X51.ORG : 前部前頭葉切截 ― ロボトミーは"悪魔の手術"か
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前部前頭葉切截 ― ロボトミーは"悪魔の手術"か

lobotomy1.jpg【MSNBC/etc】1979年、東京都小平市のとある民家で、精神科医の妻と母親が刺殺されるという事件が発生した。犯人の桜庭章司はその数時間後、池袋駅で銃刀法違反で逮捕されたが、取り調べで桜庭が語った犯行の動機は余りにも衝撃的なものだった。桜庭は、15年前、殺害した家族の精神科医にロボトミー手術を受け、その復讐をしたかったと自供したのである。そして蕩々と語られはじめた桜庭の過去は余りにも悲痛なものだった。

桜庭はそれまでスポーツライターとして働いていたが、ある日、些細ないざこざを起こして警察に逮捕された。そして精神鑑定を受けた結果、異常が認められたため、精神病院への強制入院を命じられたのである。

桜庭は、入院後もしばらくライターとして働き続けたが、ある日、医師が肝臓検査を理由に桜庭に全身麻酔をかけた。そして桜庭が目を覚ましたとき、彼はそれまでとは何かが全く変わっていた自分に気づいた。

医師は、ロボトミー手術を、本人の同意さえ得ぬまま、桜庭に施していたのである。

そして間もなく、桜庭は医師から"術後に"手渡された手術の同意書にサインすることを条件に退院したが、彼の人生 ― そして彼自身 ― はそれまでとは全く変わり果ててしまった。特にライターという職業にとって、ロボトミーによって引き起こされた感覚鈍麻は致命的だった。それから彼はライターを止め、様々な職を転々としながら、手術を行った医師への恨みを募らせていったのである。

そして1979年9月26日、後に「ロボトミー殺人事件」と呼ばれるようになるその事件を最後に、日本ではロボトミーという言葉はほとんど聞かれなくなる。


前部前頭葉切截

lobotomy8.jpgロボトミーの始まりは1935年にまで遡る。その年、米イェール大学のカーライル・ヤコブセン博士とジョン・フルトン博士らはチンパンジーに対して前部前頭葉を切除する手術を行い、結果、チンパンジーの"実験的神経症"が克服されたという報告を行った(注:参考1参照)。そしてそこから着想を得たポルトガルのリスボン医科大学神経外科医アントニオ・エガス・モニス博士(※1)は共同研究者のジェームズ・W・ワッツ博士と共に、「精神障害が前頭葉内の神経細胞に異常なシナプス結合線維群を生ずるためにおこるという仮説に基づいて両側前部前頭葉白質切截術prefrontal leucotomyを考案し、精神症状を対象とする脳手術の分野を精神外科と命名(※2)」したのが最初であると言われる。

その手法とは頭蓋骨にドリルで穴を開け、" Leucotome(白質切断用メス)"と呼ばれる棒状の器具を差し込んで前頭葉の神経繊維を切断し、繊維群の再結合を促すことで精神障害を克服するというもので、モニスはこの方法で20人の患者に対して手術を行い、"著しい成果"を挙げた事を学会に報告したのである。

※1.モニスはロボトミーの考案者としてだけでなく、ポルトガルの国会議員(1903-17)や外務大臣(1918)も務め、第一次世界大戦終結時には、パリ平和会議(ヴェルサイユ条約)にポルトガル使節団の一員として参加している(1919)。

※2.廣瀬貞雄著『精神外科』(新福尚武他編『精神医学書 上巻』所収・1980・金原出版)より

アイスピックと小槌

lobotomy3.jpgそして1936年になると、モニスの報告を聞きつけた米国の神経外科医ウォルター・フリーマン(写真)が同僚のジェームス・ワッツと共にロボトミーを研究、その手法を"改良"し、米国中にその"画期的な治療法"を喧伝して、一躍時の人となった。特に彼は患者に局所麻酔をかけた上で眼窩から直接アイスピック(※3)を挿入して小槌でそれを打ち込み、ほとんど"勘頼み"で神経繊維の切断を行うといった手法で、患者の並ぶベッドを文字通り次から次へと移動しながら、数多くの患者の治療を行ったという(米国中で凡そ3,400人もの患者に対して施術を行ったと言われる)。

※3.”アイスピックのような器具”ではなく、実際に"アイスピック"だった。

lobotomy4.jpgこうしたフリーマンの宣伝効果もあってか、ロボトミーがいよいよ一般的に行われるようになると、ロボトミー考案者としてのモニスの名声はいよいよ揺るぎないものとなる。そして1949年にはその功績が認められ、考案者のモニスはスイスの脳科学者ウォルター・ルドルフ・ヘス博士と共にノーベル医学生理学賞を(共同)受賞するにまで至る。

また当時、このロボトミー手術を受けた患者の中には世間に名を知られた人々も多い。例えば1941年には故ケネディー大統領の妹で軽度の精神障害を患っていたローズマリー・ケネディも23歳の時に、また当代一の美人にして、様々な奇行でも知られた女優のフランシス・ファーマーも各種治療を試した後、1949年にロボトミー手術を受けているのである(※4・写真は手術後)。

※4.ケネディの場合も、フランシスの場合も本人の承諾なく行われたと言われている。また両者共に、結果としては症状が変化こそしても、それが"改善"だったとは言い難い結果に終わったようである。ちなみにローズマリー・ケネディはその後の半生を養護施設を転々として過ごし、今年1月に施設内で死去している。


批判されるロボトミー

しかし当時、ロボトミーを行っていた医師たちは、モニスの手法を模倣し、やがて独自の手法を開発する者も現れたが、中には非常にいい加減な手術も数多く行われていたという。そしてその為か、1930年代後半になると、世界各地から、ロボトミーを受けた患者の中から様々な精神障害や感情鈍麻といった症状 ― それはまさに映画「カッコーの巣の上で 」に描かれた主人公の姿さながらの ― が発生することなどが報告されるようになる。そして1950年代になり、電気ショック療法の改良や、クロールプロマジンといった精神治療薬の開発(1952)が進められると、被害者や医学会からもロボトミーに対する反対の声が上がり始め、ロボトミーは急速ににその地位を失っていった。

こうしてロボトミーはいつしか、多くの犠牲者だけを生んだ"悪魔の手術"とさえ呼ばれるようになり、1970年代までにはほとんどその姿を消した。そして現在では、当時ロボトミーを施され、結果廃人状態になってしまった患者の家族を中心に、モニス医師のノーベル賞取り消しを求める運動さえ行われているのである。

「このような酷い間違いを犯し、それを認めようとしないノーベル賞委員会を、一体誰が信用することが出来るでしょうか?」そう語るのは、ニューヨークの医学図書館員クリスティーン・ジョンソンである。

ジョンソンの祖母、ビューラー・ジョーンズは1949年に妄想症を生じ、電気ショック治療を含む様々な方法で治療に失敗した後、1954年にロボトミー手術を受けた。しかし結果、彼女は以後の人生を養護施設の中で過ごさねばならない身となってしまったのだ。


人格破壊手術

ジョンソンの活動に賛同する元看護婦のキャロル・ノエル・ダンカンソンも、同様に母親がロボトミー手術によって廃人化されたという。彼女の母親、アンナ・ラス・チャネルスは1949年、妊娠に伴う偏頭痛を治療するためロボトミー手術を受けたが、それまで"活発で聡明な女性"だったアンナは、完全な廃人となって家に戻ってきたのである。

「母は、自分でものを食べることも、トイレに行くことも出来ない身体になりました。喋ることも出来なくなり、とても怒りやすい人間になってしまったんです。」

その後、アンナの症状は若干の回復を見せたが、結局人格そのものは幼児的に退行したままで、母親として子供を育てられる状態ではなく、キャロルらは子供時代を養護施設で過ごすことを余儀なくされた。更に、キャロルの夫は彼女の面倒を見ることを疎んじて蒸発し、キャロルは母親のもとへと送られたが、そこでも母親や兄弟から恥であるとして疎まれ、それまでとは一転して、不遇の人生を送らねばならなくなったのである。

「彼女はロボトミーで全てを失ったんです。何もかもです。」


ノーベル賞の取り消し

そして1989年にジョンソンの祖母が死去したことをきっかけに、ジョンソンはPsychosurgery.orgというウェブサイトを開設、ロボトミー被害者の家族によるネットワークを組織し、ノーベル賞からモニスを除外するよう働きかける運動を始めた。現在、ノーベル賞公式ウェブサイト上のモニスのページには、受賞理由として「その当時、(ロボトミーは)代替のない治療方法だった」ことなどが掲げられている(※5)。

一方、ジョンソンらの活動を受けたノーベル財団は、ノーベル賞受賞歴の中からモニスを外すことは不可能であるとして、それらの要求を拒否している。

「取り消される可能性はありません。絶対に無理でしょう。ノーベル財団ではそもそもそうした抗議に対応する用意さえありません。」

ノーベル財団の常務マイケル・ソールマンはそう語っている。そしておそらくそれは事実である。例えば、過去にはPLO(パレスチナ解放機構)の故ヤーセル・アラファト議長にノーベル平和賞が授与された時にもこうした議論がおこっているが、財団はそれらの抗議をことごとく無視している。そしてその為、ジョンソンンは現在、他のノーベル賞受賞者らに働きかけ、モニスのノーベル賞受賞を取り消す活動を支持するようを請願活動を行っているという。


※5.しかしまた、モニスは脳造影撮影法の事実上の考案者としても評価されており、ロボトミーのみがノーベル賞受賞の理由だったわけではないと説明されている。

- NovelPrize.org : Medicine 1949


ロボトミーは”悪魔の手術”か

lobotomy6.jpgこのように、ロボトミーを巡る議論は今なお続いているのである。やはりロボトミーは過去の未熟な医学が生んだ、"野蛮"な、"悪魔の手術"だったのだろうか?しかし最近ジャーナリストのジャック・エルハイ氏が出版した"The Lobotomist"はこの問題に新たな一石を投じている。エルハイ氏は同書において、現在ではしばしナチスドイツで死の天使と呼ばれたジョセフ・メンゲルとさえ同視される、ウォルター・フリーマンの活動に焦点を当て、現在に伝えられる彼のイメージが余りにも現実と異なっていること、そしてまた、ロボトミーが少なからず効果を挙げていた事などが再検証されている。

- The Lobotomist: A Maverick Medical Genius And His Tragic Quest To Rid The World Of Mental Illness

また最近刊行された英国の医学論文誌、New England Journal of Medicineにおいては、医学史博士のバロン・H・ラーナー氏らがエルハイの主張を受ける形でロボトミーを検証し、”当時、米国の精神病院に押し込められていた400,000人もの患者を救う為に考案された、悲痛な、しかし最後の手段だったのではないか”と記している。またその中で、一部の患者に対しては確かに効果を発揮したことは確かであると認めているのである。

「確かに、ロボトミーによって害された人間は膨大な数に上りますが、それは当時、ロボトミーが余りにも多用されたこと、そして例えば種々の発達障害や、頭痛、精神不安などといった必ずしも適応すべきでない症状に対しても、ロボトミーが行われたことが原因だったのではないかと思います。」ラーナー氏はそう語っている。

エルハイ氏の調査が始まったのは今から約8年前に遡る。その年、氏は1930年代にロボトミー手術を受けたという男性の家族に面会し、話を聞いたことが直接のきっかけになったという。そしてその後、氏がフリーマン医師について調査を進めていくと、これまでに決して語られてこなかった新たな情報が次々と明らかになったのである。その驚きを、氏は次ぎのように記している。

”一体、何が、彼のような情け深く、才能に溢れた医師を、かのような野蛮な脳外科手術に駆り立てたのだろうか?そして一体何故、もはや無意味にさえ見えた、あの手術を長期に渡って実践し続けたのだろうか?”

事実、フリーマンの施術を受けた患者達は、術後、著しい性格の変化を見せたという。そしてエルハイ氏は次のように続けている。

”それは確かにフリーマンの目指したところであった。しかし、彼は、あたかも興行師の如き存在になってしまったのだった。”


【参考1】

フィネアス・ゲージの事故

lobotomy5.jpg実際に前頭葉破壊による性格変化という現象が確認されるきっかけとなったのは、1848年、米ヴァーモント州の鉄道敷設の為の山岳開拓工事で起きたフィネアス・ゲージの事件が発端であると言われる。フィネアスは不慮のダイナマイト爆発事故によって長さ1mもの巨大な鉄棒が頭蓋骨を貫通したが、奇跡的に生還した(イラストは事故当時の復元図)。

しかしその後、彼の記憶や知性は以前のままであるにも関わらず、性格だけが著しく変化するという症状が確認され、多くの脳科学者の興味を引くことになる。そして結果、フィネアスのケースは前頭葉破壊による精神外科治療研究を開拓するきっかけとなったのである。

- An Odd Kind of Fame: Stories of Phineas Gage (A Bradford Book)

また1890年にはスイスの医師、ゴットリエブ・ブルクハートによって、精神障害を抱えた6人の患者の頭部にドリルで頭蓋穿孔を行い、前頭葉の一部を除去するという手術が行われた。結果、二人の患者は死亡したものの、残りの患者には顕著な改善が見られたと記録している。これら19世紀に行われたロボトミーの前身的な実験が、後のヤコブセン博士、モニス博士らにインスピレーションを与えたことは、想像に難くない。

- Last-ditch medical therapy - revisiting lobotomy.(PubMed)
- Great and Desperate Cures: The Rise and Decline of Psychosurgery and Other Radical Treatments for Mental Illness


【参考2】ロボトミー殺人事件 | ロボトミーの歴史と事件 | 電気ショック療法

【関連】頭蓋穿孔 - 「トレパネーション」は第三の眼を開くか
- 恐怖が消え去り、全てが性交の対象になる - クリューバー・ビューシー症候群とは

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