【Discovery】この度行なわれた研究によると、17世紀においては、女性が公衆の面前でおっぱいを晒すことはごく普通のことだったということが明らかになった。歴史研究家のアンジェラ・M・ジョーンズさんによれば、17世紀の民話などを描いた木版画を調査した結果、その時代のイングランドやオランダにおいては女性が公衆の面前でおっぱい丸出しでいることは何ら珍しいことではなく、社交界においても広く受け入れられた行為であったことが明らかになったという。英ワーウィック大学で講師を勤める彼女は今回の研究に当たって、ケンブリッジ大学に収蔵されているサミュエル・ピープス・コレクションから木版画凡そ2000点、更に英国図書館、ハーバード大学などからも多数の木版画を収集し、調査を行なったと話している。
彼女が収集したバラード・シートと呼ばれる木版画は1枚の木片にその時代の風俗や民謡などが描かれ、一枚半ペニーから1ペニー程度で露天商やノミ市などで売られていたものである。そしてそうした多数の木版画を調査した結果、女性がドレスを着ながら胸を露出したものが多数発見されたのである。
木版画にはその時代の女性の間で流行したファッションが描かれており、多くの女性がおっぱいや腰を曝けだしたローカット・ドレスを着た姿で描かれている。また両方のおっぱいだけでなく、片方のおっぱいを晒した女性の絵も多く、そうしたファッションは特に記号的な意味合いを持っていた。それは胸を失くすという受難に殉じた聖女を意味しており、しばしば宮廷などの高貴な女性がそのような聖女に例えられ、方胸の姿で描かれたのである。
またその時代、おっぱいを晒すという行為は決してけばけばしい行為などではなく、むしろ女性がおっぱいを晒すことは健全なる美徳の表現だったのである。
「その時代、おっぱいを晒すことは非常に古典的で、そして若さに溢れた美の表現だったのです。女性はそれぞれ自慢の"りんごのような"すれていない美しいおっぱいを晒すことで自らの美徳、美しさ、そして若さを表現していたんです。特に身分の高い上流階級の女性は自分の子供に母乳を上げません。それはもちろん、おっぱいの美しさを維持するためです。またこうしたおっぱい丸出しファッションは元々は上流階級から外れた庶民の間で広がりました。そしてそれがいつしか上流階級にも受け入れられ、女性の美を表現する高級ファッションになったんです。女性はおっぱいを晒すことで自分の美を表現して満足し、女性の夫は妻が美しいおっぱいを公衆に晒すことをとても誇らしく思っていたんです。」ジョーンズさんは語った。
彼女の研究によれば、おそらくこのおっぱい丸出しファッションは15世紀、フランスの宮廷内で寵姫として存在したアニエス・ソレルに始まり、その後、イングランドのメアリー2世(写真)、アンリエッタ・マリー(シャルル1世の妻)によって広められたのではないかと推測しているが、事実、その時代の建築家のイニーゴ・ジョーンズはマリーのために胸全開のドレスをデザインしているのである。
またワーウィック大学の歴史学教授バーナード・キャップ氏は今回の研究を受けて、実際にその時代においておっぱいを晒すことは女性にとって何ら恥ずかしいことではなかったということを認めている。
「その時代、おっぱいを自ら露出して美と名誉を誇ることは、社交界においても完全に認められていたファッションだったわけです。」
またキャップ氏によれば、その時代にも一部の保守的な人々や宮廷部外者 - 例えば17世紀の清教徒法律家ウィリアム・プリンはそうしたファッションに対して強く異を唱えたという。実際、プリンはおっぱい露出を好んだアンリエッタ・マリーのことを指して「悪名高き売女」と呼び、罰として耳を削ぎ落とされているのである。
またこうしたおっぱい丸出しファッションは18世紀や19世紀、ヴィクトリア朝時代にも復活している。ジョーンズによれば、そうした各々の時代におけるおっぱい露出ファッションはその都度驚きをもって迎えられるが、そうした流行の有無はむしろ男性の性的関心に関係していると話している。
「それぞれの時代によって、身体の一部分が性的であったり、そうでなかったりと、変化するのだと思います。現在ではおっぱいは完全に性的なものとしてみなされていますが、それは再び変化するのかもしれませんね。」彼女は語った。
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