【State.com】英国はエジンバラにて、盲目の男性が自身の連れていた盲導犬に噛み付いたとして逮捕されたとのこと。目撃者によれば、今月8日、逮捕されたデヴィッド・トッド氏(34)はショッピングモール内において自身を先導していた盲導犬の頭に噛み付き、何度も腹部を蹴っていたという。そして10日、警察はデヴィッド氏を動物虐待及び治安妨害の容疑によって逮捕した。「無防備な動物を攻撃することは本当に酷いことです。まして、彼女(被害犬)は人々を助けるために訓練された犬ですからね。」警察は語った。
現在、蹴られたラブラドール(とレトリーバーの雑種)は保護され、盲導犬訓練所に預けられたという。同訓練所のマネージャー、コリン・ギャラハー氏は「11年間、この仕事をしてきましたが、こうしたケースは初めてのことですね」と語っている。
【参考】声 な き 動 物 た ち | 動物裁判事例より
[事件1]知人の犬を親切心で散歩に連出したところ、リードなしの他の犬と喧嘩になり、互いに噛みあったまま土手に転落して死亡した。犬は血統正しいボクサー犬。【東京高裁昭和36年9月17日】
[判決]犬への慰謝料が認められた最初の判例である。犬の価格は5万円であったが、それ以上の財産的価値と慰謝料が認められ23万円の支払を命じた。
【関連】人が犬を噛み殺す 中国 | 犬を強姦しようとして噛み付かれる タイ
>>3
コメント一番乗りで喜ぶくらいですから・・・
障害者だからって性格が悪くないとは限らないしね。
特に、後発的だったり事故が原因だったりする障害なら、
それが原因で性格が鬱屈する可能性も十分に有り得る。
こんな盲人に盲導犬わたす必要なし。
どれだけ多くの人が盲導犬や介助犬を助けを必要としてるかわかってるのか?自分がその立場なのに解かってないとはまさに盲目ですね。
>>3~>>13はバカか?男性だって理由もなしにそんなことする訳ないだろうが。それなりの理由があったかもしれないだろ。知りもしないのに責めるなよ。
>>17
ある程度は分かっていたことだけど、やっぱり改めて知るとショック受けるよね…。自己嫌悪になる。
"生きることは他の命を殺すことだ"って思うよ、ほんとに。
腹が減ってたんじゃないの?
あと声なき動物たちだけど、それほどたいしたもんじゃない
この地球は人間の世界だから人間の好きに出来るし、実際にしてる
それだけだ
通りで子猫が車に轢かれたって誰も助けにも拾いにも行こうとしない
これが人間の本質
>>21に同感。
声なき動物たちはただの動物愛護のサイトじゃん。動物実験は無意味な虐待じゃない。新薬を開発したりするのに仕方ないことだ。その動物実験のおかげで人間は安心して薬を使える。こいつらは病気になっても薬を使う権利はないな。
人間は人間として知能を高くするという進化の仕方をしてきたのだから、その知能の高さで以って自らを発展させる為、動物を犠牲にするのはある意味、広い目で見れば当然の結果ではあるのだろうけれどね。
俺目見えないわけでもなんでもないが、後天的に事故だの病気だので光失ったとしたら、犬なんかに頼る自分が情けなくて蹴りたくもなるだろうな。
犬の前足をハンマーで打ち砕く「実験」によって得られる結果ってなんですか?
ストレスをどれくらい感じているかを知るためにするみたいですけど。
で、それを人間へどう活用してるのか知ってる方いますか?
付け足し。
あと動物実験を否定するわけじゃなくて、実験の犠牲となる動物を少しでも減らすための努力をする必要があることと、そうした現実の上で自分達の生活が成り立っていることをもっと自覚することに意味があるんじゃないのかな。
>>27
漏れは素人だから分からんが
ストレス性ショックとかストレス性内臓疾患の対処法の研究なんじゃねーの?
命に別状無い部分っていうと足になるのはしょうがないだろうし、打ち砕くのは切断だと出血性ショックに成ってしまうからだと思われ。
「この薬はすげー特効薬です。動物実験はしてませんけど。理論的には大丈夫ですから。さぁ、飲んでください!どうぞ!」
って言われて飲むバカはいない。
しょうがない。
酷いって言うけど、酷いことをするからこそ人間じゃなくて動物を使うのだ。
犬猫に関しては動物実験なんかよりもペット商品として流通販売されてることの方がよっぽど残酷なんだがな。
特に日本。
ブーム犬種の量産に傾向したブリーダー(というよりもはや工場)では環境など無視、半数以上が流産や奇形(それでも無理に産ませたほうが数はさばける)などと言う所もあるとか。
さらにはモラルの無いショップでは軽微な奇形なら見て見ぬ振り。
五体満足で産まれて良心的なショップでに並んだとしても、1ヶ月も売れなければ、処分だ。
協会に書類だけ出せば無審査で発行されている血統書。
遺伝病持ちの血統書犬なんていうわけのわからない社会問題まである。
人の役に立てばいくらでも殺していいとまでは言わんが、
誰の役にも立たず生後3ヶ月以内に死んでいる犬猫がどれほどいるのかもちっとは考えてみるといい。
毎日多くの人間が事件に巻き込まれ殺される国では
くじらの愛護にやっきになってる。
この世界で一番尊重されなくてはいけないのは
人間の命。これが守られて初めて動物の命も尊重できるのでは。
人間であれば、人を見殺しにして、動物を助けるという選択はできないのです。
人間の命も動物の命も等しく無価値です。
『命』なんていう概念を持ち出すと途端に擁護に回る人がいるけれど、命なんてたいしたものじゃない。動いてるか止まってるかの違いです。
動物なんてまだ良い方で魚類や植物の方が悲惨な目にあってるはずです。彼らはとにかく数が多いから。
結局、人間と、それに近い動物が、人間の暴力から逃れられるだけ。数十年前までアウシュビッツのように特定の人種が他の人種を虐待していました。人体実験が動物実験に移っただけだと思います。
犬とか猫とか猿とかで実験しないようになったら今度はより多くの鼠とかが死ぬだけです。暴力は階層的に移譲されていくだけだと思います。
『声なき動物達』を拝見させていただきましたが、動物実験が問題なのではなくて、明らかに無意味で行き過ぎな実験が問題なのだと思います。
私は、食肉を食べる際に可哀想とは思いません。豚などの家畜が屠殺されている場面を見たとしても感謝の念を抱くだけでしょう。ただ、養鶏が置かれている過酷な環境は嫌悪感を覚えました。
ただ闇雲に『動物実験は酷い』と断定し、残酷なシーンだけを強調してそれらの成果に対して『何の意味も無い』といってしまうのは少し感情的過ぎる気もします。
必要最小限で、またその実験の目的・成果が本当に意味のあるものであれば私達は納得できるはずだと思います。
なあなあ、「ラブラドール(とレトリーバーの雑種)」
って何?
2匹保護されたの?
それともそういう犬種があるけど俺が知らないだけ?
実験動物を用いた医薬品安全性試験について一言。
動物と人間では毒性の発現の有無、程度の差が大きく、データの外挿が困難であることから、現在一部の試験はヒト培養細胞を用いた実験系で為される事が検討中。
催奇形性で有名なサリドマイドがありますが、今現在催奇形性試験はウサギを使って行われていて、これはウサギの胎児がサリドマイドに感受性というだけの理由なんですね。他のげっ歯類では奇形が出なかった。だから、例えば新しい試験薬品がウサギで試験をうけて、ウサギで奇形が出なかったからといって人間に奇形が出ないという保障はどこにもない。
最終的には市場に出て、大規模人体実験をやんないと安全性なんてわかんないんです。動物実験はせいぜい急性毒性とか、1回極量を見ることが出来る程度で、あんまり意味がないんじゃないかというのが私の意見です。
>>37
人体での使用後の結果がどうなってもモンク言わないハズですよ。
動物実験での結果でOK出てればいいんですから。
製薬会社はもちろん動物実験をしていますが、
最近は「使用する実験動物を減らす、どうしても
使用する場合は苦痛を減らす」といった動きも
あるようです。培養細胞なんかでできる実験は
なるべくそうして欲しい…。
ただやっぱり抗うつ薬なんかのスクリーニングなんかは
生きたマウスを使わないとダメなんじゃないかと思います。
私もかつて大学でマウスに痙攣薬を投与して、死ぬまでの
時間を計測したことがありますが可哀相でしたよ。
小さな体で何分間か痙攣し続けて絶命するわけですから。
悲鳴をあげて20cm近く飛び上がって痙攣したり、
失禁しながら痙攣したり…。あれ以来動物実験が苦手に
なりました。思うに動物実験を好き好んでやってる
研究者は少ないのでは?
>>33さんの言う様に、必要最低限の動物実験は必要悪だ
と思います。ただ「必要悪だ」で終わりにするのでなく、
実験動物の短い一生を少しでも良いものにしてやる
努力が必要なのでは?
やっぱり必要悪っていう物はあるかもしれないよね・・
その必要悪によって恩恵を受けているところも多分にあるしこれからもあるかもしれない。
でもそこに人間の私的理由を持ち込むのはどうなんだろうか・・
やっぱり感情論になってしまうけれど、
私はこんな実験を見せられたら動物実験に賛成なんてできないです・・。
なんてことを言いつつ化粧は人並みにする自分に自己嫌悪・・
>>26
義務とかじゃないよ。俺たちはそうゆう優秀な科学者のおかげで安心して薬とか使えたりするわけだ。だから彼らに感謝するのが当然であって、それを否定するのはあまりにも自分勝手だよ。できるだけ動物を犠牲にしないよう努力しろというのもおかしい。それは否定してるんじゃないのか?おまえは何もしてないくせにそんなことを言う権利はない。もっと生活が便利になるよう、彼らを応援するのが当然だ。
動物実験だろうと食肉用に飼い殺されようとひとつの命、そいつらにとって「無駄死に」であることに変わりは無い
俺は、食べるためなら仕方ない、でも動物実験反対、とかいう理論が全然理解できん
食べるか実験するかの違いだけで、犠牲の上にある行いであることに変わりは無いし、安楽死だろうが拷問のような苦痛を与えて殺そうが、一個の命をこの世から抹消して人間が何かを得ている、という点では本質的にはどっちも一緒
>>45
もし自分が動物でも、同じ殺されるなら安楽死でも拷問死でも一緒です!って言えたらすごいですね。
人を生かすための死と口紅の色味を見るだけのために殺されていく動物達の死が本質的に一緒だとは思えません。
現状の食用動物の扱いに完全に賛成な訳ではありませんが食物連鎖は自然界の法則です。
それを無駄死にと呼ぶのであれば無駄ではない死とはなんでしょう。
>>46
人が食われる側に回ることが絶対にない現在の社会じゃ、食物連鎖という自然の掟的なものに人は組み込まれていない
食べるために殺そうが実験のために殺そうが、それはすべて人という生き物のエゴを満たすための犠牲でしかないわけ
人の為に死ぬこと=無駄死に
自然界の生物の殺し食べるという概念と人のそれとは少し違うよ
丸腰の人間は毛皮も生えて無いし爪も牙も尖ってない、
夜目が利かないから日が落ちれば更に危険に晒される。
建物の中でなければネズミを追い詰めることもできないし、
人間になつくよう育てられた動物にしか恐ろしくて触れられない。
自然の中に投げ出されたが最後、確実に攻撃されて死ぬ。
優越感持って可哀相だの思ってる奴は、本質を分かってないから
必要以上に傷付くんだろうなあと思って。
そういう人ほど意外と深く考えずに少年法改正とかに賛成してたりするんだけど。
いや、同情心を持つこと自体はいいことだと思う。
すくなくとも同情心のある人間は、人を殺して何でいけないのかなんて言わないし。
ニヒリズムに陥らず、正義感ぶらず、極端にならないように生きていく。お釈迦様の教え(八正道)が、まぁ実際の人間の生き方としてはせいぜいなんじゃなかろうか。
>>57
人をどうして殺してはいけないか、
疑問すら抱かない事は危険だと思うけどな。
もちろん慈愛の心は大切だけど、
それだけだと他者との境界線が曖昧になって宗教になる。
やっぱ議論を重ねて自分なりの答えを出すべきと思う。
さもないと愛憎が裏返って盲導犬に噛み付いちゃうかも。
>人をどうして殺してはいけないか、
>疑問すら抱かない事は危険だと思うけどな。
疑問を抱かないのが普通だったころは、
それを当たり前だという一言で片付けていたけれど、
それでいいんじゃないの。
どうせ突き詰めて考えたって、普通の生活にとって
意味ないし、暇がなけりゃ考える必要もないことで
しょう。
>どうせ突き詰めて考えたって、普通の生活にとって
意味ないし、暇がなけりゃ考える必要もないことで
しょう。
現実性と精神性は仲悪いんですよね。
でも考える時間を作らなければ、いずれは現実に支障をきたすと
思うんです。たとえば、子どもは人を殺してはいけないと
教えられてますが、大人が殺すべきだと教えたら殺すでしょう。
国民が政治家によって戦争させられるのと似てます。
私自身、考えてばっかりで現実性はかなり低いのですが、
思考力と行動力は半々くらいが理想的なんだと思います。
>思考力と行動力は半々くらいが理想的なんだと思います。
おおむね納得。でも半々ではだめでしょう。
世の中であたって砕けて学ぶことがなくっては、人間理解なんてありえない。ふつうはそっち(現実)のほうがしっかりしていれば馬鹿でも人間的に魅力的になる、つまり社会的に正しい答えにたどり着くと思う。営業で人間が鍛えられる人が多いのもそのためかと思う。
まぁ、私も考えること多いんだけどね、反省も込めての意見だと思ってください。
>>54
現在の地球上での食物連鎖の頂点は人間だろ
あんたの理論でいけばどっかのジャングルでの頂点であるライオンに
食べられた動物は全部無駄死にってことになんの?
ライオンだって満腹になったら他の動物は襲わねえよ
あらゆる物を利用して自分の快適さを進化させたがるのは人間だけだよ
欲求がありすぎるからここで満足ってのがない
無駄死にかそうじゃないかってのは生きてる奴が決めるもんじゃない
「生きてる奴にとって」無駄かどうかなんてのは利用してるだけの見方だ
死ぬ奴が納得できる死かどうかで決まるんだよ
もし動物と話ができたら口紅の色味で納得させられるか?
食べるために仕方なくだったらなんとか納得してくれそうだけどな
それに無意識で自分に当てはめて考えれる人は可哀想って同情もできるんだろうよ
自分に当てはめて考えれない奴は実感がわかない
考えたくない・考えられない事は必要ない=無駄
ってことはないだろう。考えなくなったら糧になった動物に失礼だ
>>66
それがまさに「エゴ」なんだが
人間以外の生物に「可哀想」なんて概念は無い
あるかもしれないが、少なくともそれは種族という境界を越えてまで存在するものじゃないし、そんな余裕は無い
食肉にするのは是、実験動物は否、だとして例えば
実験動物でもその後に食料にしてしまえば是?
虐殺が駄目なんだったら生きたまま捌く魚料理は否?
勝手なんだよ、結局
死刑囚に毎日振舞われる食事になる命は無駄ではないか?
食料になるためだけに生まれてくる牛や豚や鳥の命は無駄ではないか?
何ゆえに是非で考えるのかね?
デジタルだな。
食用に動物を殺すことに残虐性はない。
動物実験やペットも同様にあるなしで言うなら
あってかまわない。
度の過ぎたそれらがあるから問題なのであって
それらの是非ではないんだよ。
盲目的な考えが当然の如くまかり通ってるのが
凄く不安になるな。
例えば、22氏。
凄く最もなこといってるし、頷ける。でも、
改めて考えると歪まされた考えに基づいている。
否定するつもりはないが、もう少しやらかい思考を
もつようにしないか?
善悪でものごとを観過ぎているよ。
動物愛護側も妥協側も人間至上主義者も。
いつか支配される側になる日が来るのだろうか・・・。
生きてる内にはこないのかな。もしかしたら既に現行人間世界を終わりに向かい次の段階にシフトし始めているのかもしれない。目に見えないところで・・・・
自分は動物の無駄な実験には大反対です理由は可哀想だからです
でも食肉は全く可哀想となんか思いません
それでこの問題はただの好き嫌いだと思います、タバコの吸う人吸わない人と似てると思います。
動物実験が好きな人と嫌いな人がいるっていう問題じゃないですか?
ちなみに遺伝子操作に使われるマウスちゃんとかは絶対必要だと考えてますけどね、さっき使われてゆくマウスちゃんを応援してみました^^
でも『声なき動物たち』というサイトを見れてすごく良かったです。
上記の中では、やはり54に同感。
動物実験を全否定するというわけではない。
この世界は所詮弱肉強食、何も傷つけず、何も殺さずに生きていくことなんて不可能。
だからといって、むやみに動物を殺していいわけじゃない。
人間に動物の生き死にを決める権利はない。それに、人間だって動物である。
人間だけでなく、すべての生物にとってそう。生死を決めていいのは神だけ。
薬のように命にかかわることならともかく、化粧品なんかのために動物の命を奪うのは許されないこと。化粧品なんてつける人の勝手。別にそんなものなくたって生きて行けるし、もしつけて何かあったとしても、それは自分の責任。
それに、薬だってなくたっていい。
医者だって命を救うわけじゃなく、寿命をほんの少し先に延ばすだけ。不老不死なんてありえない。人生なんて、長いか短いかだけの差。
そう考えれば、薬なんて不必要。ただ、死ぬときに苦しまないための麻酔さえあればいい。
長く生きれば幸せになれるというものではない。短くても幸せな人生を送る人もあるし、長くても不幸に死んでゆく人もある。
途中から論点がずれたが、自分は常に誰かの犠牲の上に生きていることを忘れずに、時には死んでいった動物たちのことを思ってみてほしい。
実験動物反対という人は例えば自分が病気になったときに、
もし薬を使わなければ自分が死ぬときにでも
「動物実験で開発された薬だから使いません」
とかいうのか?。
現在地球上の食物連鎖において人間の上には何もいないわけだが、もしいたとして「実験で殺されるのはいやだけど食用で殺されるのなら仕方ないな。」
とか思う?。
俺は薬は有難く使うし、殺させるのはどっちにしろいやだよ。
動物愛護とか言う発想は所詮連鎖系の頂点にいる余裕からでてくるんじゃないの。
食物連鎖の頂点は人間ではありません
人間が凶暴な動物に勝てるのは『武器』があるからです
野生動物の赤ちゃんは生後間もなく歩きますが
人間はどうですか?
日本は医薬品が膨大な数あります
わざわざ動物実験を繰り返して似たり寄ったりな薬を作り出して
世界でも効果が認められてる薬でも
輸入したらまた動物実験をして効果を試したりしてます
文明と言うチカラを手にしてから人間は狂ってきたのだと思います
そして狂気は遺伝して何世代にも渡って
地球を蝕んでいく
人間は『研究の為』と称して取り返しのつかない事をいくつも
やってきました
そしてこれを書いてる俺も、その『人間』をやってる訳です・・