【Mirror.co.uk】今年57歳を迎えるジョジー・クラークは現在、米国はコネチカット州の刑務所で20年に及ぶ服役生活を送っている。もしもあの「狂気の十分間」が無ければ、彼女は今頃三人の子供と4人の孫に囲まれて、安らかな日々を送っているはずだったのかもしれない。事件のきっかけとなったジョジーの夫ロニーは現在でも殺人罪の死刑囚として服役中である。そして彼は今でも、ジョジーの行った行為への一切の加担を否定し続けている。彼女はせめての救いにと英国の刑務所へ移動を申請し続けているが、それも拒絶され、おそらく彼女は70になるまで塀の中で独り、暮らすことになるという。3年前に始まった彼女の服役は今後17年間残っている。刑務所の生活は彼女をずいぶんとふけこませたようだった。関節炎と心臓病を患い、身寄りも失った彼女は、ここ数年で全ての家族、友人と連絡が途絶えたという。彼女は最近生まれた二人の孫の顔をまだ知らない。我々(インタビュアー)が彼女の元を訪れたとき、彼女は我々の事を3年間で初めての訪問者だと話した。そして彼女はその重い口をゆっくりと開き、3年前、「狂気の十分間」に起こった事、そしてそこに至る全ての出来事を静かに語りはじめたのである。
「刑務所の中では、みんなに頭のおかしいイギリス女って呼ばれてるわ、、。まあ、、実際にそんなところだったんだろうけどね。あの時の私は、、クレージーで、とてもナイーブだったわ、、。今は、、いつも自分に問いかけるてるわ、、。何であんな男に騙されて、あんな馬鹿なことが出来たのかしらってね、、、。それで今はこんなところにいるのよ。」
「一日、ただ泣いて過ごす日もあるわ、、。こんなことになる前は本当に普通の、ただの人だったのよ、、。最初の夫(刑務所の職員だったという。)との結婚生活では私はただ家にこもりっきりの主婦だったわ、、。それが今じゃ、犯罪者やら殺人者、ジャンキーの連中に囲まれて毎日暮らしてるのよ、、。」
西ヨークシャー、キースレーで幼少時代を過ごした彼女は、その後法律事務所で働き、最初の夫との結婚を機にワイト島へ移住。夫との間には4人の子供を授かり、彼らが大人になってからはレストランを買い、息子たちに経営を任せる一方で、彼女は販売とマーケティングの事業に乗り出していたという。それは絵に描いたような順風満帆な生活だった。
しかし1989年、結婚生活24年目のある日、彼女は最初の夫と離婚。それを機に彼女は友人がいたアメリカのバージニア州に移住し、そこで乳母として働きはじめる。
そして1996年、以前一人暮らしを続ける彼女は雑誌の中にある記事を見つけるのである。
彼女はその記事を見つけた時の事を語る。
「、、、若い男だったわ、、、。私よりも22歳も年下でね。彼の名前はRonaldWayneClark Jr(ロニー)って言って、死刑囚だったのよね、、。彼は友達を作る事ができなくて、苦しんでいるって書いてあって、それで私は彼のことを可哀想だと思ったわ、、。」
「それから私はロニーと文通を始めるようになったの、、。でも彼は手紙の中で恋をすることなんかとっくに諦めているって書いていたわ。でも、それから一年くらいした頃かしら、、彼が私に会いに来てくれないか、って書いてきたの。私は12時間もかけてフロリダの刑務所に車を走らせたわ。それでその時はたしか3日間で6時間くらい彼と面会したわ、、。実はその前に、彼は私に自分の写真を送ってきてたんだけど、実際に会ってみたら実物の方がキュートだったわ。彼は私にお世辞をたくさん言ったり、花やら宝石やら詩やら色々送ってくれたの、、。私はすっかり舞い上がってたわ、、。彼は私のことをまるで王女様のように扱ってくれて、、、その時は本当に、人生の中で会ったどの男性よりも私のことを大事にしてくれているって思っていたのよね、、。」
彼女がそう語るロニーは1991年に強盗殺人罪で死刑を宣告されていた。しかしジョジーには無実である事を再三主張したという。しかしロニーはその時更に別の殺人罪でも有罪判決を受けていたが、その事実は決してジョジーに明かされる事はなかった。
「ロニーは頑なに、自分は本当に無実だ、信じてくれ、って言い続けてたわ、、。それでいつしか私は彼のことをすっかり信じてしまったのよ、、。そしたらある日、彼は私の事を心から愛している、結婚してくれ、って言ってきたの。私は少しだけ考えたけど、結局その申し出を受け入れてしまったのよ、、。でも、その時は彼の無実を信じていたし、本当にすごくうれしかったのよ、、。」
ジョジーはすぐにフロリダの刑務所の近くに移住し、モーテルのマネージャーとして働きはじめた。
そして、1998年の4月、彼女は刑務所の中のロニーと結婚をしたのである。