意義な時間をとれたな~、と・・・
最後に、この議論というか、スレ合戦を見て
不快な思いをしたみなさんへ 申し訳ありませんでした
なんか最後の締めが自意識過剰っぽくなってしまった
申し訳ない。(うわ、私的なレス・・・自意識過剰~w)
しかしまあ・・・グロイよね、これ。ぶっちゃけ
俺ここ入るとき写真見ないようにしながら書きこんでたもん
俺もこれは認めてません。これは無しだと思います。
でもだからといって「これは芸術ではないか」
と言われると、一概にそうでもないんじゃないかと
そう言いたかっただけなんですけどね
(こんなレスは妥協っぽいかな・・・w)
ん?最後じゃないのかって?議論はもう終わりにするから
ちなみに俺は406、407、330、271、224ですよ~
>>458
いい物と悪い物を分ける神様にでもなったつもりか?
日本人は鯨は食うが、世界に猿食いと同じレベルと評価されるぞ?
それはどうなんだ?俺は食べてないとか一部の日本人だとか言うなよ?
>>462
自意識過剰でも別にいいです。長すぎて読む気がおきません。
繰り返しになっちゃうんだけどね
芸術か芸術でないか、ではなく
芸術として優れてるかダメかなんだよね
こいつはゴミ
>>462
私は読みましたよ、とってもためになりました。というか言いたくてもなかなかうまくまとめられなかったことが462さんので一気に終結されたような気がします。
462
すばらしいです。
芸術は生者の為に。
弔いは生者の為に。
みんな解っていてまとめられなかった。
綺麗な文章です。
462
俺の中では貴方の言っていることは当たり前のことだが、世間的にはあまり当然でも無いようで、俺の周りも固定観念にとらわれた意見で貫いて少数派を迫害する輩が多い。
意見が食い違う部分も若干あるけど、貴方のような人が是非友人に欲しかったなぁ。
俺の命も含めて人の命なんてゴミ同然だと思っているし、生きててもゴミ同然なら、死んだらほんとのゴミになるだけだ。
空き缶アートと死体アートは変わらんね。
いいんじゃないの、こんなブサイクな人形があってもさ。
感性は人それぞれ違うからこれが芸術であっても
おかしくはないとは思うけどね。
ただ作った人の感性に賛同できる人が少なかっただけで。
俺はこれ嫌いだけど。見てて悲しくなってくる。
でも「生命を吹き込んだ」っていうのはどうなんだろうなぁ。
「俺は神だ!」って言ってるようにしか思えない。
…俺が思っただけだから出来ればスルーして。
スレ違いだけど一回ゲルニカの実物見てみたいなぁ。
教科書とかの小さい写真だと細かい所とか判らないし。
思い込みと決め付けはよくないとおもう。
スイスで行われてる中国の現代美術展に出展してるってことは(しかもキュレーターの言からも展覧会の重要な作品であることがわかる)すでに中国内でも高い評価を受けてる作家だってことをふまえて発言してるのか、わからない。
評価するに値しないだとか、ただの目立ちたがりやがしそうなこととか、作品の手入れがないとか、、
作者はそういうこと全部わかって制作したかもしれないのに。いろんな倫理観も含めて、理解したうえで制作してると思えるけどなあ。まあ結局のところ真相はわからないけど。
「鳥も胎児も、おそらく何か良くないことがあって、どちらも死んだわけです。私はそれを組み合わせて、新しい生命を吹き込んだわけです。」って言う発言は意味不明だけど、ひょっとしたらこの台詞にも何か意味があるのかもね。
結局この一言じゃよくわからない。
無論フェティッシュ芸術の類でもないし、現代美術って言ってる時点で適当なこともやってないとよう思う。
437がまとめた結論。世の中、何でもあり。
なぜなら、長文の「思い込みを捨てろ」攻撃に
誰も反論する気がなくなったから(めんどうで)
オメデトウ
>>471
作品配置からして「子宮」を意味していそうな・・・。生み出す=新しい生命かな。継ぎ合わせなければむしろ納得できるかも。
芸術・アートが美しいもの、感動するものと思ってる人にはNOなんでしょうが、私は「現代アート」としては成立している作品だと思います。
「現代アート」が好きだったり、理解しようとする人はとても少ないので仕方ないですが、知識もないのに「芸術ではない」と言うのは間違いではないでしょうか。
感情的に騒ぎすぎ、という感じです。
ただし、人を素材とすることが倫理的に許されるのか、というのは別問題ですよね。
個人的にはやめたほうがいいと思いますが。
でも、実際、ナマの魚、牛なんかを使ったものは堂々と認められているので「動物ならいいのか」って、それもまた難しい。
>>473
カモメは英語でseagullだし海と関係の深い鳥ですよね。
この意味でも子宮や母性との関係が示唆されてるっぽいよ。
あとカモメは死肉を食らうわけで(人間もだけど)その辺も死体を扱った動機と関係してるかも。
芸術云々ていうよりさ
死体を首だけ切って動物につなげる格好で人様の前にさらけ出されているこの胎児の立場ってないよね
自分の兄弟だったかもしれない遺伝子をもった人型の肉の塊を分け腐らないように加工しているのか知らないが
胎児を死後であろうと体と頭部と切断するまでの過程も信じられない。
鳥が子宮で新しい生命?馬鹿じゃないの?死体だよ死体。
美しかろうが醜かろうが、どうつながれ様と新しい生命として誕生もしないただの本来腐る死体。
人の死体を芸術として評価?あんたらどうかしてるよ。
こんなの芸術でもなんでもない、奇抜な発想で組み合わせただけのゴミ
>>478
たとえば芸術の分野で死体を扱う事があたりまえになるとそれ以前まで死体を使っていた芸術家の意図に反する事になるから
あるていど見る側の反応は「信じられない」や「気が狂ってる」じゃなきゃいけないんだと思います。
だから芸術として評価するために芸術として評価しないような態度が求められる訳で「死体を芸術として評価?」というのはとても難しい問題だと思います。
たとえばさぁ、誰か有名人の歯一本とかを丁寧に加工して、
その人にちなんだ作品を作るとかなら十分ありでしょ、(当然、
死ぬ前に本人との約束とかがあるものとして・・・
でもこの場合、そんな精神性もないし、生まれてもこれなかった
胎児を話題さらうために利用した汚い根性しか見えてこないところが寒い
また論旨がずれてる。芸術かどうかじゃなく、製作者の言わんとしていることを看破できずに議論するのは製作者の思う壺。廃品のサドルとハンドルで芸術作品が作れるのに「死体まで使ってなにやってんの?」と言い切るには、まず製作者の思わせぶりな言葉(どうせ言ってもわかんないだろ?とでも言いたげな)の意味するところを読み取った上でないと、逆に笑われかねない。
485にのっかてみる
おもわせぶりな言葉っていうかそのままのような。。。
海から飛び立つカモメは母体からの誕生で、
海に返るカモメは生まれ変わるってことなのじゃ?
どのみちレディーメードを扱って作品を作る場合
たんなるモノも新しい意味、生命を作者から受け取るって
だけのことを言ってるんだとおもふ。
それよりサドルやハンドルは単なる機能をもたされたモノで
客観的にしか見れないものだからレディーメードとして提示し
見る側の想像力、主観的な見方で生まれ変わる事ができるけど
この作品は死体を扱ってる訳でそもそも芸術にする前から主観的にしか見れないわけだからホンモン使う意味があまり見えてこない。
それとも最近の方は死体をたんなるモノとしか感じなくなったんだろうか?
生物学的な身体に対する見方に毒されすぎてんじゃ。。。
って あ、オ レ も か。
書き忘れたんだけど
これが作られた年に前の年に作られた臓器移植関係の法律に基づいて初めて臓器移植が行われたらしーよ。
いろいろ考えるところがあったんじゃない?
影響受けまくったんじゃない?
こういうのって刑事ドラマに出てくる死体遺棄とは違うのかな?許可とってるからいいとか?じゃあ合法的に人間が人間の死体切って「アートだ」って楽しんでるってこと?人間として終わってるような気が・・・
合法的だったら、誰も規制しなければ得体の知れない動物と
組み合わせても許されるということか・・・これはアートなんかじゃない・・・二つの命を二度殺しているだけだ。
いえいえ、アートですよ
別にアートって葵の御紋を取り出せば
誰も彼もひれ伏さないと
無礼討ちされるわけじゃないんだから
そこは認めましょうよ
その上でこいつは糞アートだって
ただそれだけのことですよ
>>487
サンクス。
熱くなってるわけではないのですが、ピカソの雄牛(だったかな?)これも極言すれば死体アートと言えなくもないわけです。もう、次元が違いますが今はおいておいてください。
牛の皮を使って、サドルが作られます。そして廃品になった牛の皮のサドルを使って作品を作ります。
これを、作品としての新しい命と言うのなら理解できます。
で、こちらの自称作品ですが、ホルマリンでしょうか?この状態が何時まで維持できるのでしょうか?脱色しますよね?
ホルマリン浸透の結果気泡が生じているなら変形も発生しますよね?
もしもアクリルなら、脱泡しきれていませんし嫌気性バクテリアは残っているのではないでしょうか?
上記のような理由から、「作品として新しい命を吹き込んだ。」どころか使い捨てようとしているとしか思えません。
堕胎等、望んでしている親ばかりじゃないです。(身近に
流産経験者もいます。)そうゆう人たちがコレを見たらどれほどのショックを受けるでしょう。想像を絶します。
貼られたリンクで展示全体を見る限り「無機物で生命の躍動と誕生」を表現しようとしたようにも見えます。
しかしながら、無機物で表現しきる実力が無かったから、
その事実を隠すために死体が使われたようにしか私には見えないのです。
どうみてもフライングレディの模倣にしか見えない為に、
自分は傷つきたくないから「見知らぬ誰かを傷つけても」
模倣と言われない物を使って展示し、話題になりたかったのではないかと思ってしまいます。
浅学ですし、実物も見てはおりません。すべては憶測、勝手な想像なのはわかります。それでもココならアーティストから見てどうなのか?薬学の専門家からみてどうなのか?プラスティックの専門家から見てどうなのか?知りたいです。
本人が信念を持ってやっているのなら、合法であれば、傷つく人たちの目に触れさせないようにするしかありません。
でも、そうでないならば、たとえローカルな(管理人さんすいません。)場所であっても「否定」する意味はあると考えます。
-長文、申し訳ないですー
中国人はホモサピエンスとしての常識を持たない
異常な人種だと聞くからな。
死人は餌だし、死者を平気で冒涜するしな。
死人を敬うと言う考え、死をいたむと言う考えがないらしい
>>482-484
芸術ってのは基本的にオナニーみたいなもんで、
みんながそのオナニーにに萌えられるか否かで、商業的価値が出たり出なかったりする。そんだけ。
現代アート自体が理解しにくいけれど、これは金魚をミキサーにかけて芸術と言った学生の事件を知った時と同じ気持ちに一瞬なりました。
制作者のテーマがこの記事だけ見てもよくわかりませんが、
「命を吹き込んだ」というコメントを考えていたら
命が入っていない遺体や死骸は物として観ているということなんでしょうか。その胎児が本人の子供だったらまた思う事は変わったと思います。
しかし、本物を使うのではなくニセモノで作るんだったら
全然OKと思えるのはどうしてなんだろう。
国ごとで違うのか、タブーの境界線が気になります。
芸術作品として使いたいので、死体を提供してください
て、ちゃんと素材としてもらったなら、芸術といっていいのかもしれないけど
>医学校から胎児の死体を盗み
とか、芸術のために盗んだとか、馬鹿すぎ
そんなもん芸術じゃねえよ、ただの変質者の泥棒じゃん
「現代アート」というのは解りにくく
誤解されやすいものだと思います。
私も間違ってるかもしれない。
でも頑張って文章にしてみれば
「いかに見た者に衝撃を与えられるか」かなと感じています。
ゾクっとさせられるか。
同じ芸術というジャンルで、ルノアール等と並べてしまうのが解りにくさの基でしょうか。
有名美術館の企画のものでも「なんだかなー」と思うものはたくさんあるんですが、でも時々、心を鷲摑みにされるようなものは、私にはあります。
アート=いんちき・解らない
と、できるだけみんなが思わないで欲しいなあと。
「猿の生け作り料理」に出くわした。丸い木のテーブルの真ん中に穴があいていてそこから猿の頭だけが出ている。頭は動かぬ ように金属の棒でテーブルに固定され、頭蓋骨が眉毛の上から円周に切り取られて薄い膜をかぶった脳みそが露出している。猿は麻酔でもかかっているかのようにぼんやりと目をあけている。この猿の脳みそをスプーンですくって食ペる。猿は自分の脳みそが食べられるのを見て涙を流すのがまた一興だという。
中国人て・・・、ほんと生命力が強いというか…。
なんでも食うの好きだよね…でも、あの土壌汚染は許せない!!
なんで放っとかれてるの!?
北 より悪くない!?
画像をぱっと見ての先入観とかモラルを否定して、
論理的に考えるのをやめたヤツらはサル。みたいな
決め付けしてる人がいるけど、
そんな手前のモノの考え方を他人に強要してる人が、
先ずサピエンスとは程遠い、と思う。
>>思い込みと決め付けはよくないとおもう。
その考え方すらも決め付けなんだよ?
>>論理的に考えるのをやめたヤツらはサル。みたいな
決め付けしてる人がいるけど、
え?誰もそこまでは言ってなくない?
ぱっと見そこまでひどくは書かれていなかったと思うけど?
思い込み激しすぎじゃない?
>>そんな手前のモノの考え方を他人に強要してる人が、
先ずサピエンスとは程遠い、と思う。
そんな風に自分で勝手に悪く受け取って怒り奮闘している
あなたこそサピエンスには程遠いサルかと思いますが
>>その考え方すらも決め付けなんだよ?
それこそ決め付けかと・・・。なんか客観的に読んでいると
一部の倫理的なはずの人の意見の方が悪く見えるから不思議・・・
人間だろうと何だろうと・・・動物切り刻んで繋ぎ合わせたものをアートなんては呼びたくないな・・・
第一、これアート?言っちゃ悪いけど、ただの不気味な見世物としか思わない人がほとんどだと・・・
どーでもいいんだけどさ、
これ批判してる人ってもしかして
この胎児の死体がもともと科学博覧会で展示されてたの
忘れてない?
>516
だよねえ。
食人のやつとも混同してるような、、
もしこの作者が昔はものすごいうまい、美しい絵を描いてて評価されてたとしたら否定的なみんなの評価も変わったりするのかな?
もしそうだとしたらくだらない
>>516
いや変わんないでしょう。
変わるのは芸術としてダメだししてる芸術オタクだけで
モラリストと嫌中国はゴッシプ記事のでっかい文字しか
読まないから。
つうか猿食いや土壌汚染とかを全て中国人に押しつけてるやつらがバカバカしいと思う。
日本人だって魚の活け作りとか食うじゃん、あれは猿以上に残酷だと思うぞ、だって生きたまま体切り刻んでそれ食うんだぜ?
俺は普通に食っちゃうやつだけど、会社の女の子それ見てトイレに飛び込んだ(吐いたらしい)昔、庭で魚飼っててそれ思い出したんだと。
食なんて国によって価値観やレベル違うんだから、いちいち言ったって仕方ないっしょ?
それに土壌汚染なんて言ったって、お前ら暮らしているうちにどれだけゴミ出してると思ってんだよ、分別すればクリーンで自然に優しいとでも思ってんの?
けっきょく人間、つーか生物なんて今も昔も自然を汚染して壊して行かなきゃ生きていけないものなんだから小さな差異でいかにも自分の方がいいみたいなこと言って他人を蔑むのやめろよ。
あと、作品について、デキはいまいちだけど、意義はあったんじゃない?人間って生き物の影を表すには丁度良いグロテスクさだと思うよ。
お前等がこれをグロテスクだ、気味悪いって思うぐらいに、人間の心にはそういうグロテスクで気味の悪い部分があるんだってことを知ればいいと思うよ。
具体的にどこの部分で拒否反応が出てるのかが気になるなーあ
1 死体を展示する行為(医学的意味合いで)
2 死体を展示する行為(芸術作品として)
3 展示はかまわないが、本人の許可をとるべきだ
4 死体を加工(首切ったり)する行為
5 加工はかまわないがやり方が悪い、雑だ(またはそう見える)
6 美しくない、醜い
7 なんでカモメなんだ
まあ補足もあると思うけど
>>489
死体損壊罪ってのがあるので日本ではなかなか難しい。
でも何ヶ月目までかの胎児なら法的に人間じゃないので死体でも無いんじゃないかな。
堕胎児は法的には産廃扱い。
上のほうで何で胎児使ってんの?みたいな事書いてた奴もいたけどそういう理由じゃないかと思う。
死体遺棄がよく問題になるのは散骨の時だな。
俺は人面カモメ単体にさしたる芸術性は感じないが、
ここだけでも500以上ある発言も作品の一部と考えれば立派な芸術作品だとは思う。
あのね、レスが500超えてそれも作品のいちぶって
きみって人はメディアにやられるタイプの人間だな
500こえたらこんなこというやついるんだろうなと
思ってはいたけどがっかりだ
あのね、レスが500超えてそれも作品のいちぶって
きみって人はメディアにやられるタイプの人間だな
500こえたらこんなこというやついるんだろうなと
思ってはいたけどがっかりだ
久しぶりに覗いて見たら…
まーーーーーーーーーーだ続いていたんだなあ、ここ。
俺もアツくなって色々書いたけど、もういいや。面倒くせえ。
こんな作品、すなおに見りゃあいいんだよ。すなおに。
チ ョ ン の 作 っ た 、下 ら な い キ モ い 愚 作 !
それでいいじゃん。思考停止と言われようがさあ。
否定派は皆まず「これはアートではない」という否定から入っているようだが「アート」には厳密な定義はないのではないか?前述のピカソの「ゲルニカ」も見る人によってはすばらしいものなんだろう(私にはわからんが)。
しかし、例えばゴッホの「ひまわり」とかでその逆が起こりうることもあるんじゃないだろうか。
食人云々にしてもそうだ。倫理的、法的にはまずい。が、倫理も法も所詮は人が勝手にきめたものだ。ただそれを迎合し、それに倣って否定したんでは議論にならんだろう。
傑作傑作
これが芸術?
真似出来ないのでなく、真似したくない
タブー挑戦か、姿勢は評価できる
人は死しても人なのか、それとも只の物体なのか
ゴミとして扱われた人は元人間は一体?
死してなお、生きるのは何か
結構結構 技術、思想共に芸の術呼ぶには拙すぎる
倫理とか法律とか価値観とか:
もし作者が生きている子供を殺して作ったというのであれば
それは許されざるべき事であり、当然作者は法によって裁かれるべきだが、
親が堕胎させた、もともと生まれてもいなかった胎児なのだから、特に問題は無いと思う。
日本では死体損壊罪?などがあると思うが、その国では法律に触れないのならば、良いだろう。
法ではなく個人的感情としても、死体はただのモノなので、なんとも思わない。
この作品について:
美しいとも綺麗だと思えない、感情としては不快感や、
嫌悪感を与えられるオブジェではあるが、とても面白い。
この作品が、
「今までに見たことのない、またはこれから普通に生活していて見る事が無いであろう物体」
であるということに対してのありがたみ、またこの作品のもつ
「多くの人の嫌悪感に強く働きかける」という性質について、深い面白みを感じる。
実際、こうしてこのblogでも興味深い議論が起きている事に
何らかの意味(良いにしろ悪いにしろ)があるだろうし、
それが作者の意図なのだとしたら、色々な意味で素晴らしい作品を作ったもんだと言える。
だから、「この作品がこうして存在していて良いものか悪いものか」といえば、
個人的には大いにアリだと思う。
しかしコメントを途中まで読んだが、
私と同じようなことを思った人は少ないようで、残念です。
あとついでに:
人間の死体を使った作品がこの世に他にあるのならば、
やはり見てみたいと思った。
しかしそれらを見ることが出来たとしても、
そのときに抱く感想としては、やはり「気持ち悪い」だろうなぁ。
まとめるよ。
コレを嫌いな人の意見>
・単純にキモい
・死体をさらしものにするのは悪いことだ
・理由を聞かれても困るが、倫理に反している気がする(このテの発言には、なぜか根拠を示せと総攻撃)
・でも、そう思う倫理観って、人類普遍のものじゃないの?(火に油)
・法的にマズいんじゃないか?(「殺したワケじゃないからオッケー」という反論多数
ちなみに「法なんか人間が勝手に決めただけだ」という反論もあり:笑)
芸術オタの意見>
・こんだけ物議を醸したんだから、芸術として価値あり(そういう勝負?との疑問多数)
・倫理観や道徳観で否定するな。そんなモンは決めつけで根拠がない
・きっと作者にも、敢えてこんなモノを作る狙いがあるハズだ(さあ、みんなで考えよう)
・芸術は、常識やタブーに挑戦すればするほど価値があるのだ(ソレを名付けて現代芸術というらしい)
・てか、常識とかそんなもんは変わっていくので、コレも将来評価されるかも(例:ピカソやプレスリー)
・作者の狙いはイイのに「作品の出来が悪い」
・ちなみに個人的な感想は「キモい」(「感性としては、僕もマトモなのよ」との言い訳)
要するに、嫌いだって人は多いんだけど、オタに言わすと、法律や倫理は芸術様を否定する根拠にならないと。
で、根拠もないのに批判するなと。(それでも批判するヤツは原始人だっけ?)
でも、オタも、決して作品を擁護したいワケではなく、根拠レスな批判を芸術様に向けられること自体が、
どうしても我慢できないって、そういう話かな。。?
そのほか>
・中国人が悪い
・カモメがカワイソウ。。
・死体なんぞ、何とも思わない ほか
まあ、だいたいそんな感じ。
>>522
1~7のどれでもなくて
死体として見てしまう自分がいるにもかかわらず
作品として提示されてることの不条理の狭間で目がくらんでるんでしょ。
で足場を求めるために個々人にとってに合理化(批評(解釈))、ようするに
この物体への復讐が行われる。
それが(当たり前だけど)拒否反応として表に出てくる。
でそれがデュシャンの言う「芸術と民衆の和解」なんでしょ。
現代芸術のテーマですね。
何時の時代でも現代芸術は広義の意味でインスタレーションアートじゃなきゃいけないわけですね。
>>533
>>535ほんとに、よくぞ完読した。
よくぞ、理解した。
たたえちゃいましょう。ぱちぱちぱち。
まとめ方もうまいし。
>>534
ふーむふむ
浅学のためわかるようなわからんようなといったとこだけど
凄く的確な意見だと思います
勉強になったぜ
ダヴィンチは生前狂人扱いだったよな?
今でこそ解剖は普通に行われるが、当時は
悪魔の所業だと思われてた。
まぁ、コイツとダヴィンチを比較するのは
馬鹿げてるけど。
言いたいのはだな。命に対する考え方は
確実に変わるって事。
倫理は人間に余裕があるから語れること。
人間の本質は倫理なんて下らない事に左右されない。
一番怖いのはこういうものに慣れていってしまうこと。
胎児の死体を普通に見れる人間が増えること。
痛みを知らない人間が増えていったらどうなるだろう。
きっと普通には暮らせない。
それこそみんな銃をもって自衛しなくてはいけない世界になってしまいそう。
荒廃という言葉がピッタリね。
タナトスとエロスはベクトルさえ違えど同じ領域に存在する欲望である
つまり、死体の写真を見て興奮するのも、グラビアを見て興奮するのも、欲望としての領域は同じなワケね
でも、この中国の方は、ただ人の目を引きたかったDQNだと思う
一応頭が人間、体が鳥っていうのは
中国のタクヒっていう妖怪?で元ネタはある。
だから体が鳥で頭が人間っていう事はそういう意図があると思う。
あわせて一つの生命に蘇らせたっていうのは
伝説の生物として生まれ変わらせたって事なんじゃないかな。
と、好意的な解釈はしてるんだけど
ただもっと綺麗に造ってほしいよねこれ・・・
本当にただ取って付けたやっつけ感しか感じられない。
死体として発表したならともかく生まれ変わらせたって発言するなら
今にも動きだしそうな形に造るべきだ。
僕が思うにこの作者は生と死の議論をさせるって意図ではなく
死体の頭と鳥でタクヒを作れば注目を浴びられると思って
それだけの為に造った様に見える。
タクヒもそうだし人面鳥は世界中に伝承があるねえ。
・・・感想ねえ。死体をどう使おうが勝手だとしか思わないのも自分の個人的価値観でしかないからなあ。
ジャーナリストとやらがどんな意図でものを言ってるのかも分からんし。
そういや収拾をのみ目的とした博物学って珍奇でゲスな学問ですな。欧米の戦利品たちは未だに栄光の光と敗北者の無念を背負って飾られてますが誰も悪趣味とか言わないのでいいんじゃないのう。
えっと、あれだ。「いいも悪いもリモコンしだい」って感じ。
>>541
性のタブーの解放の延長線上に「死」もしくは「死体」の解放をもってくるのは面白い考え方ですね(胴衣はしかねるが)。
>>528
ゲルニカは、もともとデッサン力のある人が書いてるから、
構図やバランスも良いし、人の苦痛が伝わってくるでしょ。
そういう意味で、優れた作品なわけ。
>547
たぶん528は、ゲルニカが何を描いた絵か知らないんだよ。
「テーマ性」ってハナシと「表現力」ってハナシを考えたとき、
二人とも、ゲルニカに表現力がある/ない(分かる/分からない)
って言ってるけど、更に重要なのは、テーマ性なのでは?
明確にゲルニカ空爆への抗議がテーマであったゲルニカと、
今回のコレが、ホントに並んで評されるほどなのかね。。?
>548
知っているよ、スペインの内戦の時に自治をしていたゲルニカを当時のナチス・ドイツが攻撃したってことが元だろ?
たしかピカソは内戦が起こるまでゲルニカをスペインに入れるな、と死に際に言ったんだよね~。
テーマ性でいうならこの作品も強烈で醜悪なテーマがあるよね。
ゲルニカが被害者善人の悲しみとか怒りなら、この作品は被害者の無感動(死んだ者はタダの肉)と加害者の醜悪さ(殺すコトへの無感動、鳥と合体させられでもしなければ胎児を殺すことがこれだけ醜悪だってことに気づくかな?)の投影かな?
戦争は破壊のアートだ。
と、言ってみるテスト。
敵を倒す。そのためだけに極限まで考え抜かれ、
切り詰められ製造された工業のアート。
それが兵器。
兵器が美しいのは仕方ありません。
と、ほざくのもありか。
http://www.swissinfo.org/sja/swissinfo.html?siteSect=105&sid=6012745&cKey=1124789943000
展示取りやめになったみたいだね。
ちなみにユは「遺伝子工学に対する疑問を投げかけたかった」みたいだけど逆に芸術の表現の自由に疑問を投げかけられちゃったみたい。
御愁傷様。 ちーん
科学博覧会に展示された方がまだマシ。大体、これに何の
意味があるんだか分からない。何か役に立ってるの?
そういうことも加味して大勢の人が「非常識」って言ってる
から大問題になってるんじゃないの。
>>554
なんか展示取りやめになった後の画像、すごくぞんざいに扱われてる気が。
首を切られて「アートだから」と見世物にされた上、展示取りやめになったらぞんざいな扱い。
そのまま廃棄されかねない勢いだな。
そういえば、日本ではまだあまり知名度高くないが、エンバーミングとかどうなってんだろ。
ちゃんとバイオハザード起きないように処理されてるのかな。
>>80
っていうか人肉喰わんでもいいやん。
豚とか鳥肉とかさ。
共食いはクリオネ以外の動物は
あかんでしょ。いや、許されへんはず。
>>141
俺は飯残さないぞー
虫できるだけ殺さないぞー
この人はアートといいつつ
意味の無いことをやってるように見える
はい遅レスです
個人的には俺も大嫌い。アートだと認めたくない。
基本的にわからんよこういう人の感覚は。
でもこれは残念ながら現代のアートになってしまう。
同じアーティスト(同じだと思いたくもないが)として言えば、個人的利益のために物議を醸してナンボみたいな作品の最たるもの。
アートだと称して、それに価値を認めるヤツがいればそうなっちゃう、身勝手であやふやなものだよアートは。
特に今は遊びにとても近いものなんだと思う。
それから、素直な感覚として嫌悪感を表すのは構わないが、人間の普遍的感覚としてはタブーとは言えない。
それだけ様々な人間の営みがある。文化も道徳も。
もちろん俺個人的にはタブーだけど。
人を食うのが「文化」なんて認めたくない。
でも我々が普通にしていることをタブー視する人々もいる。
アートじゃない、人間性に欠けるなどの意見を述べた方のほとんどは、その一方で自分の単純さも意識した方がいい。
曖昧な言い方だが、そういった単純な意見の塊が勢いを増した時に悲劇が重なるんじゃないかと思うんだけど。
自分本位の意見には恐ろしい部分もあるよ。
そんなことを感じたので書き込みました。
物議を醸して作者はやっぱりニンマリかもね。
勝手に膨らんで、複雑化して、一人歩きするから。
それから文革で内臓とって食ったり、胎児とか生きた猿の脳とか食ったり、道徳性より味がどうとかいう話が先立ったりする様を知ると、「戦中の日本兵は内臓えぐって食ったり妊婦から胎児を引きずり出したり、こんなひどい拷問・虐待をしました」という多くの話も誠に真実味が失せる。
>>557
流産じゃなくて無理矢理おろされたみたいだよ。
この作品を他の人がどのように思うのか知らないけどそれなりに理由があるみたい。
シャオは中国の一人っ子政策に対する抗議の気持ちがあったみたい。
一人っ子政策が始まったのが1970年でこの女の子の胎児は1960年に堕胎されてるわけだよね。政策が宣言される前からたぶん中国では無理矢理子供を堕胎させてたんだと思う。
ようするに政府の政策によって殺された命をなんとかして救ってあげたかったんじゃないかな。無念の想いを晴らすっていうか。。。
シャオが言ってんだけどこの胎児とシャオの年齢(1965生まれ)ほとんど一緒なんだって。
そんで作品のタイトルが"Ruan"でこの言葉は中国語で”Xiao"と一緒なわけ。自分が生き残ってこの子が死んでしまった、とか思ったんじゃないかな?
わざわざ科学博物館からこの子を救い出して中国社会になけなしの抗議をしているわけで、、、やっぱ芸術作品としても発表する意味があるんじゃないかな?
そもそもこの作品を購入したキュレーターは中国で展示出来ない作品がいっぱいある、と言っている訳で政治的な意味での展示でも有ると思う。
あ、ちなみに目はウサギの目をはめこんだらしい。
ソースはこれね(英語だけど)
http://www.jamaicaobserver.com/lifestyle/html/20050814T200000-0500_86154_OBS_CHINESE_ARTIST_DEFENDS_FOETUS_ARTWORK_AFTER_COMPLAINT_IN_SWITZERLAND.asp
うまくコビベ出来てなかったみたい。
ソースはこれ
http://www.jamaicaobserver.com/lifestyle/html/20050814T200000-0500_86154_OBS_CHINESE_ARTIST_DEFENDS_FOETUS_ARTWORK_AFTER_COMPLAINT_IN_SWITZERLAND.asp
連続カキコすみません。
もうしわけございません。
正しくコピペできません。なんででしょうか?
興味が有る方はぜひかってに探してみてくだされい。
これだけの人が不快に思う物のどこが芸術なんだ?
一部の同じ感覚の持ち主だけが素晴らしいと思えば芸術なのか?
多数の人が素晴らしいと思えるものこそ芸術だと思うが?
最低。考えられない。キチガイ?頭弱いんじゃねぇの?こんなの芸術でも何でもない。コイツ代理ミュンヒハウゼン症候群とかそんな系じゃね? 注目浴びたいんだよ。哀れなヤツだ。
どんな生物だって死体は『物質』だ
その物質を糧として生物は生きるんだ
命の無い物に感傷を感じるあたりが間抜けの証拠だな
しかし、悪趣味以外の何モノでもないコイツは
幼児の落書きよりも価値が無い 意味も無い
全く生産性がないから芸術にはほど遠いな
「生き物」が死んだら「物」って考えはどうだか・・・。
お墓作る意味ないやん。
「物」に変わるって考えの方が間抜けな感じがする。
個人的にはこの作品は芸術だと思わないな。
しかし実際にこの作品を見てこれほど多くのコメントが書かれる程
人の心を動かしてるのは芸術といえるのかもしれない・・・。
まぁ少なくとも、俺はこういうことする人間にはなりたくないな。
>鳥も胎児も、おそらく何か良くないことがあって、どちらも
>死んだわけです。私はそれを組み合わせて、新しい生命を吹
>き込んだわけです。
なんだこの何のコンセプチャル性もない説明は?
アート失格じゃん。
中国の現代アートとか現代大衆文化とか
世界に通用するものが出てくる前に
こういうゲテモノばかりが強烈に出てくると
中国の文化界にものすごいマイナスの印象を
植えつけることになるんだけどね。
そういう強烈さでしか勝負出来んかい、
ってすごく貧困に感じる。
「芸術」と「見世物」の区別がわからん・・・
親の因果が子に報い・・・って呼び込みして見世物にしていた蛇女やろくろっ首のインチキとどうレベルにしか感じられないんだけど。
死体を掘り起こして毀損する文化のある中国
文化大革命でめぼしい文化財を破壊しつくした中国
この「作品」で現代中国共産党を痛烈に批判してると主張するのなら具体的に表明してくれないと何も伝わってきません。
「芸術」と「見世物」の区別がわからん・・・
親の因果が子に報い・・・って呼び込みして見世物にしていた蛇女やろくろっ首のインチキとどうレベルにしか感じられないんだけど。
死体を掘り起こして毀損する文化のある中国
文化大革命でめぼしい文化財を破壊しつくした中国
この「作品」で現代中国共産党を痛烈に批判してると主張するのなら具体的に表明してくれないと何も伝わってきません。
こんなゲテモノでも芸術って免罪符でカバーされるんよな。
インパクトはあるね、それだけだけど。
しかし、芸術といえば。との問いに、こんな下卑たモノとか「金魚をミキサにかけたモノ(うろ覚え)」のインパクトばかり連想されてしまう事態に陥った場合、いままで築いてきた芸術は崩れ去る。
新しいモノが悪いとは言わない、次元が違おうが流儀が外道だろうが。良いものとは今どうこう言われるものでなく、取捨選別され残ったものだけが良いものであるだろうから。
それでも、このようなものが良いものであるとは、芸術である、とは受け入れられない。それは私の私自身の倫理感からくるものであったとしても、このようなものを寛容できるようにはなりたくない
堕胎した胎児を干したもの?は中国では普通に薬店で売られてますよ。なんでも健康にいいだとか。
それに人身売買も未だにあるわけですし。
もっとも、生きた人間での人身売買は違法なので、見つかれば死刑ですけどね。