【AP/etc】人肉フライ、人肉バーベキュー、人肉炒め、そして人肉刺。これらのおぞましいメニューが我々人類の祖先においてかくも一般的なものだったとしたら、貴方はどう思うだろうか。おそらく身の毛もよだつような嫌悪感を抱くに違いない。しかし近年の研究によれば、こうした食人文化 - カニバリズムは少なくとも数百年前の人類にとってさほど珍しいことではなく、むしろ一般的な社会的風習としてあらゆる文化で実践されたきたということが、明らかになりつつあるという。人類がカニバリズムを行ってきた証拠として、最も有力なものは遺伝子に残された痕跡である。近年、英国やオーストラリア、そしてパプアニューギニアの研究者が行った研究によれば、我々人類の多くが、人間の脳を食べることによってのみ感染しうる様々なプリオン病に対する免疫を保持していることが明らかになっている。(写真は食人をモチーフとする猟奇殺人を扱った映画「ハンニバル」より)
そして研究者によれば、この事実は我々人類が紛れもなく過去のある時代において食人 - あるいは共食いを行ってきた事実を裏付け、即ち、現代の人類は食人による脳疾病感染の淘汰を生き延びた種であるというのだ。
「こうした自然淘汰がいつ行われたものなのかは分かりません。おそらく現生人類が進化を遂げる過程で行われたことは間違いがないと思います。」英ロンドン大学付属医学研究所のサイモン・メッド氏はそう語っている。
これまで人類が行ってきたカニバリズムは二つの種類に大別することが出来る。それは社会的な食人、そして病理学的な食人である。前者は食人が文化の一部として受容されている中で行われる食人、そして後者は逆に受容されていない中で行われる食人である。これまで社会的な風習として存在した食人について、現在知られているものでは、例えば中南米に栄えたアステカ文明において、食人が大規模な社会的習慣として行われていたことが、スペイン人によって報告されている。
それら報告の真偽を巡っては、これまで様々な議論がなされてきた。食人文化の存在を否定する科学者によれば、報告はもともとスペイン人の征服行為を正当化し、現地の人々が邪悪である印象を与えるため、大きな誇張が含まれていたと主張している。確かに、これらの報告に食人以外の部分で多くの虚偽、誇張が含まれていたことは事実である。しかし近年の発掘調査の結果、アステカ文明で描かれた数々の絵から、大規模な生贄儀式とそれに伴う食人が極めて一般的な行事として行われていたことはほぼ間違いがないことが確認されつつあるという。また中南米をはじめとした遺跡から発見される多量の人骨跡、そして死骸から発見された食人の痕跡は、我々人類が紛れもなく過去に食人を行ってきた事実を裏付けているのである。
そしてまたこれら食人が行われたのは何も過去の話ではない。食人はつい百年前、あるいは数十年前 - 更には現代 - に至るまで、世界各地で行われてきたのである。人類学者のクロード・レヴィ・ストロースは食人について、次のように語っている。「同胞の誰かを食べる方法でなく、肉体的・精神的にひどく傷つける方法を選んだからといって、我々が精神的な進歩を遂げたと信じるのは愚の骨頂である。」
社会的習慣としてカニバリズム(食人)が行われていたケースとしては、パプアニューギニアの山岳部に暮らすフォレ族が行っていた食人風習が有名である。口承によれば、フォレ族は19世紀の終わり頃から、死者を弔う理由で食人をはじめたとされている。そしてその事実が明らかになったのは1930年代後半のことである。フォレ族の間で食人風習が定着して間もなく、奇妙な疾病が流行し始めたのだ。
その当時毎年200人以上の死亡者を出したこの奇病は、現在では現地語に由来してクールー(kuru)と呼ばれ、後に食人による脳プリオン感染が原因であったことが確認されている(※)。フォレ族における食人では、部族の男は死体の脂肪や筋肉を食べ、脳の部分は主に女性や子供が食べていたと伝えられており、この事実はクールーにかかった多くの患者が女性や子供であったことを裏付けている。しかし1950年代、現地調査を行った米国の科学者らによって食人習慣が禁止されると、50年代後半にはフォレ族の遺体からはクールー病が発見されなくなったと当時の報告は伝えている。(※このクールーにかかった者は「抑えがたい笑い」という奇怪な症状に襲われたことからこの病気は「笑死病(Laughing disease、Laughing death)」とも呼ばれている。)
またこうした食人の風習は、何も非白人文明圏だけの話ではない。15世紀のスコットランド山岳部に暮らしていたしたソーニー・ビーンの一族は山岳を通過する旅行者達を食べて暮らしていたという記録が残されている。ソニー・ビーン一は妻と14人の子供、また子供達の近親相姦で生れた孫たちを含め50人近い大所帯で暮らし、彼ら全員で道に迷い込んだ旅行者を捕らえては、その肉を食べて暮らしていたという(後に一族全員は逮捕され、過酷な方法で処刑されている)。
また他には、北米で暮らしていたアナサジ族の食人文化議論がある。アナサジ族は紀元前300年頃から1700年頃にかけて北米南西部に居住していた民族で、近年の発掘により、アナサジ族が敵部族を殺して食べる習慣が日常に行われていた事を裏付ける、いくつかの証拠が発見されている。この事実は食人が未開地だけの野蛮な風習であると信じてきた西洋の科学者らを困惑させた。彼らにとって、北米において食人が行われていたことを認めることは、即ち自分達に食人者の血が流れていることを認めることになるからである。
そしてそうした背景から、このアナサジ族の食人文化については、今日も議論が続けられているのである。現在、多くの考古学者らはそれが間違いなく食人文化の痕跡であると認めているものの、一部の考古学者らや科学者からはそうした食人は偶発的な出来事だったとして、食人文化が習慣として存在していたことを否定し続けている。即ち、これはまた、考古学上の発見=既成事実が、それに連なる現代の人間の望まないことを掘り起こしてしまうという典型的なケースとしても知られ、それはさながら人間の先祖を猿であるとする進化論者と、神性の中に人間を位置づけるキリスト教者の対立にも似ている。
このように、中世から近代にかけても、食人は様々な文化において一般的なものであったことは凡そ間違いがないのである。また多くの文化において、食人は一般的に侮蔑の意味を込めて敵を食べること、即ち復讐という文脈で行われていたとされているが、一部の文化で治癒としての食人(死者を食べることで病気の治療を行う)、殺した敵への敬意表明としての食人、更には懲罰としての食人(罪人の身体を皆で食べる)、愛情表現としての食人(愛する故人の身体を皆で食べる)といったように、その意義は文化によって様々であり、多岐に渡っている。そしてまたこうした事実から分かるのは、いずれの場合も、食人は決して、我々現代人が考えるような非社会的、反社会的な行動習慣ではなく、むしろ強く社会的な行動として存在していたという事実に他ならないのである。
また近現代において、食人は、事故に付随した偶発的な惨事としても発生している。最も有名なものは1972年に発生した、アンデス山脈の航空機墜落事故が挙げられる。その年、ウルグアイのラグビー選手ら40人以上をを乗せた航空機がアンデス山脈に墜落。極限状況の中で生存者は死亡者の肉を食べ、何とか生き延びたのである。しかしまた、そうした非常事態にも関わらず、それでも肉を食べることを拒否し続け、命を落とした者も多かったという。また肉を食べ、生存した者たちはこの時次のように食べない者を諭し、食人を肯定したという。「聖体拝領だと思えばいいんだ。キリストの血と肉だと思えば良い。神が僕らに与えて下さった食べ物なんだよ。神は僕らに生きよと思し召していらっしゃるんだ。」また生存者の一人は後に行った講演で次のように語っている。「友人の肉を口に入れた時は、罪の意識がありました。しかし、同時にこんな所で絶対に死にたくないと思い、この肉に友人の魂は宿っていないと自分に言い聞かせました。」更に、この事件について、ローマ法王庁は後に彼ら生存者の食人による生存を肯定し、「破門しない」ことを発表して世間を驚かせた。(※その様子は1993年"Alives(邦題:生きてこそ)"として映画にもなっている。写真は当時の事故現場の様子)
そしてまた、もう一つ、近代の事故型食人としてはかの有名な「ドナー・パーティ」事件がある。1846年、ジョージ・ドナー率いる西部移住希望者総勢87名はカリフォルニアをを目指していた。しかしカリフォルニアきっての難所として知られるシエラネバダ山脈地帯で一向は遭難、それから凡そ2ヶ月に及び山脈を彷徨し続けた。その後一向は何とか山脈中腹の湖畔にたどり付くが、今度はそこで大吹雪に見舞われた。やがて一向の食料は尽き始め、幾度かに渡って体力のある者が救助隊を呼ぶために山岳越えに挑んだがいずれも失敗。いよいよ食料が底を付いたパーティの間では、いつしか人肉を食べる案が自然と持ち上がったという。最初は抵抗を示していたメンバーもやがていよいよ飢餓がひどくなると、食人の幕はあっけなく切って落とされた。
まず最初は死亡者から順に食べられたが、やがて死者がいなくなると、次には飢えたパーティメンバーの謀略からインディアンのガイド2名が殺害され、生存者の食事へと変わった。その後状況は更に悪化し、発狂したメンバーにより殺し合いと共食いが行われたという。そして翌年、ようやく救助隊が彼らのもとに到着したとき、パーティの約半分は死亡し、現地の状況は悲惨極まりないものだったと伝えられている。当時の救出隊の一人はその様子を次のように記している。
小屋の周辺には人骨や半分程食べられた人間の身体が多数転がっていた。手足、頭蓋骨、散乱した髪の毛に囲まれて、それを食して生き残った、しかし痩せこけた人々が薄汚いボロ布に包まって震えていた。それはほとんど人間というより悪魔の姿だった。彼らは本来の姿を失い、過酷な状況の中でそうせざるを得なかったのだろう。
彼らはヤコブ・ドナーの二人の子供を既に食べていた。グレーブス夫人の身体がその側に横たわっていたが、その腕と足は切断され、胸が切開されて心臓と肝臓が取り出されていた。彼女の娘、まだ生後13ヶ月のその子は母親の側に座り、ぼろぼろになった母親の腕を見つめて、小さな声で「ママ・・・」とすすり泣いていた。
そして現代、これらカニバリズムはもはや生存の手段ではない。それはもはや風習とも生存ともかけ離れた欲望のもとでさえ行われているのである。また驚くべきことに、現在、世界のほとんどの国において、食人それ自体は違法とされていない。例えば近年、ドイツの食人鬼として世界を戦慄させたアーミン・メイウェスの場合においても、彼は食人によって罪を課されたわけではなく、「性的愉悦のために」殺人を行ったことが罪とされている。
こうした事実からも明らかな通り、現代における食人行為の多くは性犯罪と結び付けられているが、事実、今日多くの精神科医は性的関係の最たる特徴を所有欲であると考え、一部では、食人をその完全な表現とみなす解釈さえ行われているのである。以下は現代史上最も有名な食人者たちである。
アメリカの悪鬼として恐れられたアルバート・フィッシュは1920年代、多数の子供達を殺害したことで逮捕されたが、彼は後に自身が行った拷問と食人の様子を詳細に著述し、「オーブンで焼いた少女のお尻が、どんなにおいしかったか、口ではとても言い表せません」などと書き綴っている(立件された数は16件であるが、本人の供述では100人以上、懇意にしていた精神科医の話では被害者数は400人を超えたといわれている)。
「ミルウォーキーの悪魔」のと呼ばれたジェフリー・ダーマーは1990年以降、17人を殺害し、その死体を冷凍庫などに保管して食べていたといわれる。警察がダーマー宅に家宅捜索に入った際、そこには幾人もの死体から切断された人体のパーツがホルマリン漬けにして陳列され、冷蔵庫には手足ほか様々な器官、流しには切断中の身体が横たわり、バケツやダンボール箱には切断された手足が無造作に放置にされ、それは文字通り屠殺場のようであった、と調査に当たった警察は報告している。ダーマーはその後テレビにも出演し、自らの犯罪について次のように語っている。「犠牲者を殺して食べたのは、彼らが嫌いだからでも、怒りを感じたからでもありません。ずっと私の側に置いておきたかったからです。当時の私は抑えがたい欲望に突き動かされていました。性的興奮と妄想、恐れと喜びが混ざり合った抗しがたい力。私が完全に満たされたのは、この欲望を満足させた時だけでした。」
ロシアの殺人鬼アンドレイ・チカティロは1978年から1990年にかけ少なくとも53人の少年少女を殺害した容疑で逮捕された。チカティロはまず決まって子供を強姦、殺害し、後に細かく刻んでそれを自宅に持ち帰って食べていたという。後に法廷で彼が口にした言葉は文字通りロシアの人々を恐怖に陥れた。「私は少女の舌を歯で噛み切って、それを飲み込みました。そんな時、私はいつもオルガスムを迎えたんです。」またその後の調べによって、チカティロのこうした異常行為は、幼児期から彼が抱えていた性的コンプレックスが原因であったと分析されている。
また20世紀最大の殺人鬼として知られるオーティス・トゥールとヘンリー・ルー・ルーカスに至ってはその犠牲者は少なくとも180人に上ったと言われている(本人達は500人以上を殺したと供述している)。同性愛者であった二人は共に血生臭い過去を抱えながら1979年に出会い、食人カップルとして意気投合。その後二人で100人以上を強姦、殺害し、その肉を食べ続けた。二人の性的倒錯は食人に付随した儀式という形で最も顕著に現れ、特にルーカスは殺害した犠牲者を必ず生贄儀式のような形で祭り、その血を飲んでいたと供述している。そしてまた放火の常習犯でもあったトゥールは、その死体を焼くこと=すなわち死体の調理に強い興味を示していた。「死体を焼く火を見ていると、僕はとてつもなく興奮するんです。」そして焼かれた死体を好んで食べていたのは、ヘンリーであったといわれる。つまり二人は死体の調理と食人において、まさに相互補完的に性的興奮を満たしていたのである。
そして近年、ドイツの食人鬼として世界を騒がせたアーミン・メイウェスの場合は、更に複雑である。メイウェスは、被害者が合意した上で食人が行われたと供述したが、後の調査によってその供述が事実であったことが確認されている。メイウェスはまず、インターネットのカニバリストが集う掲示板に次のような広告を打った。「18歳から30歳ほどの、若くて、肉付きが良い、食べられたい男性求む」。そして驚くべきことに、その余りにも奇怪な募集に応募してきた人間がいたのだ。
メイウェスは応募してきた同性愛者の男性ユルゲン・ブランデス氏を自宅に招待し、まずそこでブランデス氏の合意のもとでペニスを切断、それをフランベにして二人で口にした。そして二人は屋根裏部屋に上がり、様々な拷問を行った後、ブランデスを合意の下で殺害、その肉を食べたのである。メイウェスはその様子について次のように語っている。「私は8歳から12歳の頃に素敵な空想を抱いていた。私は(彼を食べることで)それを満たすことが出来たんだ。」そしてメイウェスのPCから発見された被害者のブランデス氏のEメールには、次のように書かれていたという。「僕は、君に食べられるのが楽しみで仕方ない。ああ、待ちきれないんだ。」
一方、近年のアジアにおいては、中国人のアーティスト、シュ・ユ氏が胎児を食べるという作品を発表し、大きな物議をかもした。この画像はインターネットにおいて様々な形で紹介され、FBIやロンドン警視庁によってその出元を巡る捜査も行われた(「胎児を食べる台湾人」といったコピーが恣意的に添えられ、食人の偽新聞記事として氾濫した)。現在、この画像が一体どこから流出したものであるのか、また、シュ氏が食べているものが果たして本当に人間の胎児であるのか、あるいはそれに似せたものであるのか、確かな情報はない。(※一説によれば、シュ氏のこの作品は2000年上海のアートフェスティバルで公開された作品「食人」の一部であり、胎児に似せた物体は鶏肉と人形から作られたもので、氏は作品のコンセプトを、<いかなる宗教も、いかなる国の法律も、食人を禁じてはいない>と述べたという。
- 死亡した人間の胎児と鳥の死骸を合体、大問題に スイス
※この作品が伝播した経緯については上記リンクを参照
- 作品の写真・グロテスクにつき注意
※ただし5枚目以降の写真はシュ氏の作品ではないと思われる。
また日本では「パリの食人鬼」として恐れられた佐川一政がいる。佐川は大学院に在籍中、優れた文学研究が認められ、パリ第三大学に留学。そこで出会ったオランダ人女性を殺害、その肉を食べ、遺体の残りを遺棄して逮捕された。佐川は後の供述でその時、何度となく女性に性的関係を迫るアプローチしたものの、女性は用心深くそれを拒否したため、食人に至ったと話している。そして佐川は後に裁判で犯行時は心身耗弱の状態にあったと分析され、無罪を言い渡されて日本に送還された。この事件は日本ではさほど報じられることがなかったが、海外においては「食人する日本人」として大々的に紹介され、話題を呼んだ。
当時、事件を分析したある性科学者は、この事件について次のように分析している。「おそらく我々は、料理に火を通す伝統を持つお陰で、肉や魚を生で食べる習慣を持つ日本人よりも食人の出現から守られているのだろう。」
またその後、1989年、宮崎勤が連続幼女誘拐で逮捕された際、佐川氏は再びメディアに登場し、宮崎勤の食人と犯罪について、次のように語っている。「あれは、グロテスク以外の何者でもなく、はっきり言って僕にも理解できないですよ。(中略)その神経はハッキリ言って理解を超えています。異常ですよ。」
このように、人類はその時代時代に合わせ、様々な理由、そして様々な形で、常に食人を行ってきた。しかし現在、あらゆる国、あらゆる文化において食人はタブーとされ、それについて論じることさえ忌み嫌われている。一説には、人間が表立って食人を行わなくなった理由は、「経済的な理由=殺して食べるよりも奴隷として働かせた方が効率的な食料供給に繋がる」であるとも、またあるいは「共食いへの恐怖=食人を行うものは、常に自分が食べられるという可能性を認めることになる」とも言われているが、一体なぜ、人間が食人を止めたのか、あるいはなぜ雑食である人間が食人だけをタブー視するのか、その根本的な理由を明らかにする科学的理論はない。
ジグムント・フロイトは食人風習について、次のように語っている。「貪り食うために人を殺してはならないということには十分な理由がある。しかし、肉の代わりに人肉を食べてはならない理由は、どのようなものであれ、一つもない。」
【参考1】人肉食の基礎知識 | 人肉食 | 桑原隲藏 支那人の食人肉風習
【参考2】 ゆきゆきて、神軍 | ラビナス | 野火(大岡昇平)より
(主人公がジャングルの中で仲間の死体を目の前にして。その仲間は死ぬ直前、自分が死んだら食べるよう、飢えた主人公に話していた。)雨が来ると、山蛭が水に乗って来て、蠅と場所を争った。虫はみるみる肥って、屍体の閉じた眼の上辺から、睫毛のように、垂れ下がった。私は私の獲物を、その環形動物が貪り尽すのを、無為に見守ってはいなかった。もぎ離し、ふくらんだ体腔を押し潰して、中に充ちた血をすすった。私は自分で手を下すのを怖れながら、他の生物の体を経由すれば、人間の血を摂るのに、罪も感じない自分を変に思った。この際蛭は純然たる道具に過ぎない。他の道具、つまり剣を用いて、この肉を裂き、血をすするのと、原則として何の区別もないわけである。(中略)彼の意識がすぎ去ってしまえば、これは既に人間ではない。それは我々が普段、何等良心の呵責もなく、採り殺している植物や動物と、変わりもないはずである。この物体は「食べてもいいよ」といった魂とは、別のものである。(中略)私は右手で剣を抜いた。私は誰も見ていないことを、もう一度確かめた。その時変なことが起こった。剣を持った私の右の手首を、左の手首が握ったのである。
あああ。初めてコメント0に書き込むので何を書いてよいやら。
中国で胎児がスープにされるのを知った時はショックでした。
ホントにまだスープにしてるのかな・・・。
禁止される理由を問うなら、「テメエで考えろ」としか言えないわなあ>フロイト
考えた上で「じゃあ食べてもいいんですね」といわれたら、「おなか壊さないようにね」としか返せない。
あとは「社会に所属する人に迷惑かけちゃだめですよ」くらいか。
彼女とsex中興奮すると彼女の事食べたくなる衝動に襲われまふ そん時は痛くないくらい軽く噛んで抑える free sexの場合はそんな事ないんだけど俺ってもしかしてやばい?他にそんな人いる?
食べて良いか悪いかという倫理観でなく、純粋に思う。
人間て、食べるとしたら最高の食材でしょ。
美味く作られた肉だの野菜だの食って生きてるわけだし。
不味いわけない。
X-Fileの「ハングリー」って話で
突然変異の人間がおなかをすかせて人間の脳みそを
以上発達した舌で頭蓋骨を開けて吸い出すんだけど
これみておれ脳みそ少し食べたくなったなぁ・・・
ハンバーガーの肉とフラッシュバックするからおもろい
>>料理に火を通す伝統を持つお陰で、肉や魚を生で食べる習慣を持つ日本人よりも食人の出現から守られているのだろう。
料理に火を通すことと食人との間にどのような因果関係があるのだろう?
単に本格的に常食してる文化はクル病で衰退するってだけだろ?
それにしても不思議な病気だ。
狂牛病も同族食いが原因の同じ病気なわけだし。
種族全体的な防衛本能とかなのかも。
ペットを殺しても器物破損だろ。
あやつらは人間並みの意識など持ち合わせてはいない。
それでもなぜ抵抗あるかと言えば、
そこに人間を投影してしまうからだろう。
ましてそれが人間の形をしたもと人間だった物なら・・
食う気しないよな。
>>11
人間て、食べるとしたら最高の食材でしょ。
基本的に肉食動物はあまり美味しくないです
だから人間はたいして美味くもないはずです
決して最高の食材ではないでしょう
どうぞ試して下さい
どっかの大学で、冷凍保存していた人の脳味噌をアイスと間違えて食べたって話があったな。
レバ臭くて不味かったという話だったが。
食べ方によるモンなのかな。
サルの脳味噌は美味いって言うし、羊の脳味噌も美味いって言うシナ。
猿の脳味噌は、生きたまま食べるから、猿の脳が何かを分泌して
それを食すことで麻薬的効果があるんじゃなかったっけ?
美味しいかどうかは謎。
カニバリズム否定派だけど、なんだかこんがらがってきた。
怪我をした時、その部分を舐めたり、出てきた血を飲み込むことは無理なことではない。
自分の髪の毛や、ちょっとしたカサブタを飲み込むことも、多少の嫌悪感はあるけど不可能な話ではない。
それが他人となると一変する。
家族や彼女なら、傷口を舐めるくらいはできると思うが、赤の他人は全く無理だ。
この他人の血肉を摂取することへの絶対的嫌悪感って、
そう簡単に乗り越えられるもんじゃないと思うんだよなぁ・・・
どうよ?
>>25
え?生きたまま喰うの?
なんかすごくグロい場面が浮かんでくるな。
ところで、インディージョーンズに猿の脳味噌のスープとか出てた気がするんだけど、実物もあんな感じかな?
長文スマソ
佐川て、おまいは自分で人肉食ってて、何が「理解できない グロテスク」なんだか。
あほかぃな。
飯があるなら飯をくわんか!
うらみの連鎖は や め れ。
と思いました。
>>10
もっと繋がれたいと思うことがよくある。
彼女の中に入りたい、もしくは入れたいみたいな。
心がつながってないんかな?
つまり、「理由」が見つけられれば良い訳で
考えた事、思った事はいつか実現し、実行されるって事だ。
そこには後から考案された「ルール」なんて物の介入の余地はない。
自然に死んだ人間の肉を食べるのと、食べるために屠殺された動物の肉を食べるのと。
どっちが神の律法では重いのかねぇ。
でも人肉の方が体に悪そう・・・
姥捨て山って昔話がありますが、あれは村ぐるみで老人達を
食していたって噂もあったり汁。
(・∀・) 『次はおまえんちのババアの番だからな!』
漏れにも食人の血が・・・
21 :コピペ:04/08/20 15:21 ID:BC5ZLGel
人間の肉ってよォー、もし食ったら「うまいのか」? それとも「まずいのか」?
食べることを深ーく考えるってことはよォーーー、
『幸せに生活してるか?』どーかにつながるからよー、
とっても大切なことだと思うわけよ。
……でな!! 肉を食って生きてる動物いるよな?
ライオンとかネコとかハゲタカとかよォ~~~~ッ、
そーいった肉食動物に肉ってのは、レストランには出ねーー、
なぜか?
臭くって、とても食えたもんじゃあねーからだ!! まずいんだよ!
いい? みんな? ネコはまずくって食えねー。 ここまでいい?
一方でよ、『鮎』って魚知ってる?
鮎は虫は食わねえ…………藻しか食べない草食魚なんだ。
魚はフツー、腹ワタはにがくてまずいもんだが、
鮎は腹ワタまでおいしく食える……。 肉食じゃあないからだ。
こー考えるとだなあー、オレたちがうまいって言ってる肉は、
全て草食動物の肉んなんだよ。
牛・豚・鳥ィィーッ。 いい草の餌ほど、うまい肉になる。
つまり結論ッ!
『人間』は肉食ってるからまずいんだ。
前にどっかのサイトで食人した人の日記読んだ事ある。
日本人ね。
まあ食人と言っても、合意の上で一口分切らせてもらって食べただけみたいだけど。
・・・・・・「だけ」と言いながらも俺自身は何か物凄い正体不明の抵抗を感じてるんだが。
あと大岡昇平の「野火」はスゲー面白い。
文学作品はよく分からなくて好きじゃないが、あれは夢中になって読んだよ。
>人類学者のクロード・レヴィ・ストロースは食人について、
>次のように語っている。「同胞の誰かを食べる方法でなく、
>肉体的・精神的にひどく傷つける方法を選んだからといっ
>て、我々が精神的な進歩を遂げたと信じるのは愚の骨頂であ
>る。」
この一文が心に残りました。
>>52 ジョジョのコピペよ。
中国人が胎児だか赤ん坊だかを芸術と称して食べるのは学校の美術でビデオで観た。一緒に観た同級生が吐いた。
動物世界でも共食いは割と普通に行われてるそうです。チンパンジーが群れで子チンパンジーを食したり。
>佐川て、おまいは自分で人肉食ってて、何が「理解できない グロテスク」なんだか。
あほかぃな。
佐川さんは「食べる=愛情」「しかも肉付きの良い白人女性限定」という確固たる妄想信念を持っている。
絵も描くし、頭も良い。心優しく、人はともかく虫一匹殺せない。
そして女性にモテる。(ただしちょっと痛い女の人に)
幼女を解体研究するだけの童貞くさい宮崎の行動は理解できないんだろうね。
十人十色だよ。
トリビアとして、カーニバル=謝肉祭と語源が一緒らしい。
カニバリズムはカリバニズムとも言って、カリブ海のカリブと
関係あるらしい。
あと、文化大革命期の中国のカニバリズムも
取り上げて欲しい。資本家階級の連中をよってたかって殺して、
食ってたらしい。
あと、中国といえば、孔子も胎児を食したとか。
>40 ワロタw
てか50と同じようなことをジョジョの五部?だったかなんかの最後で言ってたな・・・
人間を食べたりしないのだって、極端な話、木を食べたりしないのと一緒で昔からそういう文化がなかっただけなのでは?
もしも先人がおいしい人間の食し方とか発見してたら変わってたかもだろうし・・。最初にナマコとか食べた人も食人に匹敵するぐらいすごいとおもうけとなぁ・・・
犬や猫食べれないのに熊や鹿が食えるのはどういう違いなんだろうか・・・。
私の場合は自分の血は見れないけど人の血ならぜんぜん大丈夫なんですけど。
((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
僕は人を食べたいとは思いません。
だから、お願いだから、僕を食べないで。
ちなみに人間は太股が美味しいらしいよ。
殺人、人肉食、近親相姦、
(特に西洋圏にとっての)人類の三つの大罪の共通点は、
「何故それをしてはいけないのか、
完全な回答が望めない。」
だそうだ。
宗教的観点だと、人間は誰しも復活する可能性があるから、
遺体を傷つけてはいけないという考えもあるが、
火葬には比較的寛容なのを見ると、それも疑わしい。
「食人大全」だっけかな?
その本を読んだら、上に挙げられたレヴィ・ストロースから、
フロイトから、著名な思想人達が共通して、
「人肉食は別に悪いことじゃない」の一点に辿り着くとか書いてあった。
まあ、人間の一部を食べることなら、
スカトロから、フェラして精子を飲むとか、
爪をかじる、授乳、インモラルでないものがいくらでもあるが、
あらゆるものが共通して、肉体の共有という意思疎通行為の目的を持つらしい。
まあ、そうじゃなきゃ女に精子飲ませて嬉しい理由はないわけで。
なんで食人がダメなのかって、自分が食べられたらいやだからじゃないかな。
自分がされて嫌な事は他の人にしてはいけません。って
小さい頃言われなかった?
人食べれる人は自分が食べられてもOKな人だと思う。
>67
つまりは、“人が人を食う”ことをしていなくても“人が人を殺す”とかみたいに別の手段ででも人同士で傷付け合ってるようでは、進歩はしていない。そんな犯罪がある現代も食人を行っていた時代の人をどうこう言えるほど進んじゃいねぇよ。その辺をよく覚えとけ。ってことだと解釈した。
私たちはいまは人間を食すことをしていないかもしれないが、
精神的・肉体的に傷つけ、殺すことはしている。
人間という同胞の命を消去する行為であり、
他人に自らの欲望を投射する行為であるという点では、
どちらかわりはない。私たちが未開人より進歩してると早合点するな。
っていう感じでは。
>>51
野火は面白かった。
でもやっぱこの記事は無理。
この記事とか、野火もなんだけど
読んでると体全体で貧乏ゆすりしたくなってくる。
>>67
「現代人の俺達って、食人やってた頃の奴らより、かなり進歩してるよね。まぁ、けっこうめちゃな戦争なんかはしてるけどさ。」なーんて言っちゃう奴を、「あほか。」と嘲笑してるわけよ。
・・・って感じ?「戦争」って、ちょと意訳しすぎか。
[ >> LINK ]
貴方の食人度判定だとさ。一度やってみ。
それにしてもアンドレイ・チカチーロのツラは何度見ても慣れんな。
スライドを見て、びっくり。
これ、昔、韓国の人がネットで流してたやつだ。
ただし、『日本では病院で胎児が買えて(値段も書いてあった)、
日本人は食人をしている』という英文付きだったけど。
元ネタはアートフェスティバルの作品だったんだね。
昔からカニバリズムを取り扱った映画多いけど、なんでかな。
しかも、マニアが沢山いるし。そういう奴らは、予備軍なのかな。
人肉は多分マズい
「肉食動物全般が肉として美味しくない」というのは
説得力のある話ですが、所詮は仮説であって、
この一般論が出回ること自体
カニバリズムを封殺しようとする社会の本能という気がします。
私は三国志の小説で食人があったのを覚えてますね。劉備たち?をもてなすために主人が妻?を料理したって。うまいうまいって食べたみたいですけど。翌日それを知って感激したみたいな。あんまり覚えてないんで。
作者の吉川英治さんが当時の中国ではむしろ素晴らしいことだった、とか説明してたなような気が・・
いっつも、ばかばかしい記事ばかりだから斜め読みするんだけど、今回は初めから最後まで読んだ。おもろかった。
ハンニバルの絵が掴んだかも知れんけど。
>同性愛者であった二人は共に血生臭い過去を抱えながら1979年に出会い、食人カップルとして意気投合。その後二人で100人以上を強姦
ホモってことは男をヤったってことか。ホモで食人とは2倍気持ち悪い。
2番目の完全にイカれてるハゲが1番レクター博士に似てる気がする。まぁ、レクター博士の方がもっと賢そうだけど。
とにかく、俺が言いたいのはジョディー・フォスターはとても美人ということだ。
中国のネタがちょっと少ないと感じました。
封神演義でも子供の肉を父親が食べると言う描写はありましたし、他にも仲のいい家族が両家の親睦を深めるために子供を交換しあって食べるという文化があったそうです。
炭鉱事故で人間の肉を食べ比べた(息の切れた人間と死にかけの人間)と言うコメントも残っています。
その人曰く、死にかけの人間の肉の方がウマいとのこと。
まあこれを醜悪ととるか自然では大きく見れば普通と取るかは育った文化の違い、と言うことでしょうか。
二枚目のチカティーロの写真だけど、本で読んだんだけど
殺人する前はとても気弱でまじめなメガネ野郎なんだけど
逮捕後の写真はこのように目とか釣りあがって鬼みたいな
顔になってるんだよね。
昔見た、人肉饅頭とういう映画を思い出した。
人肉を饅頭にしたらうまいと評判にということだったが
雑食はまずいという話もあるし。
生きるためとはいえ、知ってる人の肉を食べるのには抵抗を感じる。
流れ星銀河でおじいさんが自分の太股の肉を犬に食わせようとして犬が嫌がるシーンが思い出されました。
アニメだったけど子供ながらに怖いと感じた。
とりあえず、目の前で身内が食われても
まぁ、それが社会のルールだからしょうがないか
みたいな社会でないことは喜ばしい事だと思うんだけど
人間は雑食だから不味いって話が出てるけど本当にそうなのかな?
どうでもいいけど今日食べた鶏肉は不味かった。
ていうか腐ってた・・・以上。
>「オーブンで焼いた少女のお尻が、どんなにおいしかったか、口ではとても言い表せません」
脂がのっていてふんわりぷにぷにしたお肉
すごく美味しそうに思えたのは私だけでしょうか…
ところで、生きている人を殺して食うのは「殺す」という時点で問題がある気がするけれど、すでに死んでしまった人を食すというのは、わたし的にはあまり問題性を感じられないのだけども。
また、何かの事故や事件で人を殺してしまった場合、それは「食べる」事により供養が出来るのではないかと思ったり。無益な殺生ではなく、殺生を益とするために、食して血となり肉とする。
そのまま風化させるよりはね。何か役に立たせてあげたほうが良いじゃないかなとか。
牛とかブタを無意味に殺戮しまくってたらダメな人だけど、狩猟して食せば普通のことだよね。
叩いて潰した蚊は食べたほうがいいんだろうか とか、
叩き潰したゴキブリは食べて供養したほうがいいんだろうか とか、時々考えたりします。
でも食べるのはいやなので殺しません。
※なんか私の思考パターン、病んでるよね・・?
二枚目のチカティロは逮捕時の映像でも普通の眼鏡野郎なんだけど
裁判時なんかはほんと別人になっててやばいね
当時のソ連じゃ共産主義にはこういう犯罪はおきないとか言ってたらしいし
拘留中に何があったのか考えるとそっちの方もイヤンな事件だね
みんな鳥葬って知ってる?チベットだかで、死体を
鳥に食べさせて供養するってやつ。
なんかそーゆーのに近い気がする。
欲望、性的倒錯としてのカニバリズムをする
犯罪者は独自の精神(狂ってるかの判断は置いといて)
の上に殺人して人肉を食し、食人習慣はそれを行う
人たちにとっては当たり前のルールや常識だし。。。
治療も完全にそれで治るとは限らない(それより
願いに対しての呪術的なものっぽい)
まぁ要するに、自分一人にしろなんにしろ
神仏的なものがいて、それによって行き着いた行為
なんだろうね。
チカチロに関しては減刑狙いで、
あんなイカれ親父を道化してたという説もある。
まあ、実際相当イカれてたわけだけど、それを更に衒う意図で強調したと。
まあ、しかし、
唇の剥けた皮を食べるくらいなら誰でもあるし、
しかし、皮膚を10cm四方くらいに切ったのを揚げて食べれば
一線超えたカニバリズムとして認定されるだろうな。
カニバリズムとは案外線引きが難しいものなのだ。
して、
アフリカの部族の話で面白かったのが、
人肉食はあらかじめ調理法や、食べる上での儀礼が固く定められていて、
そういった遺体へ尊厳を込めた儀礼を抜きにして食うと
相当重い罰則を受けるらしい。
正規的な人肉食と、非正規的な人肉食に分けて考えることによって、
変態行為としての人肉食を防ぐ効果があるとか。
人類学者は彼等の人肉食におけるモラリズムを
文明社会よりも抜きん出ているものとして取り上げていた。
>>50
サンマなんか完全な肉食魚だけどワタは旨いよな。
苦みがあるけど、それもまた旨い。
ちなみに苦いのは主に胆汁であって、草食か肉食かなんてのは全く関係がない。
それにお隣のイカレた国では肉食動物である犬肉を喜んで食べるだろ。
猫だって岡フグって言って旨いらしく、日本でも食されてた。
別に肉食動物が臭くてマズイわけじゃない。
完全なデタラメ。
>>98
「肉食動物はまずい」という説に論理性があるのかどうかしらんが、
「肉食動物を食う文化もあるんから美味い」という理屈もおかしいだろ。
韓国をイカレタ国あつかいして犬食文化を押し付けてるが、
犬を食ってたのは日本も同じだ。
それに韓国の犬料理は、薬味調味料ぶっかけて、
元の味も何もわからなくしてある強壮料理だ。
犬に強壮作用がある(とされる)から食ってるんで、美味いから食ってるわけじゃあるまい。
ごぼう食うのは日本人だけだが、ごぼうそのものが美味いか?
ってことだ。食えるのと美味いのは別。
それから秋刀魚のはらわたが食えるのは、
秋刀魚に胃がないからだ。秋刀魚が特別と思うべきだ。
>>71
俺も読んでる時激しく貧乏揺すりしたかった。
あの小説は「所詮読者は目の前の作品を読むことしかできない」ってジレンマをいつもにも増して感じたな。
主人公がどんな酷い事になってても助ける事はできないという。
で、その内悲惨過ぎて本閉じたくなってくるけど、圧倒的な筆力がそれを許してくれなかった。
あの小説の文章とは、何か波長合うというか。
>>75
食人ランク7だった。
とりあえずギリギリまで人食ったりはしないようだ。
よかった。
>>103
まあ釣りだろうが、自分の頭では何も考えずそういう事言える>>103は少し頭悪いよ。
管理人さんが帰って来てからくらいからのような気もするが
最近、文章をろくに読解できないまま
中学生レベルの差別をしてる人が増えたような。
この恥ずかしい人たちは昔からいたの?
まあ無視してるのがよいのかもしれんが、ちょっと最近酷すぎ。
カリブはカニバリズムが行われてるからっていうのが語源じゃなかった?
大学の教授にカニバリズムについて勉強しなさいって言われた事あったけど
あまりに手ごわそうでほったらかしにしてた。
そろそろ取り掛かってみようかな。
ところで上の画像って「ハンニバル」ではなくて、
「羊たちの沈黙」なのではないかと思ってたりする。
アルバート・フィッシュによると、チンポコはナッツのように美味いそうです。キンタマは噛めなかったのでトイレに捨てたそうです。
>92
死んだ人間に対して拝むことや食べることで供養になる、という考えは
手段の違いだけで根っこにある死者を敬う精神は同じ。
無理矢理自分を変だと思い込まんでもいいと思うよ。
実行した人間が奇人に見られるのはまた別の問題。
>51,71,104
俺も高校生の頃に野火を読んで衝撃を受けた。
主人公の置かれた過酷さと対照的に熱帯の自然の描写が
相まって、読んでるとジリジリとした焦りみたいな感覚を
覚えた。確かに貧乏ゆすりしたくなるかも・・・
なんというか小さい頃、真夏のクソ暑い昼下がり、雑木林を
昆虫採集の為にうろついていてヒザを擦りむいて半泣き
なんだけど、人家がや舗装路が近くに見えるのに
暑さの為か、道を歩いている人は誰もおらず、ただセミの
鳴き声が聞こえていて、これから遠い自分の家まで帰る
のか、と軽い絶望感に襲われた時の感覚と似てる。
他のカニバリズム作品っていうと、ひかりごけって
あったけど、誰か知ってる?
>113
「武田泰淳 ひかりごけ」でぐぐったらポンポン出てくる。
手塚治虫「火の鳥」にも、食人の話は出てくる。
「西遊記」の人参果も、三蔵は「とんでもない」て断ってたけど、西遊記が成立した当時には、是非はともかくとして「食人」の概念があったてことだ。
たしか、魏志や後漢書あたりにも、客人の饗応としての「食人」があったような。
太平洋戦争の頃の激戦の南方で、瀕死の歩兵が傍らの同胞に、「俺が死んだらココ、食べてもいいよ」と、肉付きのいい右腕を指し示した、という話を思い出してみる。
…善悪だけで片付けられる問題じゃねーんだよな。
昔、『江戸の刑罰』って本を読んだことがあるんだけど、
その中で、処刑された後の死体を非人が持って帰って食べた
っていう話が載っていた。
鍋で煮て食べたが、渋くて食えたものではなかった。
とか書いてあって、背筋がゾッとしたのを覚えている。
>>75
俺はランク3だって…。
人を喰いたいなんて思ったことないけど
「どこにでもいる普通の食人」とか出てた。欝だ…。
俺たちが人肉食を「気持ち悪い」、と認識するのは
おそらく人肉を「食べ物」として認識していないからじゃないかと思うんだがな。
たとえば、アボリジニなんかはある種の虫の幼虫を食ったりするらしいのだが、
俺たちからすれば気持ち悪いよな?まあ、俺はそうだ。
これは俺が虫の幼虫を食べ物として認識していないからで、
食べ物として認識している人であれば抵抗がないのだろう。
なんかまとまらないが、そういうことなんじゃないだろうか。
食べるために殺す、殺されるは嫌だけど
死んでからなら私は構わない。
死んで土の中で腐っていったり
火葬場で「はい、次」みたいな感じで焼かれるより
好きな人や友人に食べてもらって
その人の血や肉になりたい。
雑食は不味い?
鶏も豚も雑食ですが?鮎も初期は肉食だし、牛の飼料にだって例の粉末が混ぜられてたし。
草食の羊肉やウサギ肉は臭いけど雑食のねずみ肉はくせが無く美味。さらに肉食のモグラは脂肪もくせも無くもっと美味。
爬虫類は草食性のものより肉食性の方が美味。
魚類はほとんど肉食だし。ちなみに草食性の高いヘラブナより肉食性の高いマブナの方が美味。
一概に雑食や肉食が不味いと決め付ける根拠は何ですか?
筒井康隆の「定年食」というのを思い出した。
あれは社会制度のために殺されるのを従容として受け入れるちゃう、
そのイヤさがメインかもしれないけど、食人でキモさを一層盛り上げます。
かちかち山の冒頭…
昔或る所におじいさんとおばあさんがすんでいた。おじいさんが山でたぬきを捕まえ、「たぬき汁にしよう」と、縄で縛ったまま家にもって帰った。家に連れて行かれたたぬきは、おじいさんの見ていない隙に、おばあさんに泣いたフリをして見せ、同情を買い、まんまとお婆さんに縄を解いてもらい、さらにはおばあさんを殴り殺して村に逃げていった。
本当は…
昔或る所ににおじいさんとおばあさんがすんでいた。おじいさんが山でたぬきを捕まえ、「たぬき汁にしよう」と、縄で縛ったまま家にもって帰った。家に連れて行かれたたぬきは、おじいさんの見ていない隙に、おばあさんに泣いたフリをして見せ、同情を買い、まんまとお婆さんに縄を解いてもらい、さらにはおばあさんを殴り殺して、おばあさんの持っていた包丁を奪い、それでおばあさんを切り刻み、作りかけのたぬき汁の中にその肉をいれ、骨を縁の下に隠した。そしてたぬきはおばあさんに化け、「おじいさん、たぬき汁が出来ましたよ」と、「たぬき汁」をおじいさんに食わせた。何も知らないおじいさんは、たぬきを皮肉り、筋張って硬い肉だ、などと口走った。するとたぬきは正体を明かし「婆肉喰らいの爺いめ、縁の下を見てみろ」と嘲り、村に逃げていった。
ジャパニーズカニバリズム
食人した人(アフリカの食人部族)に言わせると人肉は甘くてうまいらしいよ。よく日本では石榴に喩えられる事があるが実際フルーツ敵な食感と甘さらしい。多分腐る直前がそんなかんじなんだと思うけど。死にたてはあんまりうまくはなさそうだ。
>131
長年つれそった妻を食わせるっていうのが、すごいよな…。
ここほれわんわんの犬とかも、悪いおじいさんに食べられ
ちゃうけど、これはお爺さんに食わせるので、幼心に
トラウマになった…。
ジャパニーズカニバリズム!
ちなみに、桃の中に入っていたのが、胎児だったら。そして
拾ったのが中国人だったら、やっぱり喰うのかな…
>>124
夢壊して悪いけど、人間の細胞は3年も経てば総入れ換えされるから。
それはそうと、聖書に血を摂取してはいけないって書いてるよね。
だから、血抜きの出来ないクジラなんかキリスト教の人食えないわけで。
もちろん輸血もね。
ま、文中に出てくる「生きてこそ」は名作なので見よう。
ついでに「漂流教室」も読むともう何が何だかわからなくなる。
あんな状況になったらオレどうするかなぁ…
これほど実際その状況におかれてみないとわからないっていう命題はそうそうないよなぁ。
二番目の人、「バキ」のスペックの(顔の)モデルなのかな?
スペックという名前自体は、アメリカの殺人鬼にいるようだけど。
美味しい、不味い、くさい、臭くないって
好みでしょ。
・俺はラムは苦手
・俺はイナゴは好きだがナマコはちょっと
・俺は牛より人が好き
とかさ。
「死んでる人間なら食べていい」て考えが主流になったら
金がないから盗みをするように、
腹が減ったから殺人を行う馬鹿が増えるような気がする
普段自分達が食べてるようなレトルトやらコンビニ弁当を牛に食わせて育てたら絶対マズソー
食肉用の牛とか豚は肉が美味しくなる為の飯を延々食べて育ってるわけで
暴飲暴食栄養バランス糞食らえな今時の人間の肉なんて絶対美味しくないと思う。
極限状態で俺が死んだ後、周りのやつらが俺の死体を貪り食ったらヤだなぁ…。ぜってー食ったやつらを末代まで呪ってやるね。
俺は極限状態になったら太陽でも食べて、不食にトライだね。
鼻血のときは上を向くなと教えられた。
血液は消化しにくいので鼻から出た血が胃に入ったら
吐き気をもよおすらしい。実際自分もなったことがある。
・・・「血のしたたる」肉って倫理観はともかく
食えるもんなのだろうか?
殺していい生物なんていない
生きてる生物としてわかります みんな死にたくない
でも生きるためには殺さなきゃいけない
僕もたくさん生物を殺しました(多分;
仕方ないですねぇ~ 生きるためですから
生きるために殺すことが悪い事ならみんな死刑ですよ
人殺して食べたりするんも生きるためならアリなのかもしれませんね
多分アリなはずです;
こんなゎけわからん矛盾だらけの話に絶対に答えはないです(多分
まだ僕も平和に幸せに長生きしたいんで
食われないためにも体鍛えます(笑
恐らく強ければ少しは長生きできるはずです;
ぃろぃろ考えるとよくわからんくなってきた;
自分の中では答えはなぃと答えが出てるのになんかモヤモヤ。。;
自分は今ベジタリアンじゃないけど、一年くらいベジをやったことがある。肉を食ってると怒りやすいというが、実際菜食になってみると怒らなくなった。肉食している生き物を食すとその「気」まで食べてるようで、闘争本能が旺盛になるというか血が騒ぐというか。菜食になると違う精神世界にいけるよ。みんな試してみれば。肉食がいけないんじゃなくて、肉というものに囚われてるのがわかる。欲求に沿って食べ続けるのは簡単。絶つことのほうが難しい。両方知ってると過激に人肉を食ってみたいなどとはおもわないとおもう。
全然関係ないんだけど、家は犬を飼っててさ、
ある日俺がああ、今はかわいがってるけど、所詮動物だから
こいつも腹が減ったら俺とか子供とか食っちゃうんだろうなあ。
そう考えるとなんかいやだなあと、嫁さんに言ったら。
「そんなの逆もそうじゃん、子供達も腹減ったら犬食うよ」
と言われた。
女は強い!そして
真理だなあと思った。
高知だか山口の産婦人科で妊婦さんが出産しおわった後
「ニンニクにしますか?生姜にしますか?」と看護婦さんに聞かれ
あぁレバ刺しか馬刺しでも出るのかな、と思っていたら
出てきた物は自分の胎盤だった。って話し聞いた事あるんだけど
誰か知らない?
高知のものですが、それは普通に聞いたことある。
妊婦は栄養を赤子にもっていかれるから、
出産後栄養を補うためということらしいよ。
自分の肉食べた事あります。
確り食べたのは1回。チャリで転んでヒジ辺りを擦りむき
結構大きい肉の塊が取れたので家に持ち帰り、焼きました。
焼いたら食べる所がなく一応食べましたが味はわかりませんでした。
よく食べてしまうのが左の頬肉。
親知らずが変な風にはえているので、たまに思いっきり噛んでしまいます。
運が悪いと肉まで噛みきってしまうので、ごはんと一緒に飲み込みます。
もちろん血の味しかしません。
飼い主が死んで家屋の中に閉じ込められた猫が飼い主の死体を食って生き延びてたという話を聴いたことがあるよ。
ねずみや猫はなんらかのストレスで自分の子供を食べたりするらしい。
水滸伝で太った人の腿を食すシーンは幼心においしそうだと思った。
ワンピースは自分の足を食べてたね。子供に残り少ない食料を与えるという理由で自分の足を食べて本当に生き延びてた。ちょっとイカれてると思った。
愛玩動物の犬や猫を家畜と同じように食べるのはマズイという考え方もある。サバイバルという漫画ではセキセイインコの子供は食べても連れの犬は食べるのを我慢していた。軍功を立てた馬は死んだ場合特例に食用にしないで弔ったりするって漫画もあったけど、こんな風に物語で見る倫理観というか家畜と愛玩動物の境界線とは何だろう。それって結構あいまいでその場その時によって変わるものではないかと。
要は食すため以外に傷つけるということは本能的にタブー視されているのではないかと思った。逆に言えば食すためならOKということに。そしてそれは種の防衛本能なのではないかと。神秘的な言い方なのだけれど。
>>11
人肉は、生物の中でももっとも「汚い肉」に分類されるだろうね。
ライオンやトラのような肉食動物が、よっぽど年を取って他のものが獲れないとき以外は人間を襲わないのは、人間はマズいからだよ。
食物連鎖の頂点にいる&寿命が異様に長いという理由で、有害物質がとんでもなく高濃度で蓄積する。
あれ?カーニバルの話かと思うとったわ。もっと明るい話かと。カーニバル(祭典)も最後にゃ、酔って狂ったのが出おって、銃でバンバンする国あるらしいわな。ついでに人食べたら、カーニバルがカニバリズムになるんかいの。
胎盤を食べるって話、検索してみると割と普通に語られていてびっくり。
まあ、出産の副産物だし自分のだしってことであんまし抵抗がないということなのかなあ。
ウンコだって自分のならあんまし汚く感じないしな。
ドカベンにでていた大阪人の坂田は赤犬を殺して近所のおばさん(?)に売ってたような・・・あの頃は普通に犬とか食べてたんですかね。
とりあえず、自分の人肉食嫌悪が
先天的なのか、後天的なのかに興味がある。
でも、人肉文化があることを考えると後天的ってことかなぁ?
そうすると、それによる性的倒錯は文化的禁忌を犯す
快感ってことだったり。
と、論理の飛躍した愚考をしてみる。
どうでもいいけど、藤崎竜の短編集にもあるよね、
人肉食の未来の話。あと、HUNTER×HUNTER。
オイラ、ホルモンが好きで
よく食べに行くんだけど
豚ホルモンって洗って
漂白(血抜き)してあって
白いんだよね。
で焼いて食べる度に思うんだけど
かすかに臭いんだよね。
でもその味が好きで
病みつきになってるんだけど
何臭いってきかれたら
そりゃ直腸だからウンコとしか
答えようがないんだけど。
スカトロ趣味は一切ないけどさ。
もし、人食うなら脳や筋肉より
内臓を、腸を食べてみたい。
食人は病気・感染症の蔓延を防ぐためにも”やらないほうがいい”
それに、いまは肉が溢れてるんだからそっちを食えばいい。
食人を許してしまうと、殺人が増えそうな気がする。
現代の食人者は、快楽目的でやってるっぽいし。(快楽殺人、強姦、拷問が付随してる)
純粋に食人したいなら、土葬してる地域に行って、墓を掘り起こして食うくらいすると思うけどなあ。
この記事についてちょっと付け足したいことがある。「アステカ文明において、食人が大規模な社会的習慣として行われていたことが・・」ってあるがこれは友人、自分の大事な人が殺されたときなどに殺された人の心臓を食べ復習を誓う。というもの、決して大規模にはなかった。
>>61
西洋圏にとっての人類の三つの大罪は殺人、近親相姦、自殺であって人肉食ではない。
「何故それをしてはいけないのか、完全な回答が望めない」とあるがそのことについては
哲学者カントが意見を述べている。(完全ではないが・・)
>>95
あれは死体を鳥に食べさせることにより天国にいけるという、インド仏教orバラモン教(だったとおもう)
の考えそれは食人と関係ない。
東洋の話(封神演技、釈迦など)には頻繁に人肉の食べる話は
多いような気が・・
「人肉大全」に書いてあったが女は柔らかく、男は味が長いらしい・・味が長いってどうゆう意味?
>>75
ランク5だった・・レクタークラスだそうです。
呪怨の著者の湘南人肉医っていう本読んでる最中だったので、
すごく興味もった。
湘南人肉医は女性の肉食べることでエクスタシー感じるっていう内容だった。
興味あったら読んでみれ。何も考えずにスラーっと読める本だ。
感染症なら他の動物にもあるし、物理的な損得勘定なら死んだ肉を食べるのは絶対得
でもその肉に対する価値観・理解力によって所有欲や同情・敬い等、精神的に損か得かは変わる
壊れたオモチャをリサイクル物資として見るか、思い出として大事にとっておくかの違いだ
もしも、世界全体で飢餓状態になったら必ずどこかの企業がやるだろう
それを食べた者はなんとか生き延び、食べない者は衰弱して死んでいく
そうして人類が全員いなくなったら人類は絶滅・・・しかし
もしその過程でなんらかの好転があって飢餓状態を改善できたとしたら
いくらかの人類は生き延び、食べた者だけが子孫をつくる事ができる・・・
つまり祖先が一度でも飢餓状態になったら食べた者の子孫しかいなくなるんだよ!!(キバヤシ
頭の中で、死んだ人を切って食べる図が離れない。
気持ち悪くなってきた。
よく考えたら、牛や豚だってグロいんだろうな。
もう肉とか食べられないよ・・・
記事中の台湾かどっかの、あの胎児を食べる写真はやめてくれ。気持ち悪い。あいつら神経どうかしてる。メッセージなんて何も伝わらない。
人肉ネタなら、もっと中国の話が広がってるかと思ったらそうでもないのか。
昔の中国は戦乱が起こって食糧難になる度に「人相食む」って記述があるよね。
まあいざとなると食っちゃうんだろう。極限状態ってそういうものなのかも。
>>59で言ってる塩漬けされた人肉は、別にその辺歩いてた一般人の肉でもそれ用に育てられた人の肉でもなくて罪人の肉。
肉体を大事にする中国だから、肉を切り刻んで塩漬けにするってのは1番くらいに重い刑。
しかし儒教の大家の孔子が人肉食ってたのか…結構差別主義だからなあ、罪人は既に人と見てなかったのかな。
でもこんだけ人肉ネタあるからと言って中国で人肉を食べるのが良いことだとされてたわけじゃあないんだね。少なくとも隋唐時代になると人食は悪役のすることだし。
商周時代に息子の肉を食わせる話があるけど、それも非道い出来事として描かれてるんだから、かなり昔から人肉イクナイ!って文化だったんだね。
その割には食べた例が多すぎるけど(笑)。
うろ覚えだけどサイコでもやってたね。
人肉の唐揚げ?を羊肉ですと嘘ついて上司に食わせたんだっけ?
食った奴は確か美味いと言ってたような。
まあ漫画だしな・・・どうなんだろ
>>181
映画化するみたい
[ >> LINK ]
俺は死んだ後なら食べられても良いかも。
誰かの生きる糧になれた方が良いから。
まぁ俺は誰が死んでも食べないけど。
「肉の代わりに人肉を食べてはならない理由は、どのようなものであれ、一つもない。」と書いてあるが、食べちゃあダメに決まっているだろが。何を言ってるんだ?理屈じゃないんだよ。ダメなものはダメだ。
俺は食べたくないね。
でも、極限の飢餓状態では、また話は別だけど。
平常時なら絶対食うものかと思うが…。
極限状態になって食べなきゃ死ぬ状態ならどうするかな…。
食べるのかな、人肉…。
出来るだけそんなことにならないよう生きたいものだ。
>>59
>>186
孔子が食べていたとされるのは「醢(ひしお)」と呼ばれる肉の塩漬けです。醢は骨を抜いた肉を塩や酒に漬けて味付けしたもので、「醢を食べていた」というだけで必ずしも「人肉を食べていた」ということが言える訳ではありません。
確かに醢は殷代以降、処刑された罪人の死体を「更なる罰を与える」という名目で塩漬けにするという特殊な刑、あるいはその刑に科せられた罪人の塩漬けの名前としても用いられましたし、実際そうした醢も宮廷では食されていたようです。また「古代中国では人を食べることがそれほど変わったことではなかった」という類の話もよく聞かれます。
しかしながら儒教の厳密な教えでは「親から頂いた身体を五体満足で全うする」ことが孝行の一つとして数えられており、そうした考えを持つ人にとって「誰かの身体の一部を切り離す」といった行為は相手への侮辱として考えられます。孔子という人物は儒者の最たるものですから、彼がわざわざ自らの教えに背くような行為をしたとは考えにくいと言えます。
以上のことから、私個人としては孔子が人肉を食べていたという確証はないと考えています。
ちなみに、中島敦の『弟子』という作品には「子路」という名の孔子の弟子が登場します。話のクライマックスにおいて彼はクーデターの最中に戦死し、結局クーデターも失敗してその肉は醢にされてしまいました。この小説の最後に、彼を大切に思っていた孔子がこれを聞いて家中の塩漬け類を全て捨てさせ、以降二度と醢は食べないようにしていたというエピソードが載っています。『弟子』は歴史書である『史記』の二次創作的作品と知られており、内容はかなり忠実に『史記』にある実際の記述に基づいているとされています。
…まぁ、『史記』自体が歴史書と言うより英雄伝説を集めたような文献ですから、事実という保証はありませんが(^^;)
多分自分なら極限状態でも食べたりしないな。
いわゆる“死んだ方がまし”ってやつ。
そこを生き延びられたとしても、状況が落ち着いてから一生苦しむと思うから。罪の意識もあるし、糧となった人には申し訳ないけど単純に気持ち悪い。きっと食べた時の感覚が忘れられなくて何度も夢に見る。「極限状態だったから」と割り切れる性格ではないっぽい。
一方、もし自分の家族を食おうとする奴がいたら殺すと思う。宗教とかに熱心なわけではないけど、ちょっと想像しただけでも耐えられそうにない。
人体の不思議展は2月28日まで延長されました。
社会科の授業で飢饉の時の絵として家族が囲炉裏を囲んで死んだ赤子の脳みそを突付いているというのを見た。
当時は子供だったのでどうとも思わなかったが今考えるととんでもない絵が載っていたと思う。
サルが別種のサルを集団で狩るシーンをテレビで見たことあるが現生人類の祖先も、他の人類を襲って食っていたのではないかと思う。
>>188
食人日記
[ >> LINK ]
>僕は初めて・・・満たされたのだ。
>もはや、牛や豚の肉を食べることなど、考えられなかった。
>それは、牛や豚と性交するような、とてつもなくおぞましい>ことに思われた。
恐らく祖先も定期的に同族食していたんでしょう。
脳の異常プリオン増加は、脳容積増大・進化に何らかの
役割を果たしていたのかもしれない。
あくまで根拠のない仮説だけれども・・・
てゆーかさー
人食べないとダメという意味がわかんない
ふつーの肉食べれるだけでも幸せだとおもった方
が良いと思う
うー・・・。読んでるだけで気持ち悪くなってきた。
でもこの気持ち悪いってのも教育の賜物なんだろうな・・・。
そういう道徳観がなかったら案外食えたりするのかも・・・。
ぉぇ。
楳図かずおの『おろち』の一話『肉』では、尊敬していた父が実は戦時中に南国ジャングルで人肉を食べて生き残った、ということを知ってしまった少年の苦悩と葛藤を描いている。
少年は父親にものすごい嫌悪の念を待ってしまったけど、もし父が人肉を食べずにいたら、戦場で死んじゃって、帰還して少年が生まれることもなかったわけで。だからこそ少年も悩みまくってたわけだが、この場合の食人は肯定されるか?否か?
>>148
それはただ単にエネルギーが足りなくなってきたので、省エネのために脳の活動が自動的に少なくなっただけじゃないのかな。
映画「マシニスト」で、役作りのために4ヶ月間絶食し、結果30kgの減量に成功したクリスチャン・ベイルは次のように語っている。
「(普通はちょっと腹が減るだけでイライラするのに、という発言に対して)最初は僕もそうでしたよ。四六時中イラついてた。でも、ある一線を越えたら体がそれに順応した。エネルギーが足りないから感情の起伏がなくなる。そうなってしまえば仏教の僧の断食と同じで、もはや悟りの境地(笑)」
映画秘宝3月号より。
>>207
自分の判断ならば、
生き残るために死人の肉を食うのならば無罪。
生き残るために人を殺して食ったのならば有罪だと思われる。
後者でも状況によると思うけどね。
前にテレビで、船で遭難した人たちがクジで誰を食うか決めたっていう話を聞いたことあるし。
>>196
>>200
多分、そういうレスが付くと思ったよ。
お前らは馬鹿か?いちいち理屈をこねないと納得できないの?
お前らの様な人間が「なぜ人を殺してはいけないの?」などとくだらん質問をして大人を困らせるんだろうが。
お子様の理屈に付き合う程、世間はヒマじゃないんだよ。
わかった?ガキ。
>>205
「いただきます」は漢字で書くと「戴きます」で、食べ物に対して高く掲げるような感謝の気持ちを表している言葉…なんて説もあるみたいですよ。
感謝の気持ちを向ける先は「三宝荒神」、かまどに住む神様。かまどが無ければ調理ができないので、無事調理できた事を荒神様に感謝する為に言うようになったとの事です。
↑は「この言葉の語源を言えますか?」という本に載っていたモノです。わしもこれ読むまでは命云々の事だとばかり思い込んでました。
ま、どっちの意味であっても間違いではなさそうですけどねぇ。動物も植物も生物ですし。
「なぜ人を殺してはいけないの?」
の答えなんて決まってるよな。
【手加減無しの顔面正拳突き】
まずこんな質問するのは馬鹿なので、言葉で回答する価値すらない。馬鹿には苦痛で命を実感させるしかないよな。
「なぜ人を食べてはいけないの?」
の答えも、
【同族食いに起こる異常プリオン発生】
という方法で、自然の摂理が既に禁止してるから。
>>209
面白いなあ。教えてくれてサンキュー。
>>212
釣りだろうけどね、そういう屁理屈的なクエスチョンって以外と大事よ。日本には事実上、宗教ないに等しいからそういう
問いに答える言葉ってないよね。だから東大行ってた科学の
秀才が電車でサリンばらまくようなことだって起こりうるわ
けだ。80年代までは正拳突きでよかったんだけど。
>>214
ニーチェくらい読むべき!
>>212
分かった。例えを出して説明しよう。
ここに一人の「馬鹿」がいる。彼はどうも頭が悪い。
誰が見ても彼が「馬鹿」である事は、考えなくても分かる。
だが彼は自分が「馬鹿」である事に気付いてない。
それどころか、自分以外の人間を馬鹿だと言って罵るほどだ。
彼のような「馬鹿」は世の中にとって迷惑な存在だ。
だが彼に「お前は馬鹿だから馬鹿だ」と言う事が何の解決になる?
迷惑な「馬鹿」である彼を、「馬鹿でなく」してやる事が一番の解決だろう。
そのためにはまず、彼が何故「馬鹿」なのかを考え、
論理付けて説明する必要がある。
そこに、馬鹿を治療する、或いは世の中と折り合いをつける接点があるかもしれないからだ。
まあ、お前の馬鹿は治りそうもないがw
>>15
見たけど別に食べたくはならなかった。
まあ「バターのようにジューシィだ」
とか言ってたのにはちょっとおいしそうな表現だと思ったけど。
X-FILESには割りと食人が出てくるね。
チカティロは刃牙に出てくる死刑囚、スペックのモデルと言われてますな。確かに似てるな。
食人描写で回収騒ぎは沖さやかのマイナスだったか。
>>215
全くその通りだと思います。確かに80年代ぐらいならグーで殴ったり、軽い肉体的制裁を加えれば皆納得したでしょうね。まだ金八先生みたいな人が道徳を説けば、みんな頷いちゃう純真無垢な時代ですものね。
今となっては擦れっ枯らしというか、常識的概念が山ほどの例外で潰されちゃってるから、鉄拳制裁みたいな肉体的苦痛が、やってはいけないことだ、と即パタリと転じにくいという点で難しいと思いますね。女の子がリストカットして、その肉や血を見せびらかしても、もうお前の相手なんかしてるの飽きちゃったよ、っていう時代ですものね。肉とか血とかって、昔はすごいセンセーショナルな物で、それこそ大昔はプロレスで流血しただけでショック死した御老人がいたのに、今じゃその感覚のほうが驚異で、全てに耐性が出来ているというか、189さんみたいな人が80年代チックに「人肉だと、駄目なもんは駄目だぁ」とか素敵に言うと、かえって覚めちゃって、本当かよおい、それは盲信じゃないのか、むしろ何も考えてないんじゃないか、って皆で突っ込み入れちゃうところからしても、タブーをタブーたらしめる力が世に無いのが自明なわけですからね。別に食人に限らず、「言わなくてもわかるでしょう?」っていう物事が世の中からバンバン減っているような気がして仕方がないですね。
「蠅の王」でも食人の話が出てきたように記憶してます。
無人島に流れ着いた少年たちが、仲間の死体をバーベキューにしておいしく食すという…
「君たち、いったい何を食べているんだ?」
「これか?ああ、これはブタの肉だよ」
「本当に…?」
あと鳥葬はゾロアスター教(拝火教)じゃなかったっけ。
>>211 >>224
へぇ、火の鳥と蝿の王でもあったのか。どっちも名作と言われている作品であるところがなんとも…
俺がテレビで見たのは実在の事件で、クジで誰を食料にするか決めようと言い出した本人が当たりクジを引いてしまい、食料になってしまうという話。
で、この事件が起こる何十年か前に出た小説に、これとまったく同じ内容の話があったそうな。しかもその小説の登場人物と事件に関わった人物の名前が完全に同じだったらしい…奇妙な偶然の一致。
確か奇跡体験アンビリバボーでやってたと思う…うろ覚えだけど。
カニバリズムについては『法月綸太郎の冒険』つー本の
「カニバリズム小論」てのに載ってるね。
とある殺人犯が何故食人を行ったか、に関する
推理短編だけど、例が色々あって勉強になった。
後は、綾辻行人の「特別料理」も
また違った意味で面白いよ。
>>219
あっはっは。よくそれだけ理屈をひねり出したねえ。よくできました。
でも、俺は君の文章を最後まで読まなかったぞ。だって、かったるいもん。ヲタが何を吠えても通用しないぞ。
でも、君の話は無意味ではないぞ。君と僕のバトルを見て、ギャラリーが楽しんでくれるかもしんないし。
まあ、又何かあったら書き込んでよ、君ィ。
日本のカニバリズムは閉鎖的な山村に限られない?
年貢をゴッソリとられて仕方なく…みたいな。
沿岸なら魚介類が豊富だし、都にも流通しているだろうし。米あるし。
食う食わないは、
「その物体に感情移入して考えられるか否か」
にすべて帰着するんだよ。
だから例えば同じ「牛」だとしても、自分が可愛がってたり、生きてるところを見た牛はかわいそうで食えない。
人間も、「自分と同じ人間だ」と考えるから食えないだけであって、自分とは全く違う物体だと認識できれば食える。
>>210 >>225
「ガンビュセスの籤」じゃないのか?
もっとも藤子不二雄の方でしかこの話を知らないけど
あっちは遭難した宇宙船乗組員が救出される確率を上げるために
一人ずつ籤で犠牲になって食物+コールドスリープで救助を待ち続けるとかだったか
元ネタはヒッタイトだか、その辺りの話の様だけど
>>210>>225>>233
所謂「カルネアデスの板」と呼ばれる状況であれば、だな
大元は海難事故で、一人以上掴ると沈むような1枚の板切れ
に、緊急避難であれば、他者を蹴落として自分が助かるべく、
その一枚の板切れを確保する(結果として、蹴落とされた存在
が死んだとしても罪には問われない)事を表す言葉だが
何かの話(映画「ひかりごけ」だったか?)でも、救助
された際同時に人骨と食人を顕わす証拠(骨に歯型でも付いて
たんだっけ?)があり、裁判沙汰になった筈だが、調査の末
「死人を喰らって」生き延びたと言う事で上記の「カルネア
デスの板」解釈がなされ無罪となっていた気が…
(済まん、うろ覚え。元の事件の話だったかも知れん)
まぁ、これが「喰う」為に殺していたのだったら、「殺人」
及び「死体損壊」の罪は問われていたのかも知れんが…
人肉くったら死体遺棄なのかな?
死亡証明書あればあとは食べても焼いても罪には問われないのかな??
>>232
それは場合によるみたいですね。病的な奴は除いて、文化の一部として食人している場合は、戦場における敵、すなわち同属じゃないと見なした奴を食う場合もあれば、どうも本文中にあるようなクールーの人達のように、弔い目的で親族を食べた場合もあるわけで、正確には「愛憎関係にあるような対象」を食っているみたいです。食うだけの値がある、とすれば、逆に愛着があるからこそ食うのは是という場合もあるようです。可愛がった牛だからこそ美味しく料理してやりたい、というのも有り得るようですね。私事ですが、酪農をやっている祖父が長年飼っていた乳牛を解体したことがあって、愛着の分美味く食べようと思った事があるのですが、硬くて食えたもんじゃなかったのを思い出しました。
>>235
そんなこたあない。立派な犯罪であります。自然死だろうと、死体損壊罪、死体遺棄に該当するはずです。234さんの言及されている「ひかりごけ事件」([ >> LINK ]
化けてしまったので訂正。234さんの言及されている「
ひかりごけ事件」を参照してみると良いと思います。
[ >> LINK ]
ヤン・ソギルの{血と骨」の金俊平は女の尻の肉を包丁で薄く切って食ってるぞ。あと、人が食われて腹の中に入っているサメの肉も。
自分のブログにこの記事を紹介した後に
コメントをさらりさらりと読んでみると
なんだか被ったりしててちょっと恥ずかしかったり
うーん、単純に人肉って美味そうじゃねぇよな。
雑食獣の肉だぜ? 普通に牛食うよ。ビーフ最高。
あ、でも美味しければ食うね、うっしっし。
>>222
>>212もそうだけど、そういう考えがもっとも危険だと思うんだが
当たり前のことってなに?言わなくてもわかる?当然のこと?大人なら~云々・・・
そういうのは結局「考えることを放棄した」大人の理論だし、おそらく昔の方がそういう「至極当たり前のこと」に対する若者の反抗する力は大きかったでしょ?
最近はむしろ逆、与えられるモノに一途なだけで、頭を巡らせて自分なりの回答を見つけることが出来ず、考えたつもりの極論、人を殺したり食ったりするのは駄目ではない=良い、とかいう理論に行き着いてしまう
なぜなのか?という問いに「当たり前だ」という結論は早計すぎ
その答えを探す行為にこそ価値があるんだから
ちょっと弁の立つ人間なら、どんな質問にも答えを与えることができる。
無垢な子供か恥知らずの馬鹿なら、その答えに質問をかぶせなおすことができる。
「なんで? どうして?」
あらゆるヒトの内にあるこの遅効性の毒は、答えようのない質問という形で結晶する。
「なぜ殺してはいけないの?」
「なぜ食べてはいけないの?」
「なぜ生きているの?」
・
・
・
自分の尾を追い掛け回す遊びは隣の馬鹿犬がよくやっているが、人がやってはいけないという決まりはない。
根気強くやれば、すぐにでも自分の尾に追いつけるだろう。
その後どうするのかは、知らないが。
おそらく、食糧事情が悪くて飢餓と隣り合わせだった古代において、人間の死体というのは貴重な栄養源だったのではないだろうか?
不慮の事故・病気・老衰で死んだ一族の者、その死体をみんなでありがたく食す。食糧事情が悪化すれば病人やケガ人、子どもなども食われたかもしれない。敵対する部族を襲って殺し、その肉を喰らったかも。
ただし食べる目的での殺人は、人口を減らすことになり、部族丸ごとの弱体化、ひいては種の存続の危険につながる。
そういったことを繰り返しつつも、次第に「食うために殺さない」暗黙の紳士協定のができていったのだろう。
農耕の発達、気候の温暖化などの要因も、食人を抑える働きをしたのだろう。
そういえば、バキでガイア編のとき熊を殺して生で食べてた。血とかも残さず飲むようにって隊長みたいな人が言ってたな。それ見ただけでうわって思ったんだけど・・
犬肉なら新宿区大久保の韓国料理屋で喰える。
人の肉は怖いし気持ち悪いから喰えない。
大した理由も無く喰ったヤツは気違いだろ。
>>256
ムスリムは豚は汚いから食べない。
彼らに言わせれば「あんな汚いものを食うのは信じられない」
ヒンドゥーは牛は神聖だから食べない。
日本人はそのどちらもおいしく食べる。
人間の食に対する感覚なんてそのくらいいい加減なものだ。
>>256
ムスリムは豚は汚いから食べない。
彼らに言わせれば「あんな汚いものを食うのは信じられない」
ヒンドゥーは牛は神聖だから食べない。
日本人はそのどちらもおいしく食べる。
人間の食に対する感覚なんてそのくらいいい加減なものだ。
現実に人肉を食えば、現行法では死体損壊の罪に問われるのだろうが、程度によって罪の重さも変わるのかな?
脚一本切断して丸ごとむさぼり喰うのと、耳たぶ一枚だけ喰うのとで同等の刑というのもおかしい気がする。
極端なこと言えば、髪の毛や爪を切るのも損壊行為と見なせなくはない。その辺の基準を裁判所は持っているのだろうか?切って血が出る部位なら有罪、とか。
献体された遺体を、解剖中に医学生が切って食べちゃったらどうなるのかな。切り刻まれることについては生前に本人の同意を取ってあるから、死体損壊というよりは器物破損の罪になるのだろうか。
怪我したら肉が1センチくらい飛び出た事あって
それをはさみでちょん切ったんだけど、せっかくだから食べたよ。
血の味が凄かった。どう食えば良かったんだろうね。
教えてエロい人!
ダンナが死んだら哀しいので
一部を切り取って食べる予定です。
おちんちんは海綿体とかなんかまずそうなので
筋肉の部分を食べたいと結構本気で思ってます。
わたしが死んだらダンナに食べてもらって
ダンナの血と肉とウンコになりたいです。
そう言うとダンナはとても嫌がります。
愛しい人間の肉は食えるけど
他人のはかなりやだ!!
>>259
>献体された遺体を、解剖中に医学生が切って食べちゃったらどうなるのかな。
現実問題としてホルマリンに漬かってるんだから食えたもんじゃない。
基本的に解剖では肉体は「使い捨て」にするわけではなく、
脂肪の欠片まで集めて、一人一人焼いてお骨にして返還するから、食べたらマズイわな。
法的にどうなのかは知らないけど、解剖と言うもの自体がある意味例外的な事項だからなぁ…。
解剖ってやってるとどんどん「ヒト」が「モノ」に見えてくるんだよね。
最初の内、結構顔真っ白にしてた奴とかいるけど
最後にはエロ話しながら解剖してるし。
「ヒト」だと感じるのは、最初のメス一刀目と顔面を縦に真っ二つにするときくらい。
顔を切るのはさすがに躊躇した…。
ま、解剖室にはBGMに大音量でミスチルがかかってるし、「うちの脂肪が多くてうざいんだよー」とか言ってるし、
食べるよりよっぽど失礼なことしてると思う。特に歯学部の解剖は、顔から下のおざなりさが半端ないらしいな。
俺は死んでも、検体はしない。
>>251
デカルトはその問いに生涯をかけた
ソクラテスもしかり。
ただ一瞬の浅はかな
「なぜ?」
と偉人たちの疑問とをどうして比べることができるのか。
疑問とは誰もが持つものだろう。
それを誰かに問うて答えを導こうとするものは少なくない。
それを何度も繰り返す幼さにきずかないといけない時がくる。
>>269
なに言ってんだかなぁ、論点おかしくなってるぞ
人を殺してはいけない・食べてはいけない、という一見常識ともとれる事柄に対しての「なぜ」に対して、"大人"は「当然のことだから」と杓子定規な短絡的判断を美徳と考える
>>212や>>189の"それ"に大する「疑問視のなぜ」なわけで、別に「殺人・食人の是非に対するなぜ」を追求しているわけじゃないでしょ
駕籠真太郎の「大葬儀」の、男が自分の彼女に
無理やり自分の肉を食わせる話が面白かった。
はじめは嫌がってた彼女も、最後には男が自身の肉を
材料にして作った料理の味付けに文句言う様になったり。
…ふと、「覚悟のススメ」を思い出した
「私の名は破夢子!人は呼ぶ!美女王(ビューティ)」
「貴様の愛は侵略行為!当方に迎撃の用意有り!」
覚 悟 完 了 !!
って奴
>>272
こんなんで詩人といっちゃうというのはよほど本を読んでないんですね。
しかもそんな意味の無いレスはページが重くなるだけなので
止めてくださいね^^
貴様の愛は侵略行為! って何かいいなあ。
>>271
まったくの無根拠にもかかわらず納得できている人間が、ナゼナニ小僧とは別種の馬鹿であるってーことに異存はないさね。
ただ、問題の性質をある程度把握できているのなら、軽々しく論じようなんて思えねえだろう内容である以上、そういう馬鹿をうかつに叩くと自分の足まですくってしまうことになりかねないわけで。
たとえマジメに論じるにしても、ある程度の下地ってもんは必要かと。
大学の講堂でそのテーマについて興味しんしんな学生相手に偉し教授が訓示をたれるってんならまだしも、知識があるともないとも知れぬ名無しの群れがよってたかって問答したところで、ページを重くするのがせいぜいであろ。
……ああ、でもそれってマナー違反なわけでもねーかな。
巧拙はともかく意見や関心があるってのは大切なことだし、それをすり合わせる場が身近にあれば興味の持続やさらなる向上につながる。
そもそもそういう意識が広がっていなければ、専門家も生まれてこないわけだし。
先に何があるとも知れないが、そういうことを人生かけて論じられる暇人が居なくなったら、きっと人類の寿命が尽きる。
うむ、俺が間違っていた。
大いに語ってくれ。
((((((;゚д゚)ガクブルガクブル
こいつぁヤバ過ぎですよ旦那
でも写真が妙に綺麗だから、「悪い冗談」系芸術写真って捉えることも出来るかも?っていうかそういうことにしておこう
1.殺さない程度に痛めつける
2.足と手首に紐を括りつけ、木や欄干などにぶら下げる
3.下にバケツなどを用意し、首を掻ききり、絞める
4.解体
5.内蔵,脳,腿などは火を通して調理する
6.その他の部位は、干物や漬物やする
誰か調理材にならない?
もう十数年前になるけどモノマガジンなどで有名なワールドフォトプレスがSPYという月刊誌を出版していた。
SPYはあっけなく廃刊になるのだけど、その最終号のカラーグラビアページはけっこうキてました。
ある村に偉いお坊さんが住んでいたんだけど、病気かなんかで死んでしまったのね。
嘆き悲しんだ村民はそのお坊さんの魂だかを取り入れんがためにローストして食べてしまう。
そんな様子を鮮明なカラー写真満載で特集してましたよ。
>>278
が見られなくなってますけど・・・・
他のコメント見たら無性に見てみたくなりました。。。
再UPお願いします!!
>料理に火を通す伝統を持つお陰で、
>肉や魚を生で食べる習慣を持つ日本人よりも
>食人の出現から守られているのだろう
さりげなく喧嘩売ってるな。
どういう理論だよ、馬鹿じゃねーの。
>>271
貴方の言う事はもっともだ。俺自身も、論点をおかしくしたと思っているからな。
まあ、俺の言いたいのはこういう事だ。
人が人の肉を食っても良い訳ないだろうが。そんなのは理屈ではなく感覚で解らんか?本当は解っているんだろ?
つまりお前らは、理屈で他人を打ち負かして悦に浸りたいだけのPCヲタなんだろう?あわれだのう。
言葉は人間のみに許された大いなる文化です。事物を語るのは楽しいものだし、そのためにもこのサイトは存在するのです。
しかし、それが変な方向に走ってしまうと不愉快な現象も生まれるし道徳の観念も崩壊するのです。
>>289
ケンカ売ってんじゃなくてギリギリの状況の中でユーモアを交えて
食人はどこでも起こりえるってことを警告してるんだと思われ
>>291
いやさ、別に言い負かすとか何とかじゃないけど、俺がPCオタであんたがそうでなくとも別に関係ないけど、哲学とか芸術とか普通にそういうテーマのものは多いよ。
てか、全ての芸術と思想は死に通ずるとかなんとか。
>>291
アンタの言いたいことなんてはじめからわかってるよ。
最初から「人が人の肉を食っても良い訳ない」一辺倒なんだから。
しかし、>>230とかその他の物言いを見る限り
この人には何を言っても無駄な気がする・・・
殺人・傷害などの罪を犯さずとも人肉食いは可能だと思う。
飛び込み自殺失敗した人(生きてる)の腕を見つけて
持って帰って食ったら罪になるだろうか?(拾得物横領?)
また、直に自分の細胞から皮膚・筋肉・臓器を養殖できる
ようになるだろうが、期限切れのやつ食ったら
罪に問われるだろうか。
>>294
わかったってば。私が悪うございましたよ。
貴殿は、どんどん人肉を食べておくんなさいよ。誰も止めないからさあ。
豚と人ってつくりが似てるんでしょ?
なら人肉って豚の肉と似てんじゃない?てか人の肉はしょっぱい
ッていう話をきいたことがあるよ。
なによりも猿食ってみれば人間がどんな味なのかわかるきがする。
飢餓って字の餓を自分を食べるって意味にとれなくもない。
江戸時代の飢饉のときは自分を食うほど勢いだったのかなって思った。>マンガ・ワンピースのなかにでてくる、自分の足をくって
生き長らえてるとこの話はかなり感動した!!
>>296
たとえば殺人、殺人がいけない理由はただ一つ、「それが人間社会を保つ上で最重要且つ最低限のルール」だから。でも、それが「本当に無条件に善い」かどうか?となると甚だ疑問。
そして、こういう疑問は多分永久に答えは出ないもの。「延々考え続けることが答え」なら、簡単に「イエス・ノー」を出してしまえるのはおかしいことだと、そう思うわけで。
食人も、確かに現代の文化に則して考えたら、決して許されるようなことじゃないだろうが、それが唯一の答えとは思えない、と。
別にだれも「人肉が食べたくて仕方が無い」なんてわけじゃない(w
人を殺してはいけないということの理由がわからない
と考えるひとは多くいると思う。私だってそう考えるときがある。
人を殺すと殺された人の家族や、知り合いが悲しむからだというのをきいたことがあるが、それでは家族や知り合いのいない人は
誰も悲しまないから殺してもいいという話になってしまう。実際そういう人もごくまれだがいるわけだし。
理由がわからないといって安易に人殺しをして捕まるほど私は馬鹿でもない。
人を殺してはいけないと信じてる人がいたら、何故そう思うのか、
参考までに、きかせてほしいです。
>>299
俺なりの結論としては、「人間は社会で生きる動物だから」ってところか。人の社会、自由主義の根源は"他者に迷惑をかけない限り自由"。で、殺人という行為は"他者の生存する権利"を奪う、ひどく迷惑な行為。だから、人の社会はそれを固く禁じているし、犯せば厳罰だ。それには従おう、従うべきだ、と。
こういうのは、倫理的な理由を持ち出したらきりがないから。
>>267
食べたいとは思わないけど食べて欲しい。
死んでからじゃなくて生きたまま。
ちょうど>>10の逆バージョンみたいなかんじかもしれない。
他に食べられたいって思う人居ませんか?
>>302
まあ、童話ってのはどこの国でも恐ろしい話が多いけどね
結局、「ネギはいい」以外の教訓がなにも無いところが面白い(w
>>299
神様が「人を殺してはいけない」と言われたから。
聖書は、今の所最も信頼できる情報源だから。
ただ、人によって記述されている内容の解釈は違うけど。
>>212を読んでちょっとヤバイなぁ、と思ってレスしようとしたら
>>300で言われてて悲しい。
人を殺したらいけない理由→社会の運営に支障をきたす行いだから。
人を食べる事についても、教育上嫌悪感を育まれてるし、それが人々の生活を穏やかにさせない要素なら支障をきたすからだめでしょ。
>>212さんになぜ?って聞いた人も、そういう社会で生きてきたんだから
理屈じゃなく感覚的にだってわかってるだろーよ。
自分の中で漠然とちりばめられた感覚をアナライズ、カテゴライズして
確かなものにしたいって欲求それ自体を軽んじちゃいけないよ。
当たり前ってのは誰もがそう思うことって意味でしょ。
誰もがそう思うのは何故だ、って聞いてるわけじゃないんだよ。
何故ダメなのか、行為について聞いてるんでしょ。
法律で決められてるから、だったら何故そう決まってるんだろう?
質問の性質としては至極単純。
お子様の理屈とか言ってるけど、理屈じゃなくて質問です。
どうせならお子様の質問に訂正しといた方が関係ない人に揚げ足とられずに済みます。
あといい感じではぐらかして答えを言わないのは汚く馴らされた大人って風情でとてもいい味だしてますね。
しったか(・A・)イクナイ!!
つーか、状況次第だろ。
戦争ではいっぱーい人殺すし、資源の関係から地球人口減ったほうがいいし、漂流教室じゃ小学生同士が殺し合い。
社会で生きたいなら社会のルールで。社会敵に回して死刑になってもいいなら好き勝手やればいい。
かといって俺に迷惑かけてきたら全力で阻止するし。
とか、そんなもんだろ。
なんで質問の前に「お子様の」がつくのかわかるかい。
「なんで1+1は2になるんですか?」っていう質問と同義だからだ。
一見して常識的、直感的にわかることをわざわざ質問するのが許されるのは、子供か馬鹿か天才だけ。
いや、1+1=2という式の証明はできるがね。
しかし証明ってのはつまるところ算術という形式体系内での整合性を確認しているのであって、その質問に対する本当の答えじゃない。
実のところ、1=2というありえない等式が証明されてしまうことだってありうるのだ。算術が人の手から成る形式体系である以上、それの可能性はゼロじゃない。
今の算術を支えているのは、今はまだそういった証明がなされていないという事実と、これからもそういった証明はなされないだろうという信念だ。
この世に信念が割り込む余地のない確かな事実など存在しない。
人の理性には、言葉には、限界がある。
物事の良し悪しを決めるのに一番手っ取り早い方法は、目的からくる基準だ。
ボールペンのインクが切れたとしよう。そのボールペンは悪いボールペンだ。
何故か? ボールペンは書くために作られた。だから書けないボールペンは悪いボールペンだ。
じゃあ、人の場合。
人の目的は、とりあえずは生きることだろう。
生きることを目的として考えた場合、他人の屍を食うことは状況次第で善になる。
しかし、だ。
人の生の目的が一つだと断言できるか?
さっきの壊れたボールペンだって、他の使用目的を見つければ善ってことになる。
まあ、それはボールペン本来の使用目的ではない、といって退けることはできるだろう。
だが人間の場合は? 人間の本来の目的ってのはなんなんだ?
これに仮の括弧つきでなく即答できるなら、そいつは稀代の阿呆か超越者だな。
行為の良し悪しを定めるには外側から見るしかない。
人は造物主の視点にたてるか? これは答えのない問いだ。
質問の性質をまるで把握できていない馬鹿ほど、自分の思考に限界があることを知ろうともせずに、嬉々として確たる答えのない問題を振りかざす。
そういう問題の答えは自分だけのものなのにな。
ヒント以上の答えを他人に求めるな。
「はぐさかすだけで答えをいわない」?
お前が考えてないだけだ。
大人をなめんな。
なんだろうな・・・
もはや何もいう言葉は無いが、簡単な本でいいから哲学書の一つでもパラパラ読んでみてよ
「そういうことじゃない」ってことがわかると思う
むかしコリン=ウィルソンの著作で読んだんだが、
ある殺人者が精神異常を装うために
血液を飲む習慣を抑えられなかったと主張したらしい。
医学的には血液は催嘔性があるため、犯人の主張が
虚偽であることを証明するため、輸血用の血液を飲ませ
罪を逃れるため虚偽であることを証明したとか。
(相当昔に読んだんでうろ覚え)
こないだ扁桃腺切除のため入院した時に、止血が
イマイチだったせいか、ダラダラと喉を伝う血液を
構わず嚥下してたら、深夜頃に許容量を超えたらしく
血を吐き出しました。
あまり味わったことのない催しかたなんで、
ビックリしました。
不快感なく嘔吐が促されるような感じで…。
そのときに頭によぎったのが、この話でした。
>>302
ぎゃははは!!!なんじゃそりゃ?
普通民話ってのは、(悲惨な話であっても)現代に語り継がれてるという事で、それなりの含蓄や教訓があるはずなんだけど、
その話はなんじゃ???ただネギ食べたら人間が牛に見えなくなった、ってだけじゃんww
・・・・ん?朝鮮民話?・・・・なるほど(納得)
>>307
「そういうことじゃない」か。
否定だけして宙ぶらりんってのはあんまりだろう。
せめて、お勧めの哲学書を教えてくれないか。
ちなみに、自分はウィトゲンシュタインが好き。
まだまだ始めたばかりで、誤謬から逃れ切れていない自信もたっぷりだが。
「弟」で石原裕次郎が隠し持ってた死んだ父親の骨を船の上でかじるシーンがあるけど、石原慎太郎はそれに「嫉妬した」とか言ってたな。愛する人の身体を自分の中に取り込みたいっていう欲求は人間の本能的なものなのかも。究極の合一化というか。
取り敢えず、肉食の動物は不味いとか、いや旨いはずだ、とか言う香具師は、[ >> LINK ]
でも見とけ。
それでも食べたいのならグダグダ言う前にチャレンジしろ。
俺?俺は虎や猫を食いたいとも思わんし、食わんでも生きていけるので良し。
>>310
いい加減にこれについての発言やめませんか?なんだかもう、
朝の満員電車なのに長い席使って横寝してる人並みに呆れてるんですけど?自分の手のつけられない範囲に問題が大きくなると逃げ出して、他の簡単に冷やかせそうな人に攻撃対象を移してるようにしか見えない。そんなふうだから『お子様』とか言われるのでは?
自分はあくまで傍観者です。いつもはここを楽しく見させてもらっているだけの人間です。発言しておいて全くもって無責任ですが、これになんか言っても無視しますので、あしからず。まぁあなたならこの発言も言うまでもなく放置でしょう。自分に不快なら、理屈抜きに物事や考えることを投げ出したりするのは得意なんでしょう?あなたの発言からはあなたがそういう人間であるとしか、少なくとも私にはそうとしかとれませんでした。
こういうところに強い言葉で発言するなら、よく考えましょう。まずはそれからだと思います。『反戦ムードだからノリでデモに出ちゃった人』みたいですよ、今のままじゃ。ああ、ちなみに煽りでもなんでもないんで、そこのところよろしくです。あなたが『お子様』でないなら、ちゃんと読んで、理解してくださいね?
最後に、無駄にページ重くしてごめんなさい。
自分の肉とかならいけるんじゃない?
将来、なぜかものすごい肉不足(なんだそりゃ)が起こって、「どうしても肉が食べたいんだよッ」ってなったとき、自分の筋肉細胞の一部を手術か注射かなんかで採って培養、そんで肉になったのをステーキにして食しまくる、みたいな
俺はコーヒに砂糖を五杯いれるんだ。
甘くなけりゃァ、コーヒーなんてものは美味くねえ。
―あの日も標準をあわせた、何人目になるか知らないどこの誰かさんに。どうってことはない、それが仕事だった。
真昼間のカフェだった・・・・。いつもの通りだった・・・・。
その誰かさんはコーヒーを頼んだ。そして砂糖をいれたんだ。
一杯、二杯・・・・三杯、四杯・・・・。五杯目をいれたところで、
いつも飲んでいるコーヒーの味が口の中に広がった。
誰かさんはそれをうまそうに飲みやがった。
それで俺は、銃をおろした。
そんなもんだ・・・・・そんなもんで、俺は人を殺せなくなった。
ウィトゲンシュタインと小林秀雄の著作を読めば、論理的にみんなが納得できるような答えが書いてあるよ。しかも簡潔な答えがね。考えるのもいいが、こういう話は昔からたくさんの人が考えてきているんだから、読む努力くらいはしたほうがいいと思うなぁ…。
小林秀雄は知らんがウィトゲンシュタインは答えてないんでは。
「語りえぬものについては沈黙しなければならない」だし。
>>315
何か、俺の意見が思わぬ波紋を呼んだみたいで、賛同者や否定派が入り乱れているみたいだな…
よろしい。俺の賛同者の方に失礼だから、もう少し書き込みますわ。言葉を語り合う楽しみは、ここの売りであるのだが、中には他人の意見を否定して悦に浸り、他人を馬鹿にして自分を高い所に置くPCヲタのガキがいる。そういう奴は口ばっかし達者で何もできない奴が多い。まさしく哀れな、引きこもりとんち小僧だな。本当の馬鹿は自分だと気づいていない。
俺は記事の内容について意見を言ったのであって、小僧供の意見に文句を言った訳じゃあないぞ。誰の意見でも、それはそれで立派な意見だからな。
なのに、先に”カチン”とくる言い方をするから腹立つ訳よ。でも、そんなガキを相手にしたって大人げ無いじゃないか。大人に議論(喧嘩)をふっかけて遊びたがるから、子供はタチが悪いんだよ。
これだけ解りやすく言っても、まだ理解できないかね?ガキ供。
>>306
>一見して常識的、直感的にわかることをわざわざ質問するのが許されるのは子供か馬鹿か天才だけ。
そりゃ、お前の勝手な価値観だろ。
[ >> LINK ]
↑こういうとこ見れば分かるが、「なぜ1+1=2になるのか」という質問から、現在の数学体系の枠から出ていないとはいえ、少なくとも更に高度な理解に繋がる事は可能だ。
到達できる範囲内でもなんとか理解しようとするのが人間だし十分有用なことだ。
大体「本当の答えには到達できないから意味が無い」というなら、お前の発言も無意味な事この上無いわけだが。
>今の算術を支えているのは、今はまだそういった証明がなされていないという事実と、これからもそういった証明はなされないだろうという信念だ。
そんなもんかなりの昔から問題視されてそれを何とかしようと議論されまくってるぞ。縄文時代の方ですか?
>ヒント以上の答えを他人に求めるな。
俺は別に求めてくれて構いませんけど。そこからこっちが得られるものもあるし、一人で思考停止して馬鹿な人間になられるよりマシ。
誰も特にあなたみたいな偏狭な人間に聞いてるわけじゃないと思うんですが、何を勝手に一般の意見みたいに胸張って言ってらっしゃるんですか?
まあすぐ「大人・子供」という”便利な”言葉を振りかざす奴は概して低い次元で思考停止してる馬鹿が多いな。
せいぜいお前のお子さんには鼻息荒くして「1+1=2は直感的に分かる事だから聞くな、もう少し大人になり給え」とでも言って立派な大人になってもらえよ。
>>315には悪いが、>>306みたいな「当たり前のことを質問するな」という考えもカニバリズムや道徳を考える上で無関係でもないと思ったんで重くなるの承知で叩いてみた。
話がすこしそれて申し訳ないが、哲学はあまり勉強し過ぎないほうがいい。ウィトゲンシュタインも小林秀雄もバランスのとれたいいことを言っているけど、やめたほうがいい。その理由は、実感としてだが、哲学は麻薬みたいなものだからだ。思考停止も必要だよ?。
哲学書や思想書を読んで「これが答えだ!」なんて思ってる人には何を言ってもムリぽ。まあ、それがこの人の「哲学」なんだから否定はしないけど、論じ合うことは無意味だわな。
あと>>325がいいこと言った
322と329は私が書いた。一見、逆のことを言っているようだけど、両方とも本心だ。
そういう相反するかのような意見を、同一人物が持てるのだということはわかってほしい。意見の相違がごたごたを起こしていたようなのであえて書いてみた。
哲学書や思想書は懐疑的な精神を養ってしまう。
○○はいいことか。なぜ○○するのか。
○○の中がカニバリズムだって猟奇殺人だってダンスすることだってなんだって同じこと。
雄弁だが引き際を弁えた傍観者である315の忠告にしたがって黙っていようかと思ったが、どうも誤解がそのまま通っているような気がしてきたのでちと反論、というか弁解。
315や327は俺の文章がいまいち読めてないような気がしてならない。
……いや、こりゃ読めねえな。冷静に読み返したら省略しすぎな上にえらく感情的だコレ。ごめん。
>>327
で、まず誤解を解こうと思う。
俺は「考えても無駄だから他人に聞くな」とは一言も書いてない。
「疑問を考えなしに他人にぶつけるな」とは書いたが。
この「どうして」系の質問は確かに「質問の性質としては至極単純」だが、ある程度倫理やら思想やらに興味があって、自分で調べる気力があるやつなら、「どうして~してはいけないの?」「なぜ~は~なの?」といった根本的かつ曖昧な聞き方をしようとは思わない。それがどれだけ厄介な性質を持った問題なのかがわかっているから。
それでもそういった質問をされてしまった時、答えとして差し出せるのはカッコつきの仮説か、もしくは答えがないということの説明でしかない。
まず、答えを請われてその仮説=自分なりの答えというやつを質問者に示すとしよう。
ここで望ましいのは、まずその答えを一つの意見・仮説であると踏まえた上での対応だが、先も言ったようにそれができるならこんな質問はしない。
それ以外の反応は二通り。丸呑みするほど無垢なのかか、つっぱねるほど賢いのか。
丸呑みするのもヤバイが、なまじ「価値観」という言葉を中途半端に知っているのであれば、そいつは「ひとそれぞれだ」と言うだろう。それだけならいいが、「それはお前の勝手な価値観だろう」とつっぱねるガキはわりと多い。(いや、これは別に嫌味ではなく)
で、そいつにどうしてちゃんと納得させられないのかをくどくどしく説明すれば、「いい感じではぐらかして答えを言わない」「汚く馴らされた大人」と、もうコテンパン。
ま、確かに答えが言えないんだから、甘んじて受けるしかありませんな。
しかし汚い大人呼ばわりされたら、そりゃ無知なクソガキめと言いたくもなるだろう。ならない? 相手と同レベルになってどうする? そもそもお前に向けて言ってない? ……返す言葉もありませんな。
とまあ、こんな個人的なうんざり気分が表に出すぎてわかりにくく攻撃的な文章に。
例えが縄文チックなのは「答えがないことにうすうす感づいているくせに『なぜなに』と聞いてくるお子様」に向けたレス故。
果たしてそんなお子様がここにいるのかは、今考えると甚だ疑問ですがー。
で、改めて素直に謝罪。
脊髄反射じみた感情的言い回し、およびわかりにくい書き方をしてごめんなさい。
なによりもまず、態度が悪かった。
315の台詞の通り、強い書き方をする前にまず頭を冷やすべきだった。その点については言い訳の余地なし。
ただ、327が危惧し、攻撃するような人種ではないことだけははっきりさせておきたい。
食人、とはあまり関係無いかもしれませんが血液を飲みます。
好きな人の血液も近々飲もうと思っています。
そして相手にも飲ませてあげようとも。
共有、というんですかね。
いやーもーなんか凄いね。
久々にこんな罵り合うレス見たわ。
オレは人を殺しちゃ駄目だと「思う」よ。
法律で定められている云々は置いといて。
誰かも言ってたけど、やっぱり時代なんだろうね。
100年もしない前には日本だって鬼畜米英!とかいって沢山殺した兵隊はヒーローだった。
これから10年もしないうちに戦争とか起こったら殺さなきゃ殺されるみたいな状況に陥るかもしれん。
でも今現在一般的に殺してはいけないと言われている理由。
オレの意見では「保身」かな?
殺されたくないから殺さない。
自分がやられて嫌なことは他人にもするなって言うよね。
自分は殺されてもいいから人を殺したいというアブノーマルな人はこの際、排除。
人間社会の中に置いて「殺されてもいい」と思っている人は極少数のはず。(←これはオレの偏見だけど)
だから多い意見に従いましょ。とゆうわけ。
多数決、民主主義。ってわけじゃないけど…。
円滑で順風な人間生活を送りたいのであれば大衆の意見に従うべし。
イレギュラーを望むのであれば同士と共にどこか人里離れた所へ行きましょう。お互い困らない。
とまぁオレの意見はこんな感じですね。
人食いに関しても似たようなもんです。
つまり他人に迷惑かけないでくれ、と。
>>337
民主主義よりもそれは自由主義だな。他人に迷惑をかけてはいけないがそれ以外は自由、だから、殺人はかなり迷惑なのでやるな、と。それだけの話。
食人も、迷惑じゃなければやってもいい、そういう時代もあったんだろう、と。それだけの話
>>335
とりあえず、切欠は「食人なんて駄目に決まってるジャン」って一言に「そうとも言えないかもよ」って意見。それが果てしない脊髄反射を生んだわけよ。
だれも「ナゼナニ」を押し付けたりしてないし、質問すらしてない。答えなんか求めてない。各々が意見を述べてるだけなんだから、過剰に反応しすぎなんだな。
少し頭を冷やしましょうってことだな。
一つの意見としての正当性以前に、対話として致命的にかみ合ってない。
まあ、素直にごめんなさいができるのはよいことだけど。
>>248様
あらま。最後の部分で誤解されていますね。212さんと俺の意見は違いますし、大人がどうこうと言っているのではありませんよ。過去(1980年代以前)には老若男女関係無く「当たり前じゃん」だったことが、今はそうじゃなくなってますね、という意味で書いています。その時代はまさしく、「考えることを放棄した」と言ってもいいのですが、実際のところは考える材料も無かったし、必要も無かったわけです。だから、「考えることを放棄した」というよりは「考える必要がなくって、最初から考えなくて済んだし、あんまり興味もなかった」というほうが正しいでしょうね。
だから、別に食人について議論の余地が無い、と言っているわけでもないし、むしろ自分はそういうタブーについて色々語っちゃうほうが大好きであります。
ところで、食人が過去タブー視されていた事から、従来の概念に疑問を持つ事が是か非かになって、果ては1+1=2なのは何故か、と聞くのが愚かか是かで論争になっているようですが、俺から見ると双方が前提を満たせれば正しいように思われます。
といいますのも、日常生活で1+1=2であるのはなんで?と聞けば、大抵は屁理屈をこねていると思われます。エジソンが学校の先生に叱られたパターンですね。しかし、哲学や宗教を学んでいる人や、何か根本的な事を考えたい人が1+1=2てえのは本当なのか、と考えたり、数学は社会の全てに適応できるかどうかという意味でこの問いを発しているのなら、それは決して無意味ではありますまい。少なくとも自分は両方いけてるけど、後者について話し合うほうがよりいけてると思います。
言ってることはわかるんだが、哲学的に語ると迫力というか熱というか潤いというか、そういうのがなくなっちまって生きてる人の言葉じゃない語りになるよね。食人というような問題は対岸の火事として論評するからやってておもしろいんだろうが、頭で考えることではないような気もするなぁ。
たとえば、自分は、子供のころカマキリがバッタを生きたまま食ってるのを見ていたのを思い出す。そのころ、そういうのを見て興味津々に思ってた。捕らえたねずみを溺死させているのも見た。キーキーという泣き声を聞いておぞましく感じたのを記憶している。鶏のトサツ場で首を切っているのも見たことがある。血の生臭く甘いような臭いの充満に、残酷さなど感じる余裕はなかった。そうやってエスカレートしていくように思い出すと、殴り合いの喧嘩したときには相手の感情を感じるよりも相手のケモノらしさを感じることのほうが多かったように思う。食人は、そのまたさらに先のことなんだろうな、とおぼろげながら思うのだが、こうしてみるときっと生理的な変化しか感じないような気がする。
ガキ共とかひきこもりのPCオタだとか
全く本質から離れている煽りワード散りばめて
自分自身は議論してるつもりになってるのが哀れというかなんというか。
おそらく永久に相容れないでしょ、この手の人種とは。
「悪いから悪いの!」「俺がいイヤだからイヤなの!」
と。それだけで世間渡ってきた自己中心的極まりない人間である、と告白してるだけだし。しかも自分自身ではそのことに気づいていないわけだ。お前は自分の周りの人にこれからも迷惑を撒き散らし続けるんだろうね。
>>343
また本質とは違う書き込みで申し訳ないが、書かせてもらう。
最初に喧嘩を売って来たのはとんち小僧の方だ。馬鹿呼ばわりされたり幼稚園児呼ばわりされりゃあ誰だって腹も立つだろう?
それに彼らの話は議論ではなく、単なるとんち問答だ。何度も書いて悪いのだが、それは他人と心を通わせて答えを得るのではなく、屁理屈で他人を屈服させてつかの間の幸福感を得るという最低の手段だと思う。
しかし私も言い過ぎた…
本音を言う。多分、ここには実際に引きこもりの方が何人もいるはずだ。その方達は、ここが唯一の自己表現の場なのだ。私はそれを壊したく無い。私だって、いつその方達と同じ立場になるか解らないからだ。それを考えると、少しくらいカチンと来たって我慢しなければならん。
人肉を食べて良い訳はない。それは誰もが解っている。解っていないのは、本物の○チガイくらいだ。ただ、どうして悪いか、という表現方法を考えなければいかん。他人に話しかける時には相手に対する思いやりが大切だと思う。自戒の念も込めて、そう言わせてもらう。
ちなみに304の書き込みは私である。ただ、私はもちろんクリスチャンではない。その資格も無いし、無くても良いと考えている。神様は尊ぼうとは思っているが…
結局「人肉を食べて良い訳はない」と無条件で信じきってる人間と、
「本当にその既成感覚は正しいのか?」と疑ってみる人間は、決して理解し合えないってことか。
>>347
俺に限っては違う。
人肉うんぬんでは無く、真っ当な物の言い方をする人間とは、たとえ意見が食い違っても理解し合える。しかし、そうでない人間とは…
まともな奴なら、そうじゃねえか?
しかし、人肉を食べることに対する抵抗ってそもそも一体何に起因するのかね?
今俺ら日本人が平気で食べてる魚とか豚だけど、もし彼らが人間と同等の知能を持ってかつ言葉で人とコミュニケートできる動物だったら同じようにパクパク食べれるんだろうか。俺だったらやっぱりそれも多少は抵抗あるような気がする。
「食べ物」なんて言うくらいだから人が食事として口に出来るかどうかっていうのはやっぱその対象を物として見れるかどうかなのかな。
>>349
そういう境界って無茶苦茶曖昧ですよね。イルカやクジラは高度な知性を持っているから食うべきではない、とか言う人達もいますし。俺は馬鹿こくでねえ、と思うけれど、もし仮に地球にエイリアンがやって来て、そいつが日本語を話せたとして、ユーモアも解せるけれど、とっても美味しい生き物だと知ったら・・・迷うわなあ。やっぱ。
>今俺ら日本人が平気で食べてる魚とか豚だけど、もし彼らが人間と同等の知能を持ってかつ言葉で人とコミュニケートできる動物だったら同じようにパクパク食べれるんだろうか。
>俺だったらやっぱりそれも多少は抵抗あるような気がする。
いや、すげー抵抗あるだろ。
おれは子牛(子豚)ですらも抵抗ある。喰ったことないけど。
いやぁ、だってそいつがエビ型エイリアンとか、牛型とかだったら、ぜったいヨダレこらえちゃうと思うんだ(笑)
核攻撃されるとしても、絶対食う奴いるって。
>>348
>真っ当な物の言い方をする人間とは、たとえ意見が食い違っても理解し合える。
それは理解じゃなくて妥協。
相互理解の破綻を社会性で隠蔽して個人的断絶を繕ってるだけ。
そんなもんを理解の範疇だと思ってるから突っ込まれる。
だいたいその理屈は裏を返せば、
「俺と妥協しあえない人間は、まっとうな物の言い方が出来ない、人格に問題がある奴」
ってとんでもない飛躍に滑り落ちるぞ。
といか実際キミの話は早い段階でそっちにすり替わってたしな。
物の言い方と、その弁の正当性には何の因果関係も無い。
「悪意と罵倒を推進力にして自分に向かってくる正論」に歯が立たないのが悔しいなら、
「自分には主観と感情論しかなくて、客観性と論理的思考力はない」
と早急に明言しとくべきだったね。
しかし…。売られた喧嘩を買っといて同じ土俵に上がって、
勝てないと「屁理屈だ」「卑怯者だ」ってのは負け犬の遠吠えだな。
自分で屁のような理屈と認めた言動に、太刀打ちできないんだぞ?
屁に負けてるんだぞ?少しは恥じろって。
>>355
>ってとんでもない飛躍に滑り落ちるぞ。
それは飛躍じゃなくて、そのまんま。
まぁ355の意見のほとんどはもっともだとうなづける。
統一見解にするのではなくて、多様な意見を殺さないというように、というのが今の一般社会のありかただし、科学じゃないんだからそれぞれの人が統一見解を目指す必要はない。
同じ土俵にというより、相手の土俵に行って意見をぶつけ合ったのが間違い。お互いがわかり合える土俵、たとえば科学や統計なんか、に土俵を移して話せなければ、もともと理解は得られない可能性がかなりあると思っていたほうがいい。もし共通の理解が得られたら、それはたまたまそういう相手だっただけなんだと。
ある議論において。
論者に論理性と客観性が求められるということと、論者が情動に基づいて行動する人間であることは、引き離しがたい事実だ。
それゆえに、客観性や論理性以外に大切にするものなどない、という趣旨の発言には同意しかねる。
ある一つの議題と、二人以上の論者があったとする。
論者は議論に入る前に、その議題が論理的な問題なのか価値判断的な問題なのかについて、客観的に検討するだろう。
その上でその問題が論理的な問題であった場合、最も重要な基準となるのは、たしかに共有される論理形式だ。
しかし、議論の舞台が生活空間で、論者が人間であるかぎり、基準がたった一つしかない単純な議論はありえない。礼儀やマナーといった論理形式に収まりきらない「人間性」は決して無視することはできないはずだ。(例えば議論中にいきなり論者が殴りかかってきたら、とりあえず取り押さえて警察を呼ぶしかないだろう)
議題にまつわる問題が価値判断的なものであった場合はいわずがもな。
罵倒や悪意がそのまま致命的な断絶につながりかねない。
個人の断絶の上に理論を構築する努力を「妥協」の一言で片付け、勝ち負け正誤といった立場に必要以上にこだわるようでは、建設的な議論など不可能に近い。
355が議論ではなく口喧嘩について語っているであれば、大きなお世話だろうが。
まず落ち着くことだ。
何かについて意見を述べ、それに対する反論を受けた時は、悪意を制御し、感情的な反発を抑え、慎重に言葉を選び、相手が何故そうした意見を主張するに至ったのかを理解する努力を。
それができないなら、ただ諦めるしかない。
自らに失うものがあってですら、相手を認めるということをしたがらないのが人間だ。
まして論じる者に失うものがほとんどないWeb上の掲示板では、慎重になれというほうが無茶だろう。
そういった意味では、347の言葉はかなり正解に近い。悲しいことに。
↑書いたものですが以下長いけど説明。
土俵に上がっておいてって実際のところ誰が言ってるのか知らないけれど、このスレに書き込む人は書き込むという行為によってすでに土俵に上がってます。こういうところは、それ以上でもそれ以下でもない中立地帯でしょ??自分の思うような土俵を勝手に想定して、主観的な範囲で相手を切り捨てるのを人呼んで「荒し」というのです。罵倒したりするのはお互いに土俵に上る事を共通事項と出来るような、つまり自分のサイトでやってねって事になる。もしくはスレッドを立てられるようなところ。少なくともあんたの土俵がどこにあるのよ?自意識過剰だよ。
>>358-359
はい、こいつワーストバカ決定。
一行レスで煽った直後に、自分でその説明をマジレスしなきゃいられないとはw
>>358-359
そういうのは説明するとかっこ悪いなあ。
いや、愛嬌があると言い直しますか。
>>357
口喧嘩の勝ち負けと議論を混同して語るのは、子供っぽい認識ではあるが間違ってもいない。
かくあるべきという姿ではないが、すこぶる現実的な認識ではある。
勝つか負けるか。
妥協よりも諦観。
ただしその問題は無条件に論理性について語られるべきものとされ、355の物言いは常に論理的に正しい。
そしていかなる口調で語られようとも正義は勝つ。
……可愛いくらい素直な物言いじゃありませんか。
痛みに耐えての相互理解(妥協でもいい)より相手を正義の拳で打ち倒す爽快感のほうが勝るのは、お外を見ればよくわかる。
拳が出せないところなら、悪意や罵倒がその代わりを果たす。
悪という字には強いという意味もある。
善意で説き伏せるより悪意でねじ伏せたほうが楽だし気持ちいいし幸せになれる。
いや、賢く平和的であろうとする努力が必要ないとはいいませんが。
>>358-359だが
煽るのが目的じゃないもん。うるせーやい!
ってか、たいていが脱線してるくせに文章が長いんだよ。
こっちはどんな面白いレス付けてんのか楽しみにしてるから
いちいち読むから疲れるんだよ。
分ってくれよ。君たち!
文章は面白おかしく簡潔に。内容は外れすぎないように。
じゃあそういうことで後は任せた。
>363
俺もそんな気持ちになることもあるが、長文完全スルーは酷すぎだと思う。
独り言だって語りかけではあるんだし。
>>57
トリビアとして、カーニバル=謝肉祭と語源が一緒らしい。
カニバリズムはカリバニズムとも言って、カリブ海のカリブと
関係あるらしい。
↑[ >> LINK ]
中国人の「幼児丸焼き画像」を見てしまった。
もう少し中国圏の話題を…。
>>19
わしは、料理人だが人間のにく硬そうだな。どうやって調理するかな・・・煮込みにするか、あーぶくたった煮えたった。煮えたかどうだかたべてみよー。
ふと思ったのだが、
「人間の肉は○○な味がする」
といった内容のレスが多いですねぇ。
総じて伝聞と憶測によるものなのですが。
ほほう、人肉ですか。
しかしそんなもんを喰っている場合ではない。
皆、肉が喰いたいなら鯨を喰え。日本の海洋資源を守るんだ。
こら、臭いとかまずいとか言うな。贅沢は敵だぞ。
一晩ぐるぐる考えると
最初はうぇっとおもった人食だけど、
べつに大しておかしくないことなのかもなぁとも思えてきた。
人間が死んだ人間食べて何が悪いんだろう…
「うわぁー気持ちわりぃー!」
「マジかよこれ!」
‥‥なんて、まず出てくる感想はこんなもんだけど、実際に目の前に全裸の死体(男、女、妻や子供、恋人、親友、アカの他人など全種類)を並べてみないと、答えが出ないかもよ?
もちろんアカの他人なら食べる気はしないだろうけど、愛する人の場合、火葬で灰にされるくらいなら食べて同化した気分になったほうがマシ!なんて考えになる可能性もあるかも。
人間の死体というものを、その時どう捉えるかが問題だね。
だから何も着ていない全裸の死体を、調理場のまな板に乗せてみた時点で、初めて答えが出ると思う。
そういえば21世紀食糧危機説はどうなったんだ。
人食うことになったら、最初はやすいがだんだん高級品になってくるんだろうな。需要と供給の問題で。
何も食べず、何も飲まない人々 - 人は不食で生きられるか
カニバリズム - 人間は如何にして人間を食べてきたか
食べないでも大丈夫な人も居れば、
人の肉を食べちゃう人も居るのだから
人間は不思議。
1972年の「生きるための食人」って臓器の移植みたいなものってかいしゃくなんだろうけど、自分がそこにいたらって思うとぞっとするな。無神経な発言だけど
一度だけ名前が出てきましたが、やはり食人というと岩明均氏の
『寄生獣』が、読み物としてもテーマ材料としてもいいと思います。
『寄生獣の秘密』という蚊帳の外からの批評本(?)も、
食人・殺人についての話がたくさんあって、面白く読めますよ~。
その中の記述によると、たしか人肉は男より女のほうが美味しくて、
20代の女性が一番だそうです。味はトロに似ているそうです。
死にたてよりも、死んでから少し経ったくらいのほうが、
アミノ酸が熟成するので美味しくなるともありましたね。ソコまでいわれると
人肉も1つの食材として捉えてしまいたくなってしまう。。。
「何で殺しちゃいけないの?」など、
自分以外の生き物を殺して罪に問われるかどうかというのは、その理由も大事だと思いますね~
ライオンなどの肉食動物は、自分(や仲間)の食べる為だけに狩りをする、
というのがいい例だと思います。つまり、
ライオン等肉食動物は、生物としての最低限の本能「食欲」のために狩をしているのであって
人も、根源的に持つ生命への執着に基づいて、食人を迫られる場合だったら
殺してでも食べたって、罪じゃあないんじゃないかなと思います。
だって喰わなきゃ自分が死ぬんですもん。喰うなと言うほうに無理があるかと。
あたしは、あたしを食べる事で誰かが助かるなら喜んで食われますし
喰ってでも生きなければいけないような立場にあれば喰います。
なんかたき火に身を投じたウサギの気分。((c)ブッダ)
>>384
原因物質からプリオン病と呼ぶ場合もあるみたいです。
[ >> LINK ]
このあたりをご覧になってください。
>>385
究極の選択ですな。食って生きるか、食わずに死ぬか。特に遭難したのはキリスト教圏の人達だったから、食うのは抵抗が強かったと思いますよ。映画「生きてこそ」は135さんもおっしゃいましたが、名作だと思います。
>>386
「自分の命を永らえる為なら食人も是」という考え方は、
「自分の命の為に他人を犠牲にする事の是非」という問いの別パターンの答えであって、
「食人を是とするか非とするか」という問いとは関係ないはずです。
極限状態でのやむをえない人肉食は、当然、究極の例外でしかなく、
緊急避難的行為に対して一般論的結論を出しても、日常に還元できないので意味がありません。
人間は、同一の行為に対してさまざまな別の理由を持ち得るため、「人を食う」という行いを問題にする場合には、
「人を食う事を望む」という動機の方を同時に問題にしなければおかしいはずです。
そして、野生動物の狩りを「本能に基づくものであるから是である」として、
これを殺人や人肉食の比喩とするなら、
自動的に「快楽殺人」や「人肉嗜好」は是となります。
なぜなら、快感原則こそは、人間に残された最後の本能だからです。
ちなみに、冷静に考えればわかる事ですが、
「生存本能」などというものは、人間にはありません。
生き物は本能には逆らえないわけですが、人間は自殺しますので。
>>390
お腹が減ったからご飯を食べるとか、苦しいから空気を
吸うとか、子孫を残すって言うのは生存本能の一部だと
思っていたけど、それは間違いでしたか。
>>390
?
フツーの人は自殺しないと思うんだけど?
一部の自殺しちゃった人を差して全ての人間には生存本能は無いと言い切ってしまうのはおかしくない?
自殺のことは知らんけど…
本能って、後天的な影響、たとえば文化や教育や生活習慣の違いによらず、逆らえない衝動のことじゃないの?
のどが渇いたから飲みたいとしても、それに逆らって他人に水を分け与えられるなら、渇きを癒そうとするのは本能ではない。
水中で残り少ないボンベの酸素を他人に分け与えられるなら、空気への渇望も本能ではない。
猫のように春になると交尾せずにおれなくなるようなことは人間にはないのだから、子孫を残したい欲望も本能とは違うようだ。性欲だって、少なくとも何をはじめるまでは逆らうことが可能なのだから本能とは違う。
それに、暑いときに発汗してしまうのは衝動じゃないから本能ではない。心臓が動くのと同じこと。
人間の本能は、文化や教育や生活習慣などによって壊されているという話を聞いたことがある。
つまり、逆らう力を持ってしまったから、もはや人の本能は無意識という巨大なブラックボックスの一部に成り下がってしまったのだと。
>>394
いや、逆らえて無いじゃん。本当に本能に逆らっているってんなら、まずそんな衝動そのものが頭をよぎる事も無いはず。水を飲みたいと思わない、食べたいと思わない、性的衝動も物欲・独占欲も全く無い、これが本当の意味での本能がない状態だろ?
だから、人間は本能に「逆らっている」んじゃなくて、本能を「コントロール」出来る。本能という蛇口を状況に応じて開いたり閉じたり出来るのが人間だってことだ。
>>395
衝動があるから逆らえる。衝動がなければ逆らう対象がない。ということだと思うが。
それに本能がないのではなくって、本能が壊れているといっている。本能というのは、ある状況でスイッチが入る自動行動プログラム見たいなものだと思う。自動で、あるシークエンスを強制的に実行させるはずのものなのに、心の動きによって自動行動を途中で変更できてしまうということが、壊れているということ。
という意味で言っているんだが。
そもそも本能というやつも正しく「これだ!」と指差せる代物じゃないんだからして、そんなもんを基準に持ってきても仕方がない。
まあ仮にイキモノの原動力を本能とするなら、人間の場合それが壊れたというより、行為までの過程が複雑化してしまったといったほうがいいかと。
単純に動物の脳みそと人間のそれを比べてみても、情動をつかさどる辺縁系の発達具合が著しいとか。
自殺する人に聞い……てもわからんだろうが、理性でするよりも情動でするケースのほうが多いんじゃね?
快楽原則というやつは、公の基準には使えないんだよなぁ。
なにしろそいつが感じる快楽はそいつだけのもの。
食人に限らず、ある欲求がどういう原因から発生し、どういった形で発露したのかは行為者の無意識中にいる隠れた観察者しかご存知でない。
ご本人ならまだしも、外側から見てる人間にはCTで脳みそスライスして「たぶんここが原因だな」「ああなるほど」なんてやり取りがせいぜいで。
動機の追及は適当なところでやめておかないと、泥沼化するだけ。
還元主義には限界がある、なんて言葉は使い古されて久しいですがー。
もしわかっちゃっても困るしな。
>>396
いや、その表現が間違っているんじゃないか?
本能ではない、とか壊れているとかさ
本能っていう根源的な力を押さえ込んでいることを「それは本能とは呼べない」とか「本能が壊れている」という表現をするのが適切とは思えないが
むしろ、人間という生き物である以上、本能を抑える力だって本能の一部とは言えないだろうか?と
本能を「コントロール」出来るというのはおかしいと思う。「コントロール」できるのは行動。
本能が「コントロール」できてしまうなら、それは一般に言う本能という言葉の意味と矛盾してしまう。
本能という言葉の定義を決めないで話しても無駄な話になりそうだと思うが、
要は、人以外の動物だと本能に従った行動をとる、という言い方ができるでしょ。
では従わないことが可能なのだとしたら、それは本能なのか。
従わないでいい本能、という言葉は矛盾していないのか。
ということなんだけど。
わかりにくいので補足
人以外の動物は(従わないでいい)本能に従った行動をとる
人は(従わないでいい)本能を持っている
というふうにあてはめてみたら、何かおかしい、あるいは本能という言葉が無意味な言葉になってしまうことがわかってもらえると思います。
いきおい、本能の話になっていますが、私の要点だけまとめます。
1.人間に動物に当てはまるような意味での本能はありません。
大脳新皮質の異常な肥大化と共に本能が壊れた人間は、
進化の過程で偽本能として自我を生み出しました。
2.本能と自我の大きな違いは、
本能が、生まれ落ちる前から、生れ落ちるはずの現実の生存環境と完璧に適合しているのに対し、
自我は、現実の生存環境とは関係なく存在するため、
成長の過程で現実とのすり合わせが必要になると言う事です。
3.野生動物は、環境と完璧に適合した本能の為、その生存環境を外的要因によって変化させられると適応が容易ではありません。
(海亀がビニール袋をクラゲと認識して食べるのは本能によります)
しかし、本能が壊れた為に、環境基準ではなく、自己基準の偽本能=自我を獲得した人間は、自分の為に環境を容易に変化させられます。
そのために生物史上、異常なまでな繁栄を可能にしました。
4.本能は、自己保存のためのレールのようなものです。
しかし人間は、このレールが分断されてしまいました。
壊れた本能のかけらが、繋がりなく、脈絡なく存在するのです。
したがって、人間は既に、本能を本来の自己保存のレールとして統合的に扱う事が出来ません。
5.壊れた本能のかけらは、
本能の代わりに作られた偽の自己保存のためのレール=自我に組み込まれました。
この、自我に組み込まれた本能のかけらが、性欲・食欲・睡眠欲など、「本能的」といわれている欲望の数々として発露します。
これらは、元は自己保存のために存在した本能ですから、充足させる事は生命の保持に役立ちます。
(最後の本能が快感原則であるというのは、一つはこのことを指します)
しかし「本能的」ではあっても「本能」そのものではありませんから、
結果として自己保存に役立つ事もあれば、自己保存とまったく矛盾する結果を引き起こす事もあります。
それもこれも全て、壊れた本能の代わりに自我が自己保存をになっている事によります。
6.本能による自己保存は=生命保護です。
しかし自我による自己保存は=自我の保護です。
自我の保護に矛盾する場合は、生命の保護すら放棄するのが人間です。
人間にとって、生命は、自我を成り立たせる要素の一つでしかなく、けして生命を自我に優先させることはありません。
環境と完璧に適合したとか、過去に適応していたからとか、そういうのを聞くと、おまえそれ見たんかい!と言いたくなるのですが…。
そもそも本能というのは、根源的な力とか、生命保存とかそういう後付けした想定とは本来関係なく、何の情報伝達もない世界各地にいる同種の動物が同じ行動パターンをとるというふしぎなことを表現した言葉ではないのですか?
だから従わなくていいようなあいまいなことは、もともと行動パターンでさえないから、本能とは違うと思います。
幼少の頃自分のパンツを尻に食い込ませて
射精に至らないオナニーをよくしてた、確か5,6歳
当時は自分は女なんだって思いこんでいた節がある
小学校3、4年の頃、学童で他の児童にペニスを
触らせてやはり射精には至らないオナニーをしてた
男なのに犯される女である自分を想像しながら
俺は女性と付き合った事があるしゲイでは無い
セックスもした事がある
けれどもAVとか見てると勃起したペニスに
無性にしゃぶりつきたくなる事がある・・・
人肉については10から20代に至る今でも
食ってみたいと云う願望がある
だって牛や豚が旨くて、人間が不味い訳ないでしょう
先の大戦で中国人の肉を食った日本兵が
「食べられるものならまた食べたい」と戦後に語ったエピソードを父から聞いたが、その日本兵が心底羨ましいと思った・・・。
夜布団の中で金髪女性を強姦したり、殺したりする妄想をたまにするけど、それでも自分は異常な人間だとは思わない
だって前科もないし普通に生活して日本で生きているので
俺は絶対法を犯す犯罪者にはならない臆病で自制心があるので
ただ頭の中では妄想や願望は無限に広がって止める事が出来ない自分がいる・・・頭の中だけどね幸い
>>403
>何の情報伝達もない世界各地にいる同種の動物が同じ行動パターンをとるというふしぎなことを表現した言葉
それはシンクロニシティ。
本能の意味合いは402の解説でほぼ合っている。
詳しくは広辞苑でもひくべし。
>>402
概ね同意。
1の「新皮質の肥大化」のところに「辺縁系」も付け加えておけばより俺好み。
自我そのものについての言及はまた別の話か。
流れを読まず重複御免で書きますが、
ある人類学者が過去の資料をつぶさに検討したところ、
文化として日常習慣的に食人が行われていた例に関する
信憑性のある直接の記録(又聞きとかでなく、記録者自身が目撃)は
1件もなかったそうな。
>ある人類学者が過去の資料をつぶさに検討したところ、
>文化として日常習慣的に食人が行われていた例に関する
>信憑性のある直接の記録(又聞きとかでなく、記録者自身が目>撃)は1件もなかったそうな。
ブリンジ・ヌガグ(絶版)って本がある。
かなり著名な人類学者のレポートなんだけど。
それに記事内でも触れてるフォレ族(フォア族)の食人風習
は普通に有名だけどね。それに関する著作もたくさんあるし。
>>ブリンジ・ヌガグ(絶版)って本がある。
ざっとぐぐってみたところ、伝統文化が破壊される
過渡期のレポートのように思えますが。
だとすると伝統文化において「文化として日常習慣的に」ではないですね。
ちなみに私が読んだのは「人食いの神話」W.アレンズ(岩波)です。
原本1979年なのでちょっと古いのですが、
そのフォレ族とクールー病の件も批判しています。
>ちなみに私が読んだのは「人食いの神話」W.アレンズ(岩波)で
>す。原本1979年なのでちょっと古いのですが、
横槍ですまんが、俺、昔にそのどちらも読んだけど「人食いの神話」に書かれてるのってむしろ報告にかなりの虚偽、誇張があるっていう話で、人食いそのものを否定してるんじゃないと思ったけど違ったっけ。
性的興奮を喚起する人食や快楽的人食って、飽食の時代ならではのような気がする。
狩りや養殖や栽培する苦労って、大体がチームプレーだからコミニュケーション能力がイヤでも発達するし、人目も気になるから人食には至りにくいだろうけど、今はお金さえ払えばそういう苦労をしなくても、いつでも好きなものを1人っきりで食べられるから。
食べ物は確かに“物”だけど、それで命を繋ぐわけだから本当はとっても“有り難い物”のはずが、今は何かと便利すぎて食べ物を有り難いと思える環境にないと思う。
“有り難い食べ物”として頂く“物”の線引きは、状況や文化や宗教や時代によって異なるから個人差を“有り難い食べ物”と考える人がいたっていうのは理解できる。
そういえば悪食って言葉聞かなくなったよね。
悪食って、悪食する心を非難する言葉。
性的興奮を喚起する人食や快楽的人食っていうのは悪食以外の何者でもないよ。
食人って殺人の延長線上にあるっぽいから嫌だ
普通に死んだ人間を食うならOKだけど、生きた人間を殺して食うってのはNG
自分が死んだとして、それを家族や友人に食われるならOK
でも殺された挙句、見ず知らずの他人に食われるなんざ真っ平ゴメンだね
人間に食されるのは嫌だけど、人間のために臓器提供するのは
構わないかな。
意味合い的に異なるけど、飢餓による食人も、
人間を生存させるという点では同じだったりするんだよね。
俺も極限になったらどうなるかわからないけど。
なんだかなぁ。
野菜を食べ続ければ、穏やかになるといっていたけど、
やっぱ肉ばっか食べてると性格が荒くなるってのは
合ってる気がする。
肉食獣は生きるために必死に獲物捕らえなきゃならないし
肉にはきっと凶暴にさせる何かが含まれているのかもしれない。焼肉を食べたあとに牛乳がいいっていうけど、これは消臭と同時にカルシウムを補うことで、切れやすくなるのを防いでいるのかもね。
現代人の子供が切れやすいのも、野菜から肉ばっか食べる
ようになったのも要因の一つとして考えられるかもね。
佐川氏を主人公にしたビデオのパッケージをレンタルビデオ屋で昔
見た覚えがあるが、なんて言うタイトルか知ってる人いる?
探してみたい。
本当かどうかは言い切れないとして、気持ち悪くなる。
食べ物としてみる慣わしがあったなら、もっと違う形で今がありそうだけど。怪物が人を食べるという昔話が敵対心や恐怖に繋がるのが、古今東西同じなら、やっぱりタブーだったのでは。。。
自分にとっては人間を食う以前に、牛や兎などの動物の死体をさばけるかどうかがまず難関だ。そういう人間には人肉うんぬんを言う資格がもともとないのだろう。
おろおろ草子の舞台となっているあたりの出身者です。小さい頃、自分の先祖は同胞を食って生き延びた人たちだということを知って、とても衝撃を受けました。赤ん坊の脳味噌を食べた母親の話とか、市場で塩漬け人肉が売られた話とか、本当に恐ろしかった。
でも人間が人間を食べちゃいけない理由は、確かによく分からない。職業柄、手術の光景を観なきゃならないのですが、はっきり言ってヒトも家畜も中身は同じです。初めは吐き気がしていましたが、今では手術の光景を見ながら「カルビ食べたいなあ」と思ってしまうほどになりました…。
人でなしです。
死体を見て吐き気がするとよくいうし、そういうシーンもテレビで見るけど、あれほんと?
自分は死体を見て吐き気がしたことなんてない。だから、ああいうシーンはものすごくうそっぽく見えるんだけど。
ほんとに吐き気がした人がいたら、心因性なのか、匂いのせいなのか、理由を教えてくれませんか。
性的欲求から来る食人はちょっと理解できるかも…
相手と一緒になりたい、相手を自分の物にしたい、
そういった一種の征服欲が食人へと駆り立てるのかな。
サディズムと通じるところもあるような気がする。
>>421
フレッシュな死体なら吐き気はしません
腐乱死体だとゲロがでます
昔近所からすごい異臭がして調べてみると近所の一人暮らしの老人が死んでいた。ちゃぶ台に眠るように倒れている老人を引き上げようとしたとき、内蔵がボソッと落ちた。
ちょうど夏の最中だったので腐乱進行状態はすさまじく、蟲もすごかった。いまだに忘れられない
>>423
おしえてくれてありがとー。
腐乱死体の場合だから吐くんですね、やはり。
ドラマってうそが多いなぁ。
蟲って…虫虫虫って感じですごいですねぇ…。
>420
自分でそう感じているぶんにはまだ人でなしでは
ないんじゃないかな
>425
わたしは人の腐乱死体はみた事ないけど、猫が何度もひかれて
いくさまなら見たことありますよ。流石にそのときはチョット気持ち悪くなった。引かれる度にグチャッって音がしたし、
道の脇に移動させようとしたけど車がどんどんきて、しかも
車乗ってる人はきずいてないのか、わざとなのかしらないけど
猫をよけないで引いていくから最悪だった。
味とかはともかく、〝喰う〟その行為がかなり疲れるだろう。
何せ、現代人って皮下脂肪の塊みたいなイメージじゃんか。
筋肉とか筋張ってて硬いだろうし、血液もドロドロで。
それに共食いの禁忌を犯す精神的な疲れも。
そこで代償行為。
解決策として、走るのをお勧め。
もう、とにかく走る。勿論、自分の足で。
そのうち口の中に鉄っぽい味が広がってくるから。
かなり疲れて、咽喉の粘つきで息するのも苦しくなる。
その内疲労や厭きが来て、勝手に身体が止まっていく。
多分、現代の人食いってそんな感じ。
……でも、子供ならあるいは柔らかくて健康かも。
これ見て思ったけど、庵野は人食に少しの興味でもあったのだろうか?
エヴァンゲリオン映画(なんだったか覚えてない、「death and rebirth」だったか「まごころを君に」だったか)。
で、エヴァ量産型が二号機を貪り食うんだよね。
あれには旋律を覚えたが、リアル人食とは・・・参ったね。
めいっちゃった
ってか結構人間として・・・って一括りで話してる人がいるけど
人間ってのはまずそのとりまく環境で出来上がるもんだよね。
その環境(文化)で人を食う事が『最高の礼儀』だとしたら
無下に『やめろ』とも言えないよね。
まぁ俺も別にカニバリズムを薦める訳じゃないし、止めるタイプだけどさ。
難しいよね。こーゆーのって。
ただ文化に乗っ取らない個人的趣向で『食う』のは許せないね。
それはただ単に自分の考えを押し付けてるだけだからね。
ま、お互いがソレでいいならほっとくけどね。
人の肉は固そうだ、とありましたが
コインロッカーベイビーズに肉切り包丁でつっついたら
刺さってしまい、死んでしまった。
といっていた囚人の人がいました。
筋肉質じゃないとサクっとささるのかなぁ
美味しくはなさそう。
指の皮も胃が悪くなる
食べることへの嫌悪感は、
・人の肉を食べることに対しての正当な理由を見出せない
・人が死んでも、魂はそこにあるような気がする
ってところにあるんじゃないかなと思う。
別に俺は魂の存在を信じてるわけじゃないし、むしろ薬キメたくらいで意識が飛んだり、酒飲んだくらいで人格変わるような生物に、体が消えても不変な魂なんてあんのかよ、って思ってる。
でも人を弔うって風習が(それが例え残された側の為にあるものだとしても)、心霊番組を容認する社会が、魂を信じる心をゼロにはさせてくれない。
だから何となく怖い。(自分なら食べられてもいいという感覚を支える根拠がないから)正当な理由なく誰かを食べた自分は、その相手に恨まれるのではないかと思ってしまう訳で。
上で議論されていた「禁忌を禁忌と認識する根拠」だけれど(300くらいで読むの力尽きたので、そのあとFAでてても俺は謝らない)殺人は自分がされるのが怖いから、カニバリズムは殺人に繋がることが怖いから(或いはキリストがされたことを誰かがされることが、「キリストを唯の人である」という方向に貶めることに繋がるのかもしれない)、近親相姦は・・・なんだろ。奇形が生まれやすいことが「なんとなく」でも感じ取られていたとしたら、それが歯止めになったんじゃないかなと思う。奇形はその根拠がわからなければ、「悪魔の所業」だとか「神の怒り」だとか捉えられただろうし。(神だとか悪魔だとかは、特定の何か、ではなくても勿論構わない。マイナスに人知を超えていることはそれだけで恐怖だろうから)
人類が人食を獲得した時期・・・
たぶん数万年前、ユーラシア大陸から人類が拡散した時、
現地の「自分より大型の動物」をほとんど食べ尽くした時に
始まったのではないでしょうか、
(当時の人類は一日辺り800㌘の肉類を必要としていた)
だからベーリング海峡を越える事ができたのでしょう。
これマジ? 国連が動き出さないのが不思議
↓
http://www.tcnweb.ne.jp/~perfect/china.htm
嘘か真か 文化大革命の時、暴徒が殺した相手の臓器や手足を持ち帰って喰ったつーのは聞いた事あるな。
しっかし、本文中の引用は意味不明。
刺身と人食と何の関係があるんだ?
モラルの問題でしょ
例えば臓器移植は科学的カニバリズムである。
臓器移植に反対する人はほとんど誰も居ないわけで、
そう考えればそれほど倦厭する事もないでしょう。
ES細胞はまだ飼い慣らせてないようだけど、
中絶胎児の細胞を使った医療は実用化段階まで来てるようだし(欧米&日本でも)、
スープにして直接食べる(**)のは色々コストに合わないけど(特に先進国)、
科学的利用はそれを越える。いや、むしろ素晴らしい可能性が有る。
感情的には胎児丸ごとはキモい。でも細胞に分解すれば見た目だって別になんてこと無いし。
つまり、物事の道理として当然リスクはあるだろうが
カニバリズムを論理的、科学的に否定する根拠は多くの哲人も言うようにやはり無いのだろう。
だからこそカニバリズムは科学的に推進されている。
なん言おうとカニバリズムはそこに有る。さて、献血でも行ってくるか。
(**)スープに関しては以下参照
http://www2.tcnweb.ne.jp/~perfect/china.htm
台湾で芸術家がパフォーマンスを目的に胎児を食べたと中国で非難される事件が起こった。
台湾側の記者がこの真相を取材するうちに芸術家のは作り物肉と解ったが、
さらに突っ込んだら中国こそ普通に食べる普通の人が居る事が判明したぞ!という話です(w
中国側は「これこそコラだ!」と当然熱烈反発してます。さて真相は?(w
日本でもこの様な話をよく聞きます。
一番印象に残っているのは、とある山奥の村で飢饉が起こり、あまりの空腹に耐え切れず、飢餓で倒れた人の肉を食べたそうです。死体には牛の頭の皮を被せ、「これは牛だ」と思い込んで、罪の意識を和らげたそうです。この話がもとで、「食べてから寝ると牛になる」と言われているらしいです。
人肉は酸っぱい(人間の体は、多くのアミノ酸で作られているため)らしく、ザクロのような味だそうです。
日本でもこの様な話をよく聞きます。
一番印象に残っているのは、とある山奥の村で飢饉が起こり、あまりの空腹に耐え切れず、飢餓で倒れた人の肉を食べたそうです。死体には牛の頭の皮を被せ、「これは牛だ」と思い込んで、罪の意識を和らげたそうです。この話がもとで、「食べてから寝ると牛になる」と言われているらしいです。
人肉は酸っぱい(人間の体は、多くのアミノ酸で作られているため)らしく、ザクロのような味だそうです。
>ローマ法王庁は--(略)--「破門しない」ことを発表して世間を驚かせた。
なんで世間は驚いたんだろ?旧約にも人を食う話はあるのに。
人間 = 欲
これが俺の中で一番しっくり来るかな。
>>402
>>390
の言ったように本能その物を定義できない以上は人間を動かす理由を欲としたほうが分かりやすい。
ただ重要なのは十人十色で欲にも個人差があるところ。
カニバリズム肯定・否定派も「俺ならこうする」と意見が違う訳だし、当然このコメントにも賛否両論あるはず。
本当に理解したい、されたい、し合いたいのならもはや悟りを開く他ないのかもなぁ無我の境地って言葉があるくらいだし。
もはやそれすら「欲」か・・?
創世記 1:26
「次いで神は言われた(中略)全地と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよう」
神は傲慢だなと思った。
まとまらんレススマソ
ぁー自分で自分がまとまんね;;
パンピーの癖に考えるんじゃ無かった・・・。
299>>
思うんだけど、「なぜ食人を嫌悪するのか」と
いうのは単に多くの人が自分がされたら恐ろしいからじゃないかと。
自分や、自分の大切な人がもし他の人によって食べられてしまったら、嫌だからじゃないかと。
もし、自分はそうは思わない、って言う人がいたとしたら
別にその人の食人願望を誰も止めはできないけれど
その人は自分と同じように「食べられてもいい」っていう人だけを食べれば何も問題ないんじゃない?
嫌がる人を殺したり、家族の誰かが悲しむという状況で
その行為を行う人がいるということに、嫌悪するんじゃないの?
罪を感じるんじゃないの?
私は最近、人間以外の肉も喰えない。
何だか吐き気がして。
自分でも何故なのか解らないけれど。
こんな人、他にも居ます?