【Reuters】16年前、空港に到着した日のようにアルフレッド・マーハンは今日も静かにシャルル・ド・ゴール空港のベンチに腰掛けている。彼の家具は生活用品が納められたバッグ、そしていくつかの段ボール箱のみである。マーハンのその余りもシュールな佇まい、そしてその一風変わった暮らしぶりは現在公開中であるスティーブン・スピルバーグ監督による「ターミナル」 - トム・ハンクス演じる人物がニューヨークの空港で数ヶ月足止めを食らう物語 - に大きな影響を与えた。アルフレッド・マーハン - 本名マーハン・カリミ・ナゼリ(自称59歳)はイランで生まれた。彼は自身をモデルとしたその映画「ターミナル」はおろか、これまでスピルバーグの作品すら目にしたことはない。「空港には映画館はないからね」彼は語る。
そして今年6月、米国にて「ターミナル」が封切られると共に、多くの取材陣が彼のもとへ殺到し、多くの旅客が足を止め、静かにたたずむ彼の姿を写真に納めた。また彼にはファンレターさえ届くこともある。「アルフレッド、ターミナル1」- 宛先にはそう書かれている。
「私は有名人なのかもしれません。でも人生は何一つ変わりませんね。今だって、別にいい家に住んでるわけじゃない、ここに座ったままです。」
そう穏やかな声で語るマーハンは今回、スピルバーグ監督のドリームワークスから自身の話を映画化する権利の代価として30万ドル(日本円で凡そ3300万円)を受け取っている。しかし彼はその報酬にほとんどに手をつけず、それまでと何も変わらない日々- 新聞とコーヒー、そしてささやかな食事だけにお金を使い、静かに空港で暮らし続けているのである。
そんな生活を送るマーハンの身なりは決してホームレスのそれとは程遠い。口ひげは良く整えられ、髪はきちんとコームされている。また16年に及ぶ空港生活にも関わらず、彼の体調は至って健全である。しかし、彼の医師が話すところによれば、彼は明らかに現実を見失っているという。
「アルフレッドは確かに我々と同じ時代に生きていますが、まるで我々と離れた感覚で生きています。」空港医療センター代表フィリッペ・バーゲンは語る。バーゲンは1988年にマーハンが空港に到着して以来、ずっと彼の体調を診ている人物である。
「私が何よりも驚いたのは、彼がここに来て数年がたった時、誰も彼の過去を知るものがいなかったということです。だから私は一人で彼のもとに行って、話を聞きました。すると、彼は自身の過去、そして人生をおそらく初めて、私に語ってくれたんです。」
そしてマーハンがゆっくりと語り始めた彼の半生は余りにも奇妙なものだったのである。
マーハンの話によれば、イランで生まれ育った彼は、1970年代、英国のブラッドフォード大学へと留学し、そこでイラン国王に反対するデモ活動に参加した。
そして1976年、彼は帰国すると同時に英国で行ったデモ活動を理由に拘留され、イランから国外退去を命じられた。そして彼はそのまま再び英国にトンボ帰りするも、英国は政治亡命者であるマーハンの入国を拒否したのである。
その後マーハンは数年間、ヨーロッパを転々とし、不法入国で数ヶ月に渡って拘留されたこともあった。そして1988年、彼はその後の人生を送る事となるフランスはシャルル・ド・ゴール空港へと到着した。
それから約10年後の1999年、フランス政府は遂に彼を難民として受け入れる事を決定し、マーハンは書類にサインを求められた。しかし、マーハンはそこで突然気を変えたのである。
「マーハンは入国審査の紙にサインすることを求められたんです。しかし、書類に書かれていたのはマーハン・カリミ・ナゼリ -- 即ち彼の本名だったんです。」バーゲンは語る。
「私はサインすることを拒否しました。それは既に私の名ではないからです。私の名はアルフレッド・マーハン卿です。」
そう語るマーハンは現在、自身がイラン人である事を否定し、またイラン語(ペルシア語)を話すことも出来ないと主張し続けている。そしてサインを拒否したマーハンの身分は無論、不法滞在である。しかし、静かに空港に佇む男の存在に、フランス政府はもはや目を瞑る以外なかった。
「彼は他の旅客の邪魔をするような事はないですし、我々に手を焼かせるようなこともありません。だから我々が彼に対して干渉することもないですね。彼はもはや、空港のちょっとしたマスコットのような存在ですから。」空港警察はそう語っている。
バーゲンによれば、マーハンはいつでも空港を去る事は出来たという。彼がすべきことはたったひとつ、ただ書類にサインするだけで良いのだ。しかし、彼は空港に留まり続けている。
それについてマーハンは、まだ未来は漠然としており、空港を去る準備が出来ていないと話している。しかしまた彼はコンクリートで作られた、この巨大なカフカ的ビル建築を、決して居心地が良いと感じているわけでもないと話す。
「いつまでもここに居たいわけではありません。でも、一時的な仮住まいとしては上々のものです。別に閉じ込められているとも感じませんし、退屈もしていません。毎日本を読み、書き続けていますから。」ドーナツ型の大きな建物、旅客達は透明なチューブを通過し、遥か遠くへと旅立っていく- 空港を眺めてマーハンは語る。
マーハンはほとんどの旅客を見送った夜遅く、トイレの中で身体を洗っている。「時には買い物にも行きたくなりますし、大都会が恋しくなるときもあります。映画も見に行きたいですね。」そう語るマーハンは現在、自らの半生を記した自伝を執筆し、いつかそれを出版したいと話している。またこれまでにもマーハンは気分転換のため、何度か空港の外に踏み出した事がある。しかし彼は100ヤード以上空港から離れたことはないのだ。
「いつか、(自分の半生を)映画にするためにハリウッドにいきたいですね。でもその時はもっと著作権費を取るつもりですけどね。」マーハンは冗談めかして語る。
またもしも今回スピルバーグが撮影した作品がマーハンの半生と酷似したものならば、おそらく彼は映画を撮りたいなどとは夢にも思わなかったかもしれない。しかし、"幸いなことに"、映画「ターミナル」はマーハンの半生とは凡そ似ても似つかない話しだったのだ。例えばトム・ハンクス演じる主人公は空港でキャサリン・ゼタ・ジョーンズ演ずるスチュワーデスと恋に落ちるが、「自分には一人の友達さえもいない」マーハンは語る。
「ナゼリ氏の話しは今回の映画の企画段階で、随分インスピレーションを受けました。でも完成した映画自体は彼の人生とはほど遠いものです。」ドリームワークスはこの件についてそう語っている。
また今後、マーハンは空港を離れるかどうか、未だ決めかねていると話している。しかし、また彼は自身の大きな夢を諦めているわけではない。
「ここから毎日米国行きの飛行機が飛び立っています。行こうと思えばいつでも行けるんですがね・・・。」
16年座り続けたベンチに腰掛けながら、発着便の見える窓を一瞥し、彼は語った。
【参考1】空港に泊まろう
【参考2】パリ空港の人々 | ターミナル公式サイト
【関連】X51.ORG : 16年間、空港で暮らす男がついに搭乗ゲートへ - 視察番外編