【Ouija/etc 】子供の頃、友達と向き合っては文字が描かれた紙の上に手を置き、霊を呼び出す呪文を唱えては、その手がまるで自分の意思を離れ、何かに突き動かされるのを楽しんだ - そんな経験は誰にでもあるのではないだろうか。1994年、10歳から14歳までの青少年17,000人を対象にした調査において「(リストされた83種類のゲームのうち)よく遊ぶゲームはどれか」という質問が行われた。結果、1位は「モノポリー」という妥当な結果が出たが、2位に浮上したのは何と「ウィジャボード」であるという意外な結果が明らかになった。ウィジャボード(以下ウィジャ、日本における「こっくりさん」のようなゲーム)とはアルファベット、数字、記号等が並んだボードとポインター(プランシェットと呼ばれる道具)を用いて、「霊との交信を行う」ための道具である。
ウィジャの歴史は古代まで遡り、古くは紀元前、孔子誕生以前の古代中国においてもその前身的な道具(現在でも扶鸞として用いられている)は登場し、死者との交信を果たす道具として用いられている。
また古代ギリシャにおいても「未知の世界」からのサインを受信する占いの道具として類似した回転板(ターニングテーブル)が用いられているが、その歴史は19世紀に至るまで続いている。またそうした道具は紀元3世紀のローマ、13世紀のモンゴルにおいても使われ、更には一部のネイティブアメリカン(インディアン)の間でも「スカディラティクボード」という道具が用られ、霊と交信し行方不明の人や失った物を探す事に利用されていたという。
そして現代に至るウィジャが世に現われたのは1855年の事である。その年、ヨーロッパにおいてプランシェットが流行し、後の第一次世界大戦の際には多くの支持者を産んだ。彼らは戦争によって失われた兵士とウィジャを用いて交信しようとしていたのだ。そしてそれは後に続く心霊主義の復興にも繋がる大きな流行となる。
ウィジャの歴史と起源を巡ってはこれまでにも諸説が存在しているが、現在信じられている最も有力な説によれば、その起源は1853年、フランスの心霊学者M. プランシェットが開発したものが原型であると言われている。また現在でも使われているウィジャは、1892年、心霊学に興味を抱いていたアメリカの発明家エリヤ・J・ボンドが開発し、1899年にその権利をウィリアム・フルドが購入して開発が進められた。その後1966年にはフルドはその権利を玩具メーカーであるパーカー・ブラザーズに譲渡し、彼らによって一般に対して大々的に販売されたものが現在のウィジャである。パーカー・ブラザーズはこれまでその売り上げ数の詳細を明らかにしていないが、推定ではおそらくその時代だけで2000万から2500万セットが販売されたと言われている。またその当時にはそうしたウィジャボードを巡り様々な事件が発生したにも関わらず、ウィジャの持つ危険性について触れられた書籍は少なく、当時のもので、現在確認できるものではたった2冊しか存在していないのである。
その中の一冊、ウィジャ研究者エドモンド・グラス博士が著わした「ウィジャ・ボード:オカルトへの入り口」はおそらくウィジャに関する最も優れたドキュメントであると考えられる。同書ではその歴史やバリエーションはもとより、実際に起こった多くの事例から、ウィジャを用いた結果とそれに対する警告などが事細かく示されている。またもう一つはストーカー・ハントが著わした「ウィジャ:最も危険な遊戯」が挙げられる。同書では2章に渡ってウィジャの使用方法を詳細に記しているほか、憑依現象、また心霊主義との関係性からその実態を鋭く考察し、結果としてウィジャは単なる遊戯でないにも関わらず、商品として市場に販売され続けている(いた)事に対しての警鐘を発している。
またその時代には有名なパール・レノア・カラン夫人を初め、ウィジャを用いた霊媒師も多数存在した。カラン夫人は「ペイシェンス・ワース」と名付けられたボードを用いて霊媒として活動し、後には自動筆記を行うに至っている。また1919年、スチュワート・エドワード・ホワイト、そして彼の妻ベティはボードを用いて「見えないもの」との交信を行い、そうした交信の内容を多数の著書として残している。またその他にも同様の活動を行ったジェーン・ロバーツなどもいるが、彼らの書籍によれば、そうした霊的なものとの接触は常に予期しない状態から突発的に発生したとされている。
また当時ではこうしたウィジャの憑依現象等を恐れ、ベテランの祈祷師や心霊学研究者達でさえ、その利用に対する警告を発している。例えばかの有名な"眠れる予言者"エドガー・ケイシーもウィジャの事を指して「非常に危険なものである」とし、またキリスト教者として降霊術を行っていたエクソシストのドナルド・ページは多くの憑依がウィジャを原因として発生しており、またウィジャを用いることは憑依されるのに最も安易で手っ取り早い方法である、とその危険性を指摘している。またウィジャと関係して自動筆記に関する研究を行っていたマーティン・エボン博士もそうした儀式の最中に憑依現象が起こることは頻繁であるとし、以下のように記述している。
”この種のゲームを行っている最中、参加者はまず自分自身が何か特別な儀式の一部に「選ばれた」ものであると考える傾向がある。ウィジャは直接的に、あるいは暗示的に、参加者に対してそれが何か意味があるものであるかのように振る舞うことを仕向ける。その力が一体何なのか、そしてそれは何故なのか、原因は不明である。しかし、そうしたゲームの最中にウィジャが一転して口汚い言葉をなぞるようになり、参加者に対して「敵対的」になったり、要求を行い、恐ろしい事態へと向かうことは多く見られることである。また参加者はその間、まるで霊に「憑依されたかのように」何かに突き動かされて手を動かし、あるいは彼らに指示を与える声を聞き、言葉をなぞるのである。そして驚くべきことに、こうした現象は全く珍しいものではなく、頻繁に発生しているのだ”
また故エドガー・ケイシーが米ヴァージニアに設立したA.R.E(参考:Official site of Edgar Cayce's A.R.E)には一時期、全米各地から「ウィジャや自動筆記を遊び半分で試して恐ろしい事態に見舞われた人達からの数えきれないほどの手紙」が送られたきたという。グラス博士はその件に関して"A.R.Eに届いた膨大な手紙を読んだ結果、それらの事件には多くの類似したパターンが存在していることは明らかである。1956年にはヒュー・リン・ケイシーは同様の手紙を274人もの人から受け取ったと記している"と記述している。また同じく心霊学者のアラン・ヴォーンも"その影響は明らかである。しかし、そうしたウィジャの使用禁止を求める声は心理学者からではなく、むしろ降霊術信者からのものである。例えば英国では降霊術者のグループがウィジャの販売停止を求める活動を行ったが、その理由は漠然とした「ナイーブで、影響を受けやすい子供達へ不健康な影響」の危険性を訴えるものではなく、「子供達が簡単に憑依されてしまうこと」の危険性を訴えている"と記述している。
更にアーカンザス州ESP研究財団の所長、心理学者/降霊術者のハロルド・シャーマン氏はそうした危惧を妥当なものであるとし、「憑依現象などの霊的現象に苛まれた多くの人々がこのウィジャを利用していた」として以下のように記述している。
"このように霊能力者、心理学者、精神科医、医者、神学者といった多くの専門家達が警告を続けたにも関わらず、多くの人々がウィジャやまた同類の器具を単なる玩具と考えて危険性を無視し、その利用を続けて来た。そうしたウィジャを利用した人々の大部分がウィジャそれ自体やオカルトといった事に一切の興味がなく、単なる好奇心で使っていたことは明らかである。しかしまた、そこにはウィジャに関して心理学的、精神的、心霊学的な指摘を行う人物はある種の異常者として見られ、無視され続けてきた背景があるのだ。しかし、では何故実際にこうした単なる玩具がかのように多くの事件を生み出しているのだろうか?これは一つには単に捉え方の問題であるが、いずれにせよそうした被害者達もいざ自分の身に実際に何かが起こるまではそうした危険性に気づくことはなかったのだ。そして気づいた時にはもう遅いのである、、、"
また更に、事実、こうしたウィジャに関する危険性の指摘は80年代のオカルトリバイバル以前、遥か昔から長らく指摘され続けて来たことでもあるのだ。今から凡そ70年前、医師のカール・ウィックランド博士は自らが受け持った患者の事をしてこう記述している。
"私の下を訪れた患者のうち数人は自動筆記によって障害を患った者達だった。それらの患者達は皆すぐにでも精神病院への入院を必要とする程の凶暴さを示していた、、、。またそれ以外にも無思慮なウィジャの使用によって障害を患った多くの人々が助言を求めて私の下を訪れた"
また先のエドモンド・グラス博士はかの有名な奇術師フーディーニ(フーディーニはそうした心霊主義を激しく否定していた事で知られる)に関するドキュメントからもそうした記述を発見している。ニュージャージー州立精神病院医師のカリー博士はウィジャに関して「危険因子である」と判断した上で、"もしもウィジャが何の思慮もなく皆に使われるようになれば、それは確実に精神の安定を乱し、精神病院は患者で溢れかえるだろう"と記述している。
また著名な精神医学者のエド、ローレイン・ウォーレン夫妻はウィジャに関して「単なる冗談半分の遊びではすまない」とし、更に哲学研究協会の創立者にして20世紀のオカルト界権威の一人として数えられるメンリー・P・ホール氏も1944年、ホライゾン誌に以下のような記事を寄稿している。
"ここ20年から25年の間、私はウィジャによって人生を台無しにした多くの人々を目にしてきた。またその数百件のうち、少なくとも95件のケースは本当にひどいものだった。その中には自ら家を破壊するに至った者、離散家族となってしまったもの、あるいは明らかにウィジャを原因として、自殺してしまったものさえいたのだ、、、"
またウィジャ研究家のエド、ローレイン・ウォーレン夫妻は彼らの著書の中にこう記している。"ウィジャは例えるならば危険なドラッグと同じです。本来それは決して遊びで使うものではないのです。まして悪魔崇拝のカルトなどが流行する昨今、子供を持つ親は子供達の事に気をかけ、そうした器具を子供達に与えてはならないはずです。とにかく、降霊会やそうした器具の乱用は本当に危険です。悪魔が貴方の子供の精神を乱し、時にはその命さえも奪ってしまうのです、、、"
また米UCLA神経精神病学科で超心理学などを研究するセルマ・モス医師はウィジャを研究し以下のように結論している。"これは警告です。一部の人にとってはウィジャは決して玩具に留まりません。これは重大かつ深刻な人格破壊(人格乖離)を引き起す可能性を持っています"。
またこうした精神障害の他にもウィジャを原因とした奇怪な事件はこれまでにも多く記録されている。そのうちの一つ、有名なものとしてはウィジャと結びついたヴァンパイア信仰がある。歴史上にいくつか存在するヴァンパイア信仰は決してその全てが単なるフィクションではなく、そうしたヴァンパイア信仰によって発生した事件は精神医学の文献にも多数記述されているのである。例えば懐疑論者として有名なウィリアム・シーブルック氏は実際にヴァンパイアを名乗る女性と接触し、実験として彼の血を本当に飲めるか試し、実際に血を飲まれた事例を紹介している。また精神科医のレイモンド・ヴァンオーヴァー氏はヴァンパイアを名乗る人物と接触し、彼が実際に血に飢えていること、特に少女の血に切実に飢えていたということを記述している。
言うまでもなく、「血」はオカルティズムにとって決して切っても切れない非常に深い関係にある。それは例えば儀式において祭壇で(時に精霊の要求によって)血を飲みほし、またあるいは悪魔との契約に、その契約を実在化するための象徴として血が用いられることなどにも見てとれる。
また古代インド史研究家にして裁判長も務めた経歴を持つインドのルイス・ジャコリオット氏は古代インドにおける血の儀式について以下のような記述を残している。"「彼」がその儀式で参加者に要求したものは処女か子供の血で染められた花だった。それは即ち、参加者に対し「彼」が生け贄、そしてその死を要求しているということである"。こうした例を見るまでもなく、血、そして何らかのオカルト的儀式が結びついた際にその儀式に参加した者が血を求めて自らをヴァンパイアへと向かわせるのは決して想像に難くはないだろう。
またそれ以外にもウィジャはしばしば悪魔崇拝や魔女崇拝と結びついて占術の道具として用いられる事も多い。社会学者のエドワード・J・ムーディ氏はこの件に関して"悪魔崇拝に至った人物の多くが占術への傾倒をそのきっかけとしている"と分析し、多くの場合において、悪魔崇拝カルト入信に至る人物の多くが最初はウィジャ等を用いた遊び半分の占術からはじめたにも関わらず、後に"「精霊」が彼らにそうした安易な儀式を止め、より本格的な儀式を行うよう「提言」したために"、深みへとはまって行くケースが多いと指摘している。一例としてオカルティズムに傾倒し、後にウィジャに手をだしたカール・ジョンソンという人物に関して以下のように記している。
"数年前、彼とその妹がウィジャで遊びはじめてから間もなく、彼らが言うところの「声」が彼らに語りはじめた。そして。それが彼らの悪夢の始まりだった。彼らはその後、進行性の鬱病に苦しみ、やがては自殺未遂へと至ったのだ。カールの供述ではその「声」が彼を生かしてると告げ、彼に血を求めた。カールは「声」に従ってナイフを手に取り、妹の足を突き刺してその血をすすったこともあった。そしてそれから彼は血に対する強迫観念に追われ、今度は彼のホモセクシュアルの友人の腕を切り、そこから血を飲むようになった。またその後彼は友人らと悪魔崇拝のカルトを作り、その奇怪な儀式を行い続けたのだ。一方、妹のリリスもまたヴァンパイアとして悪魔崇拝者となった。彼女の記述では、彼女は後に友人らと集まっては魔女集会を開き、満月の下で血と混ぜたワインを飲み干して恍惚に浸った。しかし彼女が自らの姿に気づき、我に返ったのはそれから間もなくの事だった。カルトのうち一人のメンバーが彼女の父親を誘拐し、儀式の生け贄として父親を殺すよう彼女に促したのだ、、、"
このようにウィジャを巡りこれまでに様々な事件が発生していることは事実である。しかしまたこうしたケースは全体からすればあくまでも一部であり、多くの場合においては幸いにも、ウィジャで遊びながらも何ら影響を受けずに、そうした被害を被る事なく普通に暮らしている人が多い事はまた事実である。しかし、恐ろしいのはそうした事件へと至った人物の中には、ウィジャを使用する前には全く普通の暮らしを送っていた健全な人々もいるという点にある。つまり問題はウィジャを使用した際、一体どのようなタイミングで誰に何が起こるのか、それが全く予想できないという点にあると言えるだろう。
またエドモンド・グラス博士、そしてストーカー・ハントなどの著作に掲載されているものを見るだけでも、これまでには他にもウィジャを巡る事件 - それは憑依現象、狂人化、経済的な破滅、家族離散や殺人を含む犯罪など - が発生していることは紛れも無い事実なのである(注:また映画エクソシストの原作でも少女が悪魔に憑依される最初のきっかけは「ウィジャ遊び」である)。こうした事実からしてもウィジャを単なる玩具として子供達に与えることは非常に危険であると言えるだろう。また親達は単なる遊びであるからといってそうした子供達の玩具使用には良く注意すべきであると言える。これから先、ウィジャを商品として市場に流通させたパーカー・ブラザーズはこのウィジャが持つ何らかの作用を認め、それらが引き起こして来た事件との関連について、彼らはもはや否定する事ができなくなるのではないだろうか。そしていつか、彼らは市場にウィジャを流通させることを停止しなければならない時さえ来るのではないだろうか。(写真は現在でも販売されているパーカー・ブラザーズの「Ouija Board」 ※尚米AMAZONの購入者レビューでは決して単なる遊びだと思ってはならないと言った意見が多数寄せられている。)
【参考1】こっくりさん”は本当か? | ウィジャ・ボード(霊応盤) | こっくりさんより引用
A子とB子は神奈川県の中学校に通う1年生の女子生徒である。放課後に二人で「キューピットさま占い」をしていたところ、何かの拍子に文字盤の「出口」が破れてしまった(入り口と出口があるタイプの文字盤だったようだ)。するとA子の目が突然つりあがり、いきなりB子に殴りかかった。B子は、たまたま通りかかった友人のC子と一緒にA子を取り押さえようとしたが、A子はものすごい力で襲いかかってくる。B子とC子は教室を逃げ出し、トイレに隠れたが、なおもA子はドアをよじのぼろうとしたり、声を上げながらドアを叩いたりしている。
しばらくして声が聞こえなくなったので、A子がいなくなったと思ったB子とC子がおそるおそる外に出ると、二人を見つけたA子が再び襲いかかった。二人の悲鳴を聞いてかけつけたほかの生徒とともに、みんなでA子を押さえようとしたところ、彼女は倒れ、平静に戻ったという。
しかし、今度はB子がもうろう状態となり、急に走り出し、4階にある教室のベランダから飛び降りようとした。続いてC子も同じ状態になってしまった。
しばらくすると二人は平静に戻ったが、この学校ではその後4日間にわたって、この3名のほかにも6名の生徒に失神、もうろう状態、手足の震えなどが出現したという。この話で興味深いのは、「追いかけてくる人物から逃げてトイレの中に隠れるが、なおも襲ってくる」という「トイレの怪談」のパターンが忠実に守られているということ。この場合、たぶん、逃げる方も追う方も怪談のパターンを無意識のうちに演じていたんじゃないだろうか。「演技性」というのが、ヒステリーの大きな特徴なのだ。
さて、この「こっくりさん」、実は、19世紀に西洋で流行したテーブルターニングとかウィジャ盤といった占いに端を発し、日本に伝わった時期も明治時代にまでさかのぼる。まことに由緒正しい占いなのである。(中略)
これが日本に伝わって「こっくりさん」に変化したのは、奇しくもこの事件と同じ1884年(明治17年)のこと。下田港に漂着したアメリカ船の船員たちが村人たちに伝えたテーブルターニングが始まりである、と東洋大学創始者で妖怪学者の井上円了は1887年に出版した『妖怪玄談・狐狗狸の事』なる本に記しているそうだ。「こっくりさん」は、明治18年から20年にかけて全国的に流行したそうで、これが第一次ブームということになる。
【参考3】憑依の精神病理—現代における憑依の臨床 | 中国のこっくりさん—扶鸞信仰と華人社会