【Rediff】より高く、より速く、そしてより強く。世界を舞台にするアスリート達は並みいる強豪に打ち勝ち、栄光をその手に掴むため、日々惜しみない努力を重ねている。しかし、中にはそうした努力を重ねて尚、敗北を恐れ、薬物の力を借りて自らの限界を超えようとする者がいる事もまた事実である。これらアスリート達による薬物摂取はドーピングと呼ばれ、その歴史は古代ギリシアにまで遡る。古代ギリシアのオリンピアの祭典では、競技へと向かう選手達は羊の睾丸を食べ、体内のテストステロン濃度を向上させていたという。またある者はストリキニーネ(強い毒性を持つ興奮剤)をワインに混ぜて飲み干し、戦いに向けて自らの攻撃本能を奮い立たせたのである。
このストリキニーネは1896年、そして1904年にもドイツの選手トマス・ヒックスがブランディと混ぜてレース中に飲用し、結果、金メダル(注1:キセル事件発覚の為。本当は銀メダル)を獲得している。しかしヒックスは試合後に倒れ、その後医師4人がかりで何とか彼を蘇生したという。
19世紀のオリンピックでは特に自転車競技の選手らは苦痛を和らげ、その能力を高める為にスピードボール(コカインとヘロインなどを混ぜたもの)や、コカの葉から抽出した物質をワインに混ぜたものなど、様々な興奮剤が用いられたと言われている。
そしてドーピングという言葉が英語の辞書に登場するのは1889年の事である(注2. doping:阿片・麻薬の競走馬への投与)。そして1935年にはドイツの科学者が男性ホルモンのテストステロンの抽出に成功し、それが人体において筋肉を成長させる重要な役割を果たしていることが発見されるのである。またこのテストステロンは当時、ドイツを支配していたナチスの軍隊にて攻撃性を高める目的で兵士達に注射され、また1936年のベルリンオリンピックでも多くのドイツのアスリート達が利用していたと言われている。
そして本格的なドーピングが始まるのは第二次世界大戦後のことである。戦争が終結し、東西へと分断された世界でオリンピックがいよいよイデオロギーの戦場と化すに連れ、多くの東欧共産主義国が自国アスリート達への組織的ドーピングを開始したのである。すると今度は多くの国がテストステロンに代わる合成薬の発見に挑み、1955年、米国の重量挙げ選手団医師ジョン・ツィーグラーがついに筋肉増強剤(アナボリック・ステロイド)を開発し、それは消耗病を患う患者の為の合法的治療薬として広く利用されるようになる。
しかしその即効的な回復作用に多くのアスリート達が惹き付けられたのは言うまでもない。特に東ドイツやソビエトの管理下にあるアスリートらは、ステロイドを使用することでより長い訓練を行うことが可能になり、より迅速な回復が得られることを知り、多くのアスリート達がステロイドを利用するようになる。しかしまたそれらに溺れた、あるいは組織的な過剰投与を受けた多くの選手達の身体が、凡そグロテスクで悲惨な運命を辿ったことも事実である。
また1960年代には、神経系を刺激し、疲労を防ぐ効用を持つアンフェタミンが、多くのアスリートをはじめとし、更には勉強する学生、また長距離トラックの運転手などにも利用される興奮剤として一般的な存在となる。1960年のオリンピックではオランダの自転車競技者クヌート・イェンセンがニコチン酸とアンフェタミンを混ぜた興奮剤を投与され、死亡するという事件が発生し、また1967年にはトゥール・ド・フランスのレース中、長い上り坂を上っていた英国のトミー・シンプソンがやはりアンフェタミンで死亡するといった事件が起こきている。
またこの時代に行われたオリンピックでは、ステロイドが更に選手達の間で蔓延しはじめ、アメリカン・フットボールなど攻撃性を必要とする多くの競技で選手達に利用されたと言われている。そしてそうした薬物の蔓延を受け、1973年には英国のレイモンド・ブルックス博士がステロイドの検査方法を開発、その2年後からようやくステロイドの使用が全面的に禁止されるようになる。
しかし当時、それらの検査が行われるのは実際の競技期間だけであった為、結局選手らはコーチらの指導のもと、トレーニング時にステロイドを服用して身体を鍛え、競技期間のみ服用を止めるといった実情であったと伝えられている。
また続く1980年代にもドーピングは引き続き行われ、特にこの頃からは女性アスリートもそうしたステロイドなどを使用するようになる。また女性アスリートの場合は特に、男性ホルモンであるテストステロンが強く作用することから、そうした薬物の投与によって、その身体に大きな変化を見せる選手も多かったという。
そして1988年、ドーピングはいよいよ世界を巻き込むスキャンダルとなって一般的認知を得る。その年行われたソウルオリンピックの男子100m決勝で、宿敵カール・ルイスを破り世界記録を樹立して優勝したカナダのベン・ジョンソンが、ドーピングを受けていた事が発覚したのである。
その翌年カナダ政府は徹底した調査を行い、ベン・ジョンソンに薬物を与えた人物がコーチであるチャーリー・フランシスであることを突き止める。その後フランシスはスポーツ界から完全追放されるが、彼は後にインタビューで、もし薬物投与を行わなかったら、自分のコーチとしての役目を果たすことが出来なかった、として以下のように告白している。
「アスリート達にとって世界はますます悪い方向へ向かっている。国は選手達に栄光を要求し、スポンサーも彼らに成功を求めている。両者のゴールは過去20年に渡って遠ざかるばかりで、それでも選手達は薬物を使わずに、勝利することを求められている。」
そして1989年、国際アスレチック機関により抜き打ち検査が開始されるが、その日以来、実に女性の種目12種目で、世界記録が更新されていないというのは何とも皮肉な話である。
またベン・ジョンソン以降では1994年のアジア水泳大会でも中国の競泳者7人のステロイド使用が発覚し、またその4年後のトゥール・ド・フランスにおいては、フェスティナチームの車から大量のドラッグが発見され、その年の大会から追放されるという事件が起こっている。また昨年にも世界陸上で二つの金メダルを獲得した米国のケリー・ホワイトが薬物使用でメダルを剥奪され、以後数年に渡る参加資格を剥奪されるという事件が発生している。
そしてそうした相次ぐアスリートの不祥事を受け、1999年には世界アンチ・ドーピング機関(WADA)が設立された。
「現在の方法ではそうした小さなドーピングを見つけることは出来ません。社会は警察を必要とし、制裁を決める法廷を必要としているんです。それは社会の一部であり、我々はそれを行っているんです。」WADA会長ディック・パウンド氏は語った。
※注1.スポーツナビ | アテネ五輪 Athens2004 五輪の歴史より
※注2.ドーピングの歴史より
【参考】毎日注射、果ては死…旧東独選手衝撃告白 | 筋力回復の遺伝子治療、ドーピングに悪用される懸念
そういうときこそリ○ビタンDですよ!
・・・って、あれって確か疲労回復か。
ならば、マラソンの給水ポイントで!
・・・確実に吐くな。
ドーピングは体も壊すから駄目になったってことですか?
ところで短距離走の靴とかどうなんですかね。
ラバーとか衝撃吸収とか人間工学とか臭くなんないとか、
靴の性能に左右される部分があるのか、というとこで。
昔から気になってたんですけど。
「マッハ!」でも敵がドーピングしてたが彼は大した事無かった。
むしろ主人公が強過ぎてドーピングとかそういうレベルじゃなく人間やめてるとしか思えなかった。
UUURRYYYEEEEEッ!
>2 ジャック・ハンマー
そうジャック・ハンマーだ、俺もバキ読んでからは
ジャック・ハンマー=ドーピングの方程式が成り立つ日々・・
でもあれ最後は限界超えてもろ強くなったな
結局、いたちごっこだよ。
割れやクラックと同じレベルで考えれば良く分かる。
追放しようとしている人間もいれば、必要としている人間もいるのさ
かつて共産圏の国々はドーピング検査に引っかからないように上手くドーピングしていたそうです。それも、後遺症のないドーピング剤があったとか。そのおかげもあってか、共産圏の女性は筋骨隆々だったそうな。そんな女性のすがたは可笑しいですよね。普通、女性は男性ホルモンの力を借りずに幾ら鍛えても男性並に筋肉が付くとことはないそうですよ。
でも、実は、金メダルが金銭に絡む国々では日常的にドーピングしていたそうな。そこいくと、日本は米国と違って健全だね、金メダル取ろうが何しようが、殆ど一銭にもならないしなw。
最近は赤血球の濃度を調節したりだとか、もはやドーピング
なのかどうかの線引きが難しいことをやっているらしい。
そのうちDNA操作なんていうのもやるのではないか。
確実に金メダルを取れるけど10年生きられなく薬があったらどうする?
という質問にオリンピック選手の50%だかなんだかが
YESと答えたそうな
ステロイドで鼻と耳が溶けちまった女性の写真見た事あるょ。
俺もステロイド皮膚症で苦しんだからなんともいえない息苦しさを感じたな。
>>36の話も興味深いよね。
スポーツスポーツスポーツスポーツって生きてきて、それ以外に自己確立の手段がないんだろうね。
栄光って言葉も、こうして考えるとなんか怖いな。
>>28
ならない
トレーニングが趣味なんで粉末状のものを自分も飲んでるけど、あれは蛋白飲料だから。
ただ蛋白質を多くとってると屁が臭くなるとか…
>27
なんか聞いた話だと、アームストロング一回ガンかなんかで死にかけたよね?んでもって奇跡の回復を遂げて優勝しちゃうもんだから、すんごい疑いかけられて彼だけたしか毎週ドーピング検査をやってるらしい。奥さんが子供生まれそうになったときも、ドーピング検査があって付き添えなかったらしい。
んでもってまだ一回も引っかかってないらし~
>>36
ぼくはスポーツ選手じゃないけど、yesだな。
本人の同意があれば、何でもありにすればいいのに。
ドーピング不可の理由が弱い気がする。
てか話は変わるのだけど、メダルの数増やそうとかっていままで考えなかったのかな?
金 銀 銅 赤 青 黄 緑 白 黒 みたいな。
せめてトップ10ぐらいまでは決めてもいいようにおもうのだが・・・。
まぁ~関係ないけどね。
それとドーピング検査するときにその検査するところとグルだった場合はまぬがれたりってのはあるんだろうねぇ・・・
>10
槍投げに決まってる。
ハンマーが3回転している間に刺さっとる。
それ以前に、ハンマーって狙いつけられないだろ。
とりあえず突っ込んでおく
このストリキニーネは1896年、そして1904年にもドイツの選手トマス・ヒックスがブランディと混ぜてレース中に飲用し
レ ー ス 中 に 飲 用 し
レース前じゃないのか?