【Guardian/MSNBC/etc】サヴァン ― 賢者、知識人、或いは天才といった知的な意味を持つこの言葉が、奇妙な症候群の名として、初めて報告されたのは1887年のことである。命名者のJ.ランドン・ダウン博士は、その報告の中で、かの膨大な「ローマ帝国衰亡史(エドワード・ギボン)」を一字一句違わずに諳んじ、更には全く逆から読んで見せる常軌を逸した記憶力を持つ男の話を、驚きと共に記している。そしてダウン博士は、これらの人々 ― 特に子供に多い事を博士は指摘している ― が、ある部分において常人には及びがたい才能を発揮しながら、一方で、共通して何らかの精神的、知的障害を抱えていたことから、こうした特徴を持つ希有な人々を、「イディオ・サヴァン(=白痴の天才)」と呼んだのである。そして現在でも、一般に「サヴァン※」と呼ばれる人々は、自閉症や、発達遅延といった何らかの障害を抱えているにも関わらず、同時にある特定の分野 ― 例えば音楽、芸術、数学 ― において、まるで常人の理解を超えた驚異的才能を示すことで知られている。
※上に示す通り、元々、サヴァンは、その一見して矛盾したように見える能力と知性のギャップから、「イディオ・サヴァン(=白痴の天才)」と呼ばれていた。しかし現在では、差別的(所謂、ポリティカル・コレクトネス)という視点から、「イディオ(=白痴)」という言葉が削られ、「サヴァン(=天才、賢人)」という名で一般化しているようである。
現在、このサヴァンとして最も有名な米ユタ州在住のキム・ピークも、やはり超人的な記憶力を持つことで知られている。彼は、サヴァンの人生を主題に描いた大ヒット作「レインマン」のモデルとされた人物であり、現在ではしばし、(コンピューターに準えて)「キム=ピューター」、或いは「メガ・サヴァン」などと呼ばれ、様々な分野からの注目を集めている。ピークは、普通ならば目眩がするような膨大な情報を、短時間で完全に記憶し、まるでインターネットの検索エンジンのように、正確無比に、彼の脳の"ライブラリ"から情報を瞬時に取り出すという、特異な才能を持っているのである(写真は映画レインマンより。レインマンがその記憶力を発揮してカジノで大儲けするシーン)。
彼について、例えばこんな逸話がある。ある日、ピークは「The Hunt for Red October(邦題:レッド・オクトーバーを追え!/トム・クランシー作)」を一時間ほどかけて読み終えた。そしてそれから数ヶ月が経ったある日、その本に描かれていたロシアの無線通信兵の描写について、ある男がピークに訪ねた。するとどうだろう、ピークはまるで目の前にある本を読み上げるように、該当するセンテンスを漏れなく引用して諳んじてみせたのである。また例えば、彼はアメリカのどこに行っても、すぐにその町の優秀なガイドとなることが出来る。何故なら彼は、久しく前、全米のあらゆる町という町の地図を、くまなく記憶してしまったからだ。
つまり常人には到底信じられないこれらの事も、ピークにとって、まるで造作も無いことなのである。ピークがこうした本の丸暗記を始めたのは生後18ヶ月の時であるという。誰かが彼に本を読んで聞かせると、ピークはたちまちそれを暗記してしまったのだ。そして現在でも、ピークは1ページ当たり凡そ8秒から10秒かけ、ほとんど”読む”というよりは、”見る”ような速度で、ページを捲っていく。そして一時が過ぎるなり、彼はその本を雑然とした本棚の中にまるで無造作に重ねてしまう。それは、その本の中身が、既にピークの"ハードディスク"にコピーされてしまったことを意味しているのである。
またこのようにして彼が暗記した本の総数は、今や9000冊にも及ぶという。ピークの父親によれば、彼はほぼ毎日、午後を図書館で過ごし、ジャンルもまるでお構いなしに、フィクションから、ノン・フィクション、果ては電話帳から住所録に至るまで片っ端から読破し、それらをつぶさに記憶していくという(写真一番上は電話帳に読みふけるピーク)。
「息子は読んだ本の98%を記憶してしまうんです。まるでハードディスクの中に、次々とデータをダウンロードしていくようにです。そしてそれは決してクラッシュすることがないんです。」ピークの父親はそう語っている。
そして現在、このピークの卓抜した能力に、科学者らの熱い眼が注がれている。彼が示す能力は、あらゆる人間が持つ、潜在的な知的能力の秘密を切り開くきっかけになると推測されているからである。
「ピークの示す能力は、我々人間の脳が、実は我々自身が考えているより遙かに柔軟であることを物語っていると思います。他の多くのサヴァンと同じく、ピークは脳のある一部分に欠陥を抱えています。しかし、彼はその代わりに、全く別の領域で驚くべき能力を獲得しているわけです。これは、実は我々人間は誰もが、まだ知られていない秘められた潜在的な知的能力を有していることを示しているのではないでしょうか。ピークやその他のサヴァンについて研究することで、我々は如何にしてその能力を得られるのか、何か手がかりを知ることが出来るのではないかと考えているわけです。」精神科医のダロルド・トレファート氏はそう語っている。
またこのピークの抜きんでた能力には、NASA(アメリカ航空宇宙局)も興味を示し、昨年、ピークは実際にNASAで長期に及ぶ脳スキャンの検査を受けている。研究者らによれば、ピークの能力を調査することで、宇宙飛行士らが今後の宇宙空間における長期的ミッションにおいて、いかに脳を使うべきか、ヒントを得ようとしているのだという。
今年54歳になるピークは、小脳(脊髄に近い脳の一部)に障害を持ち、更に脳梁(左右の大脳皮質の間を連絡する交連線維の集合)を欠損したまま生まれた(また昨年の調査では、出生時、右脳のあたりには大きな水疱が発見されたこと、右脳、左脳が分離せずに、あたかもひとつの巨大な”データ・ストレージ”を形成していた事などが報告されている)。その為、少年時代のピークは知能発達障害者と診断されていたという。しかし、成長が進むにつれ、ピークの症状は非常に複雑なものであることが明らかになっていった。まず彼がその才能を開花させたのは算術である。しかし、彼は数学における抽象的概念を理解することは出来ず、1988年に行われたテストでは、彼のIQは平均より若干低い、87という結果を出したという。しかし奇妙なことに、彼はある分野の問題に対しては、ほぼ"白痴的"な低いスコアを出したにも関わらず、ある別の分野については、ほとんど"天才的"とも言えるスコアを叩き出していたのである。
ピークは今でも身体に多くの障害を抱えている。例えば彼は自分の着たシャツのボタンを上手く閉めることさえ出来ない。しかし、記憶力という点については、彼はまさに驚嘆に値すべき能力を示し、更にここ二年の間には、ピアニストとしても傑出した才能を示すようになったという。現在、54歳を迎え、もはや一般には壮年と呼ばれる年代に差し掛かったピークは、今なお、その能力を特異な形で発展させ続けているのである。「ピークはもう壮年期を迎えたにもかかわらず、彼の脳は、今でも彼の症状に適合しようとしているんです。」トレファート博士はそう語っている。
博士は、このピークの症状を研究する上で大きな鍵となりうるのは、彼の左脳と右脳、それが接続されていないことだと推測しているという。例えば我々の左脳が主に言語能力を司り、右脳の活動を常に抑制しているとは、これまでしばし指摘されている。そして博士は、、ピークにについて言えば、先天的な欠陥によってこの左脳の抑制力が阻害されているため、右脳が普通の人よりも遙かに自由に発達し、この非凡な能力を得られたのではないかと推測しているのである。
しかしそんな周囲の注目をよそに、ピークは今でも、ひたすら本を読み続ける日々が続いている。また彼は得意とする算術に関することを除けば、外部の人々に対して個人的な関心を示すことさえない。例えば先週、ある記者が彼に電話し、取材を求めたところ、まず彼は記者に、誕生日を尋ねてきたという。そして記者が自分の誕生日を言うと、ピークはまるで素っ気なく、しかしきっぱりと、こう言ったのである。
「えーと、君が生まれたのは、日曜日だね。そして君の次回の誕生日もちょうどまた日曜日だから、きっと、木曜日には休暇を取るよう予定を組むはずだね。」
【参考1】サヴァンな人
うすのろだったが6桁の立方根を暗算できたトム・ファラー、知恵遅れだが西暦3200年までの何月何日が何曜日だかたちどころに答えることのできるジョージとチャールズ、白痴で盲人にもかかわらず一度聞いた曲はどんな難曲でもピアノで最演奏できるトム・ウィギンス、そしてわが国の有名な山下清等があげられる。不思議なことに、サヴァンは性特異性があり、男性が圧倒的に多い。サヴァンの特徴の一つに、異常な記憶能力がある。「忘れる能力」がないとされ、その結果、雑多な記憶が充満し、それを体系づけたりすることがとても出来ない。
人間には「直観像」という能力がある。直観像は、言ってみれば写真のような記憶のことで、見たそのままを細部まで覚えており、それを頭の中に写真があるように思い出すことができる。ただこの能力は実際には子供の頃にはあっても、大人になるにしたがって消えてしまうという。物を見るとき、あるいはそれを記憶するとき、おそらくかなり言葉の影響をうけている。現代思想に大きな影響を与えた記号学の祖であるソシュールは、「ラング」によって、世界が分節化されているという(ここでいうラングは言葉と同じものと考えていい、厳密には違うが)。
「ラングは、われわれと世界を媒介する関係の網目である。コップはコップという実体としてわれわれの眼に入ってくるのではなく、コップを他と区別し、理解するのである」(4)ナディアは言語の発達が遅れていた。そのために彼女は上記のような言葉で世界を切って、見ることをせず、ありのままを受け取ることができたのだ。このありのままを受け取るのが「直観像」であり、言語の獲得と平行して失われる。ナディアの才能は、言葉を知らないから、花開いたといえなくもない。
【参考3】火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者より
(註:自閉症の天才的少年画家について)・・・初期の絵の中でクリスがもっとも驚いたのは、爆発現場や地震の絵だった。四方八方に吹き飛び、いたるところに梁が散らばって、なにもかもが完全にめちゃくちゃになっている。ところが、この場面をスティーブンは記憶していて、ふつうモデルを見ながら描くときのようにやすやすと、同じ忠実さで描いて見せた。実物を見て描くのも、記憶をもとに描くのも、彼にとっては同じことのようだった。覚えるためのメモも、スケッチや、ノートも必要ない。ほんの数秒ちらりと横目で見る、それだけで十分だった。
(・・・)スティーブンはまた、視覚以外の分野でも才能を発揮した。言葉を覚える前から、ものまねの名人だった。歌の記憶も抜群で、覚えた歌を正確に歌った。どんな動きでも完璧にまねができた。スティーブンは八歳で、文脈や内容、意味とは無関係に、非常に複雑な視覚、聴覚、運動、言語のパターンを把握し、記憶し、再現する能力を示したのである。
(・・・)大小にかかわりなく、些細なことも重大なことも無差別で、前景も背景も区別がない。こうした個々の部分から普遍化するとか、因果関係や時間的関係でまとめるとか、自己のなかに取り込むということもほとんどない。ふつう個々の部分から普遍化するというような記憶は、場面と時間、内容と文脈に動かしがたい関係がある具体的・状況的な記憶で、エピソード記憶と呼ばれる。それが欠けている為に、自閉症のサヴァンは驚異的に正確な記憶力をもっていながら、個々の記憶から重要性を抽出して一般的な知覚や記憶を築き上げることがうまくできない。
【参考4】アスペルガー症候群 - Wikipedia
- LD/ADHDの基礎知識Q&A
- 右脳の天才 サヴァン症候群の謎:日経サイエンス
【参考5】なぜかれらは天才的能力を示すのか―サヴァン症候群の驚異
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