【CNN.com】昨年、ストーンヘンジ付近で青銅時代の射手の遺骸を発見した英ウェセックスの考古学者Andrew Fitzpatrick氏が新たに6体の人の遺骸を収めた墓を発見しことを発表した。4体の成人と2体の子供の遺骸は、”ストーンヘンジの王”などと報じられた射手から0.5マイルほど離れた所で発見されたという。遺骸の埋められた正確な時期を知るには放射性炭素測定法による結果が待たれるところであるが、考古学者の発表によればそれらはおそらく紀元前2300年前後のものであるという。うち最も新しい骨は射手とおそらく同じ時代のものであるという。「この発見のおかしなところは、イングランド南部においてはこうした集団埋葬というのがほとんど例外的であるということだ。しかし面白い。我々はこの墓に紀元前2300年前後、まさにブリテン島が、石器時代から青銅時代へと移行したその瞬間を見ているんだよ。」と語った。またその墓には青銅器時代にスイスのアルプスで繁栄したビーカー文化に属する4つの陶器と、幾つかの石器、1つの石の矢じりと衣類をとめる為の骨を含んでいた。一つの墓に複数の遺体が埋葬されているのは石器時代では一般的な方法として良く見られるが、ビーカー文化の陶器は青銅器時代の墓に見られる特徴であるという。つまり、考古学者はそれらの遺骸がそれぞれ違う世代のもので、これらの遺骸は墓をその都度開いては順次足していったものだと考えるられるという。
またストーンヘンジからおよそ3マイル離れた場所から出土した例の射手の場合は身体から見つかった石の矢じりによってその時代を識別することが出来たが、その豪華な墓には100もの発掘品あったと語った。ブリテン島の原住民は、射手像の千年程前にヨーロッパ大陸から来たものだと伝えられているが、新しい形のポットや、棘のついた矢ジリ、銅のナイフや金の装飾などを見ても、彼の墓は原住民文化とははっきりと違う文化帯に属するものだと考える事が出来るという。彼の墓からは、牙や骨、金髪や銅のナイフ、石のヤジリ、リストバンドや陶磁器が発見された。銅のナイフはスペインや、フランスから来たものだという。ブリテン島で発見された最初の金は紀元前2470年前後のものだという。