【NewsInteractive】「コートの上の自分自身を見ていた」とはオーストラリアのトップテニスプレイヤー、マーク・フィリプーシス氏の言葉である。「あの時は、コートに立っているというより、コート端のサイドラインの上に立って、プレイしている自分自身をただ見ているような感じだったよ。」彼は先月行われたデイヴィスカップのファイナルセットにてスペインのカルロス・フェレロを破った時を振り返り、取材陣に語った。そして彼の言を受けてある記者は語る。「ああ、彼の言っていることは分かるよ。彼の言っているのは、間違いなく幽体離脱経験の事だ。」そううなづきながら語るのは元金メダリストのマイク・アゴスティーニ氏である。マイク氏は1950年代、陸上競技にて金メダルを獲ったトップアスリートであり、現役引退後は精神世界に深い関心を寄せるようになり、近年体外離脱、臨死体験、霊界通信、輪廻転生などをまとめた書籍を出版する予定であるという。マイク氏によれば、そうした古典的な幽体離脱現象は多くのアスリートの間で非常に頻繁に起こりえる事であるというのである。
「ロジャー・バニスター(注1)もその”何か”について書いている。彼が記録を作り出したとき、彼は自由と、そして浮遊するような感覚を感じていたというんだ。それらは実質的には物理的な現象なんだけど、同時に、形而上学的で、精神的なものだと言えると思うね。」マイク氏は語った。
(注1:ロジャー・バニスター:絶対に不可能と言われていた1マイル4分の壁を始めて破った男、しかし不思議な事に彼が記録を破るや否や、その直後から次々と4分を切るものが現れた。)
そうした現象の多くはこれまでエンドルフィンやプロスタグランジンの放出として科学的にも証明されてきたが、マイク氏はそれらはトップアスリート達の精神的な高揚のみならず、ある種の神秘体験を引き起こすと推測しているのである。
マイク氏は更に、1964年、東京オリンピックに出場した豪代表の短距離走者ベティ・カスバートさんの例を語った。彼女は取材を受けて曰く、「タイムワープみたいな感じだったわ。なぜか分からないけど、私が優勝するって分かってたの。」と語ったという。そして事実、彼女は優勝したのだ。それもたったひとつの種目ではない。彼女はその時、100m、200m、そして400m走の全てに勝利し、オリンピック史上初の短距離3種目制覇を果たした唯一の女性となったのである。
マイク氏は今回発表する書籍「死 ~ 究極のオルガズム」内で臨死体験についても触れている。臨死体験とは死の淵から再び蘇った人々の間でしばしば見られる神秘体験である。また臨死体験者達(NDE- Near Death Experience)の多くがそのプロセスを究極のエクスタシー体験と描写しているため、今回書籍をそのように命名したという。「彼らの多くがその経験を振り返って、愛に満ちていたと表現している。全てのモノに対する慈愛と全愛の感覚だとね。」
1970年代終わりの政治家トニー・スタンレー氏は1990年に車で事故を起こし、その際、三度に渡り死を宣告されたという。スタンレー氏は以下のように語っている。「それは喜びに満ちていたね。言葉では表現できない。痛みはなかったし、とにかく美しい慈愛の感覚に満たされて、理解と愛に満ちていて、暖かかった。」
また億万長者の経営者、ケリー・パッカー氏はかつて心臓が停止し、8分間の後に生き返った。「そこには何もなかったね。全てが無の世界で、ただ暗闇とそして忘却だけがあった。」ケリー氏は語ったという。
マイク氏は現役引退後、ジャーナリスト、テレビコメンテーター、ビジネスマンと多数の経歴を経てきている。そして今回の彼の著書は初めての作家としての挑戦であるという。マイク氏は死というものを公共の場できちんと語ること、それこそが重要だと話している。
【参考】臨死体験(NDE) | 臨死体験事例集 | テニス・プレイヤー:キング夫人の場合
臨死体験、蘇生患者の18%に | [2ch]臨死体験 死後の世界を見た人
【参考2】臨死体験 立花隆 | 修善寺の大患(夏目漱石の臨死体験) | 供養のエクスタシーより
セックスしている時、「行く!」と叫ぶ人は、エクスタシーを体験している。それは天空に「行く」ような昇天体験である。「行く」は、同時に「逝く」でもある。私たちは、死ぬと魂が体を抜け出して、天に向かうと想像している。死んだ経験がないのに、多くの人が、こうしたセックスの体験からの類推を受け入れるのは、性の欲動と死の欲動が根源的に同一であるからだ。
ここで、参考としてあげられている、夏目漱石の修善寺の大患は、不適当だと思います。漱石の修善寺日記を読めば、いわゆる臨死体験とは無縁だったことがわかります。意識を失い、蘇ってくるまで、まったく無の状態だったことがわかるはずです。
私は臨死体験は否定しません。
漱石のような有名人をモデルにした「創作」の臨死体験をここで参考文献としてあげることに不適切さを感じるだけです。
他の例証もインチキに見えてしまいますから。