【AsianPacificPost/etc】第二次世界大戦中、日本と米国が熾烈な戦いを展開したフィリピン。そのフィリピンにおいて、ここ数十年に渡って、言い伝えられる一つの伝説がある。とあるトレジャー・ハンターは言う。「宝の位置を記した地図、岩に刻まれた印、そして地下に張り巡らされたブービートラップ。それらは全て、かつて旧日本軍が埋めた財宝の存在を示唆している。」言い伝えによれば、埋蔵された財宝は、総額で時価数兆円にも上るものであるという。金の延べ棒やアジア諸国から集められた貴重な財宝の数々、それらが1945年、第二次世界大戦の終結と共に、旧日本軍によってフィリピンのどこか、その地中奥深くに隠されたというのである。
(※写真上は後述のロジャー・ロクサス氏がバギオの洞窟から発見したと言われる黄金の仏像。後にマルコス大統領に強奪された後、訴訟を経てロクサス氏に返還されたと言われる。首が着脱式になっており、中にはダイアモンドが入っていたという。)
そしてこの財宝は後に「山下財宝」― それは当時、同地域で旧日本軍を指揮した"マレーの虎"こと山下奉文(写真)の名に由来する ― と呼ばれるようになり、未だほとんど証拠も発見されぬまま、しかし、今なお発掘者達を惹きつけ続けているのである。
財宝の存在を信じる発掘者の一人、ニカノル・ブラン(47)は小鎌を手に、今日も山下将軍の墓の側で草刈り ― それは即ち他の発掘者を寄せ付けないよう監視していることに他ならない ― を続けている。山の麓、果樹園に囲まれた小川の脇に位置するその場所は、かつて、山下将軍の処刑が執行された場所である。「この辺りは既にたくさんの発掘跡があるんです。」そう語るブランによれば、その地域にはダンパリと呼ばれる滝が流れ、かつてそこから日本語の刻まれた石が発見されたという。
伝説によれば、第二次世界大戦中、旧日本軍がマレー半島とシンガポールに進撃した際、東アジアから東南アジアに及ぶ12カ国余りから集められた財宝の数々は、フィリピンに送られ、山下将軍によって地中深くに埋められたという。そして戦争終結から60年を迎えた今なお、例えばインターネットのチャットルームでは、毎夜財宝伝説の逸話が語られ続けているのである。
ある発掘者は言う。「私の友人であった発掘者の一人は、毒の罠にかかって死んだ。しかし幸運なことに、彼は死ぬ前、二本の金の延べ棒を持ち帰ることが出来た。我々は既に財宝の眠る場所を知っている。しかし、問題は毒の罠を乗り越えなければ、それを手にすることが出来ないということだ。あの場所には、毒された滝が存在する。」
またある発掘者によれば、かつて旧日本軍が占領し、最期の抵抗を行ったというその場所には心臓や矢、ピラミッドを象った図形が岩に刻まれていたという。
「私の友人らは川の方を指し示す巨大な矢の図形を発見した。そして川床を調査した結果、そこから人工のトンネルを発見した。トンネルの壁には、高さ二メートルにも及ぶ心臓を象った図形が刻まれていた。そしてその心臓の中心部には、大人の腕が全てはいるほどの深く細い穴が空いていたのだ。それが本当に、旧日本軍の財宝が眠る場所だったのか、私には分からない。」
また財宝を巡って、様々な噂も流れている。例えば当時、同地域で財宝を隠すためのトンネルを作った工作兵たちは、指揮官によって共に生き埋めにされたという。それは無論、財宝にまつわる一切の情報を秘匿するためである。また更には、それらの財宝の周りには斬首された人間の首が置かれ、呪いがかかっているという噂さえ流れている。それは財宝を探そうとした人々の多くが非業の死や、謎の失踪を遂げたためであるという。
しかしこれらの伝説が一部の人々の間で今なお生き続ける一方、それらは作り話に過ぎない、と専門家は懐疑的な態度を示している。「今でも財宝探しを行う人は後を絶ちません。しかし、彼らの言う宝の地図、様々な証言、そして現代的な金属探知機をもってしても、誰も何も発見出来ていないんです。」そう語るのはフィリピン政府直属の歴史研究所所長アンベス・オカンポ氏である。そしてその通り、例えばヨーロッパにおけるナチスの財宝とは違って、「山下財宝」はこれまで、何ら確かなな手がかりが発見されていない。
「(フィリピンにおいて)”山下財宝”と呼ばれるものを探している人々がいるのは聞いています。しかしそれが実在するのかどうか、我々には何も分かりません。」かつて日本の外務省スポークスマンは財宝の存在についてそう語っている。また他国の政府筋も同様に慎重な態度を示している。
しかしこれら専門家の批判をよそに、伝説は今でも息絶えることはないのだ。高々と積み上げられたの金の延べ棒、重さ1トンを超える黄金の仏像、膨大なダイヤモンドと金貨、その他の計り知れない価値の財宝の数々、それらは確かに、フィリピンのどこかに眠り続けていると、発掘者達は信じて疑わない。そして彼らは日本兵の墓地や旧日本軍の塹壕、軍の建造物跡から更には私有地まで、― 時には政府の許可さえなく ― 所構わず、発掘を進めているという。
かつて、この山下財宝をテーマとして"Gold Warriors: America's Secret Recovery of Yamashita's Gold"を記したスターリング、ペギー・シーグレイブは、戦後、米国政府は同地域の財宝を発見し、それを冷戦中の財源として利用したと主張している。
また一説によれば、戦後、山下将軍の付き人であった運転手が財宝の位置を自白させるべく、米国のエージェントに拷問されたという噂も伝えられている。更に別の説によれば、戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)として東アジア の統括にあたったダグラス・マッカーサー将軍は山下財宝の秘密を隠す為に、山下将軍を処刑したという事さえ噂されているのである。
しかしフィリピンの歴史家らはこれらの主張に対して凡そ懐疑的である。彼らによれば、それらはもともと戦時中、旧日本軍の兵士らが彼らの祖先に与えた断片的な情報、そして"秘密の地図"といったものが、財宝を巡る誤情報として広まり、噂が噂を呼ぶ形で今日に伝えられたと推測しているという。
「言うなれば、都市伝説のようなものです。」そう語るのは、フィリピン大学教授、リコ・ホセ博士である。博士は戦時中、同地域の自治体で働いていた。これまでホセ博士のもとにはフィリピン内外から財宝の発掘を巡って様々な人が訪れたという。そして彼らは皆一様に、博士に地図、文章の解読を依頼したのだ。
もし財宝がフィリピンに運び込まれたとするならば、それは第二次世界大戦後期となる1944年、山下将軍がフィリピンに赴任した時のことである。しかしホセ博士によれば、その時既に、米軍潜水艦の攻撃によって"日本は同地域の制海権を失っていた"と指摘している。
「その時は既にアメリカがフィリピンに進撃を始めていたため、旧日本軍がわざわざそんな場所に財宝を運び込むということ自体、現実味がありません。もし運び込めば米国に奪われる危険があるからです。もし運ぶとしたら、中国か台湾に運んだと考える方が妥当でしょう。特に台湾ならば、あの当時、まだ旧日本軍の海域は安全だったはずです。そこかしこに大小様々な発掘跡がありますが、人々は直感に任せて発掘を続けているだけなんです。」
ある時には、ミンドロ島の農家の女性がマニラにあるホセ博士のオフィスを訪ねてきたこともあった。女性はひび割れて損傷した軍隊のヘルメットを持参し、それがかつての旧日本軍のもので、ヘルメットに記された模様が財宝を指し示しているのでは、と語ったという。
「私は女性に言ったんです。”残念ですが、それは米兵のものです。その模様は風化して自然に出来た模様でしょう”そう聞いて、女性はとても落ち込んでいました。彼女の家はとても貧しかったんです。」
しかしまたこうした事情に基づいた無作為な発掘は、しばし事件となって世間を騒がせている。2003年8月には、ある発掘者の団体がフィリピン南部、ダヴァオ市(同地域は戦前、日本人の移民が多数移住していた地域)に発掘に向かい、政府発表によれば、発掘者らはそこで67の日本人の墓を暴くという事件が発生した(1)。また3年前にも、セブ島内の民間人の私有地に存在する地下トンネルに発掘に向かったフィリピン人4人が、トンネル内で重傷を負うという事件が発生した。
更に10年以上前には、米国の元グリーンベレー隊長、チャールズ・マクドウガル氏が大勢のチームを率いてマニラに近いコレヒドール島(そこは1942年、米、比軍が旧日本軍と戦った場所である)へと向かい、うち二名が洞窟内で何者かに殺害されるという事件が発生した。その時はマクドウガル氏自身もほうほうの態で逃げ帰ったという。
また有名な逸話として、かつてのフィリピン大統領フェルディナンド・マルコスも、1970年代にダイバーチームを組織し、大戦中にマニラ湾に沈んだ日本の軍艦那智の残骸を調査させている。その結果は定かではないが、後に、夫人のイメルダ(写真)はマルコスが山下財宝を発見したと発表して話題を呼んだ。また一方で、財宝の第一発見者を名乗るロジャー・ロクサス(1993年没)という人物が、”マルコスが米政府の支援のもと、私に拷問を行い、私が発見した財宝を奪った”と主張して訴訟を起こすという騒動が起きている。ロクサス氏は、1971年、フィリピン北部のバギオにある病院の地下にトンネル網を発見し、そこから高さ150cmの黄金の仏像(写真一番上)や幾つもの金の延べ棒を発見したと主張したのである(2)。
「発掘者達は地下トンネルを発見するたび、これこそが財宝の隠し場所だと大喜びするんです。しかし、実際には、この辺りにはそれこそ幾千もの地下トンネルが存在し、それは旧日本軍が単に戦争の為に作った防衛網なんです。実際には、幾らトンネルを掘ってみたところで、弾丸や日本兵の遺体以外、出てこないでしょう。」
またホセ博士は、現在、日本政府がこれらの伝承について、何ら言及しないことが、かえって財宝伝説が広まる一助となっていることを指摘している。終戦後の1950年代、日本はフィリピンに回収部隊を送り、現地に沈んだ軍艦から銅や軍需品などを含む物資を回収し、カーゴに乗せて帰国した。
「この回収に対する公式的発表では、それらが川やマニラ湾の邪魔になっている為、ということだったんです。しかしその後、船の中にあったものが実際は・・・というように人々の間で噂されたわけです。」
しかしまた、ホセ博士は発掘者の多くは詐欺師か犯罪者であると断じている。事実、1970年代から80年代にかけ、かれら発掘者達は米国の元兵士らに発掘の為に資金提供するよう話を持ちかけた。しかしそれらはほとんど詐欺だったのである。
こうした博士の批判をよそに、いずれにせよ、今なお伝説は絶えることなく、発掘は続けられているのである。戦後60年が経過した今、発掘者の一人はウェブの掲示板にこう記している。
「我々は、旧日本軍が隠した財宝の在処を示す多くの手がかりを発見した。しかし、その中のたった一つの暗号さえ、いまだ解読が出来ずにいる。それは例えば、こんなものだ。”大和、救援を求む”」
- (1)Treasure hunters desecrate Japanese Yamashita tombs - Aug. 30, 2003
- (2)Atlanta corporation claims US helped steal gold
- (3)Sun.Star Manila - DOJ may hire US lawyers to pursue case v. treasure hunter
- (4)The Manila Times | Who has Yamashita’s gold?
【参考1】山下奉文 | M資金| Yamashita Gold.com(写真など)
【参考2】フィリピン『生存情報』氾らんの背景
山下財宝がらみも日本人にとって危険な要素だ。現地を頻繁に訪れる大阪市立大の早瀬晋三教授(フィリピン史)は「フィリピン人は、山下財宝を本当に信じている。日本人が地図を持って歩いていると財宝探しと間違えられ、狙われて生命の危険にさらされる」と話す。石沢氏も「遺骨収集で金属探知機を使い、財宝探しと間違われ拳銃を突きつけられた人もいる」。
【参考3】海外旅行犯罪事件簿
詐欺内容は、共同で財宝を掘起こそうと近づいて出資を持ちかける場合や「山下財宝」の一部と言って偽の黄金などを売りつける場合などがある。先月、日本人男性がこれに引っかかり600万ペソ(約1,800万円)騙し取られた。
【参考4】[法律豆知識] 埋蔵金を発見したら… | 「日本の埋蔵金」研究所 | 史実・黄金伝説
アメリカ政府もこうした事情は把握しており、中国情報収集のCIA要員だったジョン・シングローブもヤマシタ財宝の存在を認めている。フィリピンのマルコス元大統領のイメルダ夫人もそれを隠さないで証言している。「マルコスは確かにヤマシタ財宝を発掘した。それをマルコスは貴金属貿易で増やした。そのヤマシタ財宝は共に発掘した仲間と分け合った」防衛庁資料室の奥深くには比島作戦記録「呂栄(るそん)島に於ける作戦」として、その他紙幣150トン、硬貨40~400トンを放棄する命令書が保管されている。しかしフィリピン公文書簡にはヤマシタ財宝に関する記録は一切残されていないばかりか、アメリカの公文書も何故か抜かれた形跡を残して、依然空白のままになっている。
【参考5】50年たって暴かれるナチス財宝の謎・南米編 (→エスタンジア視察最終報告 - 「20世紀最後の真実」の真実とは)
いやぁ〜、昨日は郡山から戻ったのが夜11時を過ぎてしまってさすがに疲れました。もう足が棒。かかと痛い。代休取るか、そのまま休日出勤で稼ぐか迷ってます。 そんな私...